2006年04月30日

「レインメーカー」フランシス・フォード・コッポラ

レインメーカーa.jpg

私の世代でコッポラ監督作品といえば飛びついて観たくなるものなのですが、実はこの作品が作られた事も知りませんでした。

コッポラと言えば「地獄の黙示録」「ゴッドファーザー・シリーズ」そして「アウトサイダーズ」と私達を惹き込んでしまった監督でした。
が、この「レインメーカー」では特にコッポラが作ったのだ、というイメージと言うものはわきませんでした。あえて言えばミッキー・ローク、ダニー・デビート、ジョン・ボイト、ロイ・シャイダーと言うそうそうたるメンバーが脇を固められたのはコッポラの名前があったからこそでしょうか?上げたり下げたりしてしまいますが、だからと言ってつまらなかったわけではなく最初からかなりのめりこんで観てしまったことは確かです。
ただ、何となく疑問に思う所もいくつかあって、映画自体が主人公ルーディ(マット・デイモン)の如く混乱の内に走って行ってしまった感じさえします。

一番の疑問は「これは結局何を訴えたかったのかな?」ということなのです。これが一番大切なわけでここに疑問を感じてしまうとどうしようもないんですが。

マット・デイモン演じる卒業したての弁護士ルーディは裕福ではない家庭出身だがかつての公民権運動で活躍した正義感溢れる弁護士に憧れその道を目指す。
が、コネのない彼を雇ってくれたのは脱税疑惑のある弁護士(ミッキー・ローク)が経営する事務所でありました。
ここでルーディは同情すべき人々のために骨惜しみせず弁護人の仕事を引き受けます。深入りしすぎるほど情愛をもって。
そして新人の彼が心強い相棒(ダニー・デビート)の助けに支えられて何とか大きな裁判を勝ち取るのですが。
その後、彼は「レインメーカーである敵方の弁護士(ジョン・ボイト)のようにはなりたくない」と言って弁護士を辞めてしまうのです。
「レインメーカー」と言うのは雨を降らすが如くに金が舞い込んでくるような力のある弁護士をいうのですがそうなる為には不正を働かざるを得ない、と言うのです。そして正義に燃えた自分もいつかは敵方のような汚い弁護士になるのだ、と決めてしまうのです。
現実にはそうなのかもしれないのですが、大きな感動を覚えた観客はいきなりお別れを言われて戸惑います。例えそうなのだとしてもそういう心を持った弁護士さんがいて欲しいと一般人は思うはずなのですが。

そしてもう一つはルーディ自身の人格。
これも最も重要なのですがね(笑)導入部で彼が酒乱の父親に暴力を振るわれたと言う説明が彼の口を通じてあります。そして事故で死んだ、と言うのですが悲しみもない口調で話されるとまだ彼を知らない導入部なのですから冷たい心の持ち主なのかと思わされてしまいます、がその後は彼がいかにもいい人であると表現されていくので分裂してしまいます。
そして夫に暴力を受け続け絶え間ない傷を負う若い女性(クレア・デーンズ)をルーディは弁護士と言う立場も忘れ親身になって見守るのですが。
映画なので若い女性が出てきたら恋仲になってしまうのはしょうがない、と言ってしまったらどうしようもないのですが。この状態で恋に落ちると言うのはわきまえがなさ過ぎますし、(殴られた女性に会うたびに恋に落ちてたら身が持たないですよ)譲ってそれはいいとしてもその彼女と夫の待つ家に二人だけで戻り(何故もっと人を連れて行かない?)しかも自らその夫を死ぬほどぶん殴り、彼女が「出て行って。あなたは知らない事にして」と言われのこのこ出て行って外で後悔してるのなんてマッチョなアメリカ男性として信じられないほどの腰抜けぶりで情けない(これは彼女じゃなくルーディが殺したと言っていいと思うのですが)正義感溢れる男性というなら彼女がなんと言おうと結果的に悪くなろうとそこに残ってしまうものではないでしょうか。後で法で守ればいいやなんていうのはどうにも理解しがたいです。後で守るくらいなら初めから夫に出会えば暴力沙汰になるのは目に見えているのですから、法律のみで彼女を守ってあげればよかったと思うのですよ。若いから気づかなかった、と言うのが言い訳ですね。
しかも理由はどうあれ二人で夫を殺したのに最後はニコニコしてるのってのも人間性がなさ過ぎますね。
これはルーディの一人称で彼のモノローグで話が進むのがまずいですね。最初の父親の件も彼が語っているのではなく客観的に父親が死んだとすればよかったし、彼女の家に戻るのも一緒ではなく、彼女がわがままで勝手に戻って殴り合いになって殺した、とすればルーディは悪くならないのに、と思いました。

ということはルーディが若き新人弁護士として働いている部分はすこぶる面白いのですが、それ以外の人物を描く部分がつまらない、というか穴がありすぎです。
その辺に目をつぶればなかなかに面白い作品でした。(しかしラストでがっかりさせたらまずいよね)

日本でももうじき陪審員制度が始まるのですが、こういうのを見るとまた大変そうだな、と思われます。

マット・デイモン。新人弁護士を懸命に演じております。非常に魅力溢れていますね。が、果たしてこの脚本に満足していたのだろうか、疑問。

ダニー・デビート。この人がいなかったらこの映画、つまんないかも。頼りない若き相棒弁護士を助けるために獅子奮迅の働きです。彼が主人公弁護士でもよかったのに(笑)かわいらしくて真剣で胸をうちますねー。素晴らしい演技でした!

ミッキー・ローク。素敵!!脱税悪徳弁護士をまさにはまりと言った感じで演じてます。色っぽさは健在ですね。最高。

ジョン・ボイト。貫禄。今は娘さんが大活躍ですが、青春映画と言えば彼の「カーボーイ」姿だったのですがね。今は悪徳弁護士ですか。マットをいじめる場面はよかったです。

ロイ・シャイダー。彼も出ているとは。凄いものですね。この役で登場とは。コッポラの名前のおかげでしょうか。

過去に父親から暴力を受けた経験のあるルーディと夫から暴力を受け続けている女性との苦しみがシンクロして話が進めばよかったのでしょうがそこに保険会社の問題が別問題として持ち上がってきてしかもそちらの方が重要になってしまっている。暴力問題はそれだけでも深刻なもので片手間にやれる話ではないはずです。
「グッドウィルハンティング」ではその事だけが物語の核になっていたのにこちらの方がメチャメチャになっています。
やはり物語と言うのは一つのテーマを掘り下げていかなければいかにコッポラと言えど破綻してしまうと言う事ですね。
法廷モノというスタイルをとりながら父親から受けた心の傷を夫から暴力を受ける女性と共に癒していく、という風に絞って欲しかったですね。でもそしたら「グッドウィル」と同じ話になってしまいますね(笑)

監督:フランシス・フォード・コッポラ 出演者:マット・デイモン、ミッキー・ローク、ダニー・デビート、ジョン・ボイト、ロイ・シャイダー
1997年アメリカ

この文を読んでくださった方、是非こちらの方も読んでいただきたいのです。
なぜならここに書いたものは私としては勘違いして書いたものでして、よく考えて書いたものが次の記事だからです。大変ご迷惑かけますが。
「レインメーカー」再考

間違って書いたものですが、消さずに残しておくつもりです。が、勘違いしてます(笑)
posted by フェイユイ at 23:27| Comment(0) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「オーシャンズ11」コメンタリー後半

オーシャンズ11.jpg

後半に限ったわけではないけど、映画の説明をマット・デイモンが率先してやっているのが判る(声しか聞こえてないけど多分彼でしょう)
実に褒めるのがうまいね。監督を含め、他の役者さんたちの演技をほめまくりです。
だもんだからマット自身の演技についてのコメントはやや少なかったような。

コメンタリーでもマットとクルーニーが黒服で忍び込むシーンは「バットマン」だと言ってました。クルーニー=バットマンとマット=ロビンはぴったりです。

しっかしジョージ・クルーニーはいい顔してますね。本当に男らしくて素敵です。
最後のシーンはブラッドが車の運転をして後部座席でジョージとジュリあ・ロバーツが甘いキスを交わすんですが、ブラッドとジョージはジュリアが運転で後ろにブラッドとジョージが二人座るんだと言い張ったそうです。なるほどそちらの方がおかしくてよかったのに残念でした。

「オーシャンズ11」はラスベガス・カジノで盗みを働く話ですが主人公が本当に盗みたかったのは離れていった恋人の心なのですからしょうがないですね。
posted by フェイユイ at 20:26| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

「青春の輝き」ロバート・マンデル

青春の輝き.jpg

私はあまり見た事のないアメリカ映画でお金持ち少年達が勉学に励む姿。1955年、ニュー・イングランドの大学予備高校の名門校に最終学年で転入してきたデイビッド(ブレンダン・フレーザー)はからきし弱いフットボールチームの救世主として引き抜かれたのだった。
が、デイビッドには同級生には秘密にしなければいけない秘密があった。それは彼がユダヤ人であるという事実だった。

正直言ってアメリカ映画でユダヤ人がこんなに差別を受ける存在であるとは知りませんでした。
1955年と言う年代がそうなのか、今でもそうなのか?
何と言っても日本から見ている限りではユダヤ人というと音楽や映画や小説の作り手として有名な人がたくさんいる人種であって且つ経済的にもアメリカを牛耳っているという意識があったからです。
ハーバート大学にはユダヤ人が多いのだというセリフが出てくるわけで大学には存在しているわけでしょう。この学校では今まで存在しなかったのに、ということなのでしょうか。

デイビッドは真直ぐに物事を見ていく好青年として描かれているので(フットボール、ダンス、ジョークが得意で女の子にもストレートに好意を打ち明けるし、人種がばれるまでは友人の間でも非常に人気があった)よけいに人種差別をする人々を腹立たしく感じます。
ラストでも何かが解決したわけではなくこれからデイビッドがより戦い続けなければならないことが示されているのです。

という人種差別に対する怒りを持ちながらも映画として楽しめる部分もあったりするわけで、不謹慎で申し訳ないが。
楽しんじゃいけないけどフランス語が上手く話せなくて陰険な教師にいじめられる少年がなかなか好きでした。
歴史の授業で教師が生徒を次々と当てながら答えを言わせるとこが萩尾望都の描く教室のようで愉快でした。
こういった感じの全寮制学校と言うのを昔はよく小説や映画や漫画で見たものです。懐かしく感じましたね。

この映画の中のマット・デイモンは主人公デイビッドにスポーツやガールフレンドの事で酷く劣等感を抱かされたためにユダヤ人であるということで差別し窮地に追い込むという悪辣な役です。
「リプリー」の時の貧しいがゆえに追い詰められていく悲壮感と違って由緒正しい子息であるがために苦しみ間違った道を進んでしまう若者の役をうまく演じていますね。
こういう卑屈な役ができるというのも彼の持ち味なのでますます嫌われそうですが、また挑戦して欲しいものです。
周りが背の高い人が多かったのかいつも以上に小柄に見えます。若いせいもあるけどこういうきちんと髪を分けているのが大変にキュートに見えますし、笑顔もかわいいのなんのって。
シャワー室ではお尻も見えますのでうれしいですね(なんなんだ)
クレジットが主人公の次に出てきたので準主役なワケですね。ここでは主人公と友情を持った者は存在せず、マット・デイモン演じるディロンとの軋轢が核となっていたわけですね。彼に同情する同級生もいたわけですが、結局デイビッドは孤独なままなのです。

ベン・アフレックも頑張って共演してました。ここではお金持ちのお坊ちゃまでございますね。少しおかしかったです。

監督:ロバート・マンデル 出演:ブレンダン・フレイザー、マット・デイモン、クリス・オドネル、ランダル・バティンコフ、アンドリュー・ロワリー 1992年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月28日

「オーシャンズ11」コメンタリー・前半

本作を観ながらブラッド・ピット、マット・デイモン、アンディ・ガルシアがのコメントを聞く。
マット・デイモンは声がとても素敵なのだ。結構よく話している、と言うより話さなきゃ、という責任感が強いのかも知れないが。
が、ここで気づいたのはマットの手の指がアップになるシーンがあるのだが、指が無骨で爪を極端に短く切っているの。永沢節さんの本を読んでて「西洋人は爪が汚い人が多い」てなことが書いてあっったのだけど、本当に、この点だけはジェイ・ジョウの方が断然美しい指をしていますね。あの人はピアニストだから当たり前なのかもしれないけど。
まあそこは置いとくとしてマットの低くて素敵な声に聞き惚れつつ観ていく。ブラピが言ってると思うんだけど「マットのポーカーは教科書通りだが鋭い。俺は度胸派、好不調の差が激しい。ジョージは酷い」と言う事らしい。ほほう。

本作の出演者が心底この作品に打ち込んでしかも楽しく撮影されたかが語られる。
それにしてもジョージ・クルーニーはかっこいいね。ブラッド・ピットも立ち居振る舞いから二枚目だと感じますね。
posted by フェイユイ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マット・デイモンについて

数えてはいないけどマット・デイモン出演作品も半分ほど観たでしょうか?この時点でいいだす話ではないと思うけど話したくなったので少し。

いつもの如く最初の作品から順を追って観てる訳ではなく思いつくまま、手に入ったものからと言う感じなのですが、まあ、今まで観たものがマット・デイモンの主要作品になるのではないかと思われます(違ってたらまた訂正しますが)そこで思うのは多分全作品を観たとしても結局マット・デイモンの代表作と言うのは「グッド・ウィル・ハンティング」なのだな、ということ。

この場合の代表作と言うのは作品の出来が一番いい、と言う意味ではなくて多くの人の心に残り、映画の歴史上でも残っていくであろうと(私が勝手に)思う作品ということです。

「グッドウィル」は素人同然のマット&ベン・アフレックが執筆しただけあってかなり甘いものなのですが、それゆえに、またその危うさや一人よがりな印象ですら青春そのものを表現していると思えてくるさわやかさがあるのですね。その魅力はやはり他の映画にはないものでしょう。勿論ガス・ヴァン・サント監督があえて自分の色を抑えてしかも巧みに作ってくれたからだと思うのですが。

というわけで私が思う(現時点での)マット・デイモン代表作はやはり「グッド・ウィル・ハンティング」なのですが、自分が好きな作品というとまた変わってきます。
私がマットを好きになったきっかけになった「ブラザーズ・グリム」そして「ジェリー」が好きなのですよ。
なんでこう「ジェリー」が好きなのか、と考えたら、これはなんとなくウォン・カーウァイ監督の「楽園の瑕」と重なるような気がするのですね。こういう厭世観と彷徨う感じというのがたまらなく好きなのです。
しかしアメリカ映画でマット・デイモンのようなアイドル的(なイメージがある)俳優がこういう映画を撮ってるとは思いもしませんでした。
「楽園の瑕」もアイドルだらけですけどね。ウォン・カーウァイなんで。で、こちらもやはりガス・ヴァン・サントだからこそですね。マット・デイモンの知的な部分とちょっと変わった映画に出たがる好みが判ります。

しかし(私は大好きなのですが)マット出演作品って一風変わっているだけあって大作というのがないのですね。B級(嫌な言葉だ)と言うのではなくて小粒な作品(中粒くらいとか)が多いのですよ。そのせいもあって代表作というって感じにならなくなってしまうんですけどね。
例えばレオナルド・ディカプリオなんかとは全然やっているものが違うし。マニアックな俳優であった(今はすっかりメジャーになってしまった)ジョニー・デップでも「シザー・ハンズ」「スリーピー・ホロウ」「パイレーツ・オブ・カリビアン」 なんかもマットの映画と比べると主流派だし(これも私の思い込みかもしんないですがね)

が、それなのに割と有名な俳優の一人である不思議なポジションの方です。これからがつんと来る様な映画に出るのかも知れないし、出ないのかもしれない。
とにかく私にはとても魅力ある位置にいる役者なのでこのままの路線で尚且つ本人が納得いく映画に出演していってくれるなら何も言う事はありませんね。


posted by フェイユイ at 17:48| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「オーシャンズ11」スティーブン・ソダーバーグ

オーシャンズ11a.jpg

何ともオールドスタイルでゆったり楽しめる映画ですね、と思っていたらこれは「オーシャンと11人の仲間」という昔の映画のリメイクなのですね。
ジョージ・クルーニーを筆頭に11人の男があらゆる技を駆使してラスヴェガス最大のカジノの金庫破りをするという痛快なストーリーでした。

どうしたって、ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットという味わいの違う色男二人がよき相棒といったかんじでつるんで悪い事をやっているのが素敵です。凄く懐かしい感じがしましたねー。極上質な娯楽映画を見せてもらいました。
最先端の犯罪計画と言うような映画を観るといつもワケわかんなくて頭が痛くなるんですが、これくらいだったらのんびり観れてうれしいですね。

さて、最高の関心事であるマット・デイモン。
なんというエロティックな(笑)これ観てエロティックと思うのは間違ってるか?でもかなりヤバいです、これ。
まずメガネっ子のマット。「リプリー」を思い出させるようなダサさなんですが、これがもうツボでね。弱いなあ、メガネのマット。彼はインタビューで理想の男性はブラッド・ピットなんて言っているでしょう。どうもメガネかけるとそっちに行きやすいんじゃないかと。いやまじで。
そしてクルーニーとエレベーター抗の中で黒い服に着替えてるのをみてまたノックダウン。まるでロビン少年ではないか(バットマンの)悩殺ですね。

コメンタリーがついててブラピとマットが映画について語ってますので明日はそれを観ましょう。

監督・撮影:スティーブン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、マット・デイモン、アンディ・ガルシア、ジュリア・ロバーツ、ケイシー・アフレック 2001年/アメリカ
posted by フェイユイ at 00:01| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

またまた「ブラザーズ・グリム」兄弟萌え映画として最高なのだよ

最初「ブラグリ」の記事を書いた時、他のブログを覗くとかなり否定的な意見ばかり見つけてしまい「それは違うよ、そうじゃなくてさー」と大いに不満を持った私ですが、ここに来て見直してみると結構「この映画は兄弟萌え映画だ」という意見が多く書かれているのを知り、すっかりうれしくなってしまったのである。(探し方次第か?)

一体、テリー・ギリアム監督がもともとそういう方だったのか、何か意図があって今回そういう類の映画を作ったのか、私には判らないのだが、「ブラザーズ・グリム」はタイトルどおり「グリム兄弟」の愛の物語なのだからこれで完璧なのである!!(しつこく繰り返す)

久し振りに自分の記事のマット=ウィル兄貴を見てにたあと笑うどうしようもない私だが、やっぱりマット=ウィルはいいね。弟ヒース=ジェイコブも可愛らしい事このうえない。

そこらへんに興味がない人にはダメな映画なのかもしれないが(信じがたい)そこに反応してしまったのでもう冷静には観れないのですよ。

まあまた独り言です。(しかし記事数減ってないんじゃ)
posted by フェイユイ at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「[薛/子]子(ニエズ)」日本語訳・発刊決定

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石公さんのブログ「夜目、遠目、幕の内」で白先勇の「[薛/子]子(ニエズ)」日本語訳本・発刊決定を知りました(石公さんはそこで「[薛/子]子」の物語と共に「ブロークバックマウンテン」の素晴らしい評を書かれておられます)

ついに「ニエズ」が日本語で読めるのですね。ドラマでも日本語で観ることはできなかったのでこれでようやく「ニエズ」の世界が理解しやすくなるのではないかと思います。

私は日にちがよく解らなかったのですが、石公さんによるとアマゾンでは4月28日発行となっているそうです。
またタイトルの読み方は「ニエズ」でも「罪の子」でもなく「「[薛/子]子」=「げっし」となっていますね。

こちらでも予約できます→国書刊行会

追記:ていうか、Amazonではすでに在庫切れ、となっているから買えないのかも?
上の国書刊行会で試してくださいな。
posted by フェイユイ at 10:31| Comment(2) | TrackBack(0) | [薛/子]子(ニエズ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第20集

康煕が遊郭で見聞を広めている間に大事件が起こり、大臣らは皇帝を探しまわっていた。とうとう康煕のいる遊郭をみつけるがさすがに邪魔をするわけにはいかないという宦官の言葉に留まる。康煕は一人の歌姫に目を留め彼女とまた会えるように住居を作らせる事にした。
皇帝を待っていた東亭は遊女達にいいようにされて落ち込んでいた。康煕は固い東亭に呆れる。遊郭から出てきた皇帝にやっとの思いで大臣達は訴えた。
実はモスクにイスラム教徒たちが集まり、三郎香会の信者達と連結し謀反を起こそうとしていると言うのだ。
大臣達は一気にモスクを襲って鎮めるべきだと言う。が、宦官の一人がそれはただ礼拝を行っているだけです、と言う。差し出がましいので平手打ちをさせた後で康煕は何故それが判る?と聞くと私の母がイスラム教徒なのです、と答える。
康煕は早合点して罪のないイスラム教徒を襲う所だった、お前は命を救ったぞと声をかけた。
康煕の命令で東亭はイスラムのモスクへと赴く。周りはイスラムの祭りで大賑わい。東亭は出店の親父にワケを聞くと「明から清になり、世の中が落ち着かなかったが皇帝のおかげでやっと平穏な時代になった。何年かぶりにイスラム教徒がお祭りを開いているのですよ」
東亭はモスクを攻めずによかったと安堵する。
が、礼拝を行うモスクに行くと三郎香会の楊起隆がイスラム教徒に向かって「皇帝がモスクを取り囲んで攻めてこようとしている。我ら三郎香会と手を結んで皇帝を打ち倒すのだ」これを聞いた東亭は居並ぶイスラム教徒に皇帝が満族だけでなく公平に天下を治めているのだ。この三郎香会こそ皆を騙して謀反を起こそうとしているのだ。皇帝はモスクを改築して祭りのために5万両出されると言い渡す。喜んだイスラム教徒たちは楊起隆の企みには乗らなかった。

こんなにイスラム教徒が多いとは知りませんでした。数百万のイスラム教徒ということでした。

失敗した楊起隆は妹に会ってまた皇帝暗殺計画を練る。
妹とは康煕が気に入ったあの歌姫・紫雲なのでした。楊起隆は朱三王子などではなく、その乳母の子供だったのですが、勉強しても秀才どまりだといってなんとしてでも皇帝になると言って聞かないのだった。

遊女をして子供を育てている妹・紫雲は真面目でしっかり者で、兄に「田畑を耕して勉強をする昔の兄さんに戻って」と言うのですが、兄貴は皇帝になろうとばかりしている。困ったものです。

康煕は宮廷内に密通者がいると考え、イスラムを救った宦官に怪しいものがいたら知らせるようにこっそり言い渡す。
何回も鞭で叩かれて可哀想な宦官でした。
が、この後楊起隆の手先になった家来達がやってきて彼に寝返りを勧める。どうなりますか。

皇帝に命を救われ雲南に赴任していた朱国治は皇帝と連絡がつかないので困窮する。
呉三桂が廃藩をやめて謀反を起こしているのを知る。朱国治は最期になると覚悟を決める。
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第18集(BlogPet)

じえるんが呉で減給ー!


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「じえるん」が書きました。
posted by フェイユイ at 09:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

「プライベート・ライアン」スティーブン・スピルバーグ

プライベート・ライアン.jpg

非常に巧みに作られている映画でした。スピルバーグの作る映画はいつも(私が見た分では)どうなるのか判るという特徴を持つのですが、これもまた実にスピルバーグらしい作品となっていました。

第二次世界大戦。導入部でアメリカ軍はノルマンディーへ上陸しいきなりドイツ軍に迎撃される。凄まじいという言葉だけでは言い尽くせない残虐な殺戮シーンがかなり長時間に渡って映し出される。
この場面は非常に重要だ。なぜならこの後に主人公ミラー大尉たちはドイツ兵を滅多殺しにしなければいけないからだ。
その大義名分として、ドイツ軍の攻撃によりアメリカの若き兵士達の内臓が飛び出し、手足が吹き飛び、虫けらのように次々と殺される場面が必要だった。
観る者は顔の見えないドイツ軍の冷酷さに憎悪を抱くだろう。その憎悪はユダヤ系であるスピルバーグの怒り、そしてユダヤ人の為の憎悪である。

リーダーとして登場するのはユダヤ人ではないトム・ハンクスだ。ここでスピルバーグはドイツ軍を攻めに行ったのはユダヤ系ではない、という予防線を張っているし、助けられる兵士もライアンと言う名のアイリッシュであるとしている。
が、ライアン二等兵救出のために選ばれた兵士の一人に素晴らしい銃の腕利きがいて彼は憎むべきドイツ兵を一人ひとり撃ち殺していく。そして優秀で人柄の温かいミラー大尉の指揮によりドイツ兵らは面白いように殺されていく。しかし当然なのだ。導入部であんなにアメリカ兵たちを虐殺したのだからね。その復讐劇は身がすくむ。

結局この映画によってスピルバーグはユダヤ代表となってドイツ人に復習をしたのだろう。その手腕は誠に優れており、人々に戦争の恐ろしさを伝えることになったのだ。暖かい風貌のトム・ハンクスを使う事によりその効果は高まった。

戦争がシリアスに真正面から描かれる時、人々はどうしても貶してはいけない気持ちになる。
だが、映画は所詮映画であって虐殺シーンが描かれる時にそれがある者には興味深いあるいは刺激的な見ものとなってしまう。どんなにリアルに表現と言っても映画は作り物なのだと言うことを忘れてしまいそうになる。
スピルバーグの優れた技術は観客を巧妙に引き込み、納得させてしまう恐ろしさがある。それはミラー大尉の手の震えという演出にも表現されていて如何なる時も悠々と構える大尉が心では震えているのだということなのだ。実に上手いではないか。様々な場面、セリフ、登場人物が明確で惹きつける。その上手さに拒絶反応してしまう。

かつて「スローターハウス5」という小説そして映画がありました。
「スローターハウス5」は実際にアメリカ兵としてドレスデンへ行ったドイツ系アメリカ人・カート・ヴォネガットによって書かれた物語であり、SFという形式を借りながらその悲しみを表していた。ドイツ系としてもドイツを攻めなければいけない人もいたのだ。美しい町が一瞬にして廃墟と化してしまった光景を彼は見た。もし先祖がアメリカに渡らなかったら?多分ドイツ兵としてユダヤ人を虐殺して感動を覚えた事でしょう、と彼は書いています。まあ、そういうことです。
が、彼はアメリカ人として存在し、米英連合軍の高性能爆弾投下によって13万5千人のヘンゼルとグレーテルが人形クッキーみたいに焼かれて死んでいるのを見たのでした。
彼は言います「死んでしまえばほんとにおしまい」そういうことです。

私の目的はまあ、あくまでもマット・デイモンを観たかったわけで、じゃあなぜ彼がこの映画に出たのか、私には判りませんが、まだ仕事のなかった若い時、スピルバーグから声をかけられ断る人はいないでしょうね、としか言えません。

で、この中のマット・デイモンは優秀なスピルバーグがタイトルロールに選んだだけあって救出すべき若々しい兵士を実に魅力的に演じていました。
反論していた兵士もこの若者なら救出する甲斐はあったと納得しているシーンもありました。
少し緊張しているような感じもしましたが、なにせカメラがトム・ハンクスの表情を取るためにマット・デイモンの後頭部越しに映すのですから、大変です。声しか入ってない部分もありましたし。

最後には星条旗を映し出し、とどめにまで大義名分を課すスピルバーグの徹底振りがうかがえました。

監督:スティーブン・スピルバーグ 出演:トム・ハンクス、マット・デイモン 1998年アメリカ


posted by フェイユイ at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

続・「マット・デイモン物語〜ゴールデン・ボーイの素顔」を読んで。比較なし。

で昨日の続きで本の内容について。

「マット・デイモン物語〜ゴールデン・ボーイの素顔」で印象的だったのは共同脚本を書いてるマットとベン・アフレックが(若い頃)しょっちゅう57時間かけて大陸を横断するという話。ケルアックの「路上」のようです。彼らはアメリカ大陸横断中に物語やセリフを考えるのだそうですが、運転するのはいつもベンで書きとめるのはマット。って57時間運転し続けるのは物凄いことだと思うんですが。しかもそれをタイプするのはベンの仕事ということで。マットはタイプが苦手らしい(笑)それは殆どベンをこき使ってるわけじゃないですか。文句を言わないベンは偉いですね。

「リプリー」が作品になるかならないかまでのマット・デイモンの伝記(?)なので若々しく希望と賛辞に満ちている。
この後、年齢を重ねるにつれ、若者の顔であったマットの評価が微妙なものになってくるようだ。
「ボーン・スプレマシー」は結構評価よかったみたいだけど。
私にいたっては「ブラザーズ・グリム」で好きになったようなファンであるからして、マットが年を取っていくことに何の問題もない。
童顔が災いしているマット・デイモンですが、私的には今からが楽しみだったりするのだ。
posted by フェイユイ at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

「マット・デイモン物語〜ゴールデン・ボーイの素顔」を読んでジェイと比較する。

これはカテゴリを「周杰倫」にすべきか「マット・デイモン」すべきか迷うのだけど、「マット・デイモン物語〜ゴールデン・ボーイの素顔」と言う本を読んでの考察なので一応こちらにしました。

またまた私だけの独り言です。気の向く方だけどうぞ。

「ブラザーズ・グリム」を観てマット・デイモンが好きになり、昔観てた「グッド・ウィル・ハンティング」を再度見て「マット・デイモンって周杰倫に似ている?!顔がってことじゃなくて表情とか」と衝撃を受けてしまった私は坂道を転げ落ちるように、って比喩はおかしいのか、滝つぼに落ちていくようにマット・デイモンの映画に引き込まれていきました。
次第にマット自体が好きになり、今ではジェイを重ねなくても観ることができます。というか似てるのはやはり年齢が同じ頃のようで今はあんまり似てませんからね。
で、「マット・デイモン物語」を読んだんですが、これがまた共通点があるのですね。と言っても他の人が見る分には「よくあること」としか受け取れないとは思うのですが、私的には納得しているわけです。

マット・デイモンは1970年生まれ。「グッド・ウィル・ハンティング」が1997年、彼が27歳の時の作品ですね。
ジェイ・ジョウは1979年生まれ。今が27歳です。驚きでしょ(笑)
身長は二人とも175cmこれは両方とも若干サバも読んでるかもしれませんが二人とも読んでたら一緒ですね。体重は随分違うような気がしますが。
そして二人とも両親が離婚。離婚された時の年齢はかなり違いますが、そのせいか二人ともお母さんの方にかなり影響を受けています。マットは演劇、ジェイは音楽・ピアノの勉強を小さい時からしていて、どちらも突然アクター&ミュージシャンになったわけではないと言う所も。
そしてお母さんの意見をよく聞いているところも同じ。どちらのお母さんも息子思いで息子が誤まった道に行かないよう見張っているようですよ。
どちらも大変努力をして好きな道を進んでいるのも確かですが同じように若くして認められていますね。色々な賞を取っています。
ただかなり謙虚なマットに比べるとジェイの自分大好きさ加減は違いますねー。「絶対売れなきゃヤダ」って人ですから。マットは「いい仕事ができればいい」って感じで。ま、面子が何より大切な中国人なので致し方ないでしょう。(マットも心底はわかりませんけどね)
後、バスケットボールが好きなとこと体の大きな親友がいるのが共通点かな。一緒の仕事をしてるとこも。

何より演技と音楽で天才的そしてさらに努力型であるというのが最大の共通項なのでした!
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スカパー!5月放送でジェイが見れる!!

スカパーch.784楽楽チャイナ、5月7日午後7:30から「大明星陪ni新年ー周杰倫」が放送されますよ。
パティ・ホウと共に台湾のお気に入りスポットを案内すると言う事です!ジェイのアンティークショップも紹介されるそうです。[字]となってるので字幕付きではないでしょうか?

さらにスカパーではパーフェクトチョイスで映画「イニシャルD」と1stConcert in japanのアンコール放送も!
posted by フェイユイ at 18:39| Comment(2) | TrackBack(1) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

「ボーン・スプレマシー」ポール・グリーン・グラス

スプレマシー.bmpスプレマシーf.jpg

「ボーン・アイデンティティー」の続編、そしてシリーズ化しそうな気配です。
マット・デイモンがこれまでにない最高にクールで強い男を演じています。
かっこいいです。

前作でボーンの恋人となったマリー、殺されてしまいました(-_-;)
またもやマット・デイモンの相手役が消えてしまったということで。うーん、やはり邪魔だったのでしょうか?気の毒としか申し上げられません。
前作はハードとは言え、彼女付きだったために少しでも甘い空気があったというのに彼女は消され、普通なら後釜となるべき女性が出てきてよさそうなものなのに女っ気なしです。ひたすら孤独な男の憂愁を背負っておりますです。
とことん女運がない男としか言いようがないですね、マット・デイモン。まさか監督に頼んで消してもらってるんじゃないですよね?
しかしそのせいなのかナンなのか、前作よりかなりハードタッチになったアクション見ごたえありました。マット・デイモンもよりボーンらしくなったというのか、シリーズ化しそうな充実した風格になってきましたね。

私の好みの話なのですが、「集団から追われ暗い過去を背負って孤独に生きていく男」というのに物凄く弱いのです(笑)例えばメル・ギブソンのマッド・マックス、胡軍の蕭峯、手塚治虫のブラックジャック、白土三平のカムイなどですね。特にボーンは人間兵器のスパイという設定からカムイと重ねてしまうものですが、カムイは本当にかっこいいからですね(笑)まああそこまでは行かないけど(カムイは女装してもいいほど美貌でしかも忍者として最高の技術を持っている男ですので)抜け忍で命を狙われる身であり誰も頼る者がいない。天涯孤独、という所は非常に似通っていますね。どちらも観ていて胸が痛くなるような悲壮感がたまりません。

確かに前作ではマット・デイモンの外見では少しその暗さが出ないかな、と思っていたのですが、今回はその危惧はなくなるほど真にせまって感じました。
(ところで他の人の批評を見てるとやたらと「顔が悪い」とか「顔は置いとくとして」とか(笑)同じ事だ。でも上手かった、ということらしいんですが、そんなにマット・デイモンって顔悪いですか?ごしごし(目をこする)いや、ちょっと鼻が上向いてて口が曲がってて少し出っ歯ぽいけどしかもどうしても背が低くてずんぐり見えるけどそんなに悪い事はないと思うんですがね(褒めたのか?)光線の具合とかですごくハンサムに見える時があるしな。エー、目がブルーできれいです。垂れ目だし。小さいゴリラには見えるけど)
とにかく痘痕も笑窪。今、恋してるので凄く素敵に見えてしょうがないんですよね、ゴリラ系にも弱いし。

監督:ポール・グリーングラス 原作:ロバート・ラドラム

出演:マット・デイモン、フランカ・ポテンテ、ブライアン・コックス、ジュリア・スタイルズ、カール・アーバン、ジョアン・アレン
2004年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:23| Comment(4) | TrackBack(3) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「すべての美しい馬 」ビリー・ボブ・ソーントン

美しい馬.bmp

マット・デイモン、なぜこのような変わった映画ばかりに出てるのか?おかげで私はここんとこ至福の時を過ごしておりまする。

私がそういう目で見ているからなんですが、とにかくエロティックな映画なのでした。まあ、そういう感想持つ人はあんまりいないかもしんないんですが。

(例によって)マット演じるジョン・グレディは馬に関しては天才的な知識を持っている青年なのですが、祖父の死によって牧場を手放すことになる。そして親友・レイシー(なんとヘンリー・トーマス!E.T.以来久しぶりに見ました)と共にメキシコへ向かい真のカウボーイとして生きる決意をする。

レイシーとのやり取りも牧場主との会話も二人が捕まってしまう警察の言葉も勘ぐって聞いているとナンだか思わせぶりなのであります(書き出すとあまりにも恥ずかしいのでやめます)
で、一応そういう懸念を抱かせぬために美女・アレハンドラ(ペネロペ・クルス)が投入されます。しかし彼女はジョンはゲイではありませんよー、ちゃんと女性と恋愛しますよーというはぐらかしのために存在するので「あなたと結婚するわけにはいかないわ」というセリフを残して去っていきます。ジョンはレイシーの馬と自分の馬も取り戻して親友の元へ帰ります。という熱い友情の物語なのでありました。

「E.T.」の時は華奢な美少年だったヘンリー・トーマスがすっかり無骨な感じの男になって親友役を好演してますね。マットを引き立てる容貌でよかったんじゃないでしょうか。
二人の行き先に不安の影を落とす役のブレヴィンス(ルーカス・ブラック)も上手いですね。ところでレイシーがブレヴィンスをからかって「ブリヴィット」とわざと間違って呼ぶのですが「その意味を知ってるか?」答えは袋の中の糞」汚くて申し訳ないが昔、カート・ヴォネガットの小説にこの言葉が出てきてしつこく覚えていたので(あまりにも下品で忘れる事ができなかった)確か「意味はその音から解るだろう」と書いてあったと思う(ますます嫌になるが)なんだかちょっとうれしかった。下品な言葉も覚えておくもんだ。(だからと言って何も得してないが)

そして最初にちょいと登場のサム・シェパード。「ライト・スタッフ」で超素敵でした。

ちょっと「ジェリー」と似通っていると感じる。男二人で大自然の中を進んでいくとことか。考えたらでもマット・デイモンって相手がベン・アフレックだったり、ヒース・レジャーだったり、ケイシー・アフレック、ジュード・ロウ、ウィル・スミスと今回ヘンリー・トーマスっていういつも男二人で何かっていうストーリー(「ボーン・アイデンティティー」は違うが)なんだよね。そして「ボーン」以外は女性関係に恵まれてないしね。「バガー・ヴァンス」は恵まれてたかな。
まだまだ彼の出演作品はあるので結論は出せませんが、そういう方なんだなーと改めて納得。妙に勘ぐってそういう映画に思えるという感じが好きなのでマット・デイモンの映画はまさにヒットです、私には。

とは言え、こういう見方が嫌いな方には申し訳ない。あくまで個人の楽しみで観てるのでお許しください。
同じような嗜好の方、マット・デイモン、最高ですね。

かなり本音が出てしまった。クレイジーです。
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2006年04月21日

「GERRY ジェリー」におけるマット・デイモンの魅力

ジェリーv.jpgジェリーq.jpgジェリーk.jpg

昨日は「GERRY ジェリー」に参ってしまってマットに殆ど触れませんでした。しかし曲がいいなあ。
大体殆ど引きで撮っているので、あまり二人の顔が見えないのだ。全身像それもかなり遠い。やはり肉太な感じがマットでほっそりした方がケイシー・アフレック。マットはこの時髪が短くてまたまた少年のように見える。ケイシーはかなり年下なんだろうけどそれほど年の差は感じない。
とにかくマットを見たくて観るのだったらやや不満になるのかな。とは言え終始映ってはいますが。
最初の焚き火の場面はとてもいい。笑顔が凄く綺麗に見えるし。
途中からシャツを頭に被って目だけ出しているのも青い目が凄く美しくて印象的なのです。

昨日この映画はガス・ヴァン・サントのだからゲイの話だと、と言ったのですが、この二人の若者がゲイなのかどうかはよく判らない。
ケイシー演じる若者が死ぬ前にマットの若者に手を伸ばしマットがまるで抱きしめるかのように彼に覆いかぶさるのだが、実は首を絞めていたのだし。でもなんだか愛し合うシーンのようにも見えるしね。ナンだか匂わせるように撮ったんじゃないかと思ったりはするんですが。

共同脚本でもあるわけですが、この淡々とした映像の中での存在感。子供っぽく見えるとは書きましたが、演技力は並大抵のものではありませんね。

そして私はこの映画を観てレスリー・チャンの「我」のMVを思い出してしまうのでした。なんかそういうのばっかですが。
posted by フェイユイ at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ:四川でプロモ、待望の新アルバムは8月発売

ジェイ:四川でプロモ、待望の新アルバムは8月発売
ですぞ!!

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8月!待ち遠しいです!!
スキャンダルが減ってよかったね(笑)私もあんまり聞きたくないし。
映画も楽しみだなあ。
posted by フェイユイ at 23:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月20日

「GERRY ジェリー」ガス・ヴァン・サント

ジェリー.jpg

この映画を観て正直どのくらいの人が何かを感じるんだろう。何かを感じた人が凄くて感じなかった人が間違っているわけではない。

ただ私はこれをのめりこむように観てしまった、と言うだけだ。二人の若者が乗ってきた車から下りてひたすら歩き続けるだけの映像。私がそこから何か掴み取ったとは言い切れない。もしかしたら作者の訴えたい事とは違うものを感じているのかもしれない。

一つ言えるのは私は他の人と比べて極端に閉じ込められた生活をしていると言う事。殆ど外を歩く事のない人間にとって果てしなく歩き続けるという設定はそれだけでも意味のあることなのだ。

物語の始まり。
何もない曲がりくねった道を一台の車が走っていく。静かな音楽。酷く物悲しい気持ちになる。どこに行くんだろう。私はここですでに動悸を抑えきれない。どこかに行くというのにうれしいと言うより苦しい気持ちになる。でもどこかへ行けるのだ。広い空と大地を見ながら。青い空には白い雲が流れている。車には人影が二つ映る。一人きりではないようだ。
カメラが前に来て若い男が二人座っているのが見える。表情はない。車は泥を跳ねたらしく窓ガラスが汚れている。夕日(朝日だろうか?)が二人の姿をぼやけさせる。

ガス・ヴァン・サントの作品「グッド・ウィル・ハンティング」でも主人公がウィルが乗り物に乗っていく場面が印象的であった。「マイ・プライベートアイダホ」でも旅行く場面、主人公が道の上で気を失う場面が記憶に残る。私にとって彼の作品は移動しているイメージがある。

二人は突然車をとめて下りる。何故なのかは判らない。二人は「荒野の小道」という看板を通り抜ける。
二人が歩きだした場所はだだっ広い潅木だけが続く土地だ。あまり快適層には見えない。しばらく行くと親子連れに出会う。二人は挨拶して「軽装だな」と馬鹿にする。しかしそう言う二人もそれぞれ1本の飲み物らしきものを持つだけで普通の服を着ているだけだ。

一体二人が何をしに来たのか、何故そこで車を降りたのか、全く説明はされない。二人はどうやら道に迷ったようでハイウェイを探し始めたようなのだが、どうしてそういうことになったのかもわからない。
二人は食料も飲み物も持っていない。何日か歩き続けるのだが、何度か飲み水の事を言いはしてもそれほどその事で困っているようではない。それも不思議だ。
ひたすらに歩き続け何かを捜し求めているのだが、どうしても探しきれない。だが二人は少しだけ言い合っても苛立って罵ったり殴りあったりするわけではない。少しだけ戸惑っているだけだ。
そうしてどこまでも歩き続けるのだ。風景は岩だらけのはげ山が繰り返し続くばかりで変化がない。突然怖くなる。ここは死の国なのではないか。

二人は殆ど同じくらいの背丈である時は並んである時は前と後ろに離れて歩いていく。二人はどちらも「ジェリー」と互いを呼んでいる。そして「ジェリー」と言う言葉は失敗、しくじる、と言う意味で使うらしい。

三日間飲まず食わずで歩き続け倒れこむ。
一人(ケイシー・アフレック)が「もうだめだ」と言い、もう一人(マット・デイモン)に手を差し伸べる。マットはケイシーの首を絞める。
ケイシーは動かなくなった。
マットは立ち上がり再び歩き出す。するとすぐそこにもうハイウェイが見えているではないか。マットはある車に乗せてもらいそこから走り出す。

多分答えはないんだろう。
人それぞれに答えを出せばいいのだと思う。例えばこれは人生の苦しみを表現しているのだと言うように。
私はごく単純に「これはガス・ヴァン・サントが作ったのだから、ゲイの気持ちを表しているのだろう」とだけ思った。
若者二人はとても仲良く見えるし互いを思いやっているようだ。だが(単純で申し訳ないが)仲がよくても二人が歩く道は標がなく潅木だけが続く物寂しい道のりだ。
とは言え、私自身がこの映画に深く共鳴できたのだからそれだけではないのだ。
雲が走っていく空、二人が歩く音、焚き火の場面、何も見逃したくなく観続けた。泣きたくなった。

昨日観た「バガー・ヴァンス」と正反対の映画ですね。

監督:ガス・ヴァン・サント  脚本・編集:ガス・ヴァン・サント、マット・デイモン、ケイシー・アフレック 出演:マット・デイモン、 ケイシー・アフレック 2002年・米

ジェリーa.jpg
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

「バガー・ヴァンスの伝説」 とは言え観てよかったのだ!

バガー・ヴァンスc.jpg

ロバート・レッドフォード監督は現代の神話を描きたかったようなのだが、この描き方では夢ではあるかもしれないが神話とはいいにくい。神話と言うのはいいことばかりではないと思えるし。

物語は主人公がまず老人がゴルフをしている所から始まる。そして彼がその少年時代を思い出すことで過去へフィードバックする。そこで彼が出会ったのは、今は落ちぶれてしまった若き天才ゴルファー(マット・デイモン)と突然現れてその青年の人生の導となる男(ウィル・スミス)である。
自分自身のスィングをなくしたと思い悩む青年・ジュナがバガーによって再び自分を取り戻す様を描いていくのだが、少年の目線がいつの間にかジュナの方に移って元・恋人(シャーリーズ・セロン)とのラブストーリーになったりするので観客はどこに集中してよいか判らなくなってくる。
少年の目を通して、と言う設定なら少年に物語を全て語らせないなら分裂してしまう。
そのため観るものはこの映画をかなり分裂した印象で受け取る事になってしまった。
言いたいことは真摯に人生と向き合うただしいことなんだけど作り方に問題があるとなかなか伝わりにくいと思います。

私はこの映画をマット・デイモン目的で観ていて昨日も言ったとおりかなり満足する映像であったのですが、その他の人が見る分にはマットはやはり子供っぽいのではないだろうか、と思われる。なにせ早熟の天才ゴルファーが戦争による精神的打撃を受け、英雄である事を捨て酒びたりの生活を送る、というのだからもう腐れきったような風貌になっていていいのだが、マットだと無精ひげをはやしていてもそこそこに綺麗に見えるし。影を出してもらいたいのだが、難しかったのか、光をさえぎって物理的な影を作って深みを持たせているわけなのですね。これが韓国人俳優チェ・ミンシクであったら光が当たっていてもぐだぐだに見えるんですが、マットではそこまでいけなかったようです。
とは言え、個人的には無精ひげでやつれた風情のマットが愛おしいし、復活して綺麗に身支度してきた様子なんて可愛いったらない。
第一、最初からシャーリーズ・セロンに押し倒されているではないの。やっと美女の登場なのに負けてるよな。
そして自分を掴めなくてもがき苦しむ表情がなんともたまりません。なんだかマット・デイモンってサディスティックな気持ちを起こさせます。

ということで映画的には夢物語を好む人でなければ受付けない気がしますが、マット・デイモン目的で観るなら凄く楽しめると思います。

極私的感想:相変わらずマットにジェイを重ねつつ、観てしまう。アチンを見ながらアフォンを思い出すロンズの如く。
いかんと思いながらやめられない。
こういう役柄というのも非常にジェイらしい感じがするのですよね。ただジェイってあんまりマゾっぽくないのだよね。その辺も見習ってもらいたいです。こんなこと書いたらやばかったかな。

なお、この作品がジャック・レモンの遺作となったということです。
posted by フェイユイ at 21:58| Comment(2) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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