2006年08月07日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第50集

張廷玉が康煕に60周年のお祝の宴を申し出た。康煕は寂しかったから華やかにやりたいと言い出す。

盛大な宴が設けられ大勢の人が集まった。囚人である索額図と明珠も首かせをはずされて宴に参加した。二人はすっかり打ち解けて仲よく席に着いた。

康煕の幼馴染である魏東亭も孫を連れて参上した。康煕は喜び酒を酌み交わした。

康煕は太皇太后の杯を持ってこさせ幼くして両親を失った自分を育ててくれた太皇太后に感謝を述べて飲み干した。そして宴に参加した60歳以上の老人達にも礼を言い杯を干した。それから敵であったアオバイやグールダン、朱三皇子らにも敬意を表し杯の中の酒を捨てた。
それを見ていた臣下たちは皇帝を賛辞して跪いた。

その頃、容妃は粗末な家でひとり繕い物をしていた。彼女に声をかけるものはいなかった。

宴では明珠と索額図も酒を振舞われた。二人はすっかりかつてのわだかまりもないかのように互いをいたわった。

容妃のところへは宴で使われた便器が運ばれた。容妃はそれを洗いながら康煕が自分を思い出して迎えに来てくれることを信じていた。彼に対しては恨みはない、と。

康煕は今までのどの皇帝より長生きし、133人もの子供と孫を持ったことに満足していた。居並ぶ子供達から次の皇帝がまたその次の皇帝もでることに喜びを感じていた。
だが魏東亭は「一人足りない方がいます」と言う。

康煕は部屋の片隅に明珠と索額図の姿を見つけやや白んだ気持ちになった。
その明珠と索額図は手をつないで仲良く牢に帰って行った。

容妃は便器を洗いながら康煕のお召しをひたすら待っていた。宦官が早くしろ、と声をかけたので「皇帝のお呼びですか」と問い返した。だがそれは便器がたくさん到着したので早く車から降ろして洗え、ということだった。
茫然となった容妃は力の無くなった腕で車から便器を降ろそうとした。が、抱えたまま彼女は気を失い倒れてしまう。その体の上に車に積んだ便器が一斉に落ちてきた。
容妃は死んだ。

李徳全は宴たけなわの康煕に容妃が亡くなったと知らせる。康煕は「疲れた」と言って宴を終えた。

康煕は自ら容妃の遺体が横たわる便器の洗い場に行った。亡くなった容妃を見つめ康煕は聞いた「容妃に仕えていた者は何名だ」「20人の宦官です」「彼女が便器を洗っていたのを見た者はすべて殉死させろ」
容妃の葬儀が盛大に行われた。康煕は側にいる東亭に「あの宴の時、お前が一人足りないと言ったのは容妃のことだったのだな。私は思い出さなかった。彼女は私にとってとげだ。深く刺さったとげなのだ。お前はそれを抜けと言う意味で言ったのだが、私はこのとげを刺したまま黄泉の国へ行こう」

康煕は妃の墓に入りインレンの母親である妃の墓に謝った。康煕はインレンを皇太子に立て廃しまた立てた。だが大器になれなかった皇子に後を継がせるわけにはいかないと。
また康煕は容妃の墓の蓋を開け彼女を孝慈仁皇后としこれから永遠に共にいる、と約束した。そして容妃の素晴らしい孝行と知性と節操と品行を後世に残す為に史書として書き記す事を命じた。それには康煕と容妃は27年間仲睦まじく過ごした、と書かせると。
康煕はなおも心でつぶやいた。容妃が太皇太后の遺言を守ってインレンの皇太子を守ろうとしたのは知っていた。だが清のために無能な者を世継ぎにするわけにはいかない。自分はあえて容妃に主君を欺いた罪を着せて冷たくあしらったのだ。

康煕は寝所で魏東亭と添い寝していた。そして自分たちは老いた犬達のようだと笑った。
康煕は明日の朝会で後継者を発表すると言い、東亭にその者の名前を見せた。東亭は驚いた。康煕は意外だろう、と笑う。
東亭はあなたは聖君だ、と言って息を引き取った。康煕はなおも話しかけたが答えず目をつぶっている東亭を見て寝るのが早いじじいだと呆れて眠った。

翌朝、死んでしまった東亭を見て孫の小魏子は泣いた。康煕はそんな小魏子に優しく接し、朝会に一緒に出ようと言う。

後継者発表の朝会に臣下と康煕の子供・孫らが出席した。宦官・李徳全が「後継者を皇帝自ら発表される」と呼ばわった。
康煕が東亭に見せた紙を箱から取り出した。そこで動かなくなった康煕を心配そうに小魏子が見た。「皇帝は天に帰った」

1722年11月13日康煕皇帝崩御。戒名聖祖、69歳であった。


ラベル:康煕王朝
posted by フェイユイ at 23:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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