2005年07月17日

「コーストガード」再び

海岸線.jpg

大好きなキム・ギドクの中で唯一激しく嫌悪感を覚えてしまった作品「コーストガード」を見直してみた。もしかしたら最初に気づかなかった何かがあるのでは、とも思った。
が、やはりこの映画から発せられるキム・ギドク自身の怨念というものがすさまじくてこの映画を愛する気にはなれない。

それでいいのではないかと思う。キム・ギドク監督はそう思って欲しいとこの映画を作ったのだ、と感じるからだ。

勿論、この映画への嫌悪、と言うのはその哀しい行き場のない憤りをそのまま自分自身も感じてしまうからこそ起きてくる感情であって、描き方ということではない。キム・ギドクはわざと生でこの現実を描いている。見る人が嫌悪感を持つようにと。

この映画はいつも有刺鉄線で遮断されている。人々の心のふれあいを許さない。触れれば血を流してしまうこのおぞましい鉄線が見るものの目を刺す。有刺鉄線で囲まれた小さな空間でボクシングをやっている兵士たち。ほんの少し動けば身体に突き刺さる恐怖感。

元は一つの国だった。愛し合う同胞、親戚、友人であった。それが今は海岸線に鉄柵が張り巡らされ、侵入者は撃ち殺されるのだ。その相手は同じ言葉・同じ血の民族であるのに。

主人公・カン上等兵(チャン・ドンゴン)は最初、熱心な、常軌を逸したとさえ思える献身的な兵士である。他の兵士が遊んでいる時にすら、顔に保護色を塗り、いつ敵が攻めてきてもいいように訓練を怠らない。その熱心さゆえに立ち入り禁止区域に入った民間人を撃ち殺してしまう。そのとたん、彼の精神は正常に戻ってしまった。

それまでの彼は勇敢で堂々としており、腕っぷしも強く、銃の扱いも優れている。敵を攻撃することにためらいはなかった。それが彼の願いどおり、侵入者を撃ち殺したとたん、彼はみすぼらしくおどおどと怯えているのだ。軍から表彰される勇者に相応しい落ち着きはない。

彼は褒め称えられはしない。殺してしまった家族からののしられ、石を投げられ、その恋人だった女性が狂った姿を見て、激しく動揺する。
恋人だった女性からは逃げられ、彼の動揺から来る異常な行動に軍は彼を解雇する。だが、人を殺してしまう、という悲しい出来事をおこしてしまったなら、カン上等兵の行動は決して異常ではないはずだ。むしろこの映画のなかでこのときだけは彼は正気でいたのだ。

物語はカン上等兵から離れ、恋人を殺され狂ってしまった女性の話が続く。立ち入り禁止区域に入ってしまったのは彼女だ。しかしそういう場所が存在しないのなら、彼女に悲劇は訪れなかった。彼女は狂い軍の兵士たちと次々に関係を持ち妊娠してしまう。そして軍により無理矢理堕胎させられてしまう。この悲しく酷い出来事にもキム・ギドクの怒りが吐き出されている。

カン上兵は普通の人間になってしまったからこそ、その魂は再び狂い出す。銃を扱うことしかできない彼は元の持ち場に戻るしか行き場がない。仲間たちはそんなカン上等兵に同情しながらも、もてあましている。

ラスト、暗闇の中でカン上等兵と仲間との銃撃戦となる。ここでも同志であったものたちの戦いになるのだ。夜が明け、兵士たちがカン上兵の死体があると思しき場所を覗き込むと、そこには抜け殻となった軍服が脱ぎ捨てられているだけであった。甲高く切り裂くような狂女の笑い声が響く。彼らが戦っていたものとは何だったのか。

狂ったカン上等兵の歌声「幸せだったあの日に戻れたら」だが彼の手は民間人を再び襲う。

晴れた空だ。美しい青。こんな日があったのだろうか。有刺鉄線で囲まれたコートには仲間たちが笑いさざめきながら大好きなサッカーでバレーごっこをしている。二つのコートもまた有刺鉄線が分断しているのだ。その地面には朝鮮半島が描かれている。
笑いながらゲームに興じているうちにいつしか鉄線は消えている。そんな日がいつか来ると願いをこめて。

註:この記事はshitoさんの「傍流点景」の「ギドク2作」に多大に影響を受けて書いております。是非皆さんにも読んでいただきたい記事です。
posted by フェイユイ at 01:25| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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