2006年06月29日

「カランジル」バベンコ監督のコメンタリーを観て

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ヘクトール・バベンコと言えば「蜘蛛女のキス」を思い出す。1986年の作品でどういう形で観たかも覚えていない。ウィリアム・ハート演じる女装ゲイのモリーナと反体制運動家の男との刑務所内での恋物語であった。
さすがに遠い昔に観たきりなので断片的にしか思い出せないのが残念だが、この「カランジル」同様、叙情的な雰囲気の漂うものであった。

「カランジル」はドキュメンタリーに仕上げようとしていた、というだけあって囚人たちの話を積み上げていく形式になっているが、膨大と言っていい人数を映し、多くの囚人達の個々の物語をまとめ上げていく力量に驚く。
一人の医師が見て聞いていくという手法がそれを可能にしている。

ヴァレラ医師は非常に寡黙で公平な印象を持つところが観客に信用を持たせる。
囚人達は多種多様。身体を異様なほど鍛え上げている男もいれば、麻薬に溺れているもの。囚人達のまとめ役もいれば、妹のセックスをだしに麻薬を手に入れようとする情けない奴もいる。敬虔なキリスト教の信者達の集まりもある。映画の中で最も凶暴な男が改心して宗教を求める挿話がある。
物語で最も悲しいのは義兄弟のジーコとデウスデッチの話だろうか。彼らは幼い頃からデウスデッチの実姉とともに義兄弟として親しんだ仲であり弟デウスデッチは命の恩人でもあるジーコを頼りにしてきた。だが麻薬に溺れるジーコが可愛がってきた弟にしでかした過ちは取り返しがつかないものであった。
監督は是非未公開シーンの彼らを見て欲しいという。
動かなくなった彼らの抱擁は物悲しいものだ。
彼らはまたその後、登場する。デウスデッチは泣き続けている。
これらは麻薬に対する監督の嫌悪である、と捉えるのは道徳的すぎるだろうか。

医師が気球を飛ばす主人シコに尋ねる「なぜここへ?」シコが答える「私の嘘も聞きますか。ここには罪人などいないのです」また彼はいう「刑務所というのはいつか出られるからいいのですよ」

刑務所内でのサッカーシーンと言うのはサッカーが盛んな国ではお決まりのものだ。ましてやブラジルにおいてや。
ここで聞きなれた(特に今)ブラジルの国家が流れる。囚人達の心が一つになっているのがわかるようだ。このような統一感というのはもしかしたら日本ではなかなか観られないものだと思う。またそれを嫌う。

レディとセン・シャンシの結婚式が微笑ましく見えるのは監督自身が酷く気に入って撮ったからだろう。作り手が好きでなければこのように美しい場面が出来る事はない。
まるで童話のように愛らしい一場面である。

映画の最終章は残酷なものだ。長い時間その生活を見てすっかり顔なじみになった彼らが突然起きた些細な揉め事から暴動になりそれが軍警を動かす。
軍警が行った虐殺行為は全く非人道的なものだが全て誇張なしの事実なのだと言う。ここでもバベンコ監督の撮影は過剰に憤ったものではなく出来うる限り客観的に事実を再現しているように思える。
そして生き残った囚人達は丸裸にされ中庭に頭を下げて整列し座らされる。人間性を剥ぎ取った怖ろしい光景だ。
殺戮の幕引きとしてまた非常に幻想的な効果が用いられている。また非常に宗教的な雰囲気がある。
posted by フェイユイ at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ・チョウ、カンフーバスケの主演!

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NOBさんから凄くうれしい情報いただきました!!謝謝!!!

ジェイがあの「スラムダンク」にカンフー的要素を加えた「ダンクシュート」(というようなタイトル)の映画の主演をすることになったようです!!

NOBさん曰く「カンフーバスケ」(笑)
あの「カンフーサッカー」を越えるか?!
いやー、期待は高まりますね!

こことかココ
タグ:周杰倫
posted by フェイユイ at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

「カランジル」ヘクトール・バベンコ

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2004年10月に観た「カランジル」を再度鑑賞した。以前観た時も凄く感じることのあった映画なのだが、その時はまだそれを文章にすることが出来ずにいた。再び挑戦してみることにしよう。

1992年、ブラジル・サンパウロの「カランジル」刑務所は4000人という収容能力の中に7500人という密集状態であった。
些細なきっかけで起こった暴動の為、機動隊がが突入して武力により鎮圧。囚人達の死者の数は111人に上った。

物語はエイズ防止の為に派遣された医師ドラウツィオ・ヴァレラによって語られる。
この犯罪者を詰め込んだ巨大なカランジルという建造物はまるで迷路のようだ。理知的な印象のあるヴァレラ医師はそこでの囚人達の生活を温厚な眼差しで観ているようだ。
だが、最初に彼らと話し合ったヴァレラは彼らが自ら起こした犯罪について全く罪の意識を持たないことに苛立ちを覚えてもいる。そして彼らのそういった性癖については関わらないと決めてヴァレラ医師は次第に彼らの生活に入り込んでいく。
彼らの生活は不思議なほど自由にも見える。塀の中だけとはいえ、自由に歩き遊び楽しんでいるかのようだ。麻薬が売買され、男だけの世界であっても女装した男達がそういった性の不満を解消してくれるのが当たり前になっている。従ってエイズの蔓延が酷く(コンドーム推奨の為のコンサートが行われる。女性歌手がやって来て丁寧にコンドームの使い方を教えてくれるのだ)ヴァレラ医師の仕事の一つはエイズ診断である。
刑務所内には信心深いものも多い。夜の闇の中、所内でマリア像に灯をともしているのが美しい。ヴァレラ医師が夜の各房のざわめきを覗き込むと一部屋にたくさんのテレビを置き各自で楽しんでいる者たち。部屋で煮炊きしている者、など様々に暮らしているのだ。
生活がマンネリであり出世などを望まなければここで暮らしていくのも可能ではないかと錯覚してしまう。だが、彼らの本質はやはり犯罪者である、ということなのだ。ここには彼らなりの秩序があるがそれを乱すものは力によって封じ込められてしまう。
これは未公開場面の中にあったものだが、ここでは「強姦野郎」というのは最も忌むべき存在であるらしい。これはちょっと驚きだった。女性に対して暴力を振るうことはリンチに価するらしい。(日本で強姦野郎だからと言ってリンチを受けるだろうか?ブラジル男というのはそういうものなんだろうか?)少女を強姦した犯人は同じ房の男達によって身体に電気を流された上「少女の苦しみを受けろ」と言われ強姦(勿論カマを掘られたわけね)された。ラストの惨殺シーンでも女装の男が「女には暴力を振るえなかったから助かったのよ」というセリフがある。もしそういうものならブラジルの男は本当に男らしいんではないか?(信じすぎ?)

そして映画中で微笑ましいのがその女装男(わお!!あの美青年・ロドリゴ・サントロではないか。「ビハインド・ザ・サン」の後に続けて観てしまうとまるであの後この刑務所に入ってこういう状況になってしまったかのように思えるではないか、涙)レディとセン・シャンシの恋物語、そして結婚式だ。
エイズの危機も警官達の突入の時も彼らは互いを信じあって手を取り合っている。出獄しても結婚生活を続けるのだという。幸多かれと祈る。
ロドリゴ・サントロが目的で観てしまう人もいるだろう。女装をしていると背が高く逞しいのが強調されるものだ。しかし尚且つ綺麗な人である。おんなっぷりも申し分ない。

お定まりのフットボールの試合があり、家族や友人、恋人が集まってゆっくり会談(あるいはセックスも)するのを許される日も用意されている。
しかし刑務所での平和を満喫できるのも約束されたことではないのだろうか。
下着一つの些細な揉め事から囚人達の喧嘩が始まり、暴動となる。こうなったら、悪党達は収まらないのだ、と言う。戦争が始まった、と手作りのナイフを持ち暴れだす。警察が動き、刑務所所長の説得も空しく所内に警察が突入し丸腰の囚人達を次々と銃殺していくのだ。殺戮、と言っていい。
囚人達の弁とはいえ、警察の中には冗談のように殺して行く者もいたらしい。だがそれは神のみぞ知る、だ。

騒ぎが収まり後には血の海とそこに横たわる囚人達の死体。生き残ったものは全裸になって庭に整列させられた。これが上の写真になる。裸の中に残されたサッカーのゴールポストが何かを象徴しているのだろうか。

監督ヘクトール・バベンコは憎むべき犯罪者たちが群れる刑務所の生活とは言え、非常に愛情を持ってある意味では理想郷と錯覚してしまいそうな、少なくとも一種の集団生活者達のような目線で彼らの生活を描いているように思えてしまう。
だがやはりそれは幻でしかないのだろう。
様々な理由で犯した事とはいえそれは犯罪であり、彼らが暮らしているのは危うい均衡の上に置かれた仮の住まいでしかない。

囚人の一人が熱気球を飛ばす事を趣味にしている。狭い刑務所の中庭から飛び上がろうとする紙製の美しい熱気球。
だが上空に上がる前にそれは燃え尽き落ちてしまう。彼らの運命を思わせる儚い夢のようである。

監督・製作・脚本:ヘクトール・バベンコ 出演:ルイス・カルロス・ヴァスコンセロス/ミウトン・ゴンサウヴェス/アイルトン・グラーサ/ロドリゴ・サントロ 2003年ブラジル
posted by フェイユイ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

マット・デイモン、ファンにサインするの図

けいこさんから教えていただいたマットがサインするの図。
せっかくなのでここにアップさせていただきます。けいこさん、よろしいでしょうか?差しさわりがありましたら言ってくださいませ。ではどうぞー。

マット・デイモン、サインするの図

マット・デイモン、サインするの図その2

他にも色々見れるようです。探してみよう。
posted by フェイユイ at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

シン・シティ占い

こんなのがあった

シン・シティ占い

私はゴールディだった。おお、マーヴの恋人だ。うれしい。

まず映画観なきゃね(笑)
posted by フェイユイ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「シン・シティ」ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラー

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犯罪以外は何もない“罪の街=シン・シティ”。最初から最後までこれでもかのかっこいい映画である。

アメコミを忠実に映画化した作品とあってワンカットそれぞれの構図がキマッている。
モノクロームに血、目、唇など印象的な箇所だけが鮮やかな色をつけられてこれも絵画的である。また主人公の心の声が絶えず語られるのも劇画ならではの手法だ。
そして何人かの思い切りデフォルメした容貌。女達のアメコミならではの美貌もたまらなく魅力的だ。

登場する3人のヒーローはどれも強くて女に優しいというタイプなのだが、それを演じているのが、ブルース・ウィリス=ハーティガン、ミッキー・ローク=マーヴ、クライブ・オーウェン=ドワイトという個性なのでそれだけでも見ごたえたっぷりなのである。昔から顔見知りのB・ウィリスとM・ロークは勿論だが、クライブ・オーウェンはこの前の「クローサー」ですっかりお気に入りになっていただけに再会できてうれしい。ここではクールな男っぷりがまたセクシーである。
とは言え、私は怪物タイプが好きなのであえて選ぶならやはりマーヴかなあ。美しいゴールディ(まあ他の二人にもそれぞれの美しい恋人がいるが)をひたすら思い続ける男。醜い顔と体(私的には醜くないけど(笑))にコンプレックスを抱いている。激しく痛めつけられ、さらに怪物的な力で他人を痛めつける男。傷に張ったバッテン絆創膏もキュートであった。
他の二人とは違い結局愛する人はすでにいない彼の切なさがまた魅力をいや増すのである。誰からも愛された事のない怪物。哀しい男であった。
演じているのはかつて色男の代名詞(!昔そうだったのよ、ええ)だったミッキー・ローク。特殊メイクで顔かたちはまったく判らないが時々見せる笑顔がミッキーである事を教える。

他にも変質者のひとり(より秘密めいて気持ち悪い奴)にイライジャ・ウッドだとかシン・シティの権力者ロアーク卿(これって英語でもそのまま?露悪っていうシャレじゃないよね、いかにも悪そう)に懐かしのルトガー・ハウワー(きゃいきゃい)など。そして美女達。デヴォン・青木=ミホ(最強の刺客)ジェシカ・アルバ=ナンシー(命を救ってくれたハーティガンを愛している)ロザリオ・ドーソン=ゲイル、ジェイミー・キング=ゴールディ / ウェンディなど目を離せないようなセクシーボディばかり。

エロ・グロなどと言われてしまう作品なのだろうがそこはモノクロームの魔法でそういう雰囲気を保ちつつも美しく仕上げられている、と感じさせてくれた。

そしてスペシャルゲスト監督のクウェンティン・タランティーノ。まだこのブログでは取り上げてないのが不思議だが、かなりはまり込んだ監督である。この映画ではドワイトがジャッキーボーイの死体を運んでいく一場面をとっているということだ。
冷静なドワイトが隣のシートに死体を乗せ、警察に見つかってはいけないという緊張感でしたいが話し出すように感じるというとても面白い場面となっている。
そしてこのジャッキー・ボーイを演じたベニチオ・デル・トロがまた独特の癖があって面白いキャラクターの一つだった。

また日本人ならどうしても気になる最強の刺客・ミホ。以前、モデルとしての姿をテレビで見たことはあったが、驚き。やはり美は強さなのか?(別に意味なし)

監督:ロバート・ロドリゲス、フランク・ミラー(ゲスト監督・タランティーノ)

出演:ブルース・ウィリス、ミッキー・ローク、クライヴ・オーウェン、ジェシカ・アルバ、ベニチオ・デル・トロ
2005年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:22| Comment(2) | TrackBack(2) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おもしろい映画の条件(BlogPet)

いつも、フェイユイは
泣ける映画に感じる人もいれば美形が出てなければ見る決戦がないというのもあるし、美形アレルギーの方もおられることだろう。
とか思ってるよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「じえるん」が書きました。
posted by フェイユイ at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第32集

グールダンの使者グーロンは康煕にグールダンが東モンゴルの大ハーンになることを認めて欲しいと要求した。

皇子にしか過ぎないことで恥をかかされたインスーは酒で憂さをごまかそうとしていた。
インスーのもとにいるバオリーロンメイは父王の仇であるグールダンの使者が側にいることを知ってインスーにどうしても皇帝に会わせて欲しいと頼み込む。もしダメなら自害すると脅すのだった。

康煕はバオリーが父王から頼まれた手紙を読み、父上は姫を私の側室にと願っていた事を伝える。バオリーは仇うちのために是非そうして欲しいと頼む。それを聞いたインスーは失望して席をはずす。
康煕は人から利用されたくない、と言ってバオリーの願いを受け入れないのだった。

側にいたスマラグがバオリーに近づき「妹が欲しいのですが」と康煕に申し出る。康煕は笑ってスマラグに着いていけばよい、というのであった。
いつもいいところで出て来るスマラグ。実在の人物なのか知らないが、彼女の存在はいいなあ。もっとでてきて欲しいです。控えめにして忠実、賢いがでしゃばらない。満人というより日本女性の鑑のようです。自画自賛すぎ?(笑)

インスーが部屋に戻ると伯父と母親・慧妃が相談をしていた。インスーが匿っていた姫が皇帝の側室になるかもしれないことを告げると慧妃は「あなたが皇太子でないからよ。まだ判らないの」と攻め立てた。
インスーは母親・慧妃にこれからはあなたの言いつけに従います、と跪いた。
息子に厳しい母親である。

藍斎姫は李光地が福建に旅立つのを見送った。
グーロンの共は藍斎姫を見て「グールダンはお前が気に入った」と叫ぶ。共だと思っていたその男が実はグールダンであったのだ。
それに気づいた康煕はグールダンの企みに感心し怖れた。かつてテムジンも同じ道を通って北京に入ったという事を。

皇太子インロンは索大臣の屋敷で美しい娘・紅玉に出会う。花の世話をする紅玉をいたく気に入った皇太子はその花を毎日届けて欲しいと索大臣に頼む。
索大臣は下働きの紅玉を自分の孫娘と同じ待遇にして皇太子に台湾征伐を早めるよう皇帝に話した方がいい、と耳打ちした。

皇太子は皇帝に台湾征伐を申し出、索大臣と他の大臣達もこれに同意した。康煕もこれで台湾征伐を決心したのであった。

索大臣はオランダ軍が台湾征伐に一役買い、清との貿易開放を望んでいると伝える。康煕は索大臣に全てをまかせた。
索大臣が福建に到着すると姚啓聖と李光地が出迎え「戦争には反対」だと言う。姚啓聖はまだ時期でないと言い、李光地は勝利しても台湾の民を食わせていく食料がない。養えないなら勝つべきではないと言う(随分優しいひとです)清の水軍はまだ経験不足だと言う声もめげず索大臣は戦争をごり押しするのであった。
posted by フェイユイ at 22:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「エンタな台湾最新事情〜熱!流行の仕掛け人たち〜」チェックできたかな?

昨夜、「妖しの小部屋」でじえるなさんからジェイ情報をもらっていたのに忙しさとワールドカップ疲れでとうとう紹介が出来ず、事後報告になってしまいました。

で、皆様、TV東京系で放送された「エンタな台湾最新事情〜熱!流行の仕掛け人たち〜」ご覧になられたでしょうか?(^_^;)
私は仕事中でしかも今日はちょっと忙しかったのですが、何とか16:30頃テレビをつけることができました。(ビデオにとればいいんですが、何せ我が家のビデオデッキは壊れていて金欠のため購入不可能なのです・涙)
つけて間もなくジェイの店「JFK」の事が短時間紹介されました。でそのまま台湾で活躍する日本人タレントさんの紹介に。あれ、と思ってたら仕事に戻って中断。戻ってきたらなんと!ジェイの姿が!この後「ナンチュアンマーマ」の紹介が始まる。彼らの仕事が終わってジェイ・アールさん(プロデューサーさん)と共に中華料理店に出かけるのだが、途中でなーんとジェイが合流!観てよかった!!!お得意の手品を披露したりジェイ・アール氏についてコメントしたり(褒め言葉が足りないとジェイ・アールさんから不満の声)してよく生意気だとか書かれたりしてるという情報を聞きますが、いつもながら何となくシャイな表情で可愛らしいんですよねー。髭も随分サマになってきたような。
このほかにもジェイがどんなに売れっ子であるか、という説明と共にコンサートの様子やナンかも映されていてテレビでジェイの姿を見ることなんて殆どない日本の迷にとっては短くてもうれしいテレビ放送でした!

じえるなさんから教えてもらった紹介ページ張っておきます。
ここ

こんなにいい番組をじえるなさんから教えていただいていたのに紹介できなくて申し訳ない!
そしていつもいつも情報不足のフェイユイ(じえじえ)を気にかけてくださって涙モノの情報を教えてくれるじえるなさん、ありがとうございます。
皆様も是非、小部屋の方もチェックしていてくださいませm(__)m
posted by フェイユイ at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第31集

容妃は故郷の福建省に里帰りをし、たくさんの孤児を連れた男・李光地に出会う。
彼は容妃に孤児達の手形を押した手紙を渡した。

容妃は康煕にその手紙を渡す。康煕は台湾征伐の為に近海封鎖をした折に住民には土地と金を用意したのだから孤児が出るはずがない、と言う。
が官吏がそれらを横領したのだと聞き、姚啓聖がもう一人いたらと嘆くと容妃は康煕に李光地が適任だと助言した。

康煕は容妃に金がいくらあっても足りないとグチをこぼす。容妃は慧妃にみやげの布を渡して「皇帝のために節約をしましょう」と言う。「そのためには後宮に主管が必要だわ」と言う慧妃。容妃は是非、慧妃になって欲しいと言う。慧妃はでは皇帝が散歩をする時に話しましょうと言い出した。

ライバルのはずの慧妃と容妃がすっかり仲良く節約の計画を練っているのでびっくり。慧妃ってそんなに悪い人ではないのかも。

二人は康煕の散歩中に計画を話して容妃は慧妃を後宮の主管に推薦した。

慧妃は兄の明珠にこの計画を自慢する。明珠も後宮の主管になれば正妃になったも同然と喜んだ。

康煕は容妃だけを呼んで誰の考えかと訊ねる。容妃は自分が考えたと言い、後宮の事は慧妃が納得しないと上手く行かないのでと説明する。康煕も納得するのであった。

施琅は将軍となって水軍を任されたが言う事を聞かないといって姚啓聖に助けを求めた。姚啓聖の命令で水軍はやっと言う事を聞くようになる。

施琅は兵士らに靴を脱ぐように命じ、足を鍛えて甲板に立てなければ水軍にはなれない、と言い渡した。

康煕は李光地を捕らえて鴻学博儒を受けさせようとする。が、李光地は朝廷を批判し出て行こうとする。
それを引き止めたのが容妃の娘・藍斎姫であった。姫でありながら帰路に着く李光地を待ち伏せて籠を止めた。そしてあなたは私にに恩があるのだから朝廷の役人となって福建にいくべきよ。もしそのまま帰ろうとするなら福建に着くまでずっと罵り続けるわよ、と言って汚い言葉でそばに生えている木に向かって「汚いの臭いの」と罵り始めた。驚いた李光地に藍斎姫は「漢人の女と違って満人の女は汚い言葉を平気で言うのよ」
そこへ容妃がたどり着くが李光地は「目が覚めました。国のために働きます」と言うのだった。

藍斎姫は李光地が気に入ってそうしたらしくそれに気づいた康煕はもし李光地が手柄を立てたら結婚を許そうと言う。

そこへグールダンの使者グーロンが2千の兵を従えて北京へ入って来たと言う知らせが入った。
皇太子の戴冠式には数が多すぎる。

使者達は刀剣の店で藍斎姫と出会い、使者の一人が姫を見てはっとなる。

ロシア・日本・朝鮮からも大使が贈り物を持って訪問していた。だが彼らは皇子と皇太子を間違えて贈り物を皇子に渡してしまい慌てて取り戻させた。
人前で贈り物を取り返された皇子と母親の慧妃は怒る。
しかしそれにしてもロシア・朝鮮の大使も変だけど日本の大使、かっこ悪いですー。情けな。あまり上のひとではなさそう。しかし中国語は上手い(笑)

戴冠式の場で贈り物は皇太子に渡された。
グールダンの使者が持って来た贈り物は馬と牛・羊、金銀という豪勢さだった。
康煕は言う「贈り物は嫌いだ。3倍にして返さないといけないからな。今回グールダンは何を欲しがっているのだ」
posted by フェイユイ at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界杯・日本の出番が終わった

とうとう4年に一度のサッカーの祭典での日本の出番が終わってしまいました。
応援するものとしては悔しいこと、喜ばしいこと色々あるのですが、やはりこの祭典に参加できることは本当に素晴らしいことだと思います。

4年後の日本代表がどうなるか。うまくなるのか、またそんなに調子よくはいけないのか、見守っていくばかりです。
サポーターとして褒めるのも苦言を呈するのもがんがんやっていいし、そうやって日本のサッカーがますます盛り上がっていけばな、と願うばかりです。

さすがブラジルは凄いという一言ですね。あんなに美しく楽しいプレイをできる選手たちはほかにはそうそういないと感じました。

お気楽で申し訳ないけど、この先のトーナメント戦はますます見ごたえあるものになるわけで楽しみはつきませんね。
韓国はしっかりアジア勢の力を見せてくれてるし。

中田のインタビューでの「これが今の実力だから」という言葉が実感です。
日本は考えること反省すること立て直すことが山盛りですが、それもまたこれからしっかりやっていってくれればいいと思いますね。
posted by フェイユイ at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

決戦近まる!

どうにも落ち着かずあっち(小部屋)にも書いたがこっちにも書く。

あと6時間と少しでブラジル戦である。
もうどうとでもなれという心境だが、とにかく悔いのないいい試合をして欲しい。
全てが終わるわけではなくこれからまたずっと続いていくのだから。

フランス大会の時のアルゼンチン戦のような集中した試合をやって欲しい。
2点差を取れれば勿論それが一番いいが、とにかく集中して戦うこと。できるだけのことをしてくれればそれでいい。





posted by フェイユイ at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

「アモーレス・ペロス」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 

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3つのオムニバス形式だがそれぞれが車の事故という出来事によって繋がっている。
タイトルの「アモーレス・ペロス」は「犬のような愛」ということらしい。3つの物語の主人公とも犬と共に生活している存在なのである。

第1話。ガエル・ガルシア・ベルナルが己の欲望のままに兄の妻に言い寄り間違った方向へ走ってしまうという話。

映画は二人の若者の車での暴走から始まる。心臓が破けそうな恐怖に満ちたこの暴走が彼らのしでかした罪を物語る。

相棒と共に闘犬をして金を稼ぎ、兄嫁と逃亡しようと計画を立てる若者を演じたガエルが何ともいえない甘い魅力を爆発させている。その美貌は彼が坊主頭になったときに一層強く感じたのだが、本当に美しくて魅力ある役者だと思う。彼自身がとても動物的なセクシュアリティを持っているではないか。
兄嫁とセックスをする時に鏡を見ている彼の一見優しく思える行動は結局自己の欲望を満たすために過ぎない。

第2話。美しい肢体を持つモデルの女性、その彼女と不倫関係にある男の話。
1話目の事故に巻き込まれた彼女はその美しい足に絶望的な傷を負ってしまう。
優しげに彼女を看病する男だが、その心には自分の欲望を満たす為の苛立ちがある。
彼女と住むマンションに床に開いた穴に彼女の愛犬が飛び込み出てこない。助けようとしてくれない男に彼女は怒りをぶつける。
男は行き場を失い、本妻に電話をかける。

本音を言うとこの話は私は物凄く疑問があるのだ。本筋とは脱線するのでどうでもいいといえばそれまでだが気になる。
まず男が彼女との愛の巣として用意したマンションの床があっさり割れてしまうのだ。まあ、解釈的には不倫なんぞしている関係は足元が危ないぞと言うのを映像的に見せてるんだろうというのは判るとして、やはり購入(かなんかは知らんが)したばかりの家の床が細いモデルが踏んだくらいで割れたりするならまず施工した業者にクレームをつけるべきだろう(か、購入した代理店に)「修理代がないんだ」ってのはおかしい。文句をつけて修理させるのが当たり前だ。いや、メキシコでは修理はしてもらえないんだっていうのならさー床に穴開いてんだからベニヤ板でも買ってきてクギで打ち付けてくれよ。なんならやってやろうか?床に穴開いてるだけで気になって観てられないよ。彼女が落っこちたらどうするよ、足、ケガしてんのに。(彼女が穴に落っこちてっていう話かとはらはら)不器用で出来ないなら上に何か置いてくれ。

案の定、犬が落っこちた。彼女が助けてって言ってもなかなか助けない男。またいらいら。床下で犬が死んだら匂いもするし、気持ち悪くて住めないだろ。早く助けろよ。
案の定、どうしようもなくなってから床にぼこぼこ穴あけて救出。馬鹿だ。

さらにぼろぼろになった床が彼女との愛情を物語っているじゃないか。馬鹿な男と不倫すると痛い目にあう、という寓話でした(違うか)

第3話。1・2話でも登場した犬をいつも引き連れた謎の老人。彼は実は愛する家族を捨ててテロリストになり捕まって投獄されたという過去を持つのだ。
例の事故で車の中にいた傷ついた犬を助ける。その結果、その犬は(かつて闘犬をしていたので)老人の可愛がってる犬達を噛み殺してしまったのだ。
怒りでその犬を殺そうとする老人。だが殺せない。彼自身、昔テロリストとして人殺しをした身ではないか。
老人のたった一つの願いはまだ2歳の時に別れた娘と再会すること。実際は彼女の姿を追っていたのだが、どうしても名乗りを上げることができないのだった。娘を思いながらも言い出せずいつか会う勇気が出たならとその犬を連れて旅立つ老人(髭を剃ってスーツに着替えたらそんな年寄りではなかった。突然ビジネスマンのようになった。驚き)の姿が哀しい。

3つの物語によって示される愛のなんと熱くそして哀しいことか。「犬のような愛」とはそのまま動物的本能による愛のことだろうか。
巧妙に筋を組み立てながらも荒々しい剥き出しの人間の姿を見せつけられる。


監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:エミリオ・エチェバリア、ガエル・ガルシア・ベルナル、ゴヤ・トレド、アルバロ・ゲレロ、バネッサ・バウチェ、ホルヘ・サリナス
1999年メキシコ
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2006年06月20日

「オール・アバウト・マイ・マザー」ペドロ・アルモドバル

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最近立て続けに面白い映画のご馳走攻めという感じでご満悦状態の私である。自分の趣味で観ていると男映画がやたら多いのでちょっとまずいなと思っていたらあるんですねえ、こんないい女映画が。

監督はペドロ・アルモドバル。私が観たのは「トーク・トゥ・ハー」と「バッド・エデュケーション」
とんでもない印象を焼き付けられた作品たちであるね。他のも結構問題ありの映画が多いようで。

普通に言えば普通でない人間ばかりが登場してくるのである。(差別のつもりではないのでよろしく)シングルマザーである主人公の女(しかも相手の男は息子には説明しがたい存在なのだ)レズビアンの女優(レズ相手はとんでもない麻薬常習犯)人工の乳房をつけた女装の男である女(ややこしいが彼は彼女のつもりなのだろうから女と言わせてもらう。しかも下はついてる)修道女にも拘らず妊娠してしまった女(しかもその相手はさっき言った女装した男である女の友達の女装男)

主人公マヌエラは最愛の息子エステバンを亡くしてからそういった女たちと出会うあるいは再会。そのどの相手も彼女にとっては忌まわしい存在ではないのか。
女優は息子の死の原因であり、女装男たちはマヌエラを妊娠させた本人とその友達。そして妊娠した修道女はそのマヌエラの子供の父親である女装男の子供を宿しているのだ(つまり一応恋敵(というのかどうか))

そういった因縁ともいうべき女達とマヌエラは奇妙な愛情を持って接していくようになる。
マヌエラの心には常に失った愛する息子の面影がある。その悲しみは観ていて酷く苦しく辛い。
息子に父親と同じエステバンという名をつけ、修道女の子供にも(つまり異母兄弟となる)エステバンという名をつけて自分の子供のようにして育てていくのを見て何とも言えずほっとした。息子エステバンの代わりにはならないのだとしても。

マヌエラを演じるセシリア・ロスが「ブエノスアイレスの夜」と同じく強く生きる女性像を魅力的に演じている。
映画の中でマヌエラが「欲望という名の電車」のステラを突然代役を務めてしまう。少し前にこの映画の記事を書いたがステラは女心がわからない男の行動に戸惑う女性である。強く見えるマヌエラが実はステラと同じように戸惑いながら男のもとを去って行くのが判る。(以前書いた記事ではその結末の方のバージョンを批判していたんだけどね)

修道女を演じるのはペネロペ・クルス。可憐だ。同じ男の子供を宿してしまうというつながりを持つマヌエラと修道女ですが恋人同士のような深い愛情を互いに持つようになるのであった。

色の鮮やかなインテリアと同じく物語りもどぎついほどに複雑に彩られていく。大変感動的な話でありながらまさにアルモドバル監督ならではの様式に酔ってしまうのだ。

監督:ペドロ・アルモドバル 出演:セシリア・ロス、マリサ・パレデス、ぺネロぺ・クルス 2000年スペイン

本作は「女であるために女を演じるすべての女性たちへ」と謳われている。

もう一つ驚きだったのは女装男アグラードを演じたのがアントニア・サン・フアンという女性だったこと。ずっと女装男だと信じていたよ。素晴らしい!
posted by フェイユイ at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ビハインド・ザ・サン」の幻想風景

サン.jpg

ウォルター・サレス監督の「ビハインド・ザ・サン」を何度となく思い返す。
物語に衝撃を覚えると共に幻想的な映像が忘れられない。

映画の中でサーカス・大道芸と言うのは特に不思議な記憶を残すものだ。多くの作家が題材に使っているにも関わらずそれでもなお一種の驚き、憧れを抱くものである。

青空の中を舞う少女というイメージのなんと美しい事だろう。土地と家の掟に束縛された青年は少女の身体を回しながら夢を見たに違いない。
身を焦がす火を自由に操る少女に勇気を与えられながらも恋をしたことだろう。

サーカス、という甘美な響き。秘密めいた非日常の世界である。例えば、フェリーニの、レイ・ブラッドベリの世界に惹かれたことがあるだろう。「ロザリンとライオン」の少女にも。

二つに分かれた道がある。いつも左に行くのを青年は最後に右側の道を進んでいった。
たどり着いたのは海。波が高い荒涼とした海の風景だ。それはこれから青年が進まねばならない未来の光景なのだろうが、青年に後悔はないはずだ。
青年が恋をしたサーカスの少女は空を舞いながら人魚というイメージで語られる。川魚パクーという名をつけられた弟の導きによって海にたどり着き人魚の少女とやがて出会うのであろう。美しい予感だ。

posted by フェイユイ at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

「ビハインド・ザ・サン」ウォルター・サレス(BlogPet)

何かしら自分に本を渡す
ブレヴィス家の長男を殺した復讐を果たさねばならないと名づけられた弟は字が読めないが
また弟とトーニョがブランコで遊ぶシーンもある
いつまでも動きが綺麗なので驚いたがクララ役の男から名前をつけてもらう
それは名誉を汚すことでもあり、子供の作った童話のようにも行けず仕事ぐるぐるの方
厳格な家のロドリゴ・
サントロ、ラヴィ=
ラモス・
ラセルダ、その主人公であることが思いあたらないだろうか
それはパクー


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「じえるん」が書きました。
posted by フェイユイ at 14:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

おもしろい映画の条件

おもしろい映画の条件。と言っても自分だけにとって、と言う意味だが。

だってそれは人それぞれ。泣ける映画に感じる人もいれば美形が出てなければ見る価値がないというのもあるし、美形アレルギーの方もおられることだろう。
残酷趣味、笑える映画、アクションモノ、ラブストーリー。その中でもあれは嫌い、これが好き、という要素はなんだろう。結局は自分だけのフェティシズムによって好みが決まっていくのだ。

私が映画に求めているものを一言でなんとか表現するなら【strange】=奇妙ということなのだろうか。あるいは【wonder】=驚きというような感じ。
アメリカ映画にそういうものを感じなくなってしまった私はしばらくの間、アジア映画に傾倒してしまった。身近なはずのアジア映画の方により驚きを感じたからだ。
何と言ってもアメリカ映画は日本映画以上に幼い時から親しんできた世界なので演出にしろ考え方にしろスピード感にしろ観客の受け方にしろ当たり前でありすぎる。

そう思ってしばらく離れていたわけだがどういうことかマット・デイモンの映画によって再びアメリカ映画を観始めてしまった。
彼の映画は確かにメジャーには違いない。が、ここに来てやっと気づいたのは彼の映画は非常にアンチ・ヒーローなのである。最初「天才ばかりやってる」と言ったのが恥ずかしい。彼は終始完全なヒーローでない男を演じ続けているのだから。

で、現在、というか以前からなのだが中南米に行っているのだけど、その世界観は魅力がある。
時としては恐怖を感じるほどだ。例えば「シティ・オブ・ゴッド」では他で感じられないほどのショックを覚えてしまうだろう。
そして「ビハインド・サン」のような幻想的な美しさも。

そうそう。幻想的な美しさ、というのも私にとって物凄く高いポイントになる。映画を観る時は夢を見たいと願っているのだ。とても美しい夢を。
みんなそうかな。うん、私にとっての美しい夢というのが時におぞましくさえ感じるような不思議な世界ということなのか。ちょっと堂々巡りの言い方だね(笑)
posted by フェイユイ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

「ビハインド・ザ・サン」ウォルター・サレス

ザ・サン.gif

映画を観終わって安堵を覚えた。泣きたくなるような素晴らしい結末だった。希望を感じさせてくれた。

1910年のブラジル。荒涼とした土地を争うブレヴィス家とフェレイラ家は代々に渡って互いの血を奪い合う事を繰り返してきた。終わりのない怒りと哀しみ。
そしてまたブレヴィス家の長男を殺した復讐を果たす時がきたのだ。

青空に翻る血のついたシャツ。その場面が印象に残る。その血が黄色く変化した時、復讐を果たさねばならないと、父親は次男であるトーニョに「義務」を果たせと銃を渡す。ブレヴィス家の生活は苦しい。父母とトーニョ、弟の4人で収穫したサトウキビを砂糖にして僅かな金を得るのだ。父親は厳格で受け継いだ少ない土地と名誉に固執している。母親はそれに従うのみ。20歳のトーニョも父親の命令で従順に行動するだけだ。

だが幼い弟はそんな家族に疑問を持つ。弟には何故か名前がない。「坊や」と呼ばれるだけなのだ。
田舎道を通りかかった旅する大道芸の男女が坊やに本を渡す。坊やは字が読めないがそこに描かれた絵を見ながら物語を作り上げる。

神話のようでもあり、子供の作った童話のようにも思える物語なのだ。
それは「坊や」とだけ呼ばれる少年の語りから始まる為だろうか。なぜ「坊や」には名前がないのか。だが坊やは大道芸(サーカスと言われているが)の男から名前をつけてもらう。それはパクー。川魚の名前だと言う。
少年と家族が住む場所の名前は「魂の川」というのだ。だが干上がって今は水も流れていない。川魚のパクーはどこにも行けはしないのだ。そして彼らの魂はすでに干からびてしまっている。

父親に従うだけの兄トーニョに弟は言う「僕達はぐるぐる回る牛と同じだ。どこへも行けない」
さらに息子達には家の掟がある。いつまでも終わらない仇討ちの繰り返しだ。弟はトーニョに仇討ちに行かないで、と言う。彼だけが無意味さを言葉にしているのだ。だが家を受け継いできた父親にはそれは名誉を汚すことでしかない。

遠い昔の遠い世界の話と言うわけではない。何かしら自分にもこういう状況であることが思いあたらないだろうか。それは世界的な状況でもあるし、自分自身のことでもある。(私なんざ自分そのものと思っちまったよ。いや復讐劇のほうじゃないが。どこにも行けず仕事ぐるぐるの方)

厳格な家の掟から兄を救おうとした弟の決意は哀しい。だがトーニョはそれをはっきりと自覚したのだ。
復讐だと叫ぶ父親の声に振り返ることもなくトーニョは歩き出した。そして人魚に出会う為に海にたどりつくのだ。

旅人によって川魚パクーと名づけられた弟は兄を自由な海へと導く。そこに待つのは(姿は見えないが)恋をした人魚なのだ。

怖ろしい血の報復は終わったのだ。「終わったのよ、何もかも」と母親は叫び父親は動かなかった。トーニョは歩き出したのだ。

サーカスの少女クララが綱を登り空中を舞う場面がなんという美しさだろう。夢をみているようだった。
(あまりにも動きが綺麗なので驚いたがクララ役の女性フラヴィア=マルコ・アントニオは実際にサーカス団員なのだった)
また弟とトーニョがブランコで遊ぶシーンもある。同じように青空に舞うトーニョ。だけどブランコはその場所から動くわけではない。途中でブランコの綱が切れてしまう。弟が言う「トーニョは上手く飛べないんだから」

幼い少年が兄のために自らの命を犠牲にするのを観て「ほっと安心する」のは変だろうか。
だがここで一番覚醒していたのは弟だけだった。彼こそがこの物語を作り上げたのだ。
ここで兄が死ねばいつかまた自分も人を殺し殺される。弟が取った道は哀しい選択だったが間違ってはいなかった。兄もまた弟の思いを受け取った事がうれしく思える。

ウォルター・サレス監督は「モーターサイクルダイアリーズ」を撮った人だが、その主人公であるチェ・ゲバラもまたそのような人であったと思う。
(「シティ・オブ・ゴッド」の製作もやってるが)

また何と言ってもトーニョ役のロドリゴ・サントロの美貌に注目がいくと思うがまさに!
確かに苦しい題材なのであるが美貌ほどカンフル剤になるものはないのだね。まったく見惚れるばかりでありましたよ。

監督:ウォルター・サレス 出演:ロドリゴ・サントロ、ラヴィ=ラモス・ラセルダ、ホセ・デュモント、リタ・アッセマニー、ルイス=カルロス・ヴァスコンセロス、フラヴィア=マルコ・アントニオ
2001年、ブラジル
posted by フェイユイ at 22:54| Comment(2) | TrackBack(1) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

「ミーン・マシーン」

ミーン・マシーン.jpgミーン・マシーンb.jpg

ワールドカップ期間中にぴったりの映画、かどうかはわからないが、フットボール映画の傑作のひとつである事は確か(?)である。

主人公ダニー・ミーンを演じるのは元プレミアリーグ選手のヴィニー・ジョーンズ。と言っても私が彼の名を知ったのはこの前マット・デイモン目的で観た「ユーロ・トリップ」の熱血マンチェスター・Uサポーターのリーダー役だった。あまりにも印象的ド迫力に惹かれ調べて(ってほどはないが)みたらやはり只者ではなかったわけで。

ここでもその屈強な肉体と鋼鉄の表情は健在。奥で光る眼がまた魅惑的な男っぷりである。
そんなヴィニーが演じるミーン・マシーンはかつて人気選手であったが八百長で祖国を裏切りフットボール界から追放されたのだった。その彼が飲酒暴力事件で投獄されることになったのだ。
刑務所内でミーンは看守と囚人のフットボール試合に関わる事になっていく。
刑務所内でスポーツを通じて看守と囚人が戦うという話は結構たくさんあるし、感動的に仕上がる確立も高いのだが、サッカーの試合という題材をここまで緻密に面白く作り上げているのはそうそうないという気がする。
大体、サッカーと言うのは世界各地での人気スポーツなのでアメリカ・日本の映画以外なら殆どやっているといっていいんじゃないか。アメリカならバスケット、日本なら野球かな。
とにかくよくある話ではあるのだが、そこはヴィニー・ジョーンズの男前な威力で見せつけてくれるのだ。

そして迫力において彼を凌ぐかと思わせるのが「グラスゴーの悪魔」凶悪犯のゴールキーパー・モンク(ジェイソン・ステーサム)なのだ。とにかくめちゃくちゃ強い上に人間性がないのだがサッカーで失敗すると「ごめん」と謝ってしまう。サッカーは遊びじゃないらしい。
試合場での彼の活躍は必見のおもしろさ。こんなキーパー欲しいよね。

そんなこんなでかなり真面目にサッカーを楽しめる映画なのであった。(説明になってないが)
ブランドもアンブロだしね。

監督:バリー・スコルニック 出演:ヴィニー・ジョーンズ、ジェイソン・ステーサム 2002年

それにしても私のかなり長い映画鑑賞暦において一番観ている映画って「刑務所もの」ではなかろうか。映画中に一応出て来るのまで数えたら一体どれくらいあるのかちょっと数えるのは怖気づく。
そして反動で最近観るのが多いのがロード・ムービーであるな。
タグ:スポーツ
posted by フェイユイ at 23:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ちょっとめもめも(マット・デイモンのこと)

じぇり.bmpじぇり2.bmp

思いもよらなかったこと。
なんとこのレンタル用DVDによると「ジェリー」は異色スリラーだったのだね!そ、そうか。そう思って観てたら私も感想変わったかも?
怖いのは確かだけどサー。
私が買ったDVDとは違っててこの表紙のマットすてきだ。苦しんでるし。酷い目にあってる時のマットが好きだなあ。

もうすぐ「シリアナ」DVD発売。待ち遠しいなあ。
で、ココを覗いてみよう。→「シリアナ
トミー・リー・ジョーンズの監督作品テレビ映画「ワイルド・メン」ビデオのみというのがあるのだな。出演っていうことなんで少しだけなのかもしれないが、観てみたい。ビデオかあ。
「The Departed」(インファナル・アフェアのリメイク)は知っていたが、ロバート・デニーロ監督(!)作品でアンジェリーナ・ジョリーと共演!なのか。わお。しかしよく働く人だね。

「シリアナ」まだ観てはいないんだけど。マットはまた、デブだ、なんだと言われてるみたいで涙。クルーニーだって今回太ってるはずなんだけど、彼の場合は役作りとして認められてるのになー。マットだって役作りですってば。まだ観てないけど。

しかし「シリアナ」ってタイトル。日本人なら皆笑ってるよね。ごめん、しもねたで。(だってやばいんだもん)
posted by フェイユイ at 10:33| Comment(4) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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