2006年01月15日

令狐冲とエディプス・コンプレックス

今から書く論評は私が金庸小説「秘曲 笑傲江湖」とドラマ「笑傲江湖」を観終わって感じたものであります。全く勝手に書いていることで何の根拠もありませんのでまあ読んで楽しんでいただければと思います。小説やドラマを歪曲する気は毛頭ありません事をお断りしておきます。

このドラマを観終わり小説にも一通り目を通して感じたのはこれは金庸氏が令狐冲という一人の青年を通じて「エディプス・コンプレックス」の物語を書いたのではないか、ということです。

私がこのドラマの記事を書き出してから色々な方が知識の乏しい私にたくさんの事を教えてくださいました。その中に「この物語では正派が文化革命派を邪派が彼らから迫害された芸術家達を現している」というコメントがあってなるほどと感心しました。(他の物語も多くそういう比喩がされているようですね)ただ私は歴史的知識が乏しくてとてもその観点から話をしていけそうにありません(例えばこのエピソードはこの歴史的事実を物語っているとか、誰が誰を示しているとか)それはもう詳しい方に語っていただく事にしてここではフェイユイなりのたわごとをお聞き願います。

令狐冲が「エディプス・コンプレックス」を現している、と言う話で続けます。
「エディプス・コンプレックス」というのは、有名なフロイトの説「男の子は母親を独占したいがために邪魔になる父親を憎む」と言うものです。別の言葉で言えば「男の子は母親と結婚(セックス)したいために父親を殺す」ということになります。
勿論実際に母親とは結婚できないし、父親を殺すわけではないのでこれは少年が成長する上での精神的な葛藤を示している事になるわけですが、この時父を憎むと言っても、憎みながら反面愛して欲しいと言う矛盾した感情を少年は父親に対して持つということになっています。
この精神状態は令狐冲そのものではないかと思ったわけです。

が、ここで「笑傲江湖」の設定に疑問がわくかもしれません。令狐冲には実の父母はいないからです。これは実の父を殺させることには躊躇した金庸氏の巧みな改変ではないかと思っています。とは言え武侠の中では師父・師娘と言うのは父母も同じと言う事なので重みは同じなのかも知れませんが。また師娘に結婚願望を持つというのも難しいのでここは娘である岳霊珊に代役させているのではないかと考えます。

さらにここで林平之の存在について考えてみます。彼は一体何のために出てきたのでしょうか?物語として彼は必要なのでしょうか?林平之はなぜか令狐冲とあまり絡みがありません。最愛の人・岳霊珊をめぐる恋敵なのになぜか戦う場面もありませんね。何故なんでしょう。
小説では、林平之は一番最初、令狐冲より前に出てきます。何の予備知識もなく読み出したなら絶世の美少年で腕っぷしは弱いが義侠心は強い彼を主人公と思っても不思議ではありません。が、彼は途中から出てきた令狐冲に主役を奪われます。
令狐冲は師父に強い憧れと畏敬の念を持っています。そして師娘(母)には強い愛情を。また愛娘である岳霊珊(小師妹)には結婚願望をはっきりと持っています。
成長する令狐冲に対しなぜか育ての父でもある師父は猜疑心を持ち、疎んじ始めます。その嫌い方には観ていて疑問を感じるほどです。一方の師娘(母)は常に息子である令狐冲に深い愛情を持っています。令狐冲は後で愛する人になる任盈盈を放り出してまで師娘に「一緒に暮らしましょう」と言って帰ってしまうほどです。あの場面を見た時は何故盈盈を置いていったのか不思議でしたが、令狐冲が本当は師娘と一緒に暮らしたいと願望していた、と考えれば不思議ではありません。
令狐冲は岳霊珊からふられて盈盈に愛を傾けますがその実本当に愛していたのは岳霊珊(=寧中則。そういえば林平之が「お前は母親にそっくりだな」と言うシーンがありましたね)なのです。ドラマではやや令狐冲の盈盈への愛を強く描いていますが原作では盈盈が気の毒なほどいつまでも岳霊珊を思い続けています。

またエディプス・コンプレックスにおいて、少年は父を殺して母親と結婚(セックス)したいと願っているのが父にばれると父親におちんちんを切られてしまう(去勢)という恐怖を持つというものがあります。そしてその恐怖のために少年は父親の命令を嫌でも聞いてしまう、というものです。
そしてエディプス・コンプレックスの元になったオイディプスは最期盲目となってさまようことになります。「去勢」と「盲目」というキーワード。これで思い出されるのが勿論、林平之です。
だが待てよ。エディプス・コンプレックスと繋がる令狐冲が「去勢」され「盲目」になるなら解るが何故、林平之が?
そこで前の文章に戻ってもらいます。林平之は何のためにいるのでしょうか?
彼は令狐冲の代わりに岳霊珊と結婚した。それなら令狐冲の代わりに去勢され令狐冲の代わりに盲目になったのではないでしょうか。
つまり最初に主人公のように登場した林平之はもう一人の主人公。もう一人の令狐冲なのではないでしょうか。
その理由は、やはり金庸氏が武林の英雄たる令狐冲に暗黒面を被せるのがしのびなく、ここで影の主人公として林平之を出してきた。その代わり彼は絶世の美男で岳霊珊と結婚できる(しかしセックスはなかった。これは何故なのかよく解らないが答えは一応ドラマの中でされてはいたね)
つまり「笑傲江湖」には二人の主人公がいる。陽の令狐冲と陰の林平之。だが二人は本当は一つの者なのだ。一つの者なので彼らは関わりがない、ということなのだ。
母を愛し、父を殺した令狐冲は成長し、暗黒面を引き受けた林平之は去勢され盲目となります。エディプス・コンプレックスと令狐冲の物語はこうやって林平之の存在によって紡ぎ合わされていったのです。

以上、フェイユイのたわごとでした。たわごとと言っても気になる事などありましたらコメントください。ただ、面白い遊びと思ってくださいね。

以前も書きましたが「笑傲江湖」は物凄く色々考えてしまう物語です。勿論上に書いただけでなく物凄くたくさんの思想や社会性、遊び、知識などが複雑に組み合わされている事は確かです。
私もまだまだ疑問があります。一つは向問天の存在。彼は一体何?ずーっと任我行に忠誠を尽くしています。よく話として娘の盈盈に好意を持ってたりするものですが、彼は純粋に任我行に付き添っていますね。おかしくなってからもその忠誠心は変わりません。謎です。

そして原作とドラマの改変について。特に最初と最期がこうも違っていいものか、ということ。この辺もちょっと書いてみたいものです。


posted by フェイユイ at 19:46| Comment(7) | TrackBack(1) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

 始めまして

 いつもブログを読ませていただいています。NECOで武侠ドラマを見るときの予習として、またときどき入っているようなドラマへの感想などを興味を持って読ませていただいています。


 物語を作者が意図したかどうかは分からないが、ある見方で見ると、非常にすっきりと言い表せる。そんなときに少し快感を覚えます。

 今回の 令狐冲のエディプスコンプレックスもそうです。

 目からうろこではたとえが悪いですが、なるほど、林平之をかれめればすっきりとするんだ。と

フェイユイさんに敬服します。

今後もいい記事を読ませてください。
Posted by 七手の洋館 at 2006年01月15日 22:40
こんばんは!レンタルで途中まで「笑傲江湖」を借りたのですがその後なかなか貸し出しもなく私自身も時間がなく見れないのですが、フェイユイ 様のコメント&ストーリー解説で楽しませてもらっています。
いつか全話を見たときにまたコメントさせていただきたいと思います。いつも簡潔なストーリー、記事はありがたいです。
Posted by 雪 at 2006年01月16日 00:16
はじめまして、七手の洋館 さん。

このような変てこな記事を読んでいただいた上、褒めていただきうれしいです!

でも正直この考えが浮かんだ時は「あっ」と思いました(笑)ドラマを観てて不思議に思った部分がこう考えればすんなり納得できるような気がしたからです。でも私の勝手な考えだったので記事にしてもまさかこんなに早く賛同していただけるとは思っていませんでした。感謝します。

これからも妙な記事は書いていくつもりですが(笑)どう受け止めていただけるのか、またそこが楽しみなのですが。

どうぞこれからもよろしくお願いいたしますね。
Posted by フェイユイ at 2006年01月16日 00:22
こんばんは雪さん。
レンタルで途中まで、ということですがレンタルならいつでも見れるし長いドラマですし、気長に楽しんで観てください(笑)
私の記事が少しでも役立つならうれしいです。
コメント楽しみにしてますね。
Posted by フェイユイ at 2006年01月16日 00:59
さすがフェイユイさん。読みが深いですね。心理学はあまり知らないのでエディプスコンプレックスだといわれればそうかもしれません。でも、物事をセックス願望で理解してしまうと、何かそこからぬけだせなくなるような気がします。思過涯の外で師娘と手合わせしたとき師娘の剣を鞘で受け止めたのは、それこそセックスの象徴という解釈にもなりかねませんよね。でも、それなら小師妹や盈盈に対してセックス願望がないのかというと男ですから無意識のうちにそれはあったと思うのです。そうすると師娘に対する気持ちと小師妹や盈盈に対する気持ちとどのように違うのでしょうか。それはやはり、深い信頼と師弟愛ではなかったかと思います。(なぜなら、師父に対しても最後まで攻撃を躊躇していますから)
確かに、金庸小説では、異性の師弟愛が強く描かれていて、例えば、射「周鳥」の東邪と梅超風や神鳥の主人公たちもそんな感じ。そして実際に一線を超えてしまうのが、梅超風とその兄でし。それから、周伯通と劉貴妃です。でも、私としては、それはセックスということじゃなくて、深い師弟愛ということにしておきたいです。
あと、令狐冲と林平之が、光と影のように対照的に描かれていることは、そのとおりだと思います。
Posted by 迷 at 2006年01月16日 19:08
迷さん、いつも丁寧なコメントありがとうございます。
迷さんの気持ちもよく解ります。
この説は中にも書いているように私が思いついたひとつの考え方として提示しているにすぎません。
ただ私はこの物語は金庸さんが大胆にセクシュアルな問題を定義しているとは思っておりますよ。
Posted by フェイユイ at 2006年01月17日 19:02
いえ、もちろん、それで結構ですよ。ところで、向問天については、とてもいい奴なんだけど、やっぱり教団を想っているということかもしれませんね。あるいは名前に秘密があるかもと思ったんですが・・。
Posted by 迷 at 2006年01月17日 19:31
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

秘曲 笑傲江湖(徳間書店 全7巻)
Excerpt:  先日、図書館で見つけましたので、一気に残り3冊を借り、3日で読んでしまいました
Weblog: 日々是丹精
Tracked: 2006-03-21 09:56
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。