2005年01月29日

キム・ギドクの夜「うつせみ」(3-iron)

トドメです。最後まで話してしまいますので、「3iron・空き家」見てない人は、くれぐれもご自分の判断でお読みくださいませ!

迫ってくる夫。なびかない女に腹をたて叩く。女、初めて夫を叩き返す。めがねが吹っ飛ぶ。
青年、独房にいる。若い看守、姿が見えないので入ってくる。青年は扉の上の小さなくぼみにしがみついていたのだ。かっとなって看守は青年を棒で殴る。
青年、両腕を広げ、にやりと笑って、指先だけを動かす。鳥のように。
女、前に二人で行った古い美しい屋敷を訪ねる。そこの主人が庭を掃除していて女に声をかけるが、女は黙ったまま、青年とお茶を飲んだ長いすに横たわる。その様子を見て主人はなにもいわずまた魚の泳ぐ甕の手入れをする。このシーンはまるで動く絵画のようでこの部分だけでも必見。キム・ギドク監督はずっと水をモチーフにしてきたそうですが、この映画ではあえて言うならこの魚の泳ぐ甕なのでしょうか?奥さんが帰ってきて咎めようとするが、主人は「眠っているんだ」というのみ。やがて女が目を覚まし、お辞儀をして帰って行く。
青年の独房、また看守が覗くが、見えない。中に入ると服が脱ぎ捨てられている。看守、ゆっくりと独房を歩く。真っ白な独房、何もない部屋だ。青年は看守の後ろにぴたりとついていたのだ。看守青年の影に気づいて、毒づき、殴る。
青年、掌に目を描く。その目をつけた掌を動かす。静かに笑う。
また姿が見えないので、看守、中に入ってくる。青年を探す。と、いきなり、ひゅうっと言う音と共に倒れる。また音がして看守外へ飛び出す。別の看守を呼び、青年、二人の看守に腕をつかまれ、どこかへ。
女は浴室で手で洗濯をする。それを見て洗濯機を使えと咎める夫。

映像はここから青年の視線をカメラとして捉えられる。地価の駐車場で青年をいじめた刑事にゴルフボールが次々と飛んでくる。うめいて苦しむ刑事。
ボクサーの家、夫婦喧嘩中、気配を感じるがわからない。
古い屋敷、奥さんが庭の手入れをしている。いつの間にか、青年と女が座ったいすの赤いクッションが動いているが、気づかない。
ヌード写真のあるマンション。主人は電話中。女の切り刻んだ写真は、またもとの形に戻りつつあるが、よく見るとまだ完全ではない。これも暗示か?また、気配を感じられるが、気づかれない。
視線は女の家を訪れる。寝室に夫と女が寝ている。夫、気配を感じてゴルフクラブを握り、探すが、解らない。が、女は寝室のすりガラス越しに青年の姿を見る。夫は執拗に女を抱きしめる。夫が眠るのを待って寝室を出る女。ゆっくりと部屋を歩く。鏡を見ると背中越しに、青年が映る。振り向かず青年の顔をさわる女。
夫がゴルフクラブをもって起きて来る。怒った顔で「何をしている?」女、にっこりと笑って「サランヘヨ(愛している)」(初めての言葉だ)夫、驚くが喜んで妻を抱きしめる。
女、夫の背中の向こうに腕を伸ばす。画面を横切って青年の手が女の手をとり近づく。そして夫の背後から女にキスをする。それはこれまで味わったことのない甘い甘いキスだ。
朝、女は明るく朝食を作っている。「ご飯よ」夫、うれしそうにテーブルに近づく。そのすぐ後ろを青年がついてくる。青年は独房で気配を完全に消すことを学んだのだ。夫食事をする。女、うれしそうに笑う。夫のすぐ後ろに青年が立ってご飯を食べるのだ。夫「うれしそうだな。しかし、不思議だ。昨夜から突然そんなふうになった」女は笑って、青年が取れるよう、おかずを夫に近づける。夫がいぶかしんで後ろを振り向くが青年は夫の視野から外れるように動くので気づかれないでおかずを取る。女は笑う。夫は気づかない。
夫、戸締りを注意して、幸せそうに出勤する。女見送る。主婦というのは夫が出かければ、その家は自分だけのものになるものなのだ(これは男にとっては怖い話だね)女、部屋にゆっくりと戻るが、今度は青年が女の背後についているので姿が見えない。しかし女は両腕を広げてゆっくりと青年を壁に追い詰める。青年、壁につく。女、振り返り、青年とキスをする。ゆっくりと。二人は体重計に乗っている。その重さは二人合わせてちょうど0kgだ。
「私たちの住む世界が現実、あるいは夢なのか伝えるのは難しい」

ということはどういうことなのか。これは単に女が見ている夢なのか?それとも本当にこんな不思議なことがあるというのか?それは見る人によって違っていいと思う。
この映画を見る前に私はちょうど相方とけんかをしていたのだった。肉体的暴力ではないが、かなり精神的にまいっていた。その時にこの映画を見てしまった。どうしても映画と自分のおける状況とは作用するものだ。私が、映画の中の青年に女と一緒になって恋をしてしまっても仕方のないことだと思う。それはこれを演じている実際の男性ということでなく、空っぽ(空き家)になってしまった心に入り込んだ来た夢のような存在だ。女の受けるキスを私はただの映画とは思えなかった。苦しいほど甘いキスだった。映画は私に浄化作用をしてくれたようだった。それはうまく言えないけど、この映画を見て、何かが溶けてしまった。
映画を見て、何かが変わってしまう。不思議な体験だった。
posted by フェイユイ at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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