2006年05月20日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第23集

太皇太后の助けで皇帝・康煕復活。皇帝を続けることを決意。

朱三皇子は自害しようとしたが部下の助言で復讐を誓って逃走。宦官・毛子は殺された。

呉三桂の息子は太皇太后の前に出て造反の謝罪する「父が挙兵すれば従わざるを得なかった」太后は「お前は有罪だが。間違っていない」と言い渡す。呉息子はひれ伏した。

康煕が出陣すると言い出すと周培公は反対する。皇帝が出陣すれば皆が迷惑すると。康煕は立腹するが周培公は「皇帝は満人だけではなく漢人を起用するべきです」康煕はそれは賛成だ。国民の8割は漢人なのだから、と言う。

太后の所へ大勢の客が訪れた。慕われるお婆様を見て康煕は感心する。そして自分も作戦を開始した。
まず捕虜にしていた王吉貞に父親に手紙を書かせた「過去は忘れるから忠臣となって戻ってきてくれればこころよく出迎える。朕は必ず呉三桂に勝つ」と。
家に戻る事を許された吉貞は父に手紙を見せるが父親は前日に呉三桂からも手紙を受け取っていた。呉三桂は旧王なのであった。息子・吉貞は朝廷に従う事を勧めるが父は朝廷と呉三桂の戦いをしばらく見て決めようと言うのだった。

康煕は漢人ではあるが聡明な周培公を将軍に任じた。新将軍である周培公は兵士たちに馬鹿にされてしまう。だが逆らう者たちを皆の前で打ち首にして周培公は兵士たちを統率する。そして今与えられる金は僅かだが敵・ツァハル王を打ち破れば1億両を手にすることになる。その半分を皆で分けるのだ、と言って士気を高めた。
周培公率いる軍隊は短期間でツァハル王に勝利しさらに西南へ向かい王輔臣と戦う事になった。吉貞の提言も空しく父親は「ここで周培公を完膚なきまで叩きのめし皇帝に自分たちの価値を認めさせ無罪と安全を公言させた上で帰順するのだ」

周培公は皇帝が外国から購入した大砲を使い王輔臣を攻撃した。


posted by フェイユイ at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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