2006年06月21日

「アモーレス・ペロス」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 

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3つのオムニバス形式だがそれぞれが車の事故という出来事によって繋がっている。
タイトルの「アモーレス・ペロス」は「犬のような愛」ということらしい。3つの物語の主人公とも犬と共に生活している存在なのである。

第1話。ガエル・ガルシア・ベルナルが己の欲望のままに兄の妻に言い寄り間違った方向へ走ってしまうという話。

映画は二人の若者の車での暴走から始まる。心臓が破けそうな恐怖に満ちたこの暴走が彼らのしでかした罪を物語る。

相棒と共に闘犬をして金を稼ぎ、兄嫁と逃亡しようと計画を立てる若者を演じたガエルが何ともいえない甘い魅力を爆発させている。その美貌は彼が坊主頭になったときに一層強く感じたのだが、本当に美しくて魅力ある役者だと思う。彼自身がとても動物的なセクシュアリティを持っているではないか。
兄嫁とセックスをする時に鏡を見ている彼の一見優しく思える行動は結局自己の欲望を満たすために過ぎない。

第2話。美しい肢体を持つモデルの女性、その彼女と不倫関係にある男の話。
1話目の事故に巻き込まれた彼女はその美しい足に絶望的な傷を負ってしまう。
優しげに彼女を看病する男だが、その心には自分の欲望を満たす為の苛立ちがある。
彼女と住むマンションに床に開いた穴に彼女の愛犬が飛び込み出てこない。助けようとしてくれない男に彼女は怒りをぶつける。
男は行き場を失い、本妻に電話をかける。

本音を言うとこの話は私は物凄く疑問があるのだ。本筋とは脱線するのでどうでもいいといえばそれまでだが気になる。
まず男が彼女との愛の巣として用意したマンションの床があっさり割れてしまうのだ。まあ、解釈的には不倫なんぞしている関係は足元が危ないぞと言うのを映像的に見せてるんだろうというのは判るとして、やはり購入(かなんかは知らんが)したばかりの家の床が細いモデルが踏んだくらいで割れたりするならまず施工した業者にクレームをつけるべきだろう(か、購入した代理店に)「修理代がないんだ」ってのはおかしい。文句をつけて修理させるのが当たり前だ。いや、メキシコでは修理はしてもらえないんだっていうのならさー床に穴開いてんだからベニヤ板でも買ってきてクギで打ち付けてくれよ。なんならやってやろうか?床に穴開いてるだけで気になって観てられないよ。彼女が落っこちたらどうするよ、足、ケガしてんのに。(彼女が穴に落っこちてっていう話かとはらはら)不器用で出来ないなら上に何か置いてくれ。

案の定、犬が落っこちた。彼女が助けてって言ってもなかなか助けない男。またいらいら。床下で犬が死んだら匂いもするし、気持ち悪くて住めないだろ。早く助けろよ。
案の定、どうしようもなくなってから床にぼこぼこ穴あけて救出。馬鹿だ。

さらにぼろぼろになった床が彼女との愛情を物語っているじゃないか。馬鹿な男と不倫すると痛い目にあう、という寓話でした(違うか)

第3話。1・2話でも登場した犬をいつも引き連れた謎の老人。彼は実は愛する家族を捨ててテロリストになり捕まって投獄されたという過去を持つのだ。
例の事故で車の中にいた傷ついた犬を助ける。その結果、その犬は(かつて闘犬をしていたので)老人の可愛がってる犬達を噛み殺してしまったのだ。
怒りでその犬を殺そうとする老人。だが殺せない。彼自身、昔テロリストとして人殺しをした身ではないか。
老人のたった一つの願いはまだ2歳の時に別れた娘と再会すること。実際は彼女の姿を追っていたのだが、どうしても名乗りを上げることができないのだった。娘を思いながらも言い出せずいつか会う勇気が出たならとその犬を連れて旅立つ老人(髭を剃ってスーツに着替えたらそんな年寄りではなかった。突然ビジネスマンのようになった。驚き)の姿が哀しい。

3つの物語によって示される愛のなんと熱くそして哀しいことか。「犬のような愛」とはそのまま動物的本能による愛のことだろうか。
巧妙に筋を組み立てながらも荒々しい剥き出しの人間の姿を見せつけられる。


監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:エミリオ・エチェバリア、ガエル・ガルシア・ベルナル、ゴヤ・トレド、アルバロ・ゲレロ、バネッサ・バウチェ、ホルヘ・サリナス
1999年メキシコ
posted by フェイユイ at 23:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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