2005年12月17日

笑傲江湖・第三十一集

苦しんで寝込んでいる盈盈を恋敵と知りながらも懸命に看病していた儀琳はいつしか寝てしまった。
盈盈は目が覚め、儀琳もそれに気づいた。なぜ敵の私を看病したのかという問いに僧には慈悲がありますと言う儀琳。なぜお両親はあなたを仏門に入れたのかという盈盈の問いに儀琳は両親のことを話し出した。
尼僧だった母を見初めた父は地獄に落ちるなら自分が先だと僧になって結婚し儀琳をもうけたのだった。ある日家の前を美女が歩いていたのを父親が眺めていてその美女から「好色だ!」とののしられたのを母親が聞き、出て行ってしまった。「薄情者の女たらし」と書いた手紙を残して。儀琳は母の姿を求めて恒山に着き、尼僧になったというのだ。もともと自分は尼僧になる運命だったのだ。
そして儀琳は盈盈が寝言で令狐冲の名を呼んでいたことを伝え、なぜ好きならひどい事をするのか、大事にしないのか、自分の損得より相手に無理をさせないように進言した。

女によからぬ事をいたすと死んでしまう不可不戒・田伯光は死んでしまおうと考えた。が、その前に兄弟である令狐冲に会おうと思い、遊郭に令狐冲を呼ぶ。
令狐冲は女遊びを楽しんでいた田伯光のもとへ行く。
田伯光は「30年しか生きてないが」!田伯光って30歳だったんだ。びっくり。今までもっと上だと思ってました。「美女も美酒も味わい尽くした。いつ死んでも悔いはない」不戒に解毒剤をもらってもっと生きればと言う令狐冲に「俺は万里独行、と呼ばれていたが今では不戒の思うがままだ。不自由より死を選ぶ」
令狐冲は儀琳が行方不明なのに師匠を見捨てるのは男じゃない、というと儀琳は聖姑といると答える。なぜ聖姑が儀琳を捕らえたかというとそれは田伯光が盈盈に言って一挙両得をねらったのだ。儀琳を守らせることと盈盈が儀琳をさらい、令狐冲が恒山派につく事で二人は正邪に別れたと世間は見る。盈盈は令狐冲を思ってそうする事で父・任我行に令狐冲の入信をあきらめさせ、令狐冲は正派から追われずにすむ、と。
が、令狐冲はそれを聞いて不満に感じた。令狐冲は田兄に聖姑を一緒に探してくれと頼むが田伯光は自分はもう死人だからと断る。令狐冲は以前のように賭けをして立ち上がったら生きると約束させる。そしてまんまと田兄を騙し、不戒に解毒剤をもらって聖姑探しに行くのだった。

竹林の中で盈盈と儀琳は見つめあい互いを思いやる言葉を口にした「お母さんが見つかるといいわね」「令狐さんは任さんを愛していますよ」二人が微笑んだ時、どこからかあざ笑う声が聞こえてきた「魔教の聖姑と恒山派の尼僧が仲良くなるとは不可解なことだ。まとめて相手をしよう」そして声の主はすでに恒山派がなくなったと言う。儀琳はワケがわからない。
現れた男は顔を隠していた。
男は恐ろしい技で次々と二人に竹を切っては放ち攻撃し続ける。二人は必死で竹の攻撃をかわした。だが覆面男の仲間が大勢涌いて出て二人を襲ってくる。盈盈は力の弱い儀琳を守るためにも戦った。かっこいいです。美しい。
「辟邪剣譜をよこせ」と言う覆面男に盈盈は「左冷禅」と見破った。だが左冷禅の執拗な攻撃に盈盈もおされてしまう。それを見た儀琳は必死で助けようと左冷禅に斬りかかったがはね飛ばされてしまった。が儀琳を支えて倒れたのは不可不戒だった。さらなる攻撃から守ってくれたのは父・不戒和尚だった。不戒和尚と盈盈は戦いながら「逃げろ」と叫ぶ。父を呼ぶ儀琳を不可不戒が懸命に引き離して逃げた。

儀琳を背負って逃げる不可不戒を陸柏が大勢を連れて追いかけてきた。不可不戒は「俺は万里独行だ!」と叫んで儀琳を背負ったまま走り続ける。その速さは馬よりも速いのだ。山になっても不可不戒は置いていってくれと弱気になる儀琳をしかりつけながら逃げ続ける。行く手が崖になっていても不可不戒は儀琳を背負って奇声を発し、向こう側の崖に飛び移ったのだった。陸柏は悔しがりさらに矢を放った。不可不戒は襲ってくる矢から儀琳を守る。そして陸柏たちに「来てみろ」と叫んだ。陸柏はなす術もなく帰っていった。だが、不可不戒の背には一本の矢が突き刺さっていたのだ。
陸柏が立ち去るとどうと倒れてしまう。儀琳は慌て不可不戒を助け起こす。そして矢を抜き取り、不可不戒の身体を支えながら歩きだした。
二人が力尽きて座り込んでいるところへ不戒和尚と盈盈が駆けつけた。急いで万能薬を取り出すが田伯光は「来世では必ず娘さんを無事に届けるよ」とつぶやいた。
令狐冲も「田兄」と呼びながら駆けつけた。後ろには恒山派がついてきている。だがすでに田伯光は動かず儀琳は「死んではだめ」といいながらすがって泣き出した。

不可不戒・田伯光は皆によって墓の下に葬られたのだった。盈盈はその場をそっと離れた。

崋山派では婚礼の準備が進められていた。
が、当の花婿・林平之は岳霊珊にかまわず剣術の稽古に没頭していた。
寧中則は夫婦の寝台に抜け毛を見つけていた。
恒山派の尼僧が訪れ、恒山派の新しい掌門に令狐冲がつくことを告げた。これが定逸師太の遺言であると。

岳不群は皆と離れ、思過崖にこもって「辟邪剣譜」の修行に取り組んでいた。そして奥にさらに洞穴があるのを見つけそこに閉じ込められて恨んで死んでいった者たちの骨と恨みの言葉を見つけた。令狐冲がここで剣を学んだ事も知った。そこへ寧中則がやってきた。岳不群は急いで「辟邪剣譜」を隠した。「何の練習をしているの」という問いには「紫霞神功だ」と答えた。そして奥の洞穴を見せ魔教たちの剣術が記されていてそれと「紫霞神功」を混ぜ合わせて魔教を撃退する方法を見つけようとしていると説明した。寧中則は寝台に落ちていた髭を差し出し問うと、魔教を撃退する方法を学ぶために陰の気が襲ってくるのだ、と言う。そして数人の弟子を思う過崖に呼び嵩山派と戦うための練習を行うと言った。
寧中則が令狐冲が恒山派の掌門になった事を伝えると目をつぶった(この表情、岳不群の十八番ですね)

林平之はひたすら錬剣にはげんでいたが、ちっとも上手くならない自分にいらだっていた。そこに天から袈裟が舞い降りてきた。そこには「辟邪剣譜」と記されていた。林平之が逸る心を抑えながら読むと「この技を修練するには去勢すべし」と書かれていた。

追記:原作とドラマの違いを色々書いてるわけですが、ここは一番違うと思いますねー。この回で田伯光は男らしい最後を迎えますが、原作では最後まで生きてますから。ここでぱっと華やかに散るか何気なくずっと生きているか好みは分かれるとは思いますが、私は生きていて欲しい派です。物語の中だけでなくずっと後になっても令狐冲の飲み友達でいて欲しいから。何か令狐冲は辛い思いをした時、きっと助けに来てくれる一人だと思うから。


posted by フェイユイ at 22:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

笑傲江湖における令狐冲

ちょっとまただべります(笑)ここでもまた最後までのネタバレになってしまうので、ご注意ください。(観終わってから比較感想書きますと言ったのに我慢できませんでした)

以前コメント欄にドラマで観た金庸3作品では(それしか知らないからだけど)「天龍八部」が一番好き、と書いた。2番目は「射[周鳥]英雄伝」である。そして最後に「笑傲江湖」
(TVドラマの影響が大きいので原作のみの評価ではないが、という注釈はつく)
しかしそれなのにいちいち感想・批評をしているのは「笑傲江湖」が一番のようだ。それはやはりそれだけこの物語が一番気になるからである。

何故なんだろう?

前の2作品はスケールも大きくてダイナミックな展開で盛り上がっていくしキャラクターも実に多岐にわたって豊富である。「笑傲江湖」だってそうだ、と反論される方もいるかもしれないが、私は「笑傲江湖」は狭い世界でキャラクターも地味にリアルだからこそ面白い、と思っているのだ。
以前に書いた「令狐冲は番長なんじゃないか」という妙な説は別に撤回しなくてもいいと思ってる。観るもの・読む者によってこの世界のキャラクターは会社でも学校でもどこでも当てはまってしまうからだ。

主人公・令狐冲は特別なスーパーヒーローと言う感じがしない。なかなかの男前なのに、美青年の林平之に対しては劣等感もいだく可愛らしさがある。誠実だが、ちょっとお調子者である。剣術においては秀でているが、他は苦手な科目がいっぱいある生徒である。男らしいさっぱりした性格だが、単純ではない。事があるごとに「こんなことするのは男らしくないんじゃないか」とか「泣いたと思われたら恥ずかしい。でも思い切り泣くのが男じゃないか」と様々に思いをめぐらせる。
不思議なのは急に敵として出会った盈盈に対してはざっくばらんで思いを打ち明けるのも平気なのに、兄妹として育ったはずの岳霊珊に対してはまるででくの坊となり小師妹のいうことならどんな間違ったことでもかなえよう、という困った性格を露呈してしまう。この一つでも二人の結婚生活があったとしても破綻するのは見え見えである。
結局、孤児である令狐冲にとって小師妹は、育ててもらった恩義ある憧れの師匠・憧れの家庭のお嬢様にしかすぎないのだ。小師妹にしたってそんな令狐冲の愛情が間違っていると感じたのではないのだろうか。
それに対して盈盈とは、共に親との縁が薄く、武芸の道に没頭して生きてきた同じ魂を持つ仲間という気持ちが持てるのだろう。仲間的な女性と必ず恋に落ちるわけではないが、令狐冲はそんな盈盈といると一番心が落ち着くのではないのだろうか。音楽を共に愛するというのも二人の共通点だった。令狐冲はなかなかそれに気づけなかったが、どちらかがしもべとして仕えるような夫婦ではなく(この場合は夫である令狐冲が仕えようとしているわけだが)共に並んで戦っていけるような結婚生活でなければ幸福にはなれないのかもしれない。(「笑傲江湖」ってそういう結婚指南書でもあるわけね)

師と敬っていた人の失墜、妻の父の権力への暴走、愛されても返すことのできない女性への想いなど多くの苦難を経て令狐冲は次第に己の自由への欲求を確信していく。
令狐冲はついに日月神教にも入らず、少林寺へも行かず、崋山派へも戻らなかった。令狐冲は自由に生きる道を歩んで行くのだ。
(ドラマではまだ解らないのだけど)結婚によって令狐冲は自由を失ってしまったのだろうか?しかし最後につぶやくのは盈盈のほうだ。「この任盈盈も大きなお猿さんに繋がれてしまうなんてね」このセリフは本来なら主人公である令狐冲が言うのかもしれない。だが金庸小説の中で夫婦は対等であるということなのだろう。
盈盈の方が令狐冲によって自由でなくなったわ、とわざと嘆いて見せるのだ。(勿論うれしいに決まってますよ)これは凄い!すばらしいエンディングではないでしょうか。
posted by フェイユイ at 19:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

笑傲江湖・第三十一集を観ましたが・・・

第三十一集、観たんですが、時間がなくて書くのは明日までお預け。かなり波乱含みの一話です。

ところで今頃気づいたんですが、「辟邪剣譜」の「この技を修練するには去勢すべし」というのは中国語では韻を踏んだ言葉になってますね。私では中国語に訳す事ができなくてここに表記できないんですが(ああ、あの時借りた原語本、そこだけでも見とくんだった)(もう一回借りるか)てことは、これ、単に語呂合わせで去勢させてんじゃないですよね?それだけで去勢されてたら酷い(笑)
「イーリエンシウゴン、ビーシェンツーゴン」と聞こえるんですが。以前に字が写された場面がありましたっけ?どなたか、原語判る方いらっしゃいませんか?気になるー。
posted by フェイユイ at 01:21| Comment(6) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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