2006年01月24日

「うつせみ 3−Iron(空き家)」

うつせみ3-Iron.jpg

「うつせみ 3−Iron(空き家)」は私がキム・ギドク作品で一番最初に観た作品になる。この時、キム・ギドク監督のことを全く知らなかったので白紙の状態でこれを観れた。それは本当に幸運だったと思う。最初に他の作品を観たり、彼についての情報が入っていたら印象はまた違うものになっていたに違いないからだ。とは言え、他の作品を観ていたとしても(そしてその評価がいいにしろ悪いにしろ)この作品を是非観て欲しい。

この作品を初めて観た時、大きな衝撃を受けた。それはギドク監督の他の作品のようなどぎつい暴力や性描写のためではない。なぜならこの作品にはこれまでのような人をはねつける様なあくどさはないからだ。だが、その心の中に忍び込んでくる映像の鋭さは今思い返してみれば何ら変わるところはないのだ。

この映画を観出して気づいたのは「とても不思議な映画だが、そこに映し出されていくものは全て感覚的なものの羅列ではなく、全てに意味がある」ということ。彼の映画で表現されているものは決して難しい事ではない。だが人によっては違った観察をしていくのかもしれない。

ここでの主人公は中年の女性である。とても美しいが、夫からは理不尽な暴力を受けている。彼女に自由はない。彼女に自己投影できるかでも随分変わってくるだろう。あるいはオートバイに乗って登場する不思議な青年に。あるいは妻に暴力を振るう事でしか感情を表現できない中年の男に。

私は主人公の女にするりと入り込んでしまった。この物語は彼女の夢なのか。夫から暴力を受け生活には倦怠しか感じていない。突然、彼女の生活に忍び込んできた美しい青年。彼には言葉がない。それも彼が実際には存在していないからなのだろうか。それとも最初の出会いはあったのかもしれない。人妻である彼女は青年のオートバイの後ろに乗って倦怠から逃走した。
二人が行ったのは留守の他人の家に入り込みそこで食事をし、眠ること。それはいつ見つかって捕まるかもしれない緊張感に満ちている。
ついに二人は警察に捕まる。女は夫の元に戻され青年は牢に送られる。果たしてそうなのか。夫は自分の所有物である妻を誘惑した青年を死に至らしめたのではないか。では女の前に現れる青年は本物なのか。青年は自らの気配を絶ち、人がいるところに忍び込んでももう気づかれる事もない。彼はいるのだろうか。
女は夫の後ろに青年の姿を見る。そしてささやく「愛している」
夫は勘違いして妻を抱きしめるが妻が口づけを与えて求めているのは見えない青年になのだ。
そうだ。もしかしたらこれは夫の想像の世界なのかもしれない。近所をうろつく青年の姿を見て夫は美しい妻と青年の逃避行を空想してしまったのかもしれない。

夫が仕事に出かけ、女はそれを見送ってから青年を探す。青年を捕まえ抱きしめる。二人は抱き合ったまま体重計に乗る。その針はゼロを指している。二人はもうこの世界にはいないのだろう。

キム・ギドク監督の演出法は丁寧だ。出だしから夫は女の彫像に向けてゴルフボールを打ち込んでいる。この映画の中で最も危険な凶器はゴルフボールになっている。夫が常に妻に対して暴力をふるっている事を示している。
青年は他人の家の鍵を開けることができる。これは青年が閉じられた女の心を開けることを暗示している。青年が入り込んだ家の壁にキリストの絵が飾られている。これは青年が彼女を救う人である事を。中で洗濯をしたり壊れたものを修理する事もまた同様だ。こうやって物語はセリフではなしに映し出される物や行動で表現されていく。私は映画を殆ど読むことができない英語字幕でのみ観たのだが、理解するのは困難ではないと思う。

しかし青年の美しい裸体を見せるなど、他の作品を観てから思うとこの映画はギドク作品の中でもやはり特別だ。青年は凶器であるゴルフボールをそっと転がす事で女の心を慰める。同じボールで夫を痛めつけ、自分も痛めつけられ、再び警察官を痛めつける。またそのボールで他人をも傷つけてしまう。この映画の英語タイトルになっている所以だ。

ほぼ以前書いたことの繰り返しになってしまうが、この物語の中で女の心の破壊と再生が行われる。それは彼女を写した写真家の家に貼られた写真によって現される。裸の女の写真がばらばらに切られてめちゃくちゃに貼られている。青年とずっと過ごした後にその姿は殆ど正常な位置に戻っている。そして最後にその姿は青年によって盗まれてしまう。

キム・ギドクの他の映画を観た後で見直すとその映像の美しさや洗練された演出によりいっそう惹かれる。過激さがないと誹謗するのは間違いだろう。私はずっと観てきてこの映画が以前に語られていたものと変わってはいないと思う。
ただ、主人公の女が青年との逢瀬を偲んで再び訪れる古い家の小さいが美しい庭のように、そこにある睡蓮の咲く透明な水のように、女が横たわって眠った長椅子のように心を静かに休ませてくれる安らぎは今までの映画には見つけにくいものなのかもしれない。

私はこれを観てどこまでが現実で夢なのか解らないし解らなくてもいいように思えた。そして心の奥を探って治療を受け静かに目覚めたような思いがしたのだ。

監督:キム・ギドク 出演:イ・スンヨン、ジェヒ 2004年製作

私が最初に書いた記事を参考までに 前半 後半 さらに 謎の青年 キム・ギドクの夜



ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 23:17| Comment(13) | TrackBack(13) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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