2008年01月03日

2008年

張孝全 ソフトマン.jpg

新年好!!
一年がたち2008年に入りました。この一年間『藍空』に飾っていた張孝全写真。
今年も彼にいてもらいます(笑)

一人じゃ寂しいだろうからブライアンも一緒に
ブライアンとジョセフ2.jpg
posted by フェイユイ at 00:35| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

2007年もよろしく!そして張孝全迷の皆様ありがとう!!

ジョセフ.jpg

2006年8月31日にここ「藍空」を離れ「藍空放浪記」に引越しました。
2007年になりましたが、いまだにここをたくさんの方が訪れてくださいます(引越し先の「藍空放浪記」の倍くらいこちらがまだ多いのだ)
本当にありがたい事です。ブログ上に出てくるアクセスカウンターはちょっと変なんですよね。今「藍空放浪記」は130くらい。「藍空」は250くらいなのです。

今年もまたよろしくお願いします。
何かの折にちょこっと記事も書くことがあれば嬉しいですね。

特にいつも張孝全くんへのアクセスが多いのがうれしいのですよ。ありがとう!!
ラベル:挨拶 張孝全
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

周迅へのアクセスありがとうございます

周迅k.jpg

最近、周迅(ジョウ・シュン)へのアクセスがとても多く、周迅迷としてうれしくなって書いております。
多分「ウィンター・ソング」のおかげなんでしょうね。

周迅は大変素晴らしい作品に多く出ているのですが、日本での知名度はイマイチなんですよねー。惜しい!
彼女を見ることができるのは映画「ふたりの人魚」「ハリウッド・ホンコン」「小さな中国のお針子」でしょうか。
輸入盤でドラマの「橘子紅了」「像霧像雨又像風」も見て欲しいものです!
そして「射[周鳥]英雄伝」(これは日本版あり)の黄蓉も!

またジェイ・チョウのMV「霍元甲」DVDの「四面楚歌」でも可憐なダンスシーンを見られます。
 
新しい映画『夜宴』を早く観たいものですね。
ラベル:周迅
posted by フェイユイ at 19:05| Comment(5) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月31日

さよなら「藍空」〜また時々来るけどね〜

とうとう「藍空」最後の日になりました。
などと言ってもこの状態のまま「藍空放浪記」に移動するだけですので涙は必要ありませんよー。
もしよろしかったら引き続きフェイユイのブログを覗きに来てやってください。
「藍空」はこのまま放置しておきますのでこちらの様子も見てやってください。もしかしたら時々なにやらいじるかもしれません。
コメント・TBもどうぞお願いしますね。

では続きは明日「藍空放浪記」にて
ラベル:挨拶
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月30日

「藍空」の終わり、そして映画賞授賞式

さあて皆様、予告していました「藍空」ブログも8月いっぱいということでもう少しで終わります。
本来なら明日書けばいいのですがどうも心配性なので「書き損ねたらやだなー」と言う事で1日早く書いております(笑)

1年前の9月始めは一周年記念とかでやたら色々書いてますね。その一年のベスト映画賞なんてのもやってます。
これは楽しいんで今回も是非やりたいんですが、新ブログ早々ベストもないと思うのでこれも早めて「藍空」でやってしまいます。

前置きが長いんですが(笑)もともと「藍空」はアジア系映画に固執してたので去年は「一般映画=アジア系映画」「それ以外=外国映画」という風に分けていたのですが、今年は途中からその志向が大きく崩れてしまいあえてアジアと外国と分けちゃうと意味が変わっちゃうので今回はみんなひっくるめての選出です。
もうご存知のことですが、ここでの映画賞はフェイユイがこのブログで書いてきたフェイユイが観た映画での選出なので過去と現在の区別はありません。というか殆どが過去の映画、そして時々逆に日本公開より早いモノもあります。殆どすべてがDVDによる鑑賞です。

映画部門

最優秀作品賞:「王の男」
韓国映画からすっかり離れてしまいアジア以外の映画を観始めはまり込んでしまったりして(色々あった「ブロークバックマウンテン」ガエルもの、マット・デイモンもの)そして巡り巡って最高に好きになったのが結局韓国映画の「王の男」だった。
ホントはもっと何回も見直して書きたいのだよー。「藍空放浪記」の方でもまた書くつもり。

最優秀監督賞:ウォルター・サレス
「モーターサイクル・ダイアリーズ」ってことで去年上げてもよかったんだろうけど今年観た「ビハインド・ザ・サン」「ダーク・ウォーター」での感激も加わって選ばせていただきました。

最優秀主演男優賞:市川雷蔵・勝新太郎
お二人にしてしまって申し訳ないけど今年観た主人公で最も印象が強かったのはこのお二人。
まあ初めて観たわけじゃないんだけどまさに主役、という強烈なキャラクター「眠狂四郎」と「座頭市」は久し振りに観ても激しい衝撃を受けたと言う事で。

最優秀助演男優賞:ミッキー・ローク
あまり深く考えていないんだけど(笑)「シン・シティ」(主役か?)とか「レインメーカー」とかで。

最優秀主演女優賞:藤純子
おいおい、主演は日本人ばかりか。だってかっこよかったんだもーん。しばらく昔の日本映画にはまってましたが、昔の日本映画の主人公って男も女もかっこいい。そして美しい。

最優秀助演女優賞:ジョニー・デップ
冗談ですが。ホント女性が出て来るの少なくて。思い出せない。思い出したのは「夜になる前に」のジョニー・デップと「カランジル」のロドリゴ。サントロ。
サントロの方がより女性的ですけどね。ジョニーの方がインパクトあるかなと思って。

ドラマ部門

最優秀作品賞:「笑傲江湖」「天龍八部」
(笑)えー前回は「射[周鳥]英雄伝」にしてるんですね。まだ「天龍八部」の途中で。その後この二つを観終えるのですがやっぱ甲乙つけがたい。
「天龍八部」の方が好き、とか言ってはいたんですがそれならこの記事数は何だという話もあって。やはり選べませんね。

最優秀男優賞:李亜鵬(リー・ヤーポン)
「笑傲江湖」で素敵だった。「康煕王朝」の陳道明も選んでよかったのですが僅差で次点。

最優秀女優賞:スーチン・ガオワー
「康煕王朝」そして「西太后の紫禁城」と彼女なくしては紫禁城は語れませんなあ。とくに今回のお婆様=太皇太后は迫力ありました。

他に好きだった作品は数多くてあげきれませんが「特別賞」をフェイユイのそれまでの主義を変えさせてしまったマット・デイモンと「ブラザーズ・グリム」のテリー・ギリアムに捧げます。
おかげでせっかくのアジア系ブログがもっと幅広いものに変わってしまいました。まあこうやって人は変わっていくものでありますね。

では誰とも比較できないフェイユイだけの映画賞授賞式を終わります。
次回来年の今頃新ブログ「藍空放浪記」でまたやれることを願って。再見!

ラベル:映画賞授賞式
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ハリウッド☆ホンコン」陳果

ハリウッド・ホンコン.jpgハリウッド・ホンコン2.jpgハリウッド・ホンコン3.jpg

何度目かの鑑賞です。
陳果醍醐味満載という感じで冒頭から楽しめますね。
いつも陳果監督は陳果らしい味を失わない方だと思っていますが。
これは是非真夏のどろどろ猛暑の中で観たい映画です(と夏の終わりに言う)もう汗だくですよ。

香港の下町「ダイホム」のすぐ側には巨大なビルディング「ハリウッド」が立ち並んでいて貧しいその街並みを見下ろしている。「ダイホム」にはトタン屋根の家が入り組んだ路地と共に存在する。そこには様々な人々の生活があり、焼き豚屋を営むチュー一家や同棲相手に売春をさせているウォンたちもそこの住人であった。
そこへある日上海から“天使”がやって来たのだった。

“天使”の名は「紅紅(ホンホン)」「東東(トントン)」「芳芳(フォンフォン)」とも言う。
彼女は男達に夢を与え、そして手ひどいしっぺ返しをして去っていったのだった。

この大陸から来た不思議な少女(ではないんだけどそんなイメージ)を周迅がいつもながらの魅力で演じている。
そんなトントンと仲良くなるチュー家の次男坊タイニーが凄く可愛い。陳果監督はこれもまたいつも子供が凄くいいんだけどここでもタイニー君の活躍なしではなりたたない。
いつもと違うと思ったのは、陳果監督は非常に細身な少年少女が好きでここでも周迅とチンピラのウォンは細身ですがチュー家の男は親子ともでっぷりとした身体を誇示している。しかも焼き豚製造店なのでたくさんの豚をさばいては焼き上げるのだ。ゴウゴウと燃え盛る炎の中で焼けていく豚肉の映像が熱い。おデブな身体からは汗が滴り落ち観ているだけでも温度が上がりそうだ。
冒頭のスタッフ・ロールが「007」を彷彿とさせる演出なんだけど名前が映し出されるの豚の皮膚なのか人間の皮膚なのか判らなくなっていくとこが最初っから陳果やるーなのである。

香港のありのままの姿を描きだしていくという狙いもいつもと一緒である。香港が中国に返還され大陸から来た娘に翻弄されていく。古い建物は取り壊される運命にあり、新しく巨大な建物が作られていく。
大陸をイメージさせるトントンがタイニーに赤い布を振ったり、トントンが危険の迫ったトントンに「走」(逃げろ・行けという意味)の字を書いた旗を振るところなどなんとも意味深である。
またいつものように素人を使ったキャストであったようだ。勿論、周迅はそんな中でもすんなりと小悪魔的な少女を演じていて違和感がない。
トントンがチュー家でブランコをこぐシーンが幻想的である。

人間の体外受精卵を豚で育てて出産させようという大陸出身の女医者(?)が凄い。
ウォンが他のチンピラたちから右手を切り落とされその女医者に他の男の左手を移植されてしまう。これもまた意味深。
無理矢理くっつけられた他人の手などいらない、と言って泣くウォン。これもまた香港と大陸を表しておるのでしょうな。ただし、間違った他人の右手をつけられてどっこい生きてる他の男もいるわけで。
香港はたくましい。というオチでございましたでしょうか。

監督・脚本:陳果(フルーツ・チャン )音楽:ラム・ワ−チョン/チュ−・ヒンチョン
出演:周迅(ジョウ・シュン)/グレン・チン/ウォン・ユーナン/ホウ・サイマン/レオン・ツィーピン
2002年香港
posted by フェイユイ at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

「宅變」陳正道

Heirloom.jpg宅変1.jpg宅変2.jpg宅変3.jpg

えー張孝全の「盛夏光年」のために(?)陳正道監督作品「宅變」を観てみた。中文字幕だしまあ画面を見ていただけなんですが、古い洋館を舞台におどろおどろしい雰囲気が結構好みな感じでした。私的には洋館より中華風のほうがより怖そうな気がするし好きなんですけどね。
とはいえ作品映像のクオリティも高くますます「盛夏光年」の期待度は高まりました。そんなに大げさな脅かしや残酷シーンがないのもよかったです。格調高い品のいいホラーですね。

「宅變」には「17歳的天空」のジェイソン・チャン、「ターンレフト・タンライト」の 關穎(クァン・イン)が出演しています。

「宅變」DVD
ラベル:ホラー
posted by フェイユイ at 13:04| Comment(8) | TrackBack(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

「天上草原」マイリース/サイフ

天上草原.jpg天上草原2.jpg

漢民族である少年フーズが父母と生き別れたためにモンゴル族の男シェリガンと共に彼の故郷である内モンゴル自治区の草原で暮らすことになった。

だが少年フーズは父親が投獄、母親は別の男と逃げたというショックのためか失語症になっていた。おまけに懸命にフーズを助けようとするシェリガンから逃げようとばかりするため「モンゴル結び(一見ゆるそうだがなかなかほどけないらしい)」で括りつけられる有様。
5年の刑期を終えて故郷へ帰ったシェリガンが向かったのは5年前に離婚した元妻のバルマと彼女に育てられたシェリガンの弟テングリの住む内モンゴルのゲル(パオ)だった。
シェリガンはバルマに許しを乞うてよりを戻そうとするが散々苦労をしたバルマの心は頑なだ。しかしバルマは他の男と関係を持とうとはしていなかった。
バルマの義弟であるテングリは義姉に対してほのかな恋心を抱いていたのだろう。バルマもそれを感じていたが(もしくは何かそういったことがあったのかもしれない)義弟の「一緒にどこかへ行こう」という問いかけに応えることはなかった。失望したテングリは軍隊に入り兄夫婦を残して草原を去った。

少年フーズにとってはこのテングリとの触れ合いがずっと記憶に残る事になる。
「町の子」フーズの目を通して内モンゴルの自然とモンゴル族の優しさ・強さが語られていく。バルマはいつもフーズを優しく見守っているがフーズが白鳥の卵を意味もなく取って来て割ってし待った時は厳しく怒る。
シェリガンは家畜を狙う狼を追うが命を取る事はせず、懲らしめると自然に返すのだ。テングリは旅立つ時、愛馬をフーズにあずけて行った。
物語はシンプルで力強くしっかりと訴えかけてくる。最も天に近いというモンゴルの草原が素晴らしく元・夫婦と弟の人間関係をモンゴル結びにかけて表現していく。このシンプルな美しさと言うのが素直にこちらに伝わってくる映画だった。

そうして思ったのは主人公の少年が何故漢民族なのか、ということ。彼は綱で縛られて内モンゴルへ連れてこられ、最後はなんとも悲しい事に父親の刑期終了で再びもとの町へ戻されてしまうのだ。今では心底愛する人たちから切り離されて。
このとんでもないラストは一体なんなんだろう?

この作品は内モンゴルの監督・出演者・舞台で作られているが出資は「国」からのものらしい。無論中国=漢民族の観客を意識するだろう。
映画の登場人物は舞台であるモンゴル語を話しているがナレーションは漢民族の少年の言葉・中国普通語=漢語で話される。漢民族である少年がいきなりモンゴルへそれも否応なく連れて行かれ、また戻される事で観客の漢民族は自分が夢の中でモンゴルの草原へ暫し行ったかのような感覚に襲われてしまうのではないだろうか。
また別の民族である自分も何となくそのような不思議な体験をしたように思われた。それくらいこの映画の中のモンゴルの草原とパオ(ゲル)に憧れてしまう。
何となく自分もモンゴル人のように馬を駆けさせることができてしまうようではないか、「町の子」であるフーズがモンゴルの子供達に混じって馬の競走をして優勝したラストシーンのように。
つまり「町の子」フーズは漢民族であるが他のすべての国の観客の目でありいきなりモンゴルへ連れて行かれてしまう代行者なのだ。
映画を観終われば自分の国にいるはずなのでフーズはいきなり元の位置に戻されてしまったのだった。「ああ、またモンゴルへ行って優しいバルマと馬達に会いたいなあ」と思わせながら。
とにかく内モンゴルへ行きたくなってしまったんだから、間違いないと思う。

それにしても最近はちょろちょろとモンゴル辺りのドラマなんぞ観ていたんで結構懐かしい。
結婚衣装なんかも「康煕王朝」に出てきたモノを彷彿とさせるし(あの髪飾り印象的!愛し合うのも草原の中で、というのもありましたな)
しかしここでまたひとつ。中国ドラマではモンゴル人も漢語を話しているのでモンゴル語というのは聞く機会が殆どなかった。
ここで聞いていると漢語よりは韓国語の響きに近い気がします、何となく。

天上草原の世界

監督:マイリース/サイフ (ご夫婦だそうです) 音楽: サンパオ  出演: ナーレンホア ニンツァイ グアルスーロン アユンガ トゥメン
2002年中国(内モンゴル自治区)

訃報
サイフ監督逝去
『天上草原』の共同監督、サイフさんが9月1日夜、肺ガンのため、北京の病院にて逝去されました。享年51歳。遺作は、マイリース監督と撮影中だった『東帰黙示録』。
謹んでご冥福をお祈り致します。
posted by フェイユイ at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

「力道山」ソン・ヘソン

力道山.jpg

何と言っても圧倒されるのは韓国映画でここまで当時の日本を再現できたということなんだろう。
「その当時」と言うのを自分が生で体験したわけではないがまったく違和感を感じず観る事ができたということが凄い。
しかもソル・ギョングは30キロ以上の増量をして力道山の半生の変化を演じ分けながら全編日本語を話すのだからその努力と技術には驚くしかない。

ところでこの映画のキャッチフレーズは「日本人が一番力道山のことを知らない」ということだが確かに力道山の名前と顔は知っていてもどんな人なのかは全く最近までしらなかったのだ。
しかも私が知ってる写真は美空ひばりと仲良く笑いながら写っているとても可愛らしい笑顔の力道山だったりしてソル・ギョングが演じたような苦しみを持つ人だとは夢にも思わなかった。戦後の日本人に夢と希望を与えた最強のアイドルというイメージであった。

力道山が最初は相撲をしていたことは知っていた。だが朝鮮人であるためにこのようにいじめられ昇格もできなかったと言うようなことは知らなかった。映画での演出かとも思ったが、実際時がたった現在の相撲界でもモンゴル力士の報道など思い出すと当時の日本ならこれが嘘ということはないなと思ってしまう。結局力道山は相撲界に見切りをつけプロレスの道を歩み出すのも当然なのだろう(一体なぜ相撲からプロレスに?と思ったことはあったが、こういうことだったのだ)
ところで映画中にプロレスシーンが繰り広げられるのだが、これも当時の人間でないとわからない事ではあるが、想像するに随分派手な立ち回りをしているようだ。なんというか、自分が最もプロレスを見ていた頃の技が次々と繰り出される。(スタン・ハンセンのような)ラリアートやらブレーン・バスターなどはまだこの時代ないと思われるのでしてこれは時代考証うんぬんというよりまあ画面を華やかにするためのサービスと思おう。場外乱闘などはどうだったのであろうか。
無論、力道山の必殺技空手チョップは炸裂する。これでデカイアメリカ人をばったばったとなぎ倒すのを戦後日本人はこの映画で描かれているように涙を流して喜んだのだなあと感慨深げに観る。その英雄が散々差別した朝鮮人なのだというのはその当時の人々はどのくらい知っていたのか、いないのかそれも知らない。

くもりなき英雄と思っていた力道山が実際は酷く短気な面もあって様々な問題を起こしていたと言うのも驚きだった。それは映画で知るようにこのような差別の中では当たり前のような気もするが写真でみたあの笑顔の主がこのような苦悩を持っていたとは思わなかった。

だがそんな力道山も心の通う日本人はいたというのが救いである。特に力道山が会長と呼んで信頼している菅野武雄との交流は次第に鬼気迫るものへと変貌していく。菅野を演じた藤竜也と言う人を今まであまりいいと思ったことがなかったがこの役はよかったのではないだろうか。

監督のソン・ヘソンは「ラブレター〜パイランより〜」も作った方ですね。こちらは原作が日本のもの、ということで日本に興味が深い方なのだろうか。なんとなく男と女の関係が通じる所があるような気もする。

また、日本が舞台となり朝鮮人のヒーローということで思い出すのが「風のファイター」の大山倍達である。無理に比較する事はないのだが、あえて少し比べてみる。
これは勿論映画の中でのことである。
記憶の中でだが、日本語は倍達のヤン・ドングンが上手かったような。映画の出来具合は思い出してみてもどちらも大変よくできているようで甲乙つけ難いが好み的には「風のファイター」の方が好きである。やはり映画の倍達は魅力的であった。
以上は好みである。とはいえ力道山の苦悩する姿は壮絶だった。

ということを「力道山」で言うのはなんなんだがこちらが後だったんでしょうがない。

ここでも(というのはこの前「クロマティ高校」を観たから言っているのだが)橋本真也が東浪という力道山に続く相撲界からのプロレスラーという役で登場していた。

監督:ソン・ヘソン 出演:ソル・ギョング、藤竜也、中谷美紀、萩原聖人、橋本真也、山本太郎
2004年韓国
ラベル:格闘技 歴史
posted by フェイユイ at 15:27| Comment(4) | TrackBack(4) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

キム・ギドクと韓国映画界

悲しい。
キム・ギドク監督が韓国で異端児扱いされ観客も外国と違ってさっぱり入らない、という報道を聞いていても今まで全く甘く見ていた。そんなギドク監督がむしろかっこいいような気さえしていた。
が、事実はもっと深刻なものだったんだ。

一体なぜギドク監督の作品がそんなに韓国人に嫌われるのかが正直さっぱり判らないのだ。
彼の作品が残酷で性的描写も多いからとか言う。何故そんなことが言えるのか?とりあえず色々な韓国映画作品を観てきたけど私が観た感じでは他の作品の方がもっと残酷でスケベなモノがどっさりある。
ギドク監督の作品が嫌悪されるのはそういう他の一般韓国映画の興味本位の残酷さスケベさではなく人間の本質に迫ろうとする鋭さが原因なのではないのか。でもそれがなければただ面白おかしく人を驚かせればいいと言う風になっていくだけだ。
面白おかしい映画がいけないわけじゃない。むしろ私はおかしな映画が大好きだし。でもよりいいものを目指して懸命に映画作りに打ち込んできた韓国映画が当然の如く資本主義のハリウッド映画に沿ったものになっていくだけなのは空しくはないのか。
ギドク監督の凄さは人間の心の深みをえぐる事だけじゃなく低予算で映画を作ることに徹している事もある。自然、映像は荒っぽく感じられるがそれも不必要なCGに固執する映画よりよっぽど美しい。

韓国映画界の事をよく知りもせず書いている。
ただ韓国では映画界と言うのが国からも奨励されるほどで学校でしっかり技術を学んだ者が監督なり俳優なりになっているという印象がある。実際だからこそここまで韓国映画が面白くなったんだろう。
そういう意味でもギドク監督は異端児なのだ。しかもたいした学歴もないという。そういったこともいじめの原因になっているのではないか。(物凄い学歴社会だと聞くから)
韓国映画は面白い。ポン・ジュノ、パク・チャヌクといった監督たちが凄く好きだ。
だけどキム・ギドク監督の作品は違うのだ、少なくとも私にとって(賛同してくれる多くのファンがいると思う)
残酷性とか性描写とかはギドクが人間そして自分というものを探っていくうちにどうしても描かねばならない事柄なのだろう。
私にとっては他の映画より充分気を配ってそういった描写をしていると感じている。よく観てみれば不必要な描写はされてないのが判ると思う。

もう一つの彼の映画の魅力は他の男性監督(女性監督でも)では考えられないほど女性の目を通しての性や暴力を描いていると感じられることだ。
それは「うつせみ」や「青い門・悪い女」「サマリア」などには特に感じられることだ。こういった女性の感覚と言うのをなぜ男性のギドク監督が描けるのか(しかもなぜかマッチョの監督と言われているのに)

私にはこう言うしかできない。
「今はまだ韓国の人はキム・ギドクが判らないのだ。時間が必要なのだ。もう少し時がたてばきっと判る」
キム・ギドク監督の新作は「時間」というタイトルだ。私はまだ観る事ができないが倦怠期の恋人達が整形手術をすることで愛を取り戻そうとするのだと言う。だがそれはなかなかうまくいかないらしい(ラストは勿論知らない)

チェコの映画祭でギドク監督はアリランを歌ったという。ギドク監督が韓国を出たいわけがない。
ただ彼は「韓国映画界から引退する」と言っている。映画を作らなくなるわけでは決してないのだ。どこかで必ず作る、と言っているのだ。
でも祖国から出て行くという道しかないギドク監督が悲しい。

私達ファンはギドク監督が傷心を癒してまた映画を作ってくれる事を願うだけである。
自分の映画をゴミだ、と言うなんて物凄く落ち込んでいるのだろう。
ゴミどころかギドク監督の映画が美しいことを知っている者たちはたくさんいるのだと知って欲しい。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする