桃谷六仙の口真似によって無色庵でこっそり行われた日月神教教主と令狐総帥の会話はそのまま再現された。
「冲さん、私が恒山まであなたに会いに来たことが知れたらきっと笑の種にされてしまうわ」「かまうもんか、君は恥ずかしがりやなんだから」
それでも嫌がる盈盈のために令狐冲は誰にも言わないと約束する。盈盈は神教主が令狐冲と恋仲だから突然に日月神教が味方になったと思われるのがきまり悪いのだった。そしてまだ任教主が生きていて令狐総帥と話し合い、和解したということにすれば評判もよくなるだろうというのだ。その上で葬儀を行いたいと。葬儀に行きたいという令狐冲に盈盈は父は婚姻を認めてはくれたけどそれは喪が明けてからでないと。さらに桃谷六仙が婚礼の手はずまでしゃべりだしたのには令狐冲も「それ以上でたらめを言うなら皮を引ん剥いて筋を抜いてやるぞ」
ところが六仙はさらに盈盈の口調で「私はあなたの体が心配だわ。お父様はあなたに気を散じる術を教えていないもの」いかにも哀しげな言い方に聞いていた方証、冲虚、令狐冲までが思わず感傷的になる。そしていかなる人物でもいずれは皆死ぬのだ、と言う感慨にひたった。
三年後のある日、西湖の孤山梅荘は飾りつけがされ華やかな色彩に溢れていた。この日は令狐冲と盈盈が婚礼を挙げる吉日であった。
令狐冲はすでに恒山の総帥の座を儀清に譲っていた。儀清は儀琳に継がせようとしていたのだが、儀琳はどうしても受けないと大泣きしたのだった。
盈盈は日月神教教主の座を向問天に任せた。向問天は野心のない人物なのでここ数年、江湖は平穏無事が続いている。
この日梅荘には祝いに駆けつけた江湖の群雄で溢れた。人々は二人に剣の舞の披露をせがんだ。令狐冲は祝いの日に刀剣は無粋だからと夫婦で「笑傲江湖」を合奏する事にした。この曲を作った劉正風・曲洋が教派の違いのために死を選んだ事を思うと自分たちは幸福なのだと実感した。曲が終わると群雄は盛大な拍手を送った。
客が去り二人きりになった寝室に、塀の外からゆったりとした胡弓の音が響いた。それは莫大師伯の音だった。やはり莫大師伯は死んではいなかったのだ。
その時盈盈が「出て来なさい」と叫んだ。令狐冲がぎょっとしているとなんとベッドの下から桃谷六仙が出て来たではないか。六仙は「永遠に栄え、永久に夫婦となる!」と叫びながら寝室から出て行った。
4ヵ月後、令狐冲は盈盈を連れて風清楊先輩を訪ねようと探したが、浮世離れした風先輩の姿は見つからない。令狐冲は自分の体が持ち直したのは先輩のおかげなのだから是非お礼が言いたかったのだが、とため息をつく。盈盈は「まだ解らないの。あなたが習ったのが少林派の易筋経よ」令狐冲は飛び上がる。方証大師は頑固者の令狐冲のために少林寺に入らなくとも易筋教が学べるよう嘘をついてくれたのだ。令狐冲はじゃ今から少林寺へ行って坊主になるしかないやと言うと盈盈は「あなたみたいな生臭坊主は半日もしないうちに叩きだされるわ」
しばらく行くと盈盈はきょろきょろ辺りを見回す。令狐冲が訳を聞くと「会わせたい人がいるの。あなたが林平之を梅荘の地下牢に閉じ込めたのは賢い配慮だったわ。確かにこれで小師妹との約束を守って一生面倒を見ることになるもの。私はあなたのもう一人の友達に対しても特別に面倒を見る方法を思いついたの」
夜になり二人でお酒を酌み交わしていると盈盈が「あの人が来たわ」と言って出て行く。令狐冲も後を追うと二匹の大きな猿の間に労徳諾がいるのだ。よく見ると彼の左右の手は猿に繋がれていたのだった。「これは君の傑作だなんだ?」「どう?」猿たちはキーキー鳴きながら労徳諾を連れて山の中に入っていった。令狐冲は陸大有の仇として一剣で殺すよりはるかに苦しいことだろうと思ってうれしくなった。あいつは林弟よりもっと酷い悪事をやった。もっと苦しめてやるべきさ」
労徳諾は日月神教に「辟邪剣譜」を持って来て長老になりたいと申し出たのだった。盈盈は彼を捕まえ2匹の猿に繋げて山に放したのだった。
盈盈は令狐冲の手首を掴んでため息まじりにつぶやいた。「この任盈盈も一生、大きな猿といっしょに繋がれて、離れられないなんてね」嫣然と微笑んだそのかんばせは、艶やかさと優しさに満ちていた。
以上がドラマと違う原作の部分、のつもりでしたが殆どですね(笑)
ドラマで令狐冲と岳不群、任我行の対決を派手にしたいのはわかりますが(確かにドラマ観てて私も令狐冲のかっこいい闘い振りには見とれましたよ)ドラマではこの原作の訴えたい事が消えてしまってるではありませんか。
一番大きな違いと感じるのは岳不群と任我行との戦いの場面ですね。結局、令狐冲はどちらにも手をかけていない。岳不群は儀琳が殺して師匠の仇を討っている。任我行は天寿というか病死でしょうか。
儀琳達、恒山の尼僧たちの運命も随分違います。ドラマでは多くが殺され(みんな死んだと思うくらい死んでました)儀琳が新総帥になりますが、原作では田伯光の鼻のおかげで皆助かり、儀琳は総帥になりません。(これは何故でしょう?解りませんが、仇とは言え人を殺してしまった儀琳は心の傷が残ってしまったのでしょうか、優しい人なので)
そして儀琳の母親の凄まじさ。原作ではもっと令狐冲を蹴ったり殴ったり凄かったんですがね。ドラマでは死んだ田伯光も生きていてしっかり活躍してます。ずっと儀琳を師匠としてついてまわっているようです(去勢もされたし)
凄く気になるのは林平之のことですね。令狐冲は最愛の小師妹に林平之を守ると約束したのにドラマでは簡単に岳不群によって殺されてます。令狐冲なら死んでも小師妹との約束は守るはずです。それが全く何か言う事もありませんでしたからね。原作では酷いけど理屈は通ってます。そして労徳諾。仲のよかった陸大有の仇なのにドラマではあっさり死んでますね。原作ではしっかり仇をとりました。
盈盈と令狐冲の描き方もかなり違います。特に原作の盈盈は岳不群に三尸脳神丹を飲ませたり、労徳諾を猿に繋いだり驚くような事をやってのけます。それに亡くなった父の代わりに日月神教の新教主になって正派と仲良くなるという仕事をやってしまいます。ここで正派と邪派は手を結んだわけでこれはドラマと全然違いますね。
ドラマでは岳不群率いる五岳剣派が日月神教を襲って闘うのですが、原作では思過崖に集まった五岳剣派が身内で殺してしまい殆どいなくなってしまうという結末です。つまりドラマでは正邪の戦いがあるのに、原作ではなかったわけです。正派だけで潰しあったのですから。
そして向問天。ドラマでは壮絶な死に方をするのですが原作ではなんと日月神教の教主になってます。緑竹翁も側にいるみたいです。名前が向問天なのでなんとなく合ってるような気がします。
こうして盈盈と令狐冲は願い通り江湖を離れ世捨て人のようになりました。ドラマでもそれは何となく匂わせるような終わり方ではありますが、きちんと説明するのとでは印象が違いますね。
ドラマでも令狐冲は確かに権力欲もないと描かれてはいたのですが、そこに到るまでの経過がこうも違うと全く印象が異なってきますね。
結局は好みかもしれません。でも私は原作の闘わずして歴史が変わって行くと言うような描き方はとても素晴らしいと思います。
そして最期の盈盈の言葉が令狐冲を大好きなのに言ったこの言葉が凄く効いていると思いますね。