



心に残る名作であり、また非常に思い出深い作品なのだ。
私がこれを最初に観た時は、レスリー・チャンにのめりこんで間もない頃であった。
「ブエノスアイレス」で衝撃を受けた私は次にこの作品を観たのだ。「ブエノスアイレス」での奔放な役と違い、幼い頃から厳しく律された生活を送り、切れそうに張り詰めた弦のような魂をもつ女形京劇役者・程蝶衣を演じたレスリー・チャンに私は再び打ちのめされる事になる。
女形の化粧を施されたレスリーの美貌になんと言い様もなく胸を締め付けられた。
その目の表情にも立ち居振る舞いにも心を奪われていった。
また中国映画を観始めたばかりの頃でもあったのでその作品の質の高さにも目を見張った。
この映画の魅力は導入部の二人の京劇役者の幼少時代によるものが大きいのではないだろうか。
蝶衣(レスリー・チャン)の相手役となる兄貴分の段小樓(チャン・フォンイー)は石頭というあだ名を持つ。芝居が中断され不満を持つ観客の前で頭で石を割って見せる。
遊女を親に持つ蝶衣は指が6本ある。母親は、遊郭では大きくなった子供を育てられない、と言って蝶衣を劇団に連れてくる。しかし蝶衣の指を見た団長はそれでは客が怖がって観に来ないからダメだと言う。思いつめた母親はその指を切断するのだ。
遊女の子をあざける子供たちの中で小樓だけは蝶衣をかばう。以後、蝶衣は小樓を兄として慕い、小樓も蝶衣をいつも気にかけ何かと世話をやく。
蝶衣は女形としての稽古を受けるが「女として生まれ」というセリフを何度やっても「男として生まれ」と言ってしまう。大事な時に再び失敗した蝶衣を見て小樓はその口にキセルを押し込み激しく叱る。蝶衣はついに「女に生まれ」というセリフを言えるようになる。
厳しく辛い京劇役者の修行時代。間違いをすれば稽古用の刀で尻を打たれ、手を打たれる。あまりに凄まじく皮膚が破れて血が噴出すほどだ。
小樓と蝶衣は兄弟以上に互いを支えあい、慈しむ。他に逃げ場所のない子供達のその姿を見て心は痛むが目を離すことはできない。
二人の絆を表す悲しい子供時代なのだ。
蝶衣は美しい女形の運命として金持ちの老人に身を任すことになる。ふさぎこむ蝶衣に言葉が投げかけられる「運命に逆らうな」
酷い言葉ではあるが歴史はさらに蝶衣を過酷な運命に巻き込んでいく。
日本軍の侵略。慕い続けた小樓の菊仙(コン・リー)との結婚。袁(グー・ヨウ)との出会い(袁というのは袁世凱のことであろう)蝶衣は満たされぬ想いを袁からの愛で塞ごうとする。この袁役のグー・ヨウの鬼気せまる演技。最初観た時はまだ彼を知らなかったのでその怪演に度肝を抜かれた。決して大げさでなくこの時の彼を見たら誰でも忘れられないだろう。主人公たちがめげそうなほどの印象である。蝶衣への賛辞を送るその目は狂気に満ちている。(グー・ヨウ氏が中国では指折りの役者だと後に知る。最初から叩きのめされたよ)
やがて盧溝橋事件が起こり、日本軍が北京へも侵略してくる。日本軍の前で舞う蝶衣。この時のレスリーは言葉を絶するほどに美しい。
日本軍に逆らったために投獄された小樓を救うため蝶衣は日本軍の招待を受ける。それを知った小樓は助け出された後、蝶衣の頬を打つ。
蝶衣には絶望しか残されていない。やがて彼はアヘンにはまっていく。
小樓の妻役のコン・リーもこの時知る。激しい気性にまた驚いた。何が起きてもまったく挫けない根性は西洋人にもない強さだ。彼女の作品も以後たくさん観ることになる。今でも魅力溢れる演技を続けている凄い女優である。
思い出が多いので半分でも言いたいことが溢れる。
兄貴分・段小樓のチャン・フォンイーは他には「始皇帝暗殺」しか知らないが、非常にけれん味のある演技で大柄で見ごたえあった。
レスリー・チャンは素晴らしい仕事をたくさんしている人だが、特にこの「覇王別姫」は1993年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞しているわけでこれによってレスリー・チャンの名はずっと残っていくはずだ。
この美しさを後世の人も観てきっと胸をうつだろう。この人は誰なのかときっと調べる事だろう。
監督:チェン・カイコー
出演:レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー、グー・ヨウ
1993年製作