2005年01月30日

「風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制)」

正直言って、ちょっとなんとも言いがたいのである。ひとつにはちとタイミングが悪くて私の頭の中がキム・ギドク見たい!だけになってる時にレンタルDVDが届いてしまって、キム・ギドクがまだ来てないので・・・という状況であったこと。
もうひとつは正直言ってそんなには感動しなかったのだ。つーか、理屈としてはよく解るわけですが、パンソリ(その中に東便制と西便制という2派があるそうだ)ここでは西便制に属するユボンが血のつながっていない息子と娘に厳しく芸を教えていく、というもの。息子の方はいまいちでしかも貧しい旅芸人生活に疑問を持ち出て行く。その息子が別れた父と義理の姉を探し訪ねていく、という筋立てになっており、その演出も見ごたえはある。物語を締めるエピソードも悪くないんですが、なんだか私がのめりこめなかっただけ。
比較するものではないのかも知れませんが、中国映画の芸人の物語「変面」を見たときは、その優しいつながりに涙あふれたんですが。
もひとつまずいのは、私はどうしても親が子供に無理やり何かを教え込む話が嫌いなんです。ぞっとする、というか。そこで躓くんで、映画の出来はどうでも親父が憎くてこちらが「恨」でいっぱいになってましたが。それで多くの人に感動を与えたパンソリと映画だったわけですが、どうにも嫌悪感が襲ってきて。
しかし不思議な娘さんなんだよね。息子の方は親父が好きになった女の連れ子というエピソードがあるんですが、肝心の娘の方は、「血のつながった娘じゃないんだ。歌を教え込もうと思ってね」という一言だけで話が片付けられている。そして普通、息子のように「こんな貧乏嫌だ」といって逃げて当たり前だが、じっと父親についていくだけだし。ワンシーンだけ「ご飯が食べていけるの」と父親に言うとこがあったけど。泣き叫ぶわけでなし。ま、そういう幼いときから悟りきってるような風なので親父に「お前の歌はきれいなだけで「恨」がない」などといわれてしまう。そしてそのために娘は恐ろしい体験をするのですがね。こういう感情の起伏の乏しい人が歌手になるのは大変だろうと同情します。
パンソリ自体が時代に取り残されて(皆、西洋音楽に夢中)親父は酒びたりで子供を折檻。息子には才能がなくて、娘はうまいけど感情がない。どうにも八方ふさがりの物語。そこになんともいえない侘しさがあるといえばそうなんですが。
とにかくこれは好みの話じゃなかった、ということで。そしてイム・グォンテク監督の映画って私にはいつもうまいと思うけど感動しない、ということばかりなので、そういう感性のすれ違いなんだろうと思います。
監督 イム・グォンテク 出演 キム・ミョンゴン オ・ジョンヘ キム・ギュチョル
1993年
posted by フェイユイ at 00:24| Comment(2) | TrackBack(1) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昔 ビデオに撮っていたのを 引っ張り出して来て見ました。
なんで見たかって言うと うちの奥さんが 出かけていて留守だったんですね。
うちの奥さん こういう暗いの見てると 腹立てるんですわ(^○^)。
ま、とにかく 映画のストーリーはつまらんけど、なんちっても歌がよい。
あれは パンソリって いうものなんですね。
娘の歌がものすごくいいです。
ストーリーの中では「恨」がないって言ってたけれど、十分にソウルがあった。
音階が西洋音階でないのもよかったな。
あと、昔の韓国の風景もよかった。あれは 昭和初期かな。
Posted by 格瓦拉 at 2006年05月16日 19:06
この映画をレンタルして観た時は心がキム・ギドクに走っていたので感想が悲惨でしたね(笑)

今観たら少し落ち着いて観れるのかも。
パンソリは素晴らしいものなのに。

もう一度観てみねば、と思いますねー。
Posted by フェイユイ at 2006年05月16日 19:29
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風の丘を越えて〜 西便制(ソピョンジェ)
Excerpt:  見終わった後、この映画の根底に流れている「恨(ハン)」を感じました。日本語で「恨み」と書くこの言葉は、韓国では随分、意味合いが違います。 恨(ハン)とは、一言でいえば「どうあがこうとも、どうすること..
Weblog: ある在日コリアンの位牌
Tracked: 2005-04-23 13:56
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