2005年12月17日

笑傲江湖における令狐冲

ちょっとまただべります(笑)ここでもまた最後までのネタバレになってしまうので、ご注意ください。(観終わってから比較感想書きますと言ったのに我慢できませんでした)

以前コメント欄にドラマで観た金庸3作品では(それしか知らないからだけど)「天龍八部」が一番好き、と書いた。2番目は「射[周鳥]英雄伝」である。そして最後に「笑傲江湖」
(TVドラマの影響が大きいので原作のみの評価ではないが、という注釈はつく)
しかしそれなのにいちいち感想・批評をしているのは「笑傲江湖」が一番のようだ。それはやはりそれだけこの物語が一番気になるからである。

何故なんだろう?

前の2作品はスケールも大きくてダイナミックな展開で盛り上がっていくしキャラクターも実に多岐にわたって豊富である。「笑傲江湖」だってそうだ、と反論される方もいるかもしれないが、私は「笑傲江湖」は狭い世界でキャラクターも地味にリアルだからこそ面白い、と思っているのだ。
以前に書いた「令狐冲は番長なんじゃないか」という妙な説は別に撤回しなくてもいいと思ってる。観るもの・読む者によってこの世界のキャラクターは会社でも学校でもどこでも当てはまってしまうからだ。

主人公・令狐冲は特別なスーパーヒーローと言う感じがしない。なかなかの男前なのに、美青年の林平之に対しては劣等感もいだく可愛らしさがある。誠実だが、ちょっとお調子者である。剣術においては秀でているが、他は苦手な科目がいっぱいある生徒である。男らしいさっぱりした性格だが、単純ではない。事があるごとに「こんなことするのは男らしくないんじゃないか」とか「泣いたと思われたら恥ずかしい。でも思い切り泣くのが男じゃないか」と様々に思いをめぐらせる。
不思議なのは急に敵として出会った盈盈に対してはざっくばらんで思いを打ち明けるのも平気なのに、兄妹として育ったはずの岳霊珊に対してはまるででくの坊となり小師妹のいうことならどんな間違ったことでもかなえよう、という困った性格を露呈してしまう。この一つでも二人の結婚生活があったとしても破綻するのは見え見えである。
結局、孤児である令狐冲にとって小師妹は、育ててもらった恩義ある憧れの師匠・憧れの家庭のお嬢様にしかすぎないのだ。小師妹にしたってそんな令狐冲の愛情が間違っていると感じたのではないのだろうか。
それに対して盈盈とは、共に親との縁が薄く、武芸の道に没頭して生きてきた同じ魂を持つ仲間という気持ちが持てるのだろう。仲間的な女性と必ず恋に落ちるわけではないが、令狐冲はそんな盈盈といると一番心が落ち着くのではないのだろうか。音楽を共に愛するというのも二人の共通点だった。令狐冲はなかなかそれに気づけなかったが、どちらかがしもべとして仕えるような夫婦ではなく(この場合は夫である令狐冲が仕えようとしているわけだが)共に並んで戦っていけるような結婚生活でなければ幸福にはなれないのかもしれない。(「笑傲江湖」ってそういう結婚指南書でもあるわけね)

師と敬っていた人の失墜、妻の父の権力への暴走、愛されても返すことのできない女性への想いなど多くの苦難を経て令狐冲は次第に己の自由への欲求を確信していく。
令狐冲はついに日月神教にも入らず、少林寺へも行かず、崋山派へも戻らなかった。令狐冲は自由に生きる道を歩んで行くのだ。
(ドラマではまだ解らないのだけど)結婚によって令狐冲は自由を失ってしまったのだろうか?しかし最後につぶやくのは盈盈のほうだ。「この任盈盈も大きなお猿さんに繋がれてしまうなんてね」このセリフは本来なら主人公である令狐冲が言うのかもしれない。だが金庸小説の中で夫婦は対等であるということなのだろう。
盈盈の方が令狐冲によって自由でなくなったわ、とわざと嘆いて見せるのだ。(勿論うれしいに決まってますよ)これは凄い!すばらしいエンディングではないでしょうか。


posted by フェイユイ at 19:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
少し違うかもしれませんが、私の感想。

岳霊珊から渡された師父夫婦の宝剣。それまでかわいい妹でしかなかったのに。岳霊珊からすればあまり大きな意味のないプレゼントだったけれど、純粋な青年にとって、こういう不意打ちは、とても効く。一発のパンチでノックアウトされてトラウマ的愛情というかへろへろろ状態。
一方、盈盈とは、複雑な立場同士でありながら本当に心をかよわせながらお互いの気持ちを育んでいく。

儒教的精神で師の恩に報いたいということはあるにせよ、郭靖と令狐冲では、令狐冲のほうがずっと自由だ。
郭靖ぱ、コジンとの縁談を報恩第一にしばられながら、結果がよかったのは一つの偶然かもしれないと思えるのに対して、令狐冲は、秘曲笑傲江湖を奏でた曲洋と劉正風の事件以来、形を超えた本当のものを追求し始めている。だから、盈盈とハッピーエンドを迎えるのがとても自然で、より力強く感じる。

演じているリーヤーポンのインタビューの様子をみていても、令狐冲は、かなり地でいけたのに、郭靖の場合ぱ、猫かぶりというか、演じるのがたいへんだったのではないかと思いました。
Posted by 迷 at 2005年12月17日 22:51
ははー面白いですね!凄く考えてしまいましたよ(瞬間的にですが)

今から書くのはもしかしたら、迷さんの意見を言い直しているだけかもしれませんが。
私は令狐冲と郭靖を比べるなら郭靖はずっと幸せだったんだな、と思うんですね。なぜなら彼は自分の思考がぶれないんですね。いい人だからでもあるし、はっきり言って少しおつむが弱いからですね。それに比べて令狐冲は常に悩み苦しんでいる。自由であることこそが最も苦しいことなんですね。郭靖はその点、常に母や師匠や黄蓉など自分を縛っている枷があってそれは実は彼にはかえって心の支えになっている。
まあ、郭靖の師匠と令狐冲の師匠は出来が違うんですが、それは物語として言わんとしていることが違うからですよね。

何だかうまくいえなくて申し訳ない。凄く貴重なテーマだと思いますので、
後で書く比較論でも取り上げたいです。もう少しきちんと話せるまでお時間をください。
やっぱり迷さんの言葉を変えただけみたいな気も。どうでしょうか?
Posted by フェイユイ at 2005年12月19日 00:37
なるほど、自由とは苦しいこと。フェイユイさんのいうとおりかもしれません。

ところで、コジンと岳霊珊を並べて比較する方法もありますが、それとは別に、黄蓉が郭靖をいい人と思い、岳霊珊が林平之をいい人と思ったのは、ともに見た目にとらわれずによくしてくれたという共通点とか、けっこういろんなところが共通しているような気もします。

また、報恩と売国という観点からは、、たまたま敵対していた金国の王子をすてられず義父ワンヤンコウレツに従った楊康(子供の楊過は名前からしてもっと可哀想だが)と、当時は敵対国ではなかったモンゴルのために部隊を指揮した郭靖とは、本当にそれほどの違いがあるのか。契丹の南院大王になりながら、死をもって平和を望んだ喬峰を手本とすれば、二人ともまたまだみたいな。
そんな比較も面白いかもしれませんね。
Posted by 迷 at 2005年12月19日 18:48
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。