2006年02月10日

「Cut」2004年11月号を読む キム・ギドク「うつせみ」のことも

「Cut」2004年11月号 NO.172「いまこそ、アジア映画に溺れる」を読んだ。

表紙は「2046」に関連して木村拓哉とフェイ・ウォンとトニー・レオン。そしてアジア映画ベスト20なるものが選出されている。20位の「欲望の街・古惑仔T銅鑼湾の疾風」から10位に「オールドボーイ」9位が「少林サッカー」(こちらが上なわけね。私は賛成だが)4位が「殺人の追憶」で3位「さらば、わが愛/覇王別姫」そして1位が「ブエノスアイレス」(大賛成)となっている。その次のページがレスリーの特集。うれしいね。

で、これには「キム・ギドクと行定勲の対談が載っているのだ。この雑誌は11月号なので発売されたのは10月だろうか?私はまだキム・ギドクの名前を知らない。彼の名を知ったのは2005年1月なのだ。
とても興味深い対談なのだが、もうすでにここに答えと言うべき言葉が記されていたのだね。
行定監督「女優さんが非常に危ういんですよね。バランスのとれていない感じが」
ギドク監督「そういわれてみるといつも非常に危うい、そして悲しい、バランスのとれていない、そういう女性を描いてきたかなって気がしますね」
行定「そういう女性が好きなんですか(笑)」
ギド「そうかもしれない。で、自分も一緒にそういった危うい状況に陥りたいと思っているのかもしれません」
なるほど。それなら私がいつもギドク監督の映画を観てこの主人公の女性は監督自身ではないのか、と思えてならなかったのは当然のことでしたね。

そしてここにはすでに「男性からは嫌われる。韓国でのギドクファンは80%が女性」と言うのも頷けますね。また「女性評論家やフェミニストから非難されますが、一般の女性からはむしろ好かれています」さもあらん。
ギドク映画は女性のためのもっとも女性的映画だと感じるからです。あれを見て感情移入できる男性はなかなか女性的な神経をもっておられるはずですね。

そしてギドク監督は結局女性は母であり、男性は子供である、と考えているために韓国では受け入れられない、ということらしい。
なるほど父権が非常に強固な韓国と母性が強い日本のどちらで受け入れられるかというと日本人の方がギドク映画はすんなり理解しやすいと考えられますね。こんなに父親が嫌いな人もそういない。

また、この時点でもう「うつせみ(空き家)」は存在していたようで、ギドク監督は「ぼくもいつかは自分のテーマをしっかり伝えながらも大衆に喜んでもらえるような映画を作っていきたいし、「3番アイアン(「うつせみ」のことです)」は少しそういう側面を持った映画じゃないかと思っているんですけど」
おお。確かに。韓国以外の国では大ヒット(欧米でね)日本でも売れて欲しい。

まあ、突然何を言ってるか、と思われた方はどうぞカテゴリ「キム・ギドク」を覗いていただいてもらえると私がぶつぶつだらだら書いておりますので。


posted by フェイユイ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「昭和残侠伝 死んで貰います」高倉健

死んで貰います.jpg

これは見ごたえあり。マキノ雅弘 監督作品。
この前の「唐獅子牡丹」とは全く違う出来栄えです。やはり藤純子さんの芸者さんがよかった。三田佳子のねっとり感と違って藤純子さんのおきゃんな可愛さは見とれてしまいますね。日本女性の可愛らしさってこういうものなのでしょうか?(自分も日本女性だが雲泥の差とはこのことだな)無邪気と言うのか天真爛漫というのか。

ヤクザの秀次郎(高倉健)が博徒に殴られ傷を負い、冬の雨の中イチョウの木の下で座り込んでいるのを15歳の(実際はもっと年上ね)幾江(藤純子)が見つける。幾江は芸者の見習い中。おかみさんにお酒を買いに行かされていたのだが、凍え切った秀次郎に飲ませてしまう。おまけに「泊めてもらえるようお上さんに頼んでみるわ」案の定、幾江はおかみさんに叱られてこづかれるが何とか許してもらう。幾江が喜んで秀次郎を呼びに行った時、一部始終を見ていた秀次郎は立ち去った後だった。幾江は「ヤクザのおにいさーん」と呼ぶのだった。
と言う20歳の青年と15歳に少女を演じる二人。何ともいえない初恋の風景なのである。

健さんの逞しい胸や池辺良の色っぽい眼差しもよいのだが、この映画は完全に藤純子さんにもって行かれてないのかな。男の友情が褪せて見えるほど藤純子さん演じる幾太郎姐さんの清潔な色香に迷ってしまったんである。
この純情。この可憐さ。ひたすら秀次郎を信じて慕っている一本気。かっこいいのだ。嫌なお客が来てもぴしりと受け答える性格がいいなあ。それなのになよなよと女っぽいしぐさ。一体どうしたらあんな動きができるのか。
そして何と言っても美しい。こういう男の映画には綺麗どころが必要ですな。

昔の映画を観ているといいものはホントによくて見とれてしまうのだ。
それは窓や戸口なんかにもあるし、登場人物の動作でも。例えば、仏壇の火を消すのに、秀次郎は指で火をつまんで消してしまうのだが、吹き消してはいけないからなのだよね。
芸者の姐さんが幾太郎の着物のすそをさっとあげてやって「ほら道行だよ」と秀次郎とデートできるようにしてあげるとか。感心することばかりなのだ。

堅気になろうとする秀次郎の元に昔、イカサマを見破られて手を刺されたヤクザが仕返しにやってくる。刺されそうになる秀次郎を「私の手を代わりに刺して」と庇う幾太郎。男を庇う、と言うのが日本女性ですね。

重吉の池辺良も恩義ある喜楽の旦那の息子である秀次郎を懸命に堅気にしようとするのがいい。

最後のお決まりの健さんと池辺良の道行きも今回はぐっと色気があった。
でも悪いのは金を貸してくれたやくざの親分じゃなくて一山当てようとしては失敗してる若旦那さんのほうじゃないのかねー。

監督:マキノ雅弘 出演者:高倉健、池辺良、藤純子 1970年製作
posted by フェイユイ at 00:14| Comment(1) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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