2005年12月22日

任盈盈そして金庸のヒロインたち

金庸のヒロインたち、とご大層なことを書いてしまいましたが、例によって最近観たドラマ3作品のみのヒロインたちですのでその上で読んでください(他の作品に魅力的なヒロインがたくさんいることは想像に難くないことですので)

まずは現在進行中の「笑傲江湖」の任盈盈。ドラマで見ていると許晴のきりっとした且つふくよかなイメージの美貌に魅了されてしまうのですが、原作で読んでいると、正直言って、人を殺すことも平気な魔教の部分と令狐冲に対してのしおらしい部分が極端に感じられて私は少し怖いのですよ(わー、盈盈ファンから猛攻撃を受けそう。が、そう感じてしまったのでしょうがない。ドラマでは全くそう思わないんですが)
この他人に対しての冷酷さと恋人に対しての情熱というのは中国男性の理想なのか?金庸さんが理想妻の筆頭に盈盈をあげていたのでそう考えてしまうのですが。(恋人の方が儀琳なのだよね)
この冷酷な面と柔和な面を併せ持つ、もしくは結構意地悪な部分が多く感じられる女性が数多く登場するのが金庸世界の魅力(?)のひとつですね。
女性ファンが多いのも(私を含めて)超美貌で且つめっぽう強く、自分の意思をしっかり持っている女性が活躍するからでしょう。
私が好きなのは周迅が演じていたという事もあって黄蓉なのですが、彼女はこれらの要素をたっぷり持ちつつ、しかも可愛い。盈盈のような両極端な感じでなくてあまり裏表のないいつも悪女的な雰囲気を漂わせている所が好きですね。それは原作でもドラマでも同じように感じました。
「天龍八部」ではその両面性が二人の女性として現されているのが、阿朱・阿紫なのでしょうね。阿朱は思い切り「善」ですし、阿紫は「悪」の権化として登場するわけで。
つまり無理矢理整理しちゃうと「善」と「悪」を二人で表現してるのが阿朱と阿紫。「善悪」を一人の中に入れてしまったのが盈盈。「善悪」を併せ持っているのにそれを昇華した形で表現できているのが黄蓉。と、私的にはそう把握しております。

別に人格と言うのは「善悪」だけで形作られるものではありませんが、金庸の女性達はこの「善悪」のブレンドが絶妙なので様々なタイプの女性がいるように感じられるのだと思います。男性の作家が女性を表現する場合どうしても同じようなタイプが繰り返し出てきてしまうものですが、金庸作の女性は「善悪」のブレンド配合だけでも色んなバリエーションを持っています。「天龍八部」で「悪」は阿紫、馬夫人は殆ど純粋培養の「悪」逆に王語嫣は「善」そのものですね。
が、そういうタイプだけではなく天山童姥のように「悪」のように見えて「善」の部分を持ちうる女性、段誉のママのように善そのもののようでありながら「悪」の過去を持つ女性もまたいます。金庸世界に登場する女性で善そのものより悪の要素を多く持つ女性ほど魅力的なのも事実です。

盈盈は生まれつき「悪」と言われる世界に生きてきて実際他人の生命を左右する事をやってのけています。令狐冲はそれをこころよくは思っていませんが、はっきりやめろとは言ってませんね。
ただ令狐冲の影響で盈盈は自然と「悪」でなくなり「善」の部分が強くなってきています。例えばそれは盈盈が儀琳と出会っても絶えず令狐冲の身を案じている儀琳が「あの人はいい人です」と言い、盈盈と令狐冲の結婚を望む事からも伺えますね。
金庸のヒロイン達が「善」と「悪」の様々なバリエーションを持ち、またその作中でも変化して行くと言えますね。


posted by フェイユイ at 10:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「善」と「悪」を二人で表現してるのが阿朱と阿紫。「善悪」を一人の中に入れてしまったのが盈盈。「善悪」を併せ持っているのにそれを昇華した形で表現できているのが黄蓉。

これは、すごい分析ですね。
阿朱と阿紫については、善意悪意でわけるのなら、ほぼ同感です。
盈盈については、宗教的なもののこわさは感じますが、阿紫や馬夫人のような個人の内面のわがままや悪意という面は感じません。
黄蓉については、策士というべきか、知恵や道理によって、そうしたわがままや悪意をきれいに包んでいるように思います。なんといってもかわいい小悪魔さんですし、
善意の阿朱と悪意の阿紫それに博識の王語嫣を足して3で割ったというところかもしれませんよ。
天山童姥は、自分の意にしたがわない虚竹に無理に肉をくわせたりという点をわがままと考えれば悪意のほうに分類できるかもしれません。
でも、そうしたわがままこそが人間の本性で、人間、みな、自分自身のわがままと世の中の常識や道理とをどのように折り合いをつけるかということで人格が決まってくる部分もあるでしょうから、かえってわがままな登場人物のほうが面白いと思ってしまいます。


Posted by 迷 at 2005年12月23日 10:47
金庸の魅力の一つは女性がとても生き生きと描かれていることだと思いますねー。特に黄蓉はドラマの周迅のイメージが強くて切り離してはもう考えられません(笑)できすぎさんだとは思っても理想ですねえ(ため息)郭靖って幸せすぎですよ(私が嫉妬しなくてもいいんですけど)そういえば盈盈って料理が下手であそこがかわいかったです(笑)黄蓉は料理も天才ですからね。

盈盈に関しては本当はもう少しこだわってみたいんですが。
この話のなかで盈盈と言う女性は単に日月神教の幹部として人殺しをしている、ということではなくてそれは比喩として描かれているのではないか、と。この話は令狐冲だけでなく盈盈という女性が親から押し付けられた「日月神教」という枷から脱していく成長物語でもあると思うのですが、ややこしくてちょっと書ききれなかったので(この文章もさっぱり解りませんね、申し訳ない)これも改めて書いてみたいです。宿題を増やしてばかりですが(笑)「笑傲江湖」は全体が比喩でできているみたいなので説明もややこしくなりますね。
Posted by フェイユイ at 2005年12月23日 17:56
「完全な人間はいない」という方程式でといていくと、黄蓉さんにも何か弱点があるはず。と思っていたら、どうやら子供の教育が下手なのではないかという見方があるようです。(でも、これは神周鳥侠侶を見ないと確認できないですね。)

原作を読んでいないのでわかりませんが、盈盈さんは、そんな人ではないのではないかと・・。というか、黄蓉さんは、結婚後も理屈をつけて非情なことをしていそうですが、盈盈さんは、そんなことはないのではないかと・・。(いつのまにか、阿紫から盈盈に浮気しつつある迷でした。)
Posted by 迷 at 2005年12月23日 19:32
私の書き方がまずかったようです(笑)盈盈は結婚後は物凄く良妻になってると思いますよ、絶対。つまり物語として、魔教の女として怖れられている少女が次第にしっかりした心優しい大人の女性に成長する過程を「笑傲江湖」では描いているのではないか、といいたかったわけです。むしろ最初「悪」の要素を持っているだけに変化していく盈盈はすごく魅力的だと思っています。

黄蓉の子育ての話は私も以前知りましたが、これはかわいそうですね、だって黄蓉はお母さんがいなかったんですから子育てを学んでないわけで。学問と武芸は黄薬師からしっかり吸収した黄蓉ですが、母親のしつけは経験できなかったのだから(と黄蓉迷の私は弁護します)
Posted by フェイユイ at 2005年12月23日 22:17
たぶん、フェイユイさんのほうが正しいのでしょう。

ガセネタかもしれませんが、原作では、教団内で東方不敗のクーデターが起こったとき、曲洋老人が盈盈をつれて逃げたとかいうお話があるようです。
それが本当なら、教団の影響があまり及ばない環境で育ったにもかかわらず、教団内の地位を利用して、信者に酷い扱いをする女性ということになります。
つまり、そのような非情なふるまいをしているのは、教団の影響ではなくて本人の意思ということになりますものね。

でも、ドラマのイメージでは、なかなか考えにくくて、つい、物申してしまいました。思過崖で反省してきます。
Posted by 迷 at 2005年12月23日 22:48
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