2005年10月21日

映画の中のセリフと字幕

映画鑑賞を輸入版DVDで行うことが多いので感じるのだが、言葉がわからないまま映像を見ていてもほぼ字幕を見ていたかのように満足感が得られる物とセリフによる説明が多いためか非常に解りにくいものがある。
セリフに頼るものが悪いわけではないが(例えば台詞回しが抜群に上手い映画と言うのはあって当然だし)かっこいいセリフと言うのは私だって好きだ。
だが、そういう状況で観ている者にはセリフに頼らない映画と言うのは実にありがたい。

まあ、単純な映画なら画面だけでもわかるだろう、ということもあるけどね。私がキム・ギドクやツァイ・ミンリャンを好んで観たのはその辺も大きい事は確か。彼らは最初からセリフを無くしているのでまさに映像だけで物語がわかる。
逆にコメディなんかで役者さんが大げさにまくし立てたりしてると「ははあ、ここは笑うシーンなんだな」と情けない状態に陥る。言葉がわかればなあ、と悔しい思いをする。
身体を張ってくださるコメディは解りやすくてそれだけで好きになるぞ(「ライターをつけろ」)

勿論、日本語字幕がついてれば、セリフがいかに多くてもかまわないんだけど。

ただ、(上手いセリフを考えている脚本家の方には申し訳ないし、例外もあるが)面白い映画は大体においてセリフが解らなくても「良い」と感じる。上手い役者さんはセリフのみでなく、身体で表現しているからだともいえる。
映画にはセリフが付き物だし、甘いささやきも気の効いたやりとりも激しい魂の叫びも聞きたいが、こと輸入版DVDを観る時はできるだけ映像のみで解る映画を作って欲しい、と言うのが本音。またそういう映画を作ってくれる監督は尊敬してしまう。
posted by フェイユイ at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いよいよ始まる笑傲江湖第三集・前半

尼僧・儀琳をめぐって、座ったままなら天下第二と自らを讃えた令狐冲は変態男だが強敵の田伯光と「椅子から尻を離さずに戦う」ことになる。田伯光の腕は確かで令狐冲は何度も刃を受けてしまう。
令狐冲から「俺の運気が下がる」と言われ儀琳は泣く泣くその場を去る、がすぐ戻ってきて二人をとりなす。しかし二人は戦い続けとうとう令狐冲の椅子がばらばらに。ひっくり返った令狐冲を見て田伯光は「座って第二なら、腹ばいになって何位だ」と大笑いして立ち上がる。それを見た令狐冲は「お前の負けだ」と尻に挟んだ椅子の切れ端を取り出した。
令狐冲が強いだけでなく、とんちが効いた頭脳を持つ面白い戦いだったが、どうもこの儀琳さんが謎です。こうまでめそめそしがみつく尼僧って困り者です。「天龍八部」の阿紫の時すら、同情もした私ですが、この尼僧さんは苦手だなあ。何故この人が導入部で令狐冲に関わってくる重要な役なのか。後に何か重要な任務が待っているのでしょうか。今の段階では阿紫よりどっかへ行って欲しい。

ずっと一部始終を見守っていた小汚い格好の林平之はやおら飛び出していきました。

変態だが凄腕の田伯光から受けた傷は深く、令狐冲は倒れてしまう。そこに「青城四秀」の羅人傑が現れて令狐冲を襲う。令狐冲は「お前らの一番の技は“雁の尻吹っ飛び”だ」とからかうと胸を刺されてしまう。令狐冲は駆け寄った儀琳に「福威[金票]局の“辟邪剣譜”のことを教えてやろう。それと林平ののことだ」と言いかけ、声を聞こうと側に寄って来た羅人傑の胸を刺した。羅人傑の共はそれを見て逃げ出した。

尼僧・儀琳は傷つき気を失った令狐冲を抱えて「師匠なら治してくれる」と言いながら菜の花畑を通る途中で倒れてしまい、気づいた時に令狐冲の姿はなく、探し回る。そして自分の至らなさを恥じ、仏様にお祈りするのだった(なんなんだろね、この人)

令狐冲は邪派の曲洋老人と連れの少女に運ばれ、傷の手当を受けていた。そこへ聖姑様が現れ、衡山へ行った曲洋を咎める。曲洋老人は「その罪は死に値しますが、その前にこの若者をお助けください」とちゃっかり頼む。聖姑様が手際よく治療を施すと、たちまち令狐冲は意識が戻る。
コップみたいなのを暖めて背中にくっつかせるあれですね。悪い血を出しちゃったみたいです。
posted by フェイユイ at 00:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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