2006年06月14日

「天国の口、終わりの楽園」アルフォンソ・キュアロン

天国の口.jpg天国の口a.jpg

映画の中で二人の少年が水中を泳ぐシーンが何度となくでてくる。二人は水中をどのくらい進めるのかをいつも競争しているのだ。

進路をどうするのか迷いながらもひと夏を退屈に過ごす17歳の少年ふたりと今までの人生を変えようとする一人の人妻。
メキシコ・シティーからオアハカの海岸「楽園の口」を探して3人が車を走らせる。

二人の少年が代わるがわる運転する車の窓から見えるのどかな風景。が何度となく銃を持った男達(兵士?警官?)の姿が見える。

少年達が話すのはセックスの事、薬、チゃロラストラという自分たちの作ったふざけた組織の事。
「天国の口」とでまかせに言った海岸を探しながら少年たちは子供の時代の終わりを感じている。
そして人妻でありながら、夫の浮気を機に最後の旅に出た女性ルイサもまた楽園の終わりを迎えようとしているのだ。

少年達がでまかせに言った「天国の口」という名前の海岸が存在するという不思議。人生にもまたこのような不思議が存在するのかもしれない。
その海はなぜだかあまり光がなくて曇ったような空だ。そのぼんやりした空の向こうに小さく日の光が浮いている。
不思議な感覚をおこす風景だ。
彼らは言い争ったりしながら旅をしてきた。最後の晩、浜辺の灯りが美しい。ルイサに愛撫を受けながら少年達は唇を合わせるのだった。

大学への進路を考える年齢。苦い大人への成長とまだ甘い少年時代の残った時間。
憧れの年上の女性との旅。しかも彼女からセックスの手ほどきを受けるという男の子なら夢のようなお話(ん、年上の女からしてもこんな可愛い男の子二人とつきあえるなんて夢のような話か)
一見馬鹿話につきるような展開なのだが、その馬鹿話こそが僅かな少年時代の証なわけで。
自分のことでは涙にくれているけど少年達にはびしっと厳しい、それでいてセックスを求めてくるルイサという女性のおかげでからりとした青春映画になっている。
少年時代の終わり、という時期。やがて分かれていく友達。愛した女性の死、そのものが少年たちの楽園の終わりを意味しているようだ。

だがここで私が感じたことがある。
自由を求めて旅立つ女性、というモチーフが扱われているように思えるが結局この女性の存在は二人の少年の思い出の為の偶像のようだということ。凄く感じよく仕上がっているところがうまいのか。

そして思うに、この映画はやはり少年達の美しさを写し撮るためのものなんだろうな。
少年の相手の女性の裸、というよりも少年たちの裸体が何度も出てくる。それもかなりきわどい雰囲気のあるものだ。確実に少年達の裸体を見つめている視線を感じてしまうのだが。
かれら二人が最後にキスしあうからというわけではないが、この映画は随分同性愛的な雰囲気が強いのではないか。
私はこの監督の事を全く知らないがかなり少年愛嗜好の強い方ではないのだろうか。
後に同監督は「ハリー・ポッター」第3作目を撮ったということでも頷ける。

また私の勝手な思い込みに過ぎない。だが、酷く魅惑的な映画であることは確かである。少年達を演じたガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナの若い魅力もまた。

それにしても特典映像で、来日の際の会見で、監督の「ガエルに誰と一番キスしたいのか、と聞いたら「ディエゴだ」というので友達役を決めた」という出まかせに(また出まかせか)「違うよ!」と言ってうつむくガエルの可愛いことといったら!監督はサディストでもあるね。ずっとガエルをいじめては喜んでいた。
でもってガエルのこの笑顔に皆参ってしまうのも当たり前ですね。


監督:アルフォンソ・キュアロン 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、マリベル・ベルドゥーディエゴ・ルナ
2001年、メキシコ
posted by フェイユイ at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

「ブエノスアイレスの夜」いくつかの謎

「ブエノスアイレスの夜」をもう少し。書き忘れたことがある。

この映画は謎解きの要素がまた不思議な雰囲気を出していて面白いのだ。まず、冒頭。カルメンの妹アナが帰ってきたカルメンを見て眩暈を起こす。これは彼女が妊娠していたせいもあるのだが、これから起こる怖ろしい出来事を予感していると思わせる。
アナが妊娠している、という設定も何か表しているのだろうか。

他にも判らないことがいくつかある。アレハンドロはアナがいけた花をみて「派手すぎる」と言い、実際カルメンはいけられた花を掴みあげる(その後のシーンはカットされているが)これは何故?そんなに派手には思わなかったんだけど。
カルメンと父親の関係もほんの少しの会話から推察するしかない。「私がお前を助けた」と父親は言うが、酷く傷ついているカルメンを見てるとそう思えないし、カルメンの父親への態度もかなり冷たいものだ。母親に対してとは随分違う。何故なのだろう。

一番の謎と言うのはカルメンが何故突然自殺しようとしたのか、ということだろう。愛したグスタボとやっと初めて(グスタボがアナに「寝たよ」といったのは嘘だろうから)結ばれたのにすぐに自殺を図ってしまう。
多分、カルメンはこの時すでにグスタボが子供だと知っていたのではないだろうか。もしかしたらもっと前から子供かもしれないという思いを少しずつ強めていたのかもしれない。

カルメンはアレハンドロが(多分)軍に命じられて子供を殺してしまったんじゃないかと疑っていたのかもしれない。だから彼をあんなに憎むような言い方をしていたのじゃないだろうか。仕方ないとはいえ。
そのアレハンドロが今度は自分の命を救ってくれた。生き返ってカルメンはやっと落ち着いて考えたのかな。「これでよかったんだ」って。

それにしてもアレハンドロはずっとカルメンの事を想っているのに恨まれるばかりで辛い男です。

グスタボの世話をしていたカルメンの友人ロクサーナ女史の顔が好き。

南米って言うと、一時期南米文学の全集みたいなのが出て、ガルシア・マルケスだのバルガス=リョサだの読んで衝撃を覚えた。
それまでヨーロッパの統制の取れた知的な文学に慣れていた頭には南米文学と言うのは理解しがたいものがあった。
勿論、日本なんかとは全く違う世界なのだ。
映画で見る以上に文学の南米は不思議な世界であった。無秩序な性と暴力の描写が物凄い力でせまってくるようで怖ろしかった。
今、映画で観ていても南米のものはそういう理解しがたい恐怖を感じさせられる。
このブログではまだ取り上げてないのだけど「シティ・オブ・ゴッド」のような感じ。

この映画から離れてしまったけどそういう恐怖、というものがこの映画の底にも流れているのが感じられるのだ。

posted by フェイユイ at 21:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第30集

康煕は明珠の失敗を罰して2つ位を下げ孔雀の羽根を取る。だが、明珠が鄭経に怖気ず、施琅を味方につけたことを褒めて2つ位を上げ孔雀の羽根を帽子(っていうのか)に戻した。孔雀の羽を褒美にするというセリフがあったのは覚えていたけど帽子にくっつけていたと今まで気づいてなかったよ。あれはすごい名誉の飾りだったのですね。

台湾平定の失敗を許された明珠はなお康煕に仕えることを誓う。また康煕は施琅を呼びいれた(来てたんですね)
康煕は施琅に大清と台湾の水軍の違いを問う。船が少なく大砲が小さく将兵が弱い、と答えると康煕は船と大砲を作り将兵を鍛えた事を伝える「だが提督がいないのだ」康煕は施琅に台湾平定の為、福建水軍提督になるように命じた。
施琅はありがたく受けるが姚啓聖と共に働きたくないと言う。康煕は姚啓聖がお前を推薦したのだと言い、お前の度量の広さで姚啓聖と共に働くよう頼む。問題がある時は私が仲裁をすると言い渡した。施琅は知りませんでしたと謝って引き受けたのだった。

モンゴル・カルカの姫が北京に到着して康煕の宮殿を捜していた。ただ姫は大きなテントを捜しているのだった。追っ手の姿を見つけ姫は隠れた。

第一皇子インスーが新居を構えようとしていた。次々と客が来てお祝いを申しあげる。明珠は皆が第一皇子を応援するのは明珠を応援することだと皇子に言うのだった。

そこへモンゴルから皇帝に助けを求めて逃げてきたカルカの姫バオリーロンメイが皇子の屋敷に来て皇帝の宮殿を尋ねた。
姫の後からグールダンの部下が追いかけてきた。かっときたインスー皇子は部将グルジを殺してしまう。

康煕はインスーを呼び「北を抑えて南を攻める。台湾を取り戻す為にグールダンをなだめているのになんと言う事をしたのだ」と怒る。
インスーの母親慧妃は康煕に息子をもっといい役職につけてくれるよう頼む。康煕は政治に口出しする慧妃を快く思わなかった。
慧妃の兄・明珠は日本・ロシア・朝鮮が皇太子戴冠の礼に出席したいということそしてグールダンが国でもないのに使節を派遣した事を告げる。
康煕は今その話をしていた所だと言う。そしてお前の妹に政治に口出しするなと告げるよう言う。

明珠は妹・慧妃のしつこさを咎める。皇帝は安らぎを求めてくるのだからうるさくいうのではないと。だが慧妃はどうしても第一皇子である息子が皇太子でない事に不満があるのだった。

周培公の地図の前でインスーが反省していると皇太子である弟インロンが共に座って兄を励ますのだった。
それを見た康煕は兄弟仲のいいことは良いことだと許そうとする。だが二人は反省をやめない。康煕は笑って立ち去った。

モンゴル・カルカの姫はインスーの屋敷で匿うことになった。インスーは姫の様子を伺いに訪れ彼女への思慕を募らせた。
インスーは手紙を送り心を伝えたがバオリーロンメイは仇を討つまで誰も愛せません、と答えた。

容妃は娘・藍斉と共に福建へ里帰りをした。姚啓聖を訪ねると彼は嘘をついて姚啓聖は留守だという。色々なものが来ては金をせびるからと言うのだ。そして質問をしても嘘ばかり言う姚啓聖に嫌気がして容妃は外へ出た。
途中たくさんの孤児を連れた男が皇帝に遷界令をやめて欲しいと願い出た。孤児は女の子ばかりなのだ。容妃は銀子を渡して約束した。
宮殿に戻り康煕に手紙を渡すと康煕は金を渡して移住させたのに何故孤児がいるのだと驚くのだった。

私は索大臣の身内が第一皇子関係だと思ってました。明珠だったんですね。
posted by フェイユイ at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月10日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第29集

延平王は清朝廷に講和を求めることにした。

康煕は明珠、索大臣と話し合い明珠を特命勅使とした。条件は台湾国民の剃髪、臣となること。朝廷と台湾の関係は二つの国ではなくあくまでも朝廷とそれに従うものであること。であるから明珠を講和使節ではないとした。そして索大臣には軍を強化するよう指図した。
明珠は康煕に「すでに姚啓聖が指揮をとっているところへ私が行くのですから、いざという時どちらに指揮権があるのでしょうか」と問う。康煕は仕方なくその場合は明珠が指揮するよう命じたのであった。

姚啓聖は明珠を愛想よく迎えたがやはりおもしろくない。が、明珠は皇帝からいただいた指揮権に関する文書を読み上げ。自分の地位を誇示した。
姚啓聖は「やはりいざとなれば皇帝は満人を持ち上げてくる。自分は第二の周培公になる」と気落ちした。

明珠は台湾の鄭泰から鄭経に謀反を起こそうという意志を聞く。なぜなら鄭成功亡き後、争いが起こった際に切羽詰った兄・鄭安は弟・鄭泰に「自分の首を切って持って行けば、泰経に信用されると言い出した。そのために鄭泰は鄭経に復讐しようとしていたのだった。
「なぜ弟のお前でなく、兄の首を切ったのか」と疑う明珠に鄭泰は「兄は宦官で子供がない。子供のいる自分が生き残ることになったのだ」
鄭泰は鄭経を暗殺しようと企んでいた。

朝廷では康煕は明珠の軽率を怒っていた。姚啓聖から「鄭泰は鄭経の暗殺に失敗し、従って台湾が蜂起し平定が遅れることになる」と。
明珠に指揮権を預けた自分が悪かったと言う康煕に大臣は「姚啓聖が我慢しないのがいけないのです」と申し上げる。
康煕は「漢人は皇帝が満人ばかりをひいきする、と思い込んでいる」と嘆く。
そして今回は姚啓聖を褒めず叱り付ける、奴は叱るほど余と奴が近くなったと喜ぶぞ、と言う。事実、姚啓聖は大いに喜んだのであった。

明珠は鄭泰と組んで延平王・鄭経を暗殺しようと企てたが失敗し逆に鄭泰は殺され明珠もすんでのところで命を落とす所だった。が、鄭経は康煕に「臣となっても剃髪はしない。内地には行かず台湾を離れない。朝鮮と同じく属国であり続ける」と明珠に伝えさせた。そして財宝を売り大清との戦いのため自らを戒めたのだった。

康煕は失敗して帰ってきた明珠を迎えた。「何故お前は見抜けなかったのだ。見ろ、鄭経は決意と台湾人の心を固めてしまったのだ」

姚啓聖の弟子でもある施琅は間違って鄭経に家族の命を奪われてしまった。帰順させようとする姚啓聖を振り切って施琅は去っていった。
posted by フェイユイ at 22:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月09日

ちょいとズレた近況報告

キリのいいとこで(どこがキリなのかはよく判んないけど)いつも近況報告してたんですけど少し前に何やら書いたりしたんでちょいとずれ込みました。
って言っても書くことはあまりないのですが。

とにかく以前はアジア系ブログと書いていたのが、殆ど「アジア以外の国」になってしまってその辺を狙ってきてくださってた方には申し訳ない。
人間と言うのは一度入り込むとなかなか抜け出せないものなので成り行き任せでこのまま進むばかりです。
アジア系は勿論見続けますのでよろしく。

とは言えやはり来てくださる方の殆どはアジア系記事を読んでくださってるみたいでそれはすごくうれしいんですよねー。

なぜだか最近はエディソン・チャン関係、特に「ジェネックス・コップ」に集中しております!なぜなんでしょう?
ありがとうございます。私もこの前「同じ月を見ている」で彼の素晴らしさを再確認しましたし、次作品にも期待しちゃいますねー。

相変わらず画面上のアクセス数とSeesaaさんのアクセス数が極端に違っていて「?」なんですが今日なんかはエディソンを求めての来訪が多いのですよ。うれしいな。

トニー・ヤンの「僕の恋、彼の秘密」がレンタルされてましたね。も一度日本語字幕で観てみようかな。

今回の左上の映画は韓国映画3本になってしまいました。最近韓国映画観てなくてちょっとまずいんですけど、この3本は楽しみです!
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「クローサー」マイク・ニコルズ

closer.jpgクローサー.jpg

ロンドンを舞台に、ニューヨークからやってきたストリッパーの女の子、小説家志望だが新聞で死亡記事を担当する男、新進の美しき女性カメラマン、エロチャットで騙される医師の四角関係をきわどい会話で楽しむスタイリッシュな映画なのである。

セリフが多くて移動場面が少なくちょっと大げさ、と思ってたらもともと舞台だったらしい。

さて4人のうち、誰に自分を投影できるかと言うと誰にも当てはまらない、ので傍観者として観察する。
美男美女のスター役者さんばかりなので眺めているだけでもなかなかよいものです。
4人4様のキャラクターなのでしょうがかなり女性の方にえこひいきでありましたね。
女性は知的で冷静なのに男二人は自分勝手で横暴。男は男らしく女は女らしい映画でもありました。
一番年若のアリスが一番大人だったりして。ストリッパーだが一番身持ちがいいとかさ。
一番割りに合わないというか一番不可解な役にジュード・ロウ。美形だから何でもいいのよね、と言う声が聞こえてきそうな。
ジュリア・ロバーツ。いつも爽やかな美貌ですなー。自然な髪すらもすがすがしい。
そして何と言ってもこの映画中で最も美味しい(?)役はエロ医師のクライブ・オーウェン。彼を見たのが収穫でしたね。以前にも観てはいたんですが。
髭の剃り跡も青々しく野生的で素敵でございます。以前に見てたというのはマット・デイモン主演の「ボーン・アイデンティティー」で狙撃手役をやってたそうでその役は覚えてますが、そうでしたかー。
無口でクールなスナイパーに代わりここではエロいチャットに夢中になる医師役。だが、心は誠実、というか本能に素直。
すごくはまり役と言う感じがするのだが、その実舞台の方ではジュード・ロウのやったダンをやっていたそうな。判らないものです。

でこれも何故観たのかと言うとマット・デイモンがよかった映画にあげていたので(笑)観たのでした。
こちらは多分共演者が3人も(ジュリア、ジュード・ロウ、クライブ・オーウェン)出てるんで観たんじゃないかと思うんですがね。まあ、いいです。
私なりに結構楽しんで観れました。

監督:マイク・ニコルズ 出演:ジュリア・ロバーツ、ジュード・ロウ、ナタリー・ポートマン、クライブ・オーウェン
2005年アメリカ
posted by フェイユイ at 16:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

ジェイもワールドカップを応援してる?!

世界杯.jpg世界杯2.jpg世界杯3.jpg

久し振りなんでちょっとおかしくてアップしてみました。
ジェイはバスケ好きなんで、サッカーについてはどうなんでしょうねえ?
日本も応援して欲しい!!
タグ:周杰倫
posted by フェイユイ at 18:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「サイドウェイ」アレクサンダー・ペイン

m050231a.jpg

何故いきなりこれ?って感じですが、何かの映画雑誌でマット・デイモンが名前を挙げていたのです。彼の好みの映画とか知らなかったので観てみました。

大変面白く頭のいい映画だと感じ楽しんで観ました。機知に富んだ会話、決して難しすぎないコメディであることがまた憎い。人生はやり直しがきくんだよと勇気づけてくれる映画なのですな。
私としてはもう「良い映画ですね」という感想です。文句の着けようもない自己完結した作品で、私の感想など別に必要ともしていないみたいです。完成された大人の映画ですね。だがしかし。

1週間後に結婚式を控えた親友と共にワインとゴルフを楽しむためにドライブしよう、という楽しい設定でしかもそこで主人公の男が今までの失敗ばかり(と思われる)の人生を考え直す、復活の物語でもあり、ラストも希望を感じさせると言う言うことなしの映画であります。
まあ、難を言えば、登場人物にゾクリとするような(ガエルみたいなさ)美形(男女とも)がいないってだけでね。そこがまたリアリティがあるっていうんで点数高くなるだろうし。

なんか不満みたいですが観てる間はとても楽しい映画でしたよ。頭のいい人が作るとこういうソツのない作品に仕上がるわけですね。
マット・デイモンが映画を作ったらこういう頭のいい映画を作りたいんでしょうか?もう少し私としては破綻したモノのほうがめちゃくちゃで面白いんですけどね。

ですから主人公より友人ジャックがおかしかったですね。ていうかジャックの方で考えたらとても愉快な映画でした。男性的で優しくていい人です(浮気者だという意見もあるでしょうが私的にはどうでもいい、許される範囲の他人事)
情けない主人公が親友が浮気現場に置き忘れた財布(こともあろうに結婚指輪を入れていた)を奪回しにいく場面はスリルあってよかったです。
結局面白かったわけですね。いや面白かったんですよ。

でもなんだかもっと破綻して欲しいんだよなー。

追記:マット・デイモンて演じるのも観るのもこういう友情もの(しかも二人きりのっての)が好きなんですねー。よくあきないものです。マットがやるならやっぱ主人公マイルスなんでしょうなー。私はジャックが好き(笑)

監督:アレクサンダー・ペイン  出演:ポール・ジアマッティ 、トーマス・ヘイデン・チャーチ 、ヴァージニア・マドセン 、サンドラ・オー 、メアリールイーズ・バーク
2004年製作アメリカ
posted by フェイユイ at 10:50| Comment(2) | TrackBack(2) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月07日

「ブエノスアイレスの夜」でのガエル・ガルシア・ベルナル

ガエルa.jpgグスタボc.jpg

映画自体が凄く好みであったために出演者について全く触れなかったので少し。

カルメン役のセシリア・ロス。「オール・アバウト・マイ・マザー」に出演しているそうですがまだ未見。是非観ようと思う。
42歳の仕事に生きる女性カルメンが硬く冷たいのは20年前にクーデターで拷問を受け、夫も失ったからだが、同じように働く女性にとっては自己投影しやすいキャラクターではないかなーと思いつつ観る。
しかも恋する相手が可愛いガエルである。同じ年代の女性なら(私もそう)ちょっと羨ましい役である。
大体この設定って男女が逆なら(年配の男とうら若い少女というのなら)結構あるんじゃないか。
40の女と20の青年(てか少年に見えるが)にしたところがまた特別かな。
カルメンの頑なな部分も恋をして可愛くなる部分も非常に赤裸々なのである。あまりにも赤裸々過ぎてちょっと恥ずかしいような気もするのだ。勿論、若い男女を雇って性の欲求を満たす部分も。そんなカルメンを演じきったセシリア・ロス。素晴らしい。

グスタボ役のガエル・ガルシア・ベルナル。ホントに美青年なのか、よく判らない。小さな獣のようにも見えるし。でも笑うと途端にぱっと可愛らしい顔になってみんな彼のことを好きになってしまうに違いないって気になる。
やはりラテン独特の濃厚な魅力を持っていると感じる。一度好きになってしまったら他の男では満足できないようなそんな感じ。てんで小さな男の子みたいな役だけどね。小悪魔的な少女がいるけどその男版。「モーターサイクルダイアリーズ」爽やかな印象だけだったけど。「バッド・エデュケーション」の時とも違うしね。

映画中に出てくる彼のポスター、欲しいよね。
posted by フェイユイ at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「夏休みのレモネード」(BlogPet)

いまだったら考えてみたいと思ったんだけどね
批判はしていない探究心が見ていないのだろう寛容をデネヒーしなかったプロジェクトで選ばれたのだ
この映画はない
と、じえるんは思ったの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「じえるん」が書きました。
posted by フェイユイ at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ブエノスアイレスの夜」結末の行方

カルメン.jpgグスタボ.jpg

この映画では、過去に起きたことは会話によって説明されるだけで映像による表現がない。その為、観る者は注意深く会話を聴いて(読んで)いないとカルメンが何故こんなに固く心を閉ざしているのか、苦しみを背負っているのか解らないだろう。
1970年代に起きたアルゼンチン軍事クーデターというものも映像での説明がない。それはそれを知らずにこの映画を観た者への課せられた宿題となる。「どうぞアルゼンチンの歴史を調べてみてください」と。

ただここでは軍に捕らえられたカルメンがどんなに惨い拷問にあったのか、想像してみよう。その為、彼女は男性との肉体交渉をもてなくなってしまったのだ。
カルメンは肉体の接触を断っているためか聴覚が人より過敏になっている。時折、現実にない音が聞こえる。音が彼女の心を表している。
若いグスタボに惹かれたのも電話で彼の声を聞いた最初の瞬間からだった。
これも説明がないから解らないが、長い間、閉ざされた牢獄の独房で(恐ろしい軍の人間以外は)誰とも会わず、何も見ることのなかった彼女には聞こえてくる音が唯一の感触だったからかもしれない。

壁を隔てて背中合わせにグスタボの声だけを聞いているカルメンのシルエットが映る。その構図は悲しいが少しずつ彼女が彼のそばに近づいたのがわかる美しい場面だ。
やがて自ら扉を開けたカルメン。彼の電話で雨も気にせず駆け寄り彼女はとうとう愛し合う相手を見つけたのだ。
が、物語は残酷な方向へと走り出す。カルメンの心を開き愛し合ったグスタボは彼女の息子だったのだ。
20年前投獄された牢の中で産み落としすぐに連れ去られたためにカルメンは赤ん坊は死んでしまった、と思い込んでいた。
そして憎むべき一人の軍人の手で拾われ育てられたのだった。

愛する人が自分の母親だったと知ったグスタボは混乱したまま育ての親である軍人だった父親の家へ帰る。
父親はグスタボを愛しており財産も彼に譲ると言う。が、グスタボは実の父を殺し、母を苦しめた軍人である義父を撃ち殺す。

この話でギリシャ神話の「オイディプス」を思い出す人もいるだろう。あの物語は父親が視点であったが、ここでは母になっている。
また、この話はもしかしたら実の父と娘が知らずに愛し合う、と言うものならばこれまでも映画として作られていたと思う。
母と息子になっていることはこれまでにはあまりないかもしれない。

カルメンは刑務所に入れられた息子グスタボに会いに行く。まだ二人は互いに克服してはいない。
人の目を気にしながらも抱き合い、キスしあう、親子だと言い聞かせながら。
泣くグスタボにカルメンは言う「そんなに悪い結末ではないわ」と。カルメンが言ったこの言葉の真意は?
カルメンにとってグスタボは牢獄ですでに死んでしまっていたと思っていた愛する子供だったのだ。彼女の心に最も深い傷を残したのは子供の死だったはずだ。
でも子供は生きていた。また、もう会うこともなかったかもしれない。でも運命は二人を引き合わせた。
もしかしたら心が通じ合うこともなかったかもしれない。だが、互いに惹かれ愛し合ったのだ。
残酷な過去を持つカルメンにとって最愛の息子が生きていた。そして自分を愛してくれた。自ら死を望んでも免れることになった。
「そう悪い結末ではない」のだ。
それがたとえ最も恐ろしく重い禁忌=近親相姦が代償だったとしても。

人によって思いは違う。

母親である私にはこのラストはうれしく思えるものだ。確かに息子は生きており、自分を愛してくれた。
他に何が必要だろうか?

監督:フィト・パエス 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル/セシリア・ロス
ドロレス・フォンシ  製作年:2001年/製作国:アルゼンチン・スペイン
posted by フェイユイ at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

「ブエノスアイレスの夜」

ブエノ夜2.jpg

財産分与の為、スペインから故郷のブエノスアイレスに帰ってくる姉・カルメンと彼女を迎える妹とその家族。
家族の会話から次第に物語が浮かび上がってくる。

カルメンは非常に冷たい印象の女性だ。42歳で恋人はいない。マドリッドへ行き、仕事一筋で生きてきたのだ。
カルメンの病気の父親の主治医アレハンドロはずっと彼女の事を思い続けていた。妹は冷たい調子の姉を優しく迎える。
が、カルメンの心は硬く閉ざされたままだ。
1976年に起きたアルゼンチンの軍事クーデターでカルメンは夫やアレハンドロたちと捕らえられ、投獄された。そして1年もの間拷問を受け強姦されたのだ。解放されたカルメンは遠いスペインへと逃亡したのだった。

それからカルメンは男性と身体をあわせることはできないのだと、アレハンドロは言う。
男女を雇い、壁越しに二人がセックスする声を聴いて自慰をすることがカルメンの性の捌け口となっていた。

ある時、電話で聞いた若い男の声がカルメンの心に響く。その男はカルメンの友人である愛人紹介業者ロクサーナの「性の商品」であったためにカルメンは彼を雇う。
カルメンはまだ20歳程のグスタボの声が気に入り彼だけを何度も呼ぶことになる。グスタボも壁越しに声を交わすだけで姿を見る事のないカルメンが気になっていく。
やがて二人は恋に落ちてしまうのだった。

ねっとりとした時間を感じるような映像はラテン・南米独特の感覚だ。この中に取り込まれてしまうと他では満足できないようになってしまうのではないか。

ほんの粗筋だけ書きました。後はまた明日。

posted by フェイユイ at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月05日

「GOAL!」余話

説明ができるほどフットボール(=サッカー)とこの映画について詳しいわけではないけど、もう少しだけ。

フットボールほど世界中に選手とサポーターがいてしかも熱狂的なスポーツはないと思うわけなのだが、この主人公サンチアゴはメキシコからアメリカへ不法入国してイギリスへ後ではリアルマドリッド=スペインへ行くということでまさに世界を股にかけちゃうわけですね。

観る方はどこかに感情移入できるというわけですな。日本は蚊帳の外だが、まあ日本人の特にオールドサッカーファンはどこかの国のファンと言う事が多いしね(ワールドカップに出場できないからどこかの国の応援をしていたわけさ)私なんぞはまったくの浮気モノなので色んな国に興味があるんだけど。て言うとつまらんからやはりラテンですね、フットバルはさ。じゃなぜ昔イングランドのリネカーだのドイツのカーンだのクロアチアのボバンだの(ただのミーハーですね)好きだったかっつー言い訳はできない。今観たいのはやっぱりロナウジーニョだしさ。(ははは)
まあ収拾つかないけど。
とにかく観てて面白いのはどうしても南米もしくはスペイン・ポルトガルなんだなあ私としては。
でサンチアゴはメキシコ生まれでレアルマドリッドに言って活躍する話にしてもよかったんだけどちょっとアメリカとイングランドを経由して観客を増やしてみたんだね。しかも北国イングランドでメキシコ人の選手が来るって言うのはなかなかエキゾチックでよろしかろう。アントニオ・バンデラスに似てるって言われたりするのがいかにも外国人的発言でおかしい。

で、サンチアゴは不法入国でアメリカへ行ってあちこちの国に行くみたいだけど、国籍さえ取ればどこの国の代表にもなれるというわけで但しその国の代表になったらもうメキシコ代表にはなれないんだけどね。

殆ど映画については書いてませんが(笑)もうすぐワールドカップ・ドイツ大会開催!どの国のどんな選手が活躍するのか、楽しみですな〜。モチ、日本がんばれよ〜!!バーモス、日本!

posted by フェイユイ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

「GOAL!」(ゴール!)第1弾

ゴールb.gifゴールc.jpgゴールc.jpgゴールd.jpg

とんとん拍子のサクセスストーリーでありながらなぜか感動してしまう。というか感動の嵐に巻き込まれてしまうのだった。

メキシコからアメリカへ不法入国したサンチアゴ。必死の思いでロサンジェルスに落ち着いたのだった。
時がたち、プロサッカー選手になりたいと願い賢明に練習するサンチアゴに父親は「人生には二通りしかない。豪邸に住むものとそこで働く私達のようなものと」と言うのだった。ひたすら働き家族を守るのが男だと言い切る父親。
ある日、イギリス・のニューカッスルの選手だったグレンがサンチアゴのプレイに目を留め彼をプレミアリーグに誘うのだった。父親は「夢を見るな」と相手にしない。だが見かねた祖母がそんなサンチアゴをイギリスへと送り出してくれたのだった。

貧しくて不法入国の過去がありかつてギャングでもあったサンチアゴが、ひたすら一直線にフットボールの道を進み続ける姿はやっぱり魅了されてしまうのだ。サッカーは上手いけどちょっと私生活に問題ありのガバンとの友情もなかなかいい感じなのである。
上手く行きすぎという人もいるだろうが、親とのいさかいがあったり女の子を好きになったり病気を隠していたりする葛藤がある。ただサンチアゴが羨ましいほど真直ぐな心の持ち主なので本当にうれしくなるような爽やかな物語なのだ。

昨日に引き続き頑固親父の話になったのがおかしい。が、どちらも心底息子を愛している物語だったな。そしてお母さんとかおばあちゃんとか女性の身内が助けてくれるわけなんだ。

いつも晴天のロスから雨の多いイギリス・ニューキャッスルで思うようにプレイができない場面ではどうなることかと心配。
けど神様は彼を見守っていてくれましたね。こんなに激しい高揚感のあるサッカー映画は他にはないものだと思う。満員の観客が入ったスタジアムのシーンは鳥肌モノだった!やっぱサッカーは世界で最も興奮するスポーツだと思わずにはいられない。


ベッカム、ジダン、ラウールなどのスーパースターも登場してくれるし(あまりにも唐突で浮いているのは目をつぶろう)
三部作の第1弾ということでサンチアゴの活躍をまたまた期待しよう!!

監督:ダニー・キャノン 出演:クノ・ベッカー、スティーブン・ディレン、アレッサンドロ・ニヴォラ
posted by フェイユイ at 23:33| Comment(0) | TrackBack(3) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「夏休みのレモネード」

レモネード.jpgレモネード2.jpg

あてもなく書いていく。

1976年、シカゴ。カソリック教徒であり、アイリッシュであるピートは8歳の少年。いつもシスターに怒られてばかりいる。「そんなに悪い子だと地獄におちますよ」ピーとはどうすれば天国にいけるのかを考えた。
他宗教の人をカソリックに改宗させ天国に導いてあげるのは聖人であるという。ピートは早速近くに住むユダヤ教徒を天国へ導こうという探求(Quest)をはじめた。
この「Quest(探求)」と言う言葉はよく使われるね。アーサー王の昔から騎士は「Quest」していた。聖杯を。

8歳の少年が懸命に天国への道を探求しているわけだが、その実本当は子供の姿を借りているだけなのだろう。本当は大人がやってみたいと思ったことをそれじゃああんまり世間を知らなさ過ぎる常識なしみたいなので子供に姿を変えて行ったというんじゃなかろうか。子供だったら考えてみても無邪気だってことで。主人公が大人だったらまたそれで面白かったかもしれないんだけど。
大体信じている宗教を変えてやろうというのはその人の全人生・人格・祖先・親・友人を全部捨ててしまうことになるわけなので大人が実行するには非常識にすぎるものですね。

それでココではとても可愛らしい二人の少年となる。ピートの全く迷うことのない探究心が見ていてはらはらしながらもこんなに率直に疑問をぶつけられることに感心もする。
カソリックであるピートが改宗させようとしたのはユダヤ教のラビ(指導者)の息子ダニー。しかしダニーは悪性の白血病に侵されており余命いくばくもない身の上だったのだ。
ピートに「カソリックにならないと天国に行けないよ」と言われ素直にカソリックになるためのでテスト(ピートの口からでまかせである)を受ける。それは駆けっこやら石投げなんかなんだけど9つのテストをクリアしたダニーに課せられた最後のテストは海(実際は湖)に浮かんだブイまで往復して泳ぐことだった。
小さな少年と言うだけでもヒヤヒヤなのに思い病気を抱えた体でブイまで懸命に泳ぐダニーを映画とはいえ見ちゃいられない。ここでもし何かあるならもうその時点で見るのやめようと思ったんだけどね。

まるで学校で見ているかのような真面目そのものの映画なんだけどとても面白く観る事ができた。
特にアイリッシュであるピートの家庭風景。カソリックであるために8人の子沢山でそのために頭のよい長男を大学に行かせてやることもできず、その上ユダヤ教のラビから「奨学金を出しましょう」と言う薦めも頑固親父は我慢ならずはねつけてしまう。
実はこの親父二人の話がこの物語の主軸になるもので子供達は可愛い代役ということなんだろうね。
カソリックの親父は頭が固くせっかくのユダヤ教のラビの申し出を乱暴にはねつけてしまう。一方のラビはそんな親父さんに寛容な気持ちを持ってはいるが撥ね退けられてはどうする事もできない。
ラストで子供達を介してピートの親父さんはラビに車の中から仲直りの合図のように手をかすかに振るが二人の間はまだ遠く離れている。
問題は解決してはいないのだ。

この映画は「グッド・ウィル・ハンティング」の脚本・出演コンビのベン・アフレックとマット・デイモンがインターネットで新しい脚本家を発掘しようとしたプロジェクトで選ばれ、ベン&マットが製作者になっているものだ。共通点は友情とそして魂の救済と言う事が描かれていることである。これは(ベンの映画は殆ど見ていないので何も言えないが)マット・デイモンの映画の中で何度も繰り返し表現されている事である。さすがにマットも少年に戻るわけにはいかないからこそこの映画が選ばれたのではなかろうか。
それにしても彼らの映画の中でもまた多くの映画(いまだったら「ダ・ヴィンチコード」とか)でもカソリックと言うものが何度となく批判されている。が、解答といえるような映画はない。宗教と言うものは長い年月の間に深く浸透し人間そのものを形作っていく。簡単な解決策などはあるはずもないのだろう。

監督・脚本:ピート・ジョーンズ 出演:アディール・スタイン、アイダン・クイン、ボニー・ハント、ケヴィン・ポラック、マイク・ワインバーグ、エディ・ケイ・トーマス、ブライアン・デネヒー
 
と言ってもアイリッシュ親父をやったアイダン・クインが素敵でね。批判はしてもマッチョな親父に惹かれてしまう私なのだなー。
しかしやはり母は強し。さすがのマッチョ親父もベッドを交換条件にされちゃいやとは言えない。いや、美女でなければ言えませんな。
posted by フェイユイ at 13:29| Comment(0) | TrackBack(1) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月01日

「ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ」その2

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昨日書ききれなかったのでもう少し。

夏が始まるとこういう音楽が聴きたくなる。仕事が終わった宵に涼しい風を感じながら好きな酒を飲みながらだとまた格別だろう。

クーダー親子がサイドカー付きバイクでハバナの海岸通を走り抜ける。波飛沫が道路にまで激しく打ち寄せてくるのだ。さらわれてしまわないかと驚くが凄くスリリングでうれしくもなる。
そうだ、この音楽はちょうどこの打ち寄せる波のようだ、と言うのだろうな。二人のオートバイは街並みを走る。道路にたむろする人々。行きかう古いアメリカ車、チェ・ゲバラの肖像画が街角にも掲げられている。
街の中の音がたくさん入り込んでいる。車のクラクション、エンジン音、犬の鳴き声、赤ん坊の声などだ。そのために自分がそこにいるかのような気がする。不思議な感覚だ。これはヴェンダースの技術だね。

キューバ音楽はパーカッションが独特だ。全てにリズムがある。ギターを指で叩きながら歌を歌う。どんな楽器でもとてもリズミカルで明るく楽しい。だけど底には哀しい想いが込められている。
スペイン語の響きがさらに心地よい。ギターの音色、キューバ音楽独自の楽器もある。パーカッションも独特で繊細で複雑だ。トランペット、ピアノ、様々な楽器が奏でられている。
軽さと情熱と苦しさが混じった音楽なのだ。

音楽と映像の共同作業は狡い。キューバの町の様子人々の生活を見せられながら音楽を聴いているともうそこに入り込んでしまう。
窓から吹き込んでくる風にカーテンが揺れている。そんな音楽でもある。

ライ・クーダーがその存在に驚き年齢のこともあって必死で集めた老音楽家たち(急がなければいなくなってしまう!)忘れ去られた音楽家たち、と言われる老人達の技術と魂に鳥肌が立つ。ライ・クーダーはこの比ではなかったんだろうな。映画では極めてクールに映っているが絶対凄いものを見つけた喜びで狂喜したに違いないよね。

昨日書いたフェレール以外にもピアノマンのルベーン。私はキューバと言うと体操などのスポーツなんだけど(彼らのジャンプ力の凄さと来たら!)体操の練習をする子供達の体育館の中でルベーンがピアノを弾く場面は楽しい。

そして「生涯現役」を自負するコンパイ・セグンド。渋い重い声を持つ色男だ。落ち着いた声でセカンド・ヴォイスを担当した事からスペイン語のセグンド=セカンドをあだ名に持つらしい。クラリネット・ギターもこなす。

また映画ではその色彩も美しい。赤や黄、緑などのクリアな色合い。老音楽家達も鮮やかなシャツを身につけている。

ピオ・レイバとマヌエル“プンティジータ”リセアが中庭でドミノというゲームをやっていてスタジオに呼ばれる場面も好きだ。まったく、こんな所で音楽を聴いてみたいではないか。

宵闇がせまるとさらに音楽は甘く響いてくるだろう。

そしてカーネギーでのコンサート。今までコンサートシーンはモノクロに近い色だったのにここではカラーになっている。フェレールの真っ赤なジャケット。オマーラの黄色い髪飾り。
何と言ってもルベーンのピアノが素晴らしい。何とも色っぽいではないか。

夜のNYをフェレールが歩く。英語を覚えたい。妻と子供にもここを見せてあげたかった、と言う。
ここでもヴェンダースの映像は雰囲気があって暗くそこにいるかのような気にさせる。

観客の喝采がやまない。フェレールたちの表情が写る。忘れられた存在といわれた音楽家達が蘇った夜だったのだ。
posted by フェイユイ at 22:16| Comment(5) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ」ヴィム・ヴェンダース

ブエナa.jpgフェレール.jpg

私はこの映画の音楽を表現する術を知らない。音楽的知識もなければ語彙も持たない。それはとても残念な事だ。この映画から流れ出てくるキューバ音楽の魅力を伝えきれないのだから。

この映画に出会ってからまだ1・2年くらいしかたっていない。初めて出会った時はその素晴らしい音楽への驚きと共になぜか昔から聞いていたような不思議な感覚があった。

この映画はギタリストであるライ・クーダーと映画監督ヴィム・ヴェンダースによるドキュメント映画である。従って映像は「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」の演奏家である老人達を淡々と写し撮ったものだ。
だのに映画としてドラマティックであり彼らの音楽を堪能させてくれる。

つまり物語は老人達の言葉によって語られるだけなのだが、僅かに知るキューバ革命の歴史などと重ね合わせて彼らの人生を思いつい目頭が熱くなってしまうのは私だけではないと思う。
彼ら老人音楽家達はすでに長い間、忘れ去られた存在であったと言う。“キューバのナット・キング・コール”と映画の中で称されるイブライム・フェレールは「生きていくのに耐える事が多すぎてもう歌はやめよう、何も得られることはないから」とまで思ったと語る。
その彼の歌声を聞くとそんな言葉は信じられない。若くセクシーであり力強く響きあるいは心にしみ込んでくるからだ。
冒頭、彼の歌う「チャン・チャン」の歌声が流れハバナの町並みをクーダー親子がサイドカー付きのバイクで駆けていくシーンは素敵だ。
そして最後、彼らのNY・カーネギーホールでのコンサート。フェレールは真っ赤なジャケット着ているのだがそれが小柄な彼に凄く似合っていてかっこいい。
1927年生まれのフェレールは50年代には人気があったのだが次第に人気がなくなった。1997年ライ・クーダーとキューバの老音楽家達が作ったアルバム「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」はグラミー賞を獲得しそれからの彼らは脚光を浴び活躍したと言う事らしい。そしてフェレールは2005年に亡くなった。
posted by フェイユイ at 00:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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