2006年08月31日

さよなら「藍空」〜また時々来るけどね〜

とうとう「藍空」最後の日になりました。
などと言ってもこの状態のまま「藍空放浪記」に移動するだけですので涙は必要ありませんよー。
もしよろしかったら引き続きフェイユイのブログを覗きに来てやってください。
「藍空」はこのまま放置しておきますのでこちらの様子も見てやってください。もしかしたら時々なにやらいじるかもしれません。
コメント・TBもどうぞお願いしますね。

では続きは明日「藍空放浪記」にて
タグ:挨拶
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月30日

「藍空」の終わり、そして映画賞授賞式

さあて皆様、予告していました「藍空」ブログも8月いっぱいということでもう少しで終わります。
本来なら明日書けばいいのですがどうも心配性なので「書き損ねたらやだなー」と言う事で1日早く書いております(笑)

1年前の9月始めは一周年記念とかでやたら色々書いてますね。その一年のベスト映画賞なんてのもやってます。
これは楽しいんで今回も是非やりたいんですが、新ブログ早々ベストもないと思うのでこれも早めて「藍空」でやってしまいます。

前置きが長いんですが(笑)もともと「藍空」はアジア系映画に固執してたので去年は「一般映画=アジア系映画」「それ以外=外国映画」という風に分けていたのですが、今年は途中からその志向が大きく崩れてしまいあえてアジアと外国と分けちゃうと意味が変わっちゃうので今回はみんなひっくるめての選出です。
もうご存知のことですが、ここでの映画賞はフェイユイがこのブログで書いてきたフェイユイが観た映画での選出なので過去と現在の区別はありません。というか殆どが過去の映画、そして時々逆に日本公開より早いモノもあります。殆どすべてがDVDによる鑑賞です。

映画部門

最優秀作品賞:「王の男」
韓国映画からすっかり離れてしまいアジア以外の映画を観始めはまり込んでしまったりして(色々あった「ブロークバックマウンテン」ガエルもの、マット・デイモンもの)そして巡り巡って最高に好きになったのが結局韓国映画の「王の男」だった。
ホントはもっと何回も見直して書きたいのだよー。「藍空放浪記」の方でもまた書くつもり。

最優秀監督賞:ウォルター・サレス
「モーターサイクル・ダイアリーズ」ってことで去年上げてもよかったんだろうけど今年観た「ビハインド・ザ・サン」「ダーク・ウォーター」での感激も加わって選ばせていただきました。

最優秀主演男優賞:市川雷蔵・勝新太郎
お二人にしてしまって申し訳ないけど今年観た主人公で最も印象が強かったのはこのお二人。
まあ初めて観たわけじゃないんだけどまさに主役、という強烈なキャラクター「眠狂四郎」と「座頭市」は久し振りに観ても激しい衝撃を受けたと言う事で。

最優秀助演男優賞:ミッキー・ローク
あまり深く考えていないんだけど(笑)「シン・シティ」(主役か?)とか「レインメーカー」とかで。

最優秀主演女優賞:藤純子
おいおい、主演は日本人ばかりか。だってかっこよかったんだもーん。しばらく昔の日本映画にはまってましたが、昔の日本映画の主人公って男も女もかっこいい。そして美しい。

最優秀助演女優賞:ジョニー・デップ
冗談ですが。ホント女性が出て来るの少なくて。思い出せない。思い出したのは「夜になる前に」のジョニー・デップと「カランジル」のロドリゴ。サントロ。
サントロの方がより女性的ですけどね。ジョニーの方がインパクトあるかなと思って。

ドラマ部門

最優秀作品賞:「笑傲江湖」「天龍八部」
(笑)えー前回は「射[周鳥]英雄伝」にしてるんですね。まだ「天龍八部」の途中で。その後この二つを観終えるのですがやっぱ甲乙つけがたい。
「天龍八部」の方が好き、とか言ってはいたんですがそれならこの記事数は何だという話もあって。やはり選べませんね。

最優秀男優賞:李亜鵬(リー・ヤーポン)
「笑傲江湖」で素敵だった。「康煕王朝」の陳道明も選んでよかったのですが僅差で次点。

最優秀女優賞:スーチン・ガオワー
「康煕王朝」そして「西太后の紫禁城」と彼女なくしては紫禁城は語れませんなあ。とくに今回のお婆様=太皇太后は迫力ありました。

他に好きだった作品は数多くてあげきれませんが「特別賞」をフェイユイのそれまでの主義を変えさせてしまったマット・デイモンと「ブラザーズ・グリム」のテリー・ギリアムに捧げます。
おかげでせっかくのアジア系ブログがもっと幅広いものに変わってしまいました。まあこうやって人は変わっていくものでありますね。

では誰とも比較できないフェイユイだけの映画賞授賞式を終わります。
次回来年の今頃新ブログ「藍空放浪記」でまたやれることを願って。再見!

posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ハリウッド☆ホンコン」陳果

ハリウッド・ホンコン.jpgハリウッド・ホンコン2.jpgハリウッド・ホンコン3.jpg

何度目かの鑑賞です。
陳果醍醐味満載という感じで冒頭から楽しめますね。
いつも陳果監督は陳果らしい味を失わない方だと思っていますが。
これは是非真夏のどろどろ猛暑の中で観たい映画です(と夏の終わりに言う)もう汗だくですよ。

香港の下町「ダイホム」のすぐ側には巨大なビルディング「ハリウッド」が立ち並んでいて貧しいその街並みを見下ろしている。「ダイホム」にはトタン屋根の家が入り組んだ路地と共に存在する。そこには様々な人々の生活があり、焼き豚屋を営むチュー一家や同棲相手に売春をさせているウォンたちもそこの住人であった。
そこへある日上海から“天使”がやって来たのだった。

“天使”の名は「紅紅(ホンホン)」「東東(トントン)」「芳芳(フォンフォン)」とも言う。
彼女は男達に夢を与え、そして手ひどいしっぺ返しをして去っていったのだった。

この大陸から来た不思議な少女(ではないんだけどそんなイメージ)を周迅がいつもながらの魅力で演じている。
そんなトントンと仲良くなるチュー家の次男坊タイニーが凄く可愛い。陳果監督はこれもまたいつも子供が凄くいいんだけどここでもタイニー君の活躍なしではなりたたない。
いつもと違うと思ったのは、陳果監督は非常に細身な少年少女が好きでここでも周迅とチンピラのウォンは細身ですがチュー家の男は親子ともでっぷりとした身体を誇示している。しかも焼き豚製造店なのでたくさんの豚をさばいては焼き上げるのだ。ゴウゴウと燃え盛る炎の中で焼けていく豚肉の映像が熱い。おデブな身体からは汗が滴り落ち観ているだけでも温度が上がりそうだ。
冒頭のスタッフ・ロールが「007」を彷彿とさせる演出なんだけど名前が映し出されるの豚の皮膚なのか人間の皮膚なのか判らなくなっていくとこが最初っから陳果やるーなのである。

香港のありのままの姿を描きだしていくという狙いもいつもと一緒である。香港が中国に返還され大陸から来た娘に翻弄されていく。古い建物は取り壊される運命にあり、新しく巨大な建物が作られていく。
大陸をイメージさせるトントンがタイニーに赤い布を振ったり、トントンが危険の迫ったトントンに「走」(逃げろ・行けという意味)の字を書いた旗を振るところなどなんとも意味深である。
またいつものように素人を使ったキャストであったようだ。勿論、周迅はそんな中でもすんなりと小悪魔的な少女を演じていて違和感がない。
トントンがチュー家でブランコをこぐシーンが幻想的である。

人間の体外受精卵を豚で育てて出産させようという大陸出身の女医者(?)が凄い。
ウォンが他のチンピラたちから右手を切り落とされその女医者に他の男の左手を移植されてしまう。これもまた意味深。
無理矢理くっつけられた他人の手などいらない、と言って泣くウォン。これもまた香港と大陸を表しておるのでしょうな。ただし、間違った他人の右手をつけられてどっこい生きてる他の男もいるわけで。
香港はたくましい。というオチでございましたでしょうか。

監督・脚本:陳果(フルーツ・チャン )音楽:ラム・ワ−チョン/チュ−・ヒンチョン
出演:周迅(ジョウ・シュン)/グレン・チン/ウォン・ユーナン/ホウ・サイマン/レオン・ツィーピン
2002年香港
posted by フェイユイ at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 香港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

「宅變」陳正道

Heirloom.jpg宅変1.jpg宅変2.jpg宅変3.jpg

えー張孝全の「盛夏光年」のために(?)陳正道監督作品「宅變」を観てみた。中文字幕だしまあ画面を見ていただけなんですが、古い洋館を舞台におどろおどろしい雰囲気が結構好みな感じでした。私的には洋館より中華風のほうがより怖そうな気がするし好きなんですけどね。
とはいえ作品映像のクオリティも高くますます「盛夏光年」の期待度は高まりました。そんなに大げさな脅かしや残酷シーンがないのもよかったです。格調高い品のいいホラーですね。

「宅變」には「17歳的天空」のジェイソン・チャン、「ターンレフト・タンライト」の 關穎(クァン・イン)が出演しています。

「宅變」DVD
タグ:ホラー
posted by フェイユイ at 13:04| Comment(8) | TrackBack(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

「天上草原」マイリース/サイフ

天上草原.jpg天上草原2.jpg

漢民族である少年フーズが父母と生き別れたためにモンゴル族の男シェリガンと共に彼の故郷である内モンゴル自治区の草原で暮らすことになった。

だが少年フーズは父親が投獄、母親は別の男と逃げたというショックのためか失語症になっていた。おまけに懸命にフーズを助けようとするシェリガンから逃げようとばかりするため「モンゴル結び(一見ゆるそうだがなかなかほどけないらしい)」で括りつけられる有様。
5年の刑期を終えて故郷へ帰ったシェリガンが向かったのは5年前に離婚した元妻のバルマと彼女に育てられたシェリガンの弟テングリの住む内モンゴルのゲル(パオ)だった。
シェリガンはバルマに許しを乞うてよりを戻そうとするが散々苦労をしたバルマの心は頑なだ。しかしバルマは他の男と関係を持とうとはしていなかった。
バルマの義弟であるテングリは義姉に対してほのかな恋心を抱いていたのだろう。バルマもそれを感じていたが(もしくは何かそういったことがあったのかもしれない)義弟の「一緒にどこかへ行こう」という問いかけに応えることはなかった。失望したテングリは軍隊に入り兄夫婦を残して草原を去った。

少年フーズにとってはこのテングリとの触れ合いがずっと記憶に残る事になる。
「町の子」フーズの目を通して内モンゴルの自然とモンゴル族の優しさ・強さが語られていく。バルマはいつもフーズを優しく見守っているがフーズが白鳥の卵を意味もなく取って来て割ってし待った時は厳しく怒る。
シェリガンは家畜を狙う狼を追うが命を取る事はせず、懲らしめると自然に返すのだ。テングリは旅立つ時、愛馬をフーズにあずけて行った。
物語はシンプルで力強くしっかりと訴えかけてくる。最も天に近いというモンゴルの草原が素晴らしく元・夫婦と弟の人間関係をモンゴル結びにかけて表現していく。このシンプルな美しさと言うのが素直にこちらに伝わってくる映画だった。

そうして思ったのは主人公の少年が何故漢民族なのか、ということ。彼は綱で縛られて内モンゴルへ連れてこられ、最後はなんとも悲しい事に父親の刑期終了で再びもとの町へ戻されてしまうのだ。今では心底愛する人たちから切り離されて。
このとんでもないラストは一体なんなんだろう?

この作品は内モンゴルの監督・出演者・舞台で作られているが出資は「国」からのものらしい。無論中国=漢民族の観客を意識するだろう。
映画の登場人物は舞台であるモンゴル語を話しているがナレーションは漢民族の少年の言葉・中国普通語=漢語で話される。漢民族である少年がいきなりモンゴルへそれも否応なく連れて行かれ、また戻される事で観客の漢民族は自分が夢の中でモンゴルの草原へ暫し行ったかのような感覚に襲われてしまうのではないだろうか。
また別の民族である自分も何となくそのような不思議な体験をしたように思われた。それくらいこの映画の中のモンゴルの草原とパオ(ゲル)に憧れてしまう。
何となく自分もモンゴル人のように馬を駆けさせることができてしまうようではないか、「町の子」であるフーズがモンゴルの子供達に混じって馬の競走をして優勝したラストシーンのように。
つまり「町の子」フーズは漢民族であるが他のすべての国の観客の目でありいきなりモンゴルへ連れて行かれてしまう代行者なのだ。
映画を観終われば自分の国にいるはずなのでフーズはいきなり元の位置に戻されてしまったのだった。「ああ、またモンゴルへ行って優しいバルマと馬達に会いたいなあ」と思わせながら。
とにかく内モンゴルへ行きたくなってしまったんだから、間違いないと思う。

それにしても最近はちょろちょろとモンゴル辺りのドラマなんぞ観ていたんで結構懐かしい。
結婚衣装なんかも「康煕王朝」に出てきたモノを彷彿とさせるし(あの髪飾り印象的!愛し合うのも草原の中で、というのもありましたな)
しかしここでまたひとつ。中国ドラマではモンゴル人も漢語を話しているのでモンゴル語というのは聞く機会が殆どなかった。
ここで聞いていると漢語よりは韓国語の響きに近い気がします、何となく。

天上草原の世界

監督:マイリース/サイフ (ご夫婦だそうです) 音楽: サンパオ  出演: ナーレンホア ニンツァイ グアルスーロン アユンガ トゥメン
2002年中国(内モンゴル自治区)

訃報
サイフ監督逝去
『天上草原』の共同監督、サイフさんが9月1日夜、肺ガンのため、北京の病院にて逝去されました。享年51歳。遺作は、マイリース監督と撮影中だった『東帰黙示録』。
謹んでご冥福をお祈り致します。
posted by フェイユイ at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

「力道山」ソン・ヘソン

力道山.jpg

何と言っても圧倒されるのは韓国映画でここまで当時の日本を再現できたということなんだろう。
「その当時」と言うのを自分が生で体験したわけではないがまったく違和感を感じず観る事ができたということが凄い。
しかもソル・ギョングは30キロ以上の増量をして力道山の半生の変化を演じ分けながら全編日本語を話すのだからその努力と技術には驚くしかない。

ところでこの映画のキャッチフレーズは「日本人が一番力道山のことを知らない」ということだが確かに力道山の名前と顔は知っていてもどんな人なのかは全く最近までしらなかったのだ。
しかも私が知ってる写真は美空ひばりと仲良く笑いながら写っているとても可愛らしい笑顔の力道山だったりしてソル・ギョングが演じたような苦しみを持つ人だとは夢にも思わなかった。戦後の日本人に夢と希望を与えた最強のアイドルというイメージであった。

力道山が最初は相撲をしていたことは知っていた。だが朝鮮人であるためにこのようにいじめられ昇格もできなかったと言うようなことは知らなかった。映画での演出かとも思ったが、実際時がたった現在の相撲界でもモンゴル力士の報道など思い出すと当時の日本ならこれが嘘ということはないなと思ってしまう。結局力道山は相撲界に見切りをつけプロレスの道を歩み出すのも当然なのだろう(一体なぜ相撲からプロレスに?と思ったことはあったが、こういうことだったのだ)
ところで映画中にプロレスシーンが繰り広げられるのだが、これも当時の人間でないとわからない事ではあるが、想像するに随分派手な立ち回りをしているようだ。なんというか、自分が最もプロレスを見ていた頃の技が次々と繰り出される。(スタン・ハンセンのような)ラリアートやらブレーン・バスターなどはまだこの時代ないと思われるのでしてこれは時代考証うんぬんというよりまあ画面を華やかにするためのサービスと思おう。場外乱闘などはどうだったのであろうか。
無論、力道山の必殺技空手チョップは炸裂する。これでデカイアメリカ人をばったばったとなぎ倒すのを戦後日本人はこの映画で描かれているように涙を流して喜んだのだなあと感慨深げに観る。その英雄が散々差別した朝鮮人なのだというのはその当時の人々はどのくらい知っていたのか、いないのかそれも知らない。

くもりなき英雄と思っていた力道山が実際は酷く短気な面もあって様々な問題を起こしていたと言うのも驚きだった。それは映画で知るようにこのような差別の中では当たり前のような気もするが写真でみたあの笑顔の主がこのような苦悩を持っていたとは思わなかった。

だがそんな力道山も心の通う日本人はいたというのが救いである。特に力道山が会長と呼んで信頼している菅野武雄との交流は次第に鬼気迫るものへと変貌していく。菅野を演じた藤竜也と言う人を今まであまりいいと思ったことがなかったがこの役はよかったのではないだろうか。

監督のソン・ヘソンは「ラブレター〜パイランより〜」も作った方ですね。こちらは原作が日本のもの、ということで日本に興味が深い方なのだろうか。なんとなく男と女の関係が通じる所があるような気もする。

また、日本が舞台となり朝鮮人のヒーローということで思い出すのが「風のファイター」の大山倍達である。無理に比較する事はないのだが、あえて少し比べてみる。
これは勿論映画の中でのことである。
記憶の中でだが、日本語は倍達のヤン・ドングンが上手かったような。映画の出来具合は思い出してみてもどちらも大変よくできているようで甲乙つけ難いが好み的には「風のファイター」の方が好きである。やはり映画の倍達は魅力的であった。
以上は好みである。とはいえ力道山の苦悩する姿は壮絶だった。

ということを「力道山」で言うのはなんなんだがこちらが後だったんでしょうがない。

ここでも(というのはこの前「クロマティ高校」を観たから言っているのだが)橋本真也が東浪という力道山に続く相撲界からのプロレスラーという役で登場していた。

監督:ソン・ヘソン 出演:ソル・ギョング、藤竜也、中谷美紀、萩原聖人、橋本真也、山本太郎
2004年韓国
タグ:格闘技 歴史
posted by フェイユイ at 15:27| Comment(4) | TrackBack(4) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

キム・ギドクと韓国映画界

悲しい。
キム・ギドク監督が韓国で異端児扱いされ観客も外国と違ってさっぱり入らない、という報道を聞いていても今まで全く甘く見ていた。そんなギドク監督がむしろかっこいいような気さえしていた。
が、事実はもっと深刻なものだったんだ。

一体なぜギドク監督の作品がそんなに韓国人に嫌われるのかが正直さっぱり判らないのだ。
彼の作品が残酷で性的描写も多いからとか言う。何故そんなことが言えるのか?とりあえず色々な韓国映画作品を観てきたけど私が観た感じでは他の作品の方がもっと残酷でスケベなモノがどっさりある。
ギドク監督の作品が嫌悪されるのはそういう他の一般韓国映画の興味本位の残酷さスケベさではなく人間の本質に迫ろうとする鋭さが原因なのではないのか。でもそれがなければただ面白おかしく人を驚かせればいいと言う風になっていくだけだ。
面白おかしい映画がいけないわけじゃない。むしろ私はおかしな映画が大好きだし。でもよりいいものを目指して懸命に映画作りに打ち込んできた韓国映画が当然の如く資本主義のハリウッド映画に沿ったものになっていくだけなのは空しくはないのか。
ギドク監督の凄さは人間の心の深みをえぐる事だけじゃなく低予算で映画を作ることに徹している事もある。自然、映像は荒っぽく感じられるがそれも不必要なCGに固執する映画よりよっぽど美しい。

韓国映画界の事をよく知りもせず書いている。
ただ韓国では映画界と言うのが国からも奨励されるほどで学校でしっかり技術を学んだ者が監督なり俳優なりになっているという印象がある。実際だからこそここまで韓国映画が面白くなったんだろう。
そういう意味でもギドク監督は異端児なのだ。しかもたいした学歴もないという。そういったこともいじめの原因になっているのではないか。(物凄い学歴社会だと聞くから)
韓国映画は面白い。ポン・ジュノ、パク・チャヌクといった監督たちが凄く好きだ。
だけどキム・ギドク監督の作品は違うのだ、少なくとも私にとって(賛同してくれる多くのファンがいると思う)
残酷性とか性描写とかはギドクが人間そして自分というものを探っていくうちにどうしても描かねばならない事柄なのだろう。
私にとっては他の映画より充分気を配ってそういった描写をしていると感じている。よく観てみれば不必要な描写はされてないのが判ると思う。

もう一つの彼の映画の魅力は他の男性監督(女性監督でも)では考えられないほど女性の目を通しての性や暴力を描いていると感じられることだ。
それは「うつせみ」や「青い門・悪い女」「サマリア」などには特に感じられることだ。こういった女性の感覚と言うのをなぜ男性のギドク監督が描けるのか(しかもなぜかマッチョの監督と言われているのに)

私にはこう言うしかできない。
「今はまだ韓国の人はキム・ギドクが判らないのだ。時間が必要なのだ。もう少し時がたてばきっと判る」
キム・ギドク監督の新作は「時間」というタイトルだ。私はまだ観る事ができないが倦怠期の恋人達が整形手術をすることで愛を取り戻そうとするのだと言う。だがそれはなかなかうまくいかないらしい(ラストは勿論知らない)

チェコの映画祭でギドク監督はアリランを歌ったという。ギドク監督が韓国を出たいわけがない。
ただ彼は「韓国映画界から引退する」と言っている。映画を作らなくなるわけでは決してないのだ。どこかで必ず作る、と言っているのだ。
でも祖国から出て行くという道しかないギドク監督が悲しい。

私達ファンはギドク監督が傷心を癒してまた映画を作ってくれる事を願うだけである。
自分の映画をゴミだ、と言うなんて物凄く落ち込んでいるのだろう。
ゴミどころかギドク監督の映画が美しいことを知っている者たちはたくさんいるのだと知って欲しい。
posted by フェイユイ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月24日

「ラウンダーズ」再び

また鑑賞して記事かいてます。飽きない私。

映画の中で主人公マイクがガールフレンドに「ポーカーは世界選手権もあるんだ」といってその正当性を主張するがガールフレンドが絶対それを許せないのは勿論そのポーカーは賭け事だからだ。

賭け事を好きか嫌いかでこの映画の評価事態が変わってしまう。私は賭け事は絶対したくない派なので主人公マイクの気持ちにはなれない。(いや、実はなれるんだろう。はまったら最後マイクのようになってしまう予感はある)ここでは私はあくまでガールフレンドの味方である。

物語がマイクの自己弁護によって進んでいく。友人ワームはギャンブラーのイメージそのもののキャラクターだ(全てのギャンブラーがこうだとは言わない)勝つためにはいかさまも平気だし、負けて借金を負っても何とか逃げることばかり考えている。
「レインメーカー」でマット演じる主人公は悪徳弁護士を見て「いつか僕もああなってしまう。その前にやめる」と言った。だけどマイクは自堕落なワームを見ても「僕もいつかああなる。その前にやめる」とは言わない。悪の蜜は甘いのだ(弁護士は辞めれても賭け事師はやめられない)

結局物事がうまくいき希望のあるラストを迎えるが、賭け事と言うものはどう転ぶかわからないのだ。
作品中に10何年も続けているプロが出てくるがマイクたちはその面白みのない手堅さを笑っている。冒頭で3万ドルを賭けるマイクがいつもこのラストを迎えきれるはずはない。

ということを踏まえたうえでやはり悪の道の物語は面白い。
エドワード・ノートンが演じるワームの腐れ加減がたまらなくよいし、マットのマイクの真面目なギャンブラーというのもあっている。真面目なほどのめりこんでしまうと抜けられない(不真面目でも抜けられないが)のだ。

ワームの借金を返すためにとうとう教授に無心してその金を賭けに使った時は最後だと思った。実際これをスってしまい堕ちるとこまで堕ちてしまうのが当たり前ってな気がする。

KGB(あだ名)役のジョン・マルコビッチがまたすごくよくてなぜかジャージ姿。しかも赤い色の、共産主義を表しているわけですね(笑)
クッキーをつまむのが癖というのもマル。

マイクたちが金を稼ぐために素人たちをカモにしていた。アレを見たら絶対ギャンブルなんかしちゃいけないと思うね。

以前の記事
posted by フェイユイ at 18:41| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

今夜もキム・ギドク問題

キム・ギドク監督の『時間』、24日に全国公開

えー、この全国公開というのは韓国全国です。
昨日はばたばたと慌てて記事を書いてしまったのですが(今日もあまり状況はかわらないですが)これを読むと7日頃は新作「時間」に観客が集まればよし、と思っていたのにそれ以後監督が発言した「グエムル」批判に対しての反応がかなり酷いものだったのでしょうか。あれほど凄い作品をゴミだといい捨ててしまうのですから。そんな悲しい思いをしての突然の韓国映画界引退宣言となったのですね。

私はポン・ジュノ監督も大好きで「グエムル」も楽しみなわけですし(なにしろこのブログに並べて貼ってる)本当を言うとキム・ギドク監督にそういう発言をして欲しくはなかったものですが、だからと言ってギドク監督が嫌になるわけではありません(勿論、韓国語を理解する耳を持っていて監督の発言を聞いていたらどう思ったかは判りませんが)

昨日の記事で「サマリア」についてのアン・ソンギさんの言葉と言うのがあって(アン・ソンギも好きなんですが)『いったい父親が娘をどうやって殺せるのか』というものでした。
娘を殺してしまう父親は現実にたくさんいます、悲しいことですが。まさか韓国には一人もいなかったということはないでしょう?あの映画での父親の気持ちが理解できなかった、ということなら仕方ない、彼には理解できなかったのだ、としか言えません。

とりあえず新作「時間」は韓国で公開されることになったということですが、例え大入りになったとしてもギドク監督の気持ちはもう変わらないのでしょうか。
キム・ギドク監督の辛い気持ちを思いやる事も忘れ、「では一体次はどこでどんな作品を作るんだろうか」などとつい考えてしまう私はやはり冷酷非情な輩であります。

posted by フェイユイ at 23:24| Comment(4) | TrackBack(2) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「韓国映画界の異端児」キム・ギドク監督が引退宣言!?

「韓国映画界の異端児」キム・ギドク監督が引退宣言!?
一体、キム・ギドク監督どうなってしまうんんだろう?

キム・ギドク監督「自分の映画はゴミのようなもの・・・」
って多くのファンは決してそんな事は思っていません。
ここまでになるほど彼は韓国で嫌われているのでしょうか?

一応、引退、と言っても韓国映画界からの、ということで受け取っていていいのですよね。
もう少し時間が必要なのでしょうか。(ああ、これ新作のタイトルだ)
posted by フェイユイ at 00:07| Comment(3) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」

いつもの事だが、この映画について思ったことをだらだらと書いてみる。

この映画でどうしても切り離しては考えられないのがこの脚本がマット・デイモンとベン・アフレックの二人によって書かれたということだ。
まだ二人が若く経験も浅い時に書いたものなのでどうしても「作られた話」という印象が強いのだが多くは二人の体験によるものということとなんと言っても若さが生み出した魅力が溢れている。

ここに二人の教授が登場してくる。
一人はウィルの類稀な才能を見抜き、そのために劣等感を抱きながらも彼を更生させようと奮闘するMITの数学教授ランボー。
もう一人はそのランボーに頼まれウィルの精神分析をしながら心を開かせようとするマクガイア。
そしてこの映画はロビン・ウィリアムズ演じるマクガイアとウィルが互いに新しい道を見つけていく物語、となっている。
だが、実際観ていると感動するのはウィルの心を開かせようと苦心するマクガイアとの会話より親友チャッキーがウィルに語る言葉「いつかお前が
いなくなってしまっている。そんな日がくるのを期待しているんだ」の方だ。
とは言えウィルのために掴みあいのけんかまでしようとする二人の教授はなんだろう。この二人はウィルにとって失ってしまった両親の役を果たしている。
ウィルを強く励ますランボー教授が父親で、「君は悪くない」と慰めてくれるマクガイアが母親である。
だけどもそれは仮の姿であり頭で作られたものだという感じがある。それに比べると親友チャッキーの役割はマットとベンがお互いを見ながら描き出された感があってより響いてくるのだ。
マクガイアはチャッキーの存在を親友ではないと決め付けたが、結局ウィルの扉を叩いたのはチャッキーの方ではなかったのだろうか。

主人公ウィルは実に憎たらしいキャラクターだ。人並みはずれた頭脳を持つ上、何度となく暴力事件を起こし、助けようと手を差し伸べる教授たちにも生意気な態度で接し、その心を傷つける。例えば、マクガイア教授の触れて欲しくない部分に入り込むしランボー教授は自分がウィルには決して勝てないという劣等感を与えられ、是非見たいと思っていた答案に火をつけてしまう。慌てて火を消そうとするランボー教授を冷たく見ている。ランボーは憐れな行動とは思いつつも答案を見たいのだ。
それなのにそんなウィルを取り囲む人々は過去に彼に虐待を加えた養父たちを別にすれば優しく彼を見守ってくれるのだ。
ガールフレンドのスカイラー、ウィルの才能を見出したランボー、精神分析をしてくれて「君は悪くない」というキーワードを見つけたマクガイア、そして古くからの友人達。
みんながウィルを思ってくれている。
幼児期の虐待という項目がなければ、ウィルは恵まれすぎているとさえ思える。
そのために虐待という設定が付け加えられたのだろうという気がする。
それがなくてもよかったんじゃないか、とも思うが現代の問題として大きく取り上げられる事柄であるし、天才的頭脳、幼児期の虐待といったことが映画に興味を持たせる要素になっているのも事実だ。

つまりはこの映画には私は少なからず不満があって、それはもう大変な魅力があることは確かなんだけど疑問もあるのだ。
一つはマクガイアの治療がかなり短期間に強制的な感じがすることであって(本人はランボーに無理強いするなっていってるけど)その辺もチャッキーの長い目でみている療法に劣っている気がする。
決して精神分析家がいけないといっているわけではないが(それどころかとても大切なものだと思う)映画として精神分析家に治してもらった、というのは直接すぎるのではないか。
ウィルは何人かの精神分析家に反発するのだが、結局彼のことを親身に思うランボー教授との(この場合キャラクター設定を少し変えねばならないだろうが)交流でもよかったんじゃないか。精神分析家に治してもらう、って言うのがやはりアメリカ的、ということで片付けてしまうべきか。
まあ、私の好みにしか過ぎないのだろうが。

という疑問を持ちつつも映画のラストは感動する。黙って出て行ったウィルのことを全て察してにやりと笑うチャッキーは素敵だ。
正直になれず傷つけてしまったスカイラーの元へ向かってポンコツ車を走らせるウィル。これから数学の才能をどうするのか、彼女との間はどうなるのか、すべてが今から始まる、という終わりは素晴らしい。

今、またはもう少し彼らが年をとってからどんな映画、脚本を作るのか、興味は深い。

それにしても映画の間に何度か挿入されるウィルが電車で移動する場面は何度観てもいいものだった。いつもの憎たらしい言動ではなく一人きりで電車の窓から流れていく景色を見ている顔が凄く好きなのだ。
posted by フェイユイ at 23:52| Comment(2) | TrackBack(2) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

ジェイの新譜は“依然范特西”ですぞ!

フェイユイチン.jpg

やっとジェイの新譜のタイトルが決まった、ということで話題になっているようですね。
“依然范特西”「千里之外」では男性歌手費玉清とのデュエットもあるということでまた楽しみです。
しかしアルバムタイトルには驚きですね!しかし共演者の方のお名前、フェイユイチンですか・・・なんか気になる・・・(フェイユイ・チンじゃだめ?)
ココ で予告編
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2006年08月20日

「市民ケーン」オーソン・ウェルズ

市民ケーン2.jpg市民ケーン3.jpg

この映画は実際観た事がなくても観ていた気になってしまう作品の一つではないでしょうか。
実は私はこの映画を観ていたんだかいないんだかがよくわからなくて多分観ていたにしても実際の記憶はもう薄れていたのにどこかで得た情報であらすじとラストのシーンまで知っている、という気がするのです。

で、また何故突然「市民ケーン」かといいますと先日ジョニー・デップの「エド・ウッド」を観てたらオーソン・ウェルズ(の役の人)が出てきて、主人公に勇気を与えるのですが(つーか勝手にもらってしまう?)それを見て「あー、オーソン・ウェルズって観た気になってるけどはっきり記憶してないよね?」って自問自答して観てみることにしました。

はてさて最高の名作と名高いこの作品ですが、さすがに骨がありまして私の
鈍い頭にはすぐにぴんと来るような代物ではありませんでした。一応2度観て(一回目は半分眠りかけていた)少しだけ飲み込めてきたのですが、なんというか解りやすい人情モノやメロドラマではないのです。ただ物語の鍵となる「バラのつぼみ」という言葉が人々から怖れられあるいは嫌われていた
大富豪ケーンの幼少期の幸せの象徴だったと言うのでちょっと参ってしまうわけですね。

皆が注目するこの映画の凄さは製作が1941年(つまり65年昔のものというわけですね)というのに古さを感じさせない斬新な撮影方法であるということでしょう。
と言うと逆に今の時代の者が観ても当たり前に観てしまって「上手いけど?それで?」って気になってしまうのではないでしょうか。
それくらい(私の想像に過ぎませんが)多分これ以後の多くの映画が「市民ケーン」で用いられた手法で映画作りをしているのでは、と思えるのです。
このちょっと突き放したようなクールなタッチもその頃の映画人・映画小僧にとってたまらない感触だったに違いありません。
細かい手法の一つ一つはその当時観たわけではないからその斬新さのショックと言うのは判断できないのですが、小さい子が見上げた背の高い大人の見下ろす視線とか、こちら側の人間が手にした本の影に話している相手が隠れていた、とか。
朝食の光景を繰り返す事によって夫婦関係が次第に気まずくなっていく、だとか、影の使いかた、セリフなどなど衝撃の嵐だったのだろうなあ、と思ってしまいます。
そしてその後に「市民ケーン」の技法を真似て(と言うかその技術を学んで)作られたものを現在も観ているという気がするのですね。

またこの映画を作った時のオーソン・ウェルズがわずか25歳だったというのも驚きです。監督・脚本・主役という物凄さです。おまけにケーン氏を演じるのに適したかなり威圧的な嫌味な容貌をしているというのも凄い。25歳には見えないくらいですね。あごがすっきりしている所がまだ若いようには見えますが。どちらかというと共演のジョセフ・コットンの方が素敵に見えますしね。

ところで映画の中でもケーンの名前「KANE」と言う字がやたら出て来るんですが、日本人としてはこれはどうしても「かね=金」って呼んでしまいますよね。うーむ、まさかオーソン・ウェルズが日本語を知っていて大富豪に「KANE=かね(金)」って名前をつけたんじゃないよな。
そのケーンが着てる服にもやたらKの字を刺繍してるのがおかしかったです。

そうそう、凄いシーンっていえば、ケーンが2番目の奥さんに「明日はピクニックだ!」と威圧的に叫んで(そんな言い方じゃピクニックもいやだよな)海辺を真っ黒な車が物凄く連なって走っていくのも怖ろしく印象的だった。なんなんだろう、あれ。

監督・脚本: オーソン・ウェルズ  出演: オーソン・ウェルズ 、ジョセフ・コットン、ドロシー・カミンガー
1941年アメリカ
タグ:映画
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

お盆とアクセス数

アクセス数がお盆中はガクンと下がったのでちょっとショックを受けてたら元に戻った。ネットもお盆と関係あるのだな。びっくり。上がるんじゃなくて下がるのね。やはり帰郷したりお墓参りで忙しいのだろうか。

現在多い検索ワードっていってもあまり変わらないのかな。最近は「盛夏光年」と「王の男」が。うれしい。
後は金庸もの、中華時代ドラマもの、周杰倫関係、キム・ギドクや韓国映画関係。つまりはマット・デイモンや中南米関係は殆どないわけですね、とほほ。
でもそれとはなくうれしいのでもあった。
posted by フェイユイ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

台風の名前

ただいま台風が九州を縦断中。で、ネットで見てたら台風には名前があったんですね。よくアメリカなんかの台風(っていうのか)の名前は聞いたりしてたけど。
で今度の2006年10号台風は「ウーコン」って言うらしい。「ウーコン」?これは中国語の発音で悟空のことでした。なるほど。
他ので「プラピルーン(雨の神)」(タイ)とか「ビリス(スピード)」(フィリピン)なんてのはわかるけど「サオラー(最近見つかった動物の名前)」(ベトナム)なんていうのは面白い。アジア14カ国がつけた名前と言うことで北朝鮮のもある。

ウェザーニュース台風の名前のとこをクリック

香港の旧空港名(啓徳・ケイトク)なんてのも不思議だね。皆さん、ご存知のことことかもしれないけど私は初めて知りました。
タグ:台風
posted by フェイユイ at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「レインメーカー」弁護士達

とにかくマット・デイモンを取り囲む他の役者さんがいい。私にとっては他の皆さんが懐かしくて再会してうれしかった。それになんといっても上手いのだ。
特にマットの相棒役のダニー・デビートは小柄な体で大奮闘。頼りない若造を補佐する姿が頼もしい。ていうかこの相棒がいなければ主人公はまったく何もできず負けてしまったと思うけど、まあ、そんな人にめぐり合えて仲良くなるのも才能の内でしょうか。
主人公ルーディが就職した悪徳弁護士事務所の“ブルーザー”はミッキー・ローク。「シン・シティ」のマーブにはびっくりだったけど、こちらではいかにも彼にぴったりの悪党ぶり。こういう雰囲気上手いなあ。摘発されて逃亡中にリゾートの浜辺(とおぼしき)で指輪をぴかぴかさせながらくつろいでいるのが似合ってる。
ルーディのライバルとなる弁護士にジョン・ヴォイト。「真夜中のカーボーイ」が狡賢い弁護士です。
悪徳保険会社社長役がロイ・シャイダーだったのもおかしいというか。
また懐かしいと言うわけではないけどルーディに好意的で人権派の判事役のダニー・グローヴァーがかっこよかった。

マット・デイモンは若い時でなければ出来ないこの役をより若く見えるという特徴を武器に上手く演じていたと思う。
相棒デックと悪徳弁護士ブルーザーの力を借りて何とか勝ち抜いていくのも彼らしい。
裁判中に本を読んでるような弁護士さんて不安だけど。

案件が殺人事件ではなく保険に関することっていうのも観ているほうには自分にも降りかかることなので興味深い。殺人はなかなかやらないだろうからね。
結果もあんまり派手派手しく勝利にならないのが却って面白い。私には彼女との生活の方がやや不安が残るだけだ。
そして今は正義のために戦った自分もやがて悪徳弁護士になる、と決め付けた主人公。色んな人生があるからそれもいいでしょう。でも私的にはブルーザーがかっこよくてさ。あーゆー風になるのも才能だろうけど。

「レインメーカー」再考←以前の記事
posted by フェイユイ at 07:08| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月17日

「レインメーカー」再々鑑賞

マット・デイモンの「レインメーカー」再々鑑賞だ。
あまり書く時間がないので少しだけ。

以前観た時よりマット演じる主人公のドタバタぶりが面白くまた悲しく見えた。
日本でも最近保険の支払いで事件になっている。自分としてはドラモント側でもルーディ側でも査定をした女性でもなくどうしたって保険をかける側になって観てしまう。こんなドラモントみたいな奴が相手じゃ勝てっこないよな。ルーディは現実にはいないような気がするし。「Mrインクレディブル」でもいなけりゃ。
それにしてもいくつかの案件を抱えて、って言う事にしたかったのだろうけど、夫から暴力を受ける妻の話はやっぱ必要なのかなあ。
ルーディとしては満足して彼女を守っていくって思ってるけどこういう状況で結ばれた関係だとまた彼女は立場が弱くて対等じゃないようで。結局ルーディがこの後、暴力夫になる予感もあったりして(またこんな事言ってしまった。いかん)
posted by フェイユイ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月16日

予定より早く始めました

予定を早めて新しいブログを始めてしまいました。タイトルは「藍空放浪記」
隣の部屋、のとこからもリンクしてます。

「モーターサイクル・ダイアリーズ」を再観賞したらどうしてもこの記事から新しいブログは始めたくなって。
つまり心はチェ・ゲバラの如くです(笑)いや、希望として(笑)

8月いっぱいは「藍空」でもやらなきゃいけないことがあるんでしばらく並走します。
新しいブログもよろしくお願いします。
またもや「お気に入り」に入れてくださる心優しき方、ご面倒だと思いますがどうぞよろしくお願いします。
posted by フェイユイ at 23:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

「私の小さな楽園」

私の小さな楽園.jpg楽園a.jpg

これはちょっと見逃せない映画でしたね。
ブラジルの片田舎の風景がだだっ広くて印象的。青い空と強い日差しだけがある。
ヒロインのダルレーニは若いといってもちょっと年がいってて美人の範疇ではないんだろうが、その大きな胸と腰がっしりした体格のせいなのだろうか、子持ちではあったが家持ちの初老の男に結婚を申し込まれる。
が、それは初老の男にとっては体のいい召使を手に入れたことだった。
ダルレーニは朝早くから農場で働き、家事をし家畜の世話夫と子供の世話が待っている。その間夫はハンモックでラジオを聞いているばかりなのだ。
そして実は夫は子供を作れない体質だったのだが、ダルレーニは白人系の夫は似てない皮膚の黒い男の子を産む。ダルレーニ自身は混血(白人とインディオの、と言う事だと思う)なのだ。
勿論夫は疑問を持つが(っていうか)特に問いただす事はなくいつもの生活が繰り返される。次第に疲れていくダルレーニは上の子供を農場に置いて来る(実はこれの意味がわからないのだが、農場にいれば学校にも行けるし将来都会で暮らせるさ、ということらしい。一番辛いシーンだった)
これ以後のダルレーニの生活は少しずつ変わっていく。
夫・オジアスの従兄弟であるセジーニョ(年齢は夫と同じくらい)と関係を持ち今度は青い目の男の子を出産。しかも夫はなぜかセジーニョを同居させる。
セジーニョは心からダルレーニを愛していてその様子はけなげなのである。農場で働くダルレーニをいたわって家事と家畜の世話を受け持ちダルレーニのために毎日お弁当を届けてやる優しい男である。自分の子をダルレーニが産んでからは特に愛情深くなる。
そういう奇妙な関係が続く内、今度は農場で若くてハンサムなシロ(「カランジル」のお医者の先生だ)とダルレーニは関係し同居させてしまうのだ。その上、ダルレーニを手放したくないセジーニョの説得で怠け者の夫・オジアスが懸命にシロの住む部屋を増築するのがおかしい。
若いシロはダルレーニを愛していて子供が生まれたらこの家を出て行こうと言い出す。そしてダルレーニはシロの息子を出産する。

疲れて眠り込むダルレーニとセジーニョ。そしてシロが農場に出ている隙に権力主義の夫オジアスは生まれたばかりのシロの息子と黒人とセジーニョの息子を連れて外へ出たのだった。

やっと子供達がいないことに気づき慌てるダルレーニとセジーニョ。一体夫・アジアスは子供達をどうするのか。
もう嫌な予感でどきどきした。子供の出来ないオジアスは自分の子ではない3人の男の子を自分の息子として登録しに出かけていたのであった。
帰ってきたオジアスと3人の息子を見て真相を知ったダルレーニとセジーニョそしてシロは何も言わず部屋へ入った。

結局男達はダルレーニによって楽園を与えられたのだろう。ダルレーニの惜しみなく愛を与えていく姿が素晴らしい。長男だけは心配なのだが(あの子はどうなるんだろう)3人の男と3人の息子がダルレーニの愛に包まれているのだ。といってもその一人は別の男の息子だし。
美しい風景と音楽もこの物語を形作る大きな要素になっている。

監督:アンドルーシャ・ワディントン 音楽:アルベルト・ジル 出演:ヘジーナ・カセー、リマ・ドゥアルチ、ステーニオ・ガルシア、ルイス・カルロス・ヴァスコンセロス
2000年ブラジル
タグ:ブラジル
posted by フェイユイ at 23:30| Comment(2) | TrackBack(1) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「魁!!クロマティ高校 THE MOVIE」

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今日は書くことが多い。こんなに面白い映画だとは思いもよらなかった。
原作漫画は知らないので(ちらと覗いたことはあるが)比較とかはできないけどいかにも今の漫画的なノリで突っ走る「魁!!クロマティ高校 THE MOVIE」だった。
主人公神山高志を演じる須賀貴匡が抜群にあっている。男ばかりしかも不良ばかりの世界なのだが出演者が物凄くよくて感激だった。
何とはなしに武闘派が多かったのだがフレディが渡辺裕之だとか(ははハードゲイだって)変なぬいぐるみ(失礼)が遠藤憲一や高知東生だったりしかも橋本真也が出てたのにびっくり。遺作なのだね。悲しくなった。
他にも山本浩司、板尾創路、ロバート、武田真治(メカ沢くんの声)なんてのも。宇宙猿人ゴリの登場にも懐かしさで胸が熱くなる。

何しろ映画化され公開前に元巨人軍のクロマティから名前を勝手に使ったのどうので話題になっていた。その時は笑っていただけだったが、こんな面白い出来栄えだったとは。いやあ、公開できてよかったよかった。

こういう日本独特の不良群像というのは凄くいいね。おかしくてもちょっぴり哀愁が漂う感じ。
しかし高校生には絶対見えない面々なのだが演じている連中が心底楽しんでいるみたい。これは絶対おススメだね。
私的には少林寺場面がうれしい。男の修行というとこれです。

監督:山口雄大 出演:須賀貴匡、虎牙光揮、山本浩司、渡辺裕之、高山善廣、板尾創路、金子 昇
2005年 日本
タグ:不良
posted by フェイユイ at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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