2006年05月28日

「欲望という名の電車」

欲望3.gif欲望2.jpg欲望.jpgブランド.jpg

この前、自分でこのタイトルを書いたら急に観たくなってレンタルした次第。
ディレクターカット版という奴です。(と言っても普通版とどこが違うのか細かくは判らないのだけど)なぜディレクターカットなのかと言うとこの映画はテネシー・ウィリアムズの戯曲をエリア・カザンが演出した舞台が喝采を受けて映画化されたものなのだが、その際内容に問題があるとして当局から手直しを命じられたのであったのだ。

どの場面が問題なのかと言うと、最後にブランチが妹の夫スタンレーに強姦されてしまうのだが「これはいかん!しかも強姦したスタンレーは処罰も受けないのだからこれでは強姦を認めた事になる」と言うわけでなにやらほのめかしたような演出になっているのだが、昔の映画と言うのは強姦などは演出によってほのめかすのが通常だったわけで当時の観客なら「これは強姦だ」とわかるだろう。が、ディレクターカットだからこうであるのかも、通常版がどうなっていたかはわからない。
だが問題はむしろその後の場面、映画では夫スタンレーが姉ブランチを強姦したとあってステラは「今度こそはここにはいられない」といい捨てて2階の友人の家へ駆け上がっていくのだ(2階に行くって言うのは大した逃走ではないような気はするが)
戯曲ではステラはやっと姉がいなくなってむしろほっとした、と感じるのである。何たる違い!
だがこのことで行き場のないブランチの哀しみはより深まるのだし、こうでなければ物語の意味がないのだ。

もう一つは裕福な家の出身であるブランチが何故、教師の職も失う羽目になるような行為、男を漁り売春婦となっていったのかという理由である。
映画では若い頃に結婚していたブランチが少年のような夫に対して「詩を書くしか能がない。仕事のできない情けない男だ。臆病者」と罵ったことで若い夫は行き場をなくして自殺してしまう、と説明する。
これが理由なら理解しがたいではないか。そんなことがあるのだろうか?戯曲ではブランチの若くハンサムな夫はそれを隠していたゲイで男と密会しているのをブランチが見てしまう。そして夫に「見たわよ」と告げてしまい傷ついた夫が自殺してしまうのだ。これなら当時のゲイ差別を踏まえてみれば納得がいく。

つまりこの物語の重要な要素が二つとも変更されてしまったわけでこれでは戯曲を読まず、もしくは芝居を観ずにカザン監督のこの作品をみた者はナンだか意味がわからないのではなかろうか?と思われてしまう。
大変に面白い戯曲なだけに残念である。

が、それを我慢したとして(我慢できないけど)やはり観るべきものがある作品だと思う。何と言ってもマーロン・ブランドの溢れる魅力!むんむんとむせ返るようなマッチョな肉体美。端正な顔立ち。荒々しい言動。こんな人が「以前」の人だなんて信じられない。私の世代ではブランドと言えば「ゴッドファーザー」の迫力あるコルレオーネでやはり素敵だったが、若きマーロン・ブランドはまだ可愛いといっていいほどでしかもセクシーでありしかも男らしい!スタンレーを彼以外にやれるのか?と言うくらいのものである。

そしてビビアン・リー。私には彼女はやはり「風と共に去りぬ」である。アメリカ南部の金持ちのお嬢さんという設定がダブってスカーレットが落ちぶれてブランチになってしまったかのような錯覚に陥る。そのため余計にブランチが哀しく思われてしまうのだ。

が、このブランチと言う女性はビビアン・リーが熱演すればするほど変な女になっていく。この口ぶり、けたたましいおしゃべり、美と若さへの異常な執着。私には彼女の姿は女性と言うより女装したゲイの感覚に近いように感じられてしまう。
やはりゲイであるテネシー・ウィリアムズが自分の心を写し取ったかのようなブランチはどうしてもそうならざるを得なかったのであろうか。
無論、それがいやなのではない。そう思ってしまうことがブランチというキャラクターを本当に寂しい存在にしていると感じるのだ。

ところで人は登場人物に感情移入して観ていくものだが、私は思い切りスタンレーである。奥さんのステラには少し移入できるがブランチにはならない。
突然やって来て家庭内に入り込み好き勝手して高慢ちきな言葉を話すブランチには我慢できない。私なら1週間も無理である。スタンレーは優しいとさえ思う。いなくなった時は正直ほっとした。これでは映画の本質を理解していないか?
かといってブランチに全く自己を投影できないわけではない。次第に年取り若さを失っていく女の哀しさは女である身としては理解できる。突然現れた新聞代集金の若者に舌なめずりをする心境にも同感できるわけである。

さてここから先はお遊びコーナー。
このような名作は色んな俳優に是非演じて競ってもらいたくなるものである。どんなスタンレーやブランチが表現されるのかが見物だからである。
そこで今私の一番のお気に入り、マット・デイモンにも当てはめてみたい。
普通ならスタンレーをやってもらうんだろうけど、いくらマットが演技派とは言え野獣のようなスタンレーをやるのは無理のような気がする。友人ミッチは「身長185センチ体重92キロです」とか言わなければいけないからもう体格でアウトである。
となるとマット・デイモンにはブランチをやってもらおう。いい家庭の出身で高学歴を鼻にかけたブランチ役はまさにマットにぴったりではないか。
男女を入れ替えただけでは話がおかしくなるだろうからここで物語を大きく変更させてもらう。
寄る辺のないマットは仕方なくゲイパートナーと暮らすゲイの弟の家へ押しかける。(ここではマットはゲイではなくストレートと言う事になっている)心優しい弟はこころよくマットを迎えるがゲイパートナーの彼氏は高学歴を自慢するマットに我慢できない。しかも世話になっているくせにゲイである事を差別するのだ。しかしそういうマットは実はゲイ売春をしていた事を隠していたのであった。
最後に高慢ちきなマットは弟の彼氏に強姦された上に施設に送られてしまう。(弟は妊娠できないのでそこはどうする?)
(書いててちょっと怖くなったがあくまでもこれは冗談なのでお赦しを)
他の3人の配役はどうしたらいいかな。スタンレーはベン・アフレックならできそうな気がするけど(マットもうれしかろうし)でステラはケーシーがやるのか?(怖い、やめよう考えるの)

監督:エリア・カザン 原作戯曲・脚本テネシー・ウィリアムズ 出演:ビビアン・リー、マーロン・ブランド
1951年アメリカ


posted by フェイユイ at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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