2006年06月29日

「カランジル」バベンコ監督のコメンタリーを観て

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ヘクトール・バベンコと言えば「蜘蛛女のキス」を思い出す。1986年の作品でどういう形で観たかも覚えていない。ウィリアム・ハート演じる女装ゲイのモリーナと反体制運動家の男との刑務所内での恋物語であった。
さすがに遠い昔に観たきりなので断片的にしか思い出せないのが残念だが、この「カランジル」同様、叙情的な雰囲気の漂うものであった。

「カランジル」はドキュメンタリーに仕上げようとしていた、というだけあって囚人たちの話を積み上げていく形式になっているが、膨大と言っていい人数を映し、多くの囚人達の個々の物語をまとめ上げていく力量に驚く。
一人の医師が見て聞いていくという手法がそれを可能にしている。

ヴァレラ医師は非常に寡黙で公平な印象を持つところが観客に信用を持たせる。
囚人達は多種多様。身体を異様なほど鍛え上げている男もいれば、麻薬に溺れているもの。囚人達のまとめ役もいれば、妹のセックスをだしに麻薬を手に入れようとする情けない奴もいる。敬虔なキリスト教の信者達の集まりもある。映画の中で最も凶暴な男が改心して宗教を求める挿話がある。
物語で最も悲しいのは義兄弟のジーコとデウスデッチの話だろうか。彼らは幼い頃からデウスデッチの実姉とともに義兄弟として親しんだ仲であり弟デウスデッチは命の恩人でもあるジーコを頼りにしてきた。だが麻薬に溺れるジーコが可愛がってきた弟にしでかした過ちは取り返しがつかないものであった。
監督は是非未公開シーンの彼らを見て欲しいという。
動かなくなった彼らの抱擁は物悲しいものだ。
彼らはまたその後、登場する。デウスデッチは泣き続けている。
これらは麻薬に対する監督の嫌悪である、と捉えるのは道徳的すぎるだろうか。

医師が気球を飛ばす主人シコに尋ねる「なぜここへ?」シコが答える「私の嘘も聞きますか。ここには罪人などいないのです」また彼はいう「刑務所というのはいつか出られるからいいのですよ」

刑務所内でのサッカーシーンと言うのはサッカーが盛んな国ではお決まりのものだ。ましてやブラジルにおいてや。
ここで聞きなれた(特に今)ブラジルの国家が流れる。囚人達の心が一つになっているのがわかるようだ。このような統一感というのはもしかしたら日本ではなかなか観られないものだと思う。またそれを嫌う。

レディとセン・シャンシの結婚式が微笑ましく見えるのは監督自身が酷く気に入って撮ったからだろう。作り手が好きでなければこのように美しい場面が出来る事はない。
まるで童話のように愛らしい一場面である。

映画の最終章は残酷なものだ。長い時間その生活を見てすっかり顔なじみになった彼らが突然起きた些細な揉め事から暴動になりそれが軍警を動かす。
軍警が行った虐殺行為は全く非人道的なものだが全て誇張なしの事実なのだと言う。ここでもバベンコ監督の撮影は過剰に憤ったものではなく出来うる限り客観的に事実を再現しているように思える。
そして生き残った囚人達は丸裸にされ中庭に頭を下げて整列し座らされる。人間性を剥ぎ取った怖ろしい光景だ。
殺戮の幕引きとしてまた非常に幻想的な効果が用いられている。また非常に宗教的な雰囲気がある。
posted by フェイユイ at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェイ・チョウ、カンフーバスケの主演!

カンフーバスケ.jpgバスケ映画.jpg

NOBさんから凄くうれしい情報いただきました!!謝謝!!!

ジェイがあの「スラムダンク」にカンフー的要素を加えた「ダンクシュート」(というようなタイトル)の映画の主演をすることになったようです!!

NOBさん曰く「カンフーバスケ」(笑)
あの「カンフーサッカー」を越えるか?!
いやー、期待は高まりますね!

こことかココ
タグ:周杰倫
posted by フェイユイ at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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