2006年01月01日

「緋牡丹博徒」藤純子・高倉健

緋牡丹.jpg

お正月らしく華やかに行きたいと思いまして藤純子さんの「緋牡丹博徒」を選ばせてもらいました。

有名な映画ですから、タイトルは知っていましたが、観るのは初めてです。
実は高倉健さんの映画を観たいと思って借りたんですが、これは最高にかっこいい映画ですね。

明治中期。九州は熊本出身の緋牡丹お竜こと矢野竜子は人吉で一家を構える博徒の娘であった。早くに母親を亡くしたがその遺言で堅気として生きていけるよう大事に育てられる。お茶にお花お裁縫、小太刀の免状までも持っているのだ。商家の嫁入りも決まったある日、父親が辻斬りに遭い、縁談も破棄されてしまう。親分が死んでしまうと子分達は皆、出て行ってしまい残ったのはずっとお嬢さんについていくと誓ったふぐ新だけだ。竜子はふぐ新に堅気になるように言うと自分は父の仇を討つため旅立ったのだった。

とにかく藤純子さんが美しい。真っ白な肌に緋牡丹の刺青が眩しい。九州弁もお竜さんが話すとかっこよか。同じ九州女として憧れてしまうばい。九州弁は日常語けん、うれしかとたい。
髪をあげ、着物姿でピストルを持つお竜さんのなよやかなのにきりりとした女っぷり。啖呵を切られた親分さんも思わずうれしくなってしまうのもしょうがないやね。その美貌に一目ぼれした若山富三郎演じる熊虎・熊坂寅吉は堅めの杯と聞いて結婚と勘違いして舞い上がり「兄弟分でしょ」と言われがっくりするのが可哀想だった(しかしこのちょび髭親父が若山富三郎さんだとは。すぐには気づかなかったよ)
お竜さんは強くて綺麗なだけでなくいつも周りの人に明るく優しく振舞うすがたもまたりりしいのである。男達はみんなお竜さんを好きにならずにはおれないだろう(イヤ女だって)辛い事悲しい事があっても唇を振るわせるだけでお竜さんは耐えていくのだ。だが時折見せる女らしい弱さがまた愛おしいではないですか。

そして特別出演の高倉健さんの登場。出番は少ないのだが、この存在感、着流し姿ですらりと立つ高倉健さんはもう身震いほどの色っぽさである。逞しいのに腰の辺りはしゅっと細くて見とれてしまう。藤純子さんとのからみ場面など背中がそくそくと毛羽立ってくるようだ。眼差しが強くてしかも若いために何とも言えぬ甘さがあって。高倉健はずっと知っていたわけだけどこんなにもかっこいい人だったんだと改めて認識しました。

出だしから登場する不死身の富士松(待田京介)が危ない目に遭いながらもその名のとおり死ななかったのもうれしい演出でした。かたやお竜さんをお嬢さんと言って慕い続ける子分のふぐ新の死はまた心に残るものでありました。
金子信雄、清川虹子も見ごたえある存在でしたね。健さんと義兄弟である加倉井(大木実)の憎らしさも満点でした(よくこんなにむかつく演技ができるものだ。感心)

日本にもこんなにかっこいい女侠客がいたのだと打ちのめされうれしい感動でした。藤純子のお竜さんの清らかな着物姿をまた観ずにはおれません。


posted by フェイユイ at 13:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「緋牡丹お竜」カッコいいですよね!これを演じた藤純子さんは、その後歌舞伎界(?)かなんかに嫁ぐ事になり、彼女の嵌り役だった「緋牡丹お竜」のイメージを拭う為に芸名を変えたと私の母が言ってました。「ヤクザの女」じゃまずいんだとか。
あんなに素敵な姐さんなのに(しかも役柄でしょう?)それを演じて胸張ってられないなんて可愛そうになどと思ったものです。
Posted by どぅいちゃん at 2006年01月01日 22:16
そうなんですよね。
私は寺島純子さん(富士純子、藤純子、名前が多い(^^ゞ)というTV番組の司会者というイメージだけでした(「不幸のずんどこ」発言をしたと言う)
映画は全く観てなかったのでこんな美しいかただったとは!あー、やはり映画を観ないといかんと実感しましたよ。
それにしても、尾上菊五郎さんの奥様で今をときめく寺島しのぶと尾上菊之助のお母様、凄いお方でありますよ。
Posted by フェイユイ at 2006年01月02日 11:08
何年も前のお正月の深夜映画で何作か見ただけですが、私も「緋牡丹お竜」の藤純子さん大好きです。
いわゆる「ヤクザ」なんでしょうけど、品があるし、古典的な日本人の美意識に満ち溢れた美しい映画ですよね。
何作目かで、相手役は確か鶴田浩二さんだったと思うのですが、雪の積もった橋の上に落ちたみかんを手渡すという場面だけでお互いの気持ちを表現するシーンがあり、本当に美しかったです。

こういう情感、こういう女性の美しさ(容姿だけではない)って、たとえば韓国の方は、理解してくださるのでしょうか?
Posted by じえるな at 2006年01月02日 11:50
その質問は私には厳しいですねー。荒っぽいものばかり観てるのでそういうしっとりとした場面が出てくるようなものが出てこない、参考になるような映画を思い出せない(笑)
勿論、それぞれの国特有の美意識と言うものがあるので全てが理解されるわけではないでしょうね。またそこが面白いわけですが。
ちっとも答えになっていないので申し訳ない。気づく事があったら記事にも書いてみたいのですが。
じえるなさんはどう思われているのかしら?
Posted by フェイユイ at 2006年01月02日 23:24
 フェイユイさんの「緋牡丹博徒」の解説、よく映画の内容や特徴を把握されていると思いました。「緋牡丹博徒」は私が小・中学生の頃の公開でしたので、当時は観ておりませんでしたが、今年2月にCSの東映チャンネルでシリーズ8本が放映され、すべて録画して観ました。すべて録画したのは、フェイユイさんが言われる通り、藤純子さんのきりりとしまった美しさのとりこにすっかりなってしまったからです。こんなに美しい女優さんは今は見当たりません。松嶋菜々子や竹内結子などは藤純子さんの比ではありません。最後は悪いやくざをばっさり斬るところ、思わずスカッとしてしまいます。当時、藤純子さんや高倉健さんの映画を観ていた人たちは身の回りの筋の通らぬことから生まれるストレスを「緋牡丹博徒」などの侠客映画を観て解消していたのでしょうね。「緋牡丹博徒」を観て東映の侠客映画の良さを再認識しました。
Posted by ok at 2006年05月28日 00:04
okさんのコメントでこの時のはっとした驚きを思い出しました。
藤純子さんの美しさは勿論なのですがその頃の日本映画における映画人たちの意気込みと言うのも感じられましたねー。今とス昔では色々違うとは思いますが、映画自体がすっきりとした美しさを持っていたような気がします。(今は今の面白さがある、とは思いたいのですが)
Posted by フェイユイ at 2006年05月28日 15:16
 そうですね。当時の映画人たちの意気込みが藤純子さんの重厚な美しさや高倉健さんのずっしりと重い存在感をつくっていたのかもしれません。映画の撮影技術は、今に比べると未熟だったのかもしれませんが、俳優さんたちを含めて当時の映画人たちの熱意を「緋牡丹博徒」からは感ぜざるをえません。アップで映る藤純子さんの横顔にぞくぞくっとする思いになります。「すっきりした美しさ」、まさにその通りです。日本人はあの頃の美意識を失ってしまったのでしょうか。あまりに美しい「緋牡丹博徒」、生涯忘れ得ぬ作品になることは間違いありません。
Posted by OK at 2006年05月28日 22:55
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