2006年01月19日

続々々「笑傲江湖」ラスト展開における原作とドラマ及び比較

桃谷六仙の口真似によって無色庵でこっそり行われた日月神教教主と令狐総帥の会話はそのまま再現された。
「冲さん、私が恒山まであなたに会いに来たことが知れたらきっと笑の種にされてしまうわ」「かまうもんか、君は恥ずかしがりやなんだから」
それでも嫌がる盈盈のために令狐冲は誰にも言わないと約束する。盈盈は神教主が令狐冲と恋仲だから突然に日月神教が味方になったと思われるのがきまり悪いのだった。そしてまだ任教主が生きていて令狐総帥と話し合い、和解したということにすれば評判もよくなるだろうというのだ。その上で葬儀を行いたいと。葬儀に行きたいという令狐冲に盈盈は父は婚姻を認めてはくれたけどそれは喪が明けてからでないと。さらに桃谷六仙が婚礼の手はずまでしゃべりだしたのには令狐冲も「それ以上でたらめを言うなら皮を引ん剥いて筋を抜いてやるぞ」
ところが六仙はさらに盈盈の口調で「私はあなたの体が心配だわ。お父様はあなたに気を散じる術を教えていないもの」いかにも哀しげな言い方に聞いていた方証、冲虚、令狐冲までが思わず感傷的になる。そしていかなる人物でもいずれは皆死ぬのだ、と言う感慨にひたった。

三年後のある日、西湖の孤山梅荘は飾りつけがされ華やかな色彩に溢れていた。この日は令狐冲と盈盈が婚礼を挙げる吉日であった。
令狐冲はすでに恒山の総帥の座を儀清に譲っていた。儀清は儀琳に継がせようとしていたのだが、儀琳はどうしても受けないと大泣きしたのだった。
盈盈は日月神教教主の座を向問天に任せた。向問天は野心のない人物なのでここ数年、江湖は平穏無事が続いている。
この日梅荘には祝いに駆けつけた江湖の群雄で溢れた。人々は二人に剣の舞の披露をせがんだ。令狐冲は祝いの日に刀剣は無粋だからと夫婦で「笑傲江湖」を合奏する事にした。この曲を作った劉正風・曲洋が教派の違いのために死を選んだ事を思うと自分たちは幸福なのだと実感した。曲が終わると群雄は盛大な拍手を送った。

客が去り二人きりになった寝室に、塀の外からゆったりとした胡弓の音が響いた。それは莫大師伯の音だった。やはり莫大師伯は死んではいなかったのだ。
その時盈盈が「出て来なさい」と叫んだ。令狐冲がぎょっとしているとなんとベッドの下から桃谷六仙が出て来たではないか。六仙は「永遠に栄え、永久に夫婦となる!」と叫びながら寝室から出て行った。

4ヵ月後、令狐冲は盈盈を連れて風清楊先輩を訪ねようと探したが、浮世離れした風先輩の姿は見つからない。令狐冲は自分の体が持ち直したのは先輩のおかげなのだから是非お礼が言いたかったのだが、とため息をつく。盈盈は「まだ解らないの。あなたが習ったのが少林派の易筋経よ」令狐冲は飛び上がる。方証大師は頑固者の令狐冲のために少林寺に入らなくとも易筋教が学べるよう嘘をついてくれたのだ。令狐冲はじゃ今から少林寺へ行って坊主になるしかないやと言うと盈盈は「あなたみたいな生臭坊主は半日もしないうちに叩きだされるわ」
しばらく行くと盈盈はきょろきょろ辺りを見回す。令狐冲が訳を聞くと「会わせたい人がいるの。あなたが林平之を梅荘の地下牢に閉じ込めたのは賢い配慮だったわ。確かにこれで小師妹との約束を守って一生面倒を見ることになるもの。私はあなたのもう一人の友達に対しても特別に面倒を見る方法を思いついたの」
夜になり二人でお酒を酌み交わしていると盈盈が「あの人が来たわ」と言って出て行く。令狐冲も後を追うと二匹の大きな猿の間に労徳諾がいるのだ。よく見ると彼の左右の手は猿に繋がれていたのだった。「これは君の傑作だなんだ?」「どう?」猿たちはキーキー鳴きながら労徳諾を連れて山の中に入っていった。令狐冲は陸大有の仇として一剣で殺すよりはるかに苦しいことだろうと思ってうれしくなった。あいつは林弟よりもっと酷い悪事をやった。もっと苦しめてやるべきさ」
労徳諾は日月神教に「辟邪剣譜」を持って来て長老になりたいと申し出たのだった。盈盈は彼を捕まえ2匹の猿に繋げて山に放したのだった。
盈盈は令狐冲の手首を掴んでため息まじりにつぶやいた。「この任盈盈も一生、大きな猿といっしょに繋がれて、離れられないなんてね」嫣然と微笑んだそのかんばせは、艶やかさと優しさに満ちていた。

以上がドラマと違う原作の部分、のつもりでしたが殆どですね(笑)
ドラマで令狐冲と岳不群、任我行の対決を派手にしたいのはわかりますが(確かにドラマ観てて私も令狐冲のかっこいい闘い振りには見とれましたよ)ドラマではこの原作の訴えたい事が消えてしまってるではありませんか。

一番大きな違いと感じるのは岳不群と任我行との戦いの場面ですね。結局、令狐冲はどちらにも手をかけていない。岳不群は儀琳が殺して師匠の仇を討っている。任我行は天寿というか病死でしょうか。
儀琳達、恒山の尼僧たちの運命も随分違います。ドラマでは多くが殺され(みんな死んだと思うくらい死んでました)儀琳が新総帥になりますが、原作では田伯光の鼻のおかげで皆助かり、儀琳は総帥になりません。(これは何故でしょう?解りませんが、仇とは言え人を殺してしまった儀琳は心の傷が残ってしまったのでしょうか、優しい人なので)
そして儀琳の母親の凄まじさ。原作ではもっと令狐冲を蹴ったり殴ったり凄かったんですがね。ドラマでは死んだ田伯光も生きていてしっかり活躍してます。ずっと儀琳を師匠としてついてまわっているようです(去勢もされたし)
凄く気になるのは林平之のことですね。令狐冲は最愛の小師妹に林平之を守ると約束したのにドラマでは簡単に岳不群によって殺されてます。令狐冲なら死んでも小師妹との約束は守るはずです。それが全く何か言う事もありませんでしたからね。原作では酷いけど理屈は通ってます。そして労徳諾。仲のよかった陸大有の仇なのにドラマではあっさり死んでますね。原作ではしっかり仇をとりました。
盈盈と令狐冲の描き方もかなり違います。特に原作の盈盈は岳不群に三尸脳神丹を飲ませたり、労徳諾を猿に繋いだり驚くような事をやってのけます。それに亡くなった父の代わりに日月神教の新教主になって正派と仲良くなるという仕事をやってしまいます。ここで正派と邪派は手を結んだわけでこれはドラマと全然違いますね。
ドラマでは岳不群率いる五岳剣派が日月神教を襲って闘うのですが、原作では思過崖に集まった五岳剣派が身内で殺してしまい殆どいなくなってしまうという結末です。つまりドラマでは正邪の戦いがあるのに、原作ではなかったわけです。正派だけで潰しあったのですから。
そして向問天。ドラマでは壮絶な死に方をするのですが原作ではなんと日月神教の教主になってます。緑竹翁も側にいるみたいです。名前が向問天なのでなんとなく合ってるような気がします。
こうして盈盈と令狐冲は願い通り江湖を離れ世捨て人のようになりました。ドラマでもそれは何となく匂わせるような終わり方ではありますが、きちんと説明するのとでは印象が違いますね。
ドラマでも令狐冲は確かに権力欲もないと描かれてはいたのですが、そこに到るまでの経過がこうも違うと全く印象が異なってきますね。
結局は好みかもしれません。でも私は原作の闘わずして歴史が変わって行くと言うような描き方はとても素晴らしいと思います。
そして最期の盈盈の言葉が令狐冲を大好きなのに言ったこの言葉が凄く効いていると思いますね。


posted by フェイユイ at 18:45| Comment(9) | TrackBack(0) | 笑傲江湖 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブラボー!!謎は全て解けた!!
やっぱり金庸さんは、こうでなくっちゃ。全ての登場人物がパズルのピースのように組み合わさってるって感じが、天龍八部のときとは違ってドラマでは感じられなかったけど、やっぱり原作はきちんと考え抜かれた結末。それにしても莫大先生、かっこいいー。フェイユイさん、ありがとー。
Posted by 迷 at 2006年01月20日 00:32
 
 丁寧にこれだけの文量を書いてくださってありがとうございます。

 こうして、原作との違いを見せてもらえると、やはり見たいシーンは満載と感じます。ドラマの監督のヤツめともおもったりもしています。

 文章を読ませてもらって、自分でそのことを考えながら、幾分考えみるとき、映像 ドラマとしての笑傲江湖と、文章として 物語としての笑傲江湖というものが違っているのは仕方ないような気もしてきます。ドラマを文章化しても原作よりも浅いものになってしまいそうであるし、原作を忠実に再現しても、最後は物語の説明的にだらだらと続いてしまう。

 「笑傲江湖」というものがChannnelNECOのサイトにあったように江湖を笑い飛ばすというのなら、それは剣によるものだけではなく、やはり、令狐冲と任盈盈の付き合い方であったり、桃谷六仙のパフォーマンスであったり、風先輩の生き方、良かれと思うためには嘘もつく、少林寺の僧。令狐冲の死生観。こういったもろもろの集合であらわされるほうがいい。正派と呼ばれている人たちがが自滅するのもそうだろう。
 

 しかし、ドラマ的には空とぶ令狐冲は見たいし、クライマックスで串刺しになる悪役、壮絶な向門天、「葵花宝典」と叫ぶ任我行、叫びをあげるオカマたち。

 そうであれば「笑傲江湖」、江湖の悪人をぶっ飛ばすと言うことなのだろう。なるほど、タイトルに偽りがある。しかし、どちらも「笑傲江湖」という曲を少し意識しているところで集約されるのでタイトルは正しいということになるのかもしれません。

Posted by 七手の洋館 at 2006年01月20日 00:59
お疲れ様です。
頑張りましたね。

儀淋ママもうちょっと暴れさせても良かったかなと思います。

キャラが魅力的なのですよ、笑傲江湖。
外伝書いても面白いかも。
Posted by fince at 2006年01月20日 19:30
燃え尽きました(笑)

あの桃谷六仙ですら怖れる儀琳ママですからね。

パロディ漫画で読んでみたいです。
Posted by フェイユイ at 2006年01月20日 23:23
ありがとうございます。
ジックリ読ませてもらいました。

>結局は好みかもしれません
民主的に多数決取ったら、フェイユイ師姐の意見は正解になると思います。
ドラマについてはアジア人々(読者)が怒ったし、何より金庸先生の怒りを買ったわけですから。
Posted by 遠志 at 2006年03月15日 02:01
ドラマはドラマの面白さがあるとおもうのでですが、原作を読んでしまったら「どうして???」となってしまうのです(笑)
キャスティングがとてもいいので別の役者さんになるとまた不満が出そうですが、改めて原作に近い形のドラマ化をして欲しいですねー。
Posted by フェイユイ at 2006年03月15日 16:25
こんばんわ

>原作を読んでしまったら「どう???」となってしまうのです
カットしたとか少し変更したとかじゃなく、根本的に書き換えられたって事が、読ませていただいて凄く判りました。だから原作に近い形のドラマ化してほしいでしょうね。

ただ、一つ言えるのは、反省を踏まえて制作された『射雕英雄伝』が無茶苦茶面白かったってことですね。
金庸先生がドラマ化にあたっての要望は「原作に忠実に」の一言だったそうですし、多少原作と違うところもありますけど、マイナーチェンジでしたから。
それに、ここに来させてもらってるのも、そのお陰って事で、笑傲江湖ありがとうと言っても言いかなぁって思います。
Posted by 遠志 at 2006年03月16日 01:10
やっと、ドラマも見終えたので…。
張P最初の金庸作品という事で、ドラマ的に映像的に盛り上がった方が良かろうと改編した意図が見えます。
思過崖の暗闇は映像的に演出が難しいだろうし、最後に派手な闘いが無いと、ドラマ的にはどうかなぁ?なんて思っちゃったのではないでしょうか?(RPGっぽく最後にラスボス戦を持ってきたかった。)
岳不羣と任我行の死に方をいじった事は私もこの話の意味する事の焦点がボケてしまったように思います。最初と最後が大幅に改編されたというのもあくまで主人公を際立たせたいという、ドラマとしてわかりやすくしたかったのでしょうが、多くの人が原作を読んでいる中国でその事が逆に大きなお世話というか馬鹿にしてんのか!?位に受け止められたことでしょう。
結局令狐冲が手を下さなくても勝手に死んじゃったり、思わぬ伏兵に殺られたりというあの二人の死に方があってこそ、虚しさというか愚かさが表現できたのではと思うのですが…。
まぁ、私の場合は割り切って見ましたので、憤りまではいきませんでしたが^^。
ただ、労徳諾の最後や、桃谷六仙の最後の悪ふざけは見たかったのになぁ。あ、あと莫大先生も(曲だけだけど♪)。嵩山で出番が終わりなんて寂しいワァ。
Posted by どぅいちゃん at 2006年03月16日 11:33
>遠志さん
そうなんですよね。「射[周鳥]英雄伝」は出来栄えが素晴らしいですからね。
そのために「笑傲江湖」は踏み台になったのかと思うと気の毒です(笑)

>どぅいちゃん
そうそう!莫大先生の最後の登場は原作を読んだ者だけがわかるいい場面ですよねー!あれは曲だけ、ということで却ってドラマのほうが効果的な演出ができるはずですけどね!
やっぱりもう一度、作ってください!
Posted by フェイユイ at 2006年03月16日 21:31
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