2006年03月26日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第12集

ひゃー、康煕めちゃかっこいいです。ばば様はもっとかっこいいけどね。二人がアオバイを倒そうと話し合っている場面は凄く高揚感があって言葉が強くて惚れ惚れします。

16歳の康煕はもう行動あるのみ。まだまだ可愛い顔をしていますがアオバイを倒さんと智恵を絞ります。アオバイはバン大人の甘い言葉で皇帝を失脚させようとしますが、そのバン大人はアオバイを利用しようとしているだけ。うーん、もう誰も信用できませんね。
康煕は急に頼もしくなりました。
アオバイを倒すためにばば様を非難させようとしたり心遣いも忘れません。
臣下の胸の内も読み取るようになって大人びてきました。しかし16歳にして白髪が出たそうで気の毒です。(ところで弁髪って初め見た時はびっくりしますが、ずっと見てるとなかなかかっこよく見えてくるからふしぎです。ラーメンマンのおかげかな)

呉六一さんはほんとに真面目なお人です。しかしせっかく恩赦で出獄した義父を自分の手柄で牢から出してあげたいということで、「牢屋に戻るよ」と言うお父さんが偉い。

しかし恐ろしい敵と思っていたアオバイを騙そうとしているバン大人は飛んだ狸ですな。

ところでなかなかこれの記事を書かなかったのは、しばらく画像が観れなかったからなんですが、実はたまったファイルを削除すればよかったんですね。中に説明もされてます。以前、一度やっていたのに、すっかり忘れていたのでした。もし観れずに困っている方いらっしゃったら一度お試しください。


posted by フェイユイ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「さらばわが愛・覇王別姫」後半

日本軍の前で演じた貴姫のもう一度シーンを観る。燃えるような赤の中の蝶衣は美しく儚い。日本軍将校と張り合って拍手を送る袁の姿も面白い。

ところでこの映画を観て驚いた事の一つは悪の権化であるはずの日本軍がかなり柔かく描いてあったことだ。小樓に対しては無礼な態度をとるが、蝶衣に対しての賛辞、特に将校である青木は蝶衣に強い愛情を示していて描き方としても紳士的ですらある。蝶衣も青木の好意をこころよく思っている。なぜなら蝶衣にとっては彼の芸術を理解してくれる人間こそがいい人間なのだ。恐ろしい革命軍の裁判においても「青木は京劇を日本に持っていくつもりだった」と話す。

この物語は中国が旧世界から新時代へ向かう過程を描いている。日本軍の侵攻から文化大革命を経る歴史の中で京劇役者・小樓、女形・蝶衣、小樓の妻・菊仙、3人の人生が絡み合っていく。
小樓を挟んで蝶衣と菊仙は恋敵であり激しく互いを攻めあうのだが、そんな二人のふれあいを映した場面がある。
一つは絶望して阿片に溺れた蝶衣の部屋を訪れた菊仙が「お母さん」と泣きながらつぶやく蝶衣を抱きしめるシーン。劇団に捨てられた時の記憶が戻ったのか蝶衣は母親を求めるのだ。そんな蝶衣を疎んじていたはずの菊仙が優しく抱きしめるのを見て切なくなる。結局は菊仙も遊郭にいた身の上。親に捨てられたような境遇だったのではないだろうか。
一つは最後、文化革命の厳しい自己批判の責め苦を受けて小樓は「(売春婦だった)菊仙を愛してなどいない」と告白する。
命を奪われる事はなかったが、菊仙は死を選ぶ。菊仙の名を叫ぶ蝶衣。やはりここでも同じく愛する小樓から見捨てられた者として菊仙と蝶衣はつながっているのだ。
そんな小樓は蝶衣をどう思っていたのだろうか。物語の中で彼は何度もあるときは自主的にある時は妻から説得されて蝶衣と別れようとする。
がいつの間にか二人は元に戻って覇王と姫としての芝居を続けるのだ。
小樓の愛を得られない蝶衣は袁世卿の寵愛で慰めとする。自己批判の際に小樓は蝶衣を責める。「袁世卿と蝶衣は・・・!」自らは蝶衣を(肉体的に)愛する事はなくとも心の中で嫉妬していたというのか。では蝶衣の愛はどこで受け止められるというのだろう。

自己批判がなければ小樓もそんな事を叫ぶ事もなかったのだ。が、歴史は残酷にも彼らを追い詰めていった。

どんなに京劇を愛していても芸術を悪とする革命は蝶衣を締め付けていく。だからこそ、蝶衣は「日本軍の青木は京劇を自分を愛してくれていた」と言ってはいけない言葉を発してしまうのだ。

そして京劇の世界にも昔を知らない若者達が次第に幅をきかせてくる。蝶衣は取り残された存在となっていく。

歴史に飲み込まれていった3人の男女の運命は過酷なものであった。蝶衣が想いを寄せる小樓の腰の刀を引き抜いた所で物語の幕は閉じる。
posted by フェイユイ at 21:10| Comment(0) | TrackBack(1) | レスリー・チャン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「さらば、わが愛 覇王別姫」前半

覇王別姫.jpg覇王別姫c.jpg覇王別姫b.jpgaurahysterica13-img600x450-1127014973dsc07047.jpg

心に残る名作であり、また非常に思い出深い作品なのだ。

私がこれを最初に観た時は、レスリー・チャンにのめりこんで間もない頃であった。
「ブエノスアイレス」で衝撃を受けた私は次にこの作品を観たのだ。「ブエノスアイレス」での奔放な役と違い、幼い頃から厳しく律された生活を送り、切れそうに張り詰めた弦のような魂をもつ女形京劇役者・程蝶衣を演じたレスリー・チャンに私は再び打ちのめされる事になる。

女形の化粧を施されたレスリーの美貌になんと言い様もなく胸を締め付けられた。
その目の表情にも立ち居振る舞いにも心を奪われていった。

また中国映画を観始めたばかりの頃でもあったのでその作品の質の高さにも目を見張った。
この映画の魅力は導入部の二人の京劇役者の幼少時代によるものが大きいのではないだろうか。
蝶衣(レスリー・チャン)の相手役となる兄貴分の段小樓(チャン・フォンイー)は石頭というあだ名を持つ。芝居が中断され不満を持つ観客の前で頭で石を割って見せる。
遊女を親に持つ蝶衣は指が6本ある。母親は、遊郭では大きくなった子供を育てられない、と言って蝶衣を劇団に連れてくる。しかし蝶衣の指を見た団長はそれでは客が怖がって観に来ないからダメだと言う。思いつめた母親はその指を切断するのだ。
遊女の子をあざける子供たちの中で小樓だけは蝶衣をかばう。以後、蝶衣は小樓を兄として慕い、小樓も蝶衣をいつも気にかけ何かと世話をやく。
蝶衣は女形としての稽古を受けるが「女として生まれ」というセリフを何度やっても「男として生まれ」と言ってしまう。大事な時に再び失敗した蝶衣を見て小樓はその口にキセルを押し込み激しく叱る。蝶衣はついに「女に生まれ」というセリフを言えるようになる。

厳しく辛い京劇役者の修行時代。間違いをすれば稽古用の刀で尻を打たれ、手を打たれる。あまりに凄まじく皮膚が破れて血が噴出すほどだ。
小樓と蝶衣は兄弟以上に互いを支えあい、慈しむ。他に逃げ場所のない子供達のその姿を見て心は痛むが目を離すことはできない。
二人の絆を表す悲しい子供時代なのだ。
蝶衣は美しい女形の運命として金持ちの老人に身を任すことになる。ふさぎこむ蝶衣に言葉が投げかけられる「運命に逆らうな」
酷い言葉ではあるが歴史はさらに蝶衣を過酷な運命に巻き込んでいく。
日本軍の侵略。慕い続けた小樓の菊仙(コン・リー)との結婚。袁(グー・ヨウ)との出会い(袁というのは袁世凱のことであろう)蝶衣は満たされぬ想いを袁からの愛で塞ごうとする。この袁役のグー・ヨウの鬼気せまる演技。最初観た時はまだ彼を知らなかったのでその怪演に度肝を抜かれた。決して大げさでなくこの時の彼を見たら誰でも忘れられないだろう。主人公たちがめげそうなほどの印象である。蝶衣への賛辞を送るその目は狂気に満ちている。(グー・ヨウ氏が中国では指折りの役者だと後に知る。最初から叩きのめされたよ)
やがて盧溝橋事件が起こり、日本軍が北京へも侵略してくる。日本軍の前で舞う蝶衣。この時のレスリーは言葉を絶するほどに美しい。
日本軍に逆らったために投獄された小樓を救うため蝶衣は日本軍の招待を受ける。それを知った小樓は助け出された後、蝶衣の頬を打つ。
蝶衣には絶望しか残されていない。やがて彼はアヘンにはまっていく。

小樓の妻役のコン・リーもこの時知る。激しい気性にまた驚いた。何が起きてもまったく挫けない根性は西洋人にもない強さだ。彼女の作品も以後たくさん観ることになる。今でも魅力溢れる演技を続けている凄い女優である。

思い出が多いので半分でも言いたいことが溢れる。
兄貴分・段小樓のチャン・フォンイーは他には「始皇帝暗殺」しか知らないが、非常にけれん味のある演技で大柄で見ごたえあった。

レスリー・チャンは素晴らしい仕事をたくさんしている人だが、特にこの「覇王別姫」は1993年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞しているわけでこれによってレスリー・チャンの名はずっと残っていくはずだ。
この美しさを後世の人も観てきっと胸をうつだろう。この人は誰なのかときっと調べる事だろう。

監督:チェン・カイコー
出演:レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー、グー・ヨウ
1993年製作
posted by フェイユイ at 00:08| Comment(0) | TrackBack(2) | レスリー・チャン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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