2006年04月25日

「プライベート・ライアン」スティーブン・スピルバーグ

プライベート・ライアン.jpg

非常に巧みに作られている映画でした。スピルバーグの作る映画はいつも(私が見た分では)どうなるのか判るという特徴を持つのですが、これもまた実にスピルバーグらしい作品となっていました。

第二次世界大戦。導入部でアメリカ軍はノルマンディーへ上陸しいきなりドイツ軍に迎撃される。凄まじいという言葉だけでは言い尽くせない残虐な殺戮シーンがかなり長時間に渡って映し出される。
この場面は非常に重要だ。なぜならこの後に主人公ミラー大尉たちはドイツ兵を滅多殺しにしなければいけないからだ。
その大義名分として、ドイツ軍の攻撃によりアメリカの若き兵士達の内臓が飛び出し、手足が吹き飛び、虫けらのように次々と殺される場面が必要だった。
観る者は顔の見えないドイツ軍の冷酷さに憎悪を抱くだろう。その憎悪はユダヤ系であるスピルバーグの怒り、そしてユダヤ人の為の憎悪である。

リーダーとして登場するのはユダヤ人ではないトム・ハンクスだ。ここでスピルバーグはドイツ軍を攻めに行ったのはユダヤ系ではない、という予防線を張っているし、助けられる兵士もライアンと言う名のアイリッシュであるとしている。
が、ライアン二等兵救出のために選ばれた兵士の一人に素晴らしい銃の腕利きがいて彼は憎むべきドイツ兵を一人ひとり撃ち殺していく。そして優秀で人柄の温かいミラー大尉の指揮によりドイツ兵らは面白いように殺されていく。しかし当然なのだ。導入部であんなにアメリカ兵たちを虐殺したのだからね。その復讐劇は身がすくむ。

結局この映画によってスピルバーグはユダヤ代表となってドイツ人に復習をしたのだろう。その手腕は誠に優れており、人々に戦争の恐ろしさを伝えることになったのだ。暖かい風貌のトム・ハンクスを使う事によりその効果は高まった。

戦争がシリアスに真正面から描かれる時、人々はどうしても貶してはいけない気持ちになる。
だが、映画は所詮映画であって虐殺シーンが描かれる時にそれがある者には興味深いあるいは刺激的な見ものとなってしまう。どんなにリアルに表現と言っても映画は作り物なのだと言うことを忘れてしまいそうになる。
スピルバーグの優れた技術は観客を巧妙に引き込み、納得させてしまう恐ろしさがある。それはミラー大尉の手の震えという演出にも表現されていて如何なる時も悠々と構える大尉が心では震えているのだということなのだ。実に上手いではないか。様々な場面、セリフ、登場人物が明確で惹きつける。その上手さに拒絶反応してしまう。

かつて「スローターハウス5」という小説そして映画がありました。
「スローターハウス5」は実際にアメリカ兵としてドレスデンへ行ったドイツ系アメリカ人・カート・ヴォネガットによって書かれた物語であり、SFという形式を借りながらその悲しみを表していた。ドイツ系としてもドイツを攻めなければいけない人もいたのだ。美しい町が一瞬にして廃墟と化してしまった光景を彼は見た。もし先祖がアメリカに渡らなかったら?多分ドイツ兵としてユダヤ人を虐殺して感動を覚えた事でしょう、と彼は書いています。まあ、そういうことです。
が、彼はアメリカ人として存在し、米英連合軍の高性能爆弾投下によって13万5千人のヘンゼルとグレーテルが人形クッキーみたいに焼かれて死んでいるのを見たのでした。
彼は言います「死んでしまえばほんとにおしまい」そういうことです。

私の目的はまあ、あくまでもマット・デイモンを観たかったわけで、じゃあなぜ彼がこの映画に出たのか、私には判りませんが、まだ仕事のなかった若い時、スピルバーグから声をかけられ断る人はいないでしょうね、としか言えません。

で、この中のマット・デイモンは優秀なスピルバーグがタイトルロールに選んだだけあって救出すべき若々しい兵士を実に魅力的に演じていました。
反論していた兵士もこの若者なら救出する甲斐はあったと納得しているシーンもありました。
少し緊張しているような感じもしましたが、なにせカメラがトム・ハンクスの表情を取るためにマット・デイモンの後頭部越しに映すのですから、大変です。声しか入ってない部分もありましたし。

最後には星条旗を映し出し、とどめにまで大義名分を課すスピルバーグの徹底振りがうかがえました。

監督:スティーブン・スピルバーグ 出演:トム・ハンクス、マット・デイモン 1998年アメリカ




posted by フェイユイ at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

続・「マット・デイモン物語〜ゴールデン・ボーイの素顔」を読んで。比較なし。

で昨日の続きで本の内容について。

「マット・デイモン物語〜ゴールデン・ボーイの素顔」で印象的だったのは共同脚本を書いてるマットとベン・アフレックが(若い頃)しょっちゅう57時間かけて大陸を横断するという話。ケルアックの「路上」のようです。彼らはアメリカ大陸横断中に物語やセリフを考えるのだそうですが、運転するのはいつもベンで書きとめるのはマット。って57時間運転し続けるのは物凄いことだと思うんですが。しかもそれをタイプするのはベンの仕事ということで。マットはタイプが苦手らしい(笑)それは殆どベンをこき使ってるわけじゃないですか。文句を言わないベンは偉いですね。

「リプリー」が作品になるかならないかまでのマット・デイモンの伝記(?)なので若々しく希望と賛辞に満ちている。
この後、年齢を重ねるにつれ、若者の顔であったマットの評価が微妙なものになってくるようだ。
「ボーン・スプレマシー」は結構評価よかったみたいだけど。
私にいたっては「ブラザーズ・グリム」で好きになったようなファンであるからして、マットが年を取っていくことに何の問題もない。
童顔が災いしているマット・デイモンですが、私的には今からが楽しみだったりするのだ。
posted by フェイユイ at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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