2006年02月08日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第4・5集

シュエンイエ(康煕帝)の父・順治帝は愛妃を天然痘で失ってから行森大師の勧めもあって出家を決意する。母・孝庄皇太后は皇帝にあるまじき行為として引き止めるのですが順治帝の決意は固くついに出家を決行される。
孝庄皇太后は失意に沈むがただめそめそと泣くばかりの皇太后ではない。臣下に「皇帝は崩御されたのだ」と公表するように申し付ける。史実、初代清朝皇帝は愛妃の死後一ヵ月後に崩御され、謎として伝えられているらしい。また皇帝の死後(出家後?)やっと皇后になれたシュエンイエの母もその2ヵ月後に亡くなっている。
シュエンイエは僧となった父に「釈迦も達磨太子も王の座から出家した方たちだそうです。行痴師匠(父)も是非そんな方になられるでしょう」(小さいのに賢い王子様だ)父である行痴師匠もシュエンイエに立派な皇帝になられるよう頼むのでした。

こうして1661年、8歳のシュエンイエは康煕帝となった。
早速4人の大臣が皇太后を訪ねてきて康煕帝の漢人の教師にいちゃもんをつけ出す。皇太后は反論するがあえて押し通しはしなかった「これは始まりにしか過ぎない。彼らは今後ますます様々な要求をしてくることだろう。だが耐えなければならない」

10代前半となった康煕帝は出廷して大臣達の陳情を聞くがまだ命令する事は許されていない。4人の大臣達は3派に分かれてせめぎあっていた。
だが皇太后は4人が手を結んでしまうより互いに睨み合っているほうが好都合なのだ、と教える。その方が皇帝に頼っているからだと。
だが、いがみ合う臣下たちに年若い康煕帝は力のなさを実感し、苛立つ。4人の大臣は康煕帝はただの飾りだと馬鹿にしているのだ。
側近である東亭は康煕帝の漢人である教師の息子なのだが、そんな大臣達の態度に不満を申し立てる。だが、康煕帝は忍耐が必要だ、いつか自分が采配をふるえるようになった時、彼らを処罰する、と言う。教師は賢明なお考えだと賛成する。
美しく育ったスマラグも康煕帝に忠実に仕えていた。スマラグもまだ若い皇帝に助言をする賢い娘だった。

大臣らは康煕帝の警備兵を捕らえて別の警備兵をつけた。これには康煕帝も怒った。一計を案じ彼らに「二手に分かれて闘え」と命じる。仕方なく兵達は仲間同士で殴りあいつかみ合った。疲れきったところで止め、康煕帝は側近・東亭に警備兵を任せると命じた。
大臣達が警備をつけるならこちらも警備兵をいじめるまでだ、と康煕帝は言い、東亭に明日から刀をつけて出廷せよ、と申し付ける。

次の日朝廷では二人の大臣が出廷していなかった。怒る康煕帝にもう一人が「腰痛のため休みたい」と申し出る。康煕帝は承知するしかなかった。

大変思慮深い康煕帝ですが、それでも朝廷の大臣達相手にはまだまだ幼いようです。
それにしても皇太后の明晰さはかっこいいです。
歴史上は順治帝は若くして崩御となっているわけなのでしょうね。実は出家していたという推理なのでしょう。
康煕帝は小さいときも可愛いし、少年になってからも綺麗な顔立ちの子が演じてますね。この後が陳道明でしょうか。
スーチン・ガオワーさんはほんとに皇太后のような風格です。


posted by フェイユイ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「リトル・チュン」フルーツ・チャン(BlogPet)

いつも、フェイユイは
歯止めとあっけらかんとしてるような気はする(本人達は悲劇なのかもしれないが)そして物語後半。
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「じえるん」が書きました。
posted by フェイユイ at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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