2006年03月26日

「さらばわが愛・覇王別姫」後半

日本軍の前で演じた貴姫のもう一度シーンを観る。燃えるような赤の中の蝶衣は美しく儚い。日本軍将校と張り合って拍手を送る袁の姿も面白い。

ところでこの映画を観て驚いた事の一つは悪の権化であるはずの日本軍がかなり柔かく描いてあったことだ。小樓に対しては無礼な態度をとるが、蝶衣に対しての賛辞、特に将校である青木は蝶衣に強い愛情を示していて描き方としても紳士的ですらある。蝶衣も青木の好意をこころよく思っている。なぜなら蝶衣にとっては彼の芸術を理解してくれる人間こそがいい人間なのだ。恐ろしい革命軍の裁判においても「青木は京劇を日本に持っていくつもりだった」と話す。

この物語は中国が旧世界から新時代へ向かう過程を描いている。日本軍の侵攻から文化大革命を経る歴史の中で京劇役者・小樓、女形・蝶衣、小樓の妻・菊仙、3人の人生が絡み合っていく。
小樓を挟んで蝶衣と菊仙は恋敵であり激しく互いを攻めあうのだが、そんな二人のふれあいを映した場面がある。
一つは絶望して阿片に溺れた蝶衣の部屋を訪れた菊仙が「お母さん」と泣きながらつぶやく蝶衣を抱きしめるシーン。劇団に捨てられた時の記憶が戻ったのか蝶衣は母親を求めるのだ。そんな蝶衣を疎んじていたはずの菊仙が優しく抱きしめるのを見て切なくなる。結局は菊仙も遊郭にいた身の上。親に捨てられたような境遇だったのではないだろうか。
一つは最後、文化革命の厳しい自己批判の責め苦を受けて小樓は「(売春婦だった)菊仙を愛してなどいない」と告白する。
命を奪われる事はなかったが、菊仙は死を選ぶ。菊仙の名を叫ぶ蝶衣。やはりここでも同じく愛する小樓から見捨てられた者として菊仙と蝶衣はつながっているのだ。
そんな小樓は蝶衣をどう思っていたのだろうか。物語の中で彼は何度もあるときは自主的にある時は妻から説得されて蝶衣と別れようとする。
がいつの間にか二人は元に戻って覇王と姫としての芝居を続けるのだ。
小樓の愛を得られない蝶衣は袁世卿の寵愛で慰めとする。自己批判の際に小樓は蝶衣を責める。「袁世卿と蝶衣は・・・!」自らは蝶衣を(肉体的に)愛する事はなくとも心の中で嫉妬していたというのか。では蝶衣の愛はどこで受け止められるというのだろう。

自己批判がなければ小樓もそんな事を叫ぶ事もなかったのだ。が、歴史は残酷にも彼らを追い詰めていった。

どんなに京劇を愛していても芸術を悪とする革命は蝶衣を締め付けていく。だからこそ、蝶衣は「日本軍の青木は京劇を自分を愛してくれていた」と言ってはいけない言葉を発してしまうのだ。

そして京劇の世界にも昔を知らない若者達が次第に幅をきかせてくる。蝶衣は取り残された存在となっていく。

歴史に飲み込まれていった3人の男女の運命は過酷なものであった。蝶衣が想いを寄せる小樓の腰の刀を引き抜いた所で物語の幕は閉じる。


posted by フェイユイ at 21:10| Comment(0) | TrackBack(1) | レスリー・チャン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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