2006年05月29日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第26・27集

康煕は一人の蒙古王と話しあった。トゥルトゥはグールダンと手を結んで金をもらっていたのだった。トゥルトゥは康煕にグールダンからもらう金を皇帝に送ると約束した。

康煕の第一皇子インスーは台湾討伐を任じられる。が、康煕はインスーに会場での戦いは避けるように忠告した。

靖海将軍・薩木爾は皇子の援軍に渋い顔をする。あからさまに手柄を立て皇帝に褒めてもらいたい気持ちが見え見えだったからだ。
案の定、インスーは初戦での勝利に気を良くし、ゆったりと構える将軍に対し不平を言う。そして指揮権を譲れと迫った。仕方なく薩木爾は海上での戦いをインスーに任せる。だが海に慣れた台湾水軍に福建水軍がかなうわけもなかった。インスーは全水軍を失ってしまう。薩木爾は皇子の失敗を我が身に被るのであった。

勝利の報告の後、水軍の敗戦を聞き康煕は「海での戦いは戒めたはずだ」と怒る。台湾の施琅は神出鬼没の勝利を収めていた。
そこに東亭が康煕のためにオランダ船の模型を持って登場した。高額の船だが康煕は東亭を褒め称えた。
これからは清にも水軍が必要だと康煕は考えた。

康煕は北京に戻る事になった。
牢に閉じ込めていた姚啓聖を引っ張り出し凍てつく道中に檻に入れて運ぶが途中から自らの車に乗せた。車に積まれているたくさんの本に啓聖は目を見張る。康煕は読むことを許した。
宿に着いて小屋に入れられても啓聖は本を読むのをやめない。康煕はいきなりそこへ入り啓聖に「お前の心が死に価するのだ。お前は漢人で満人である我らを軽蔑している。役人になるのを嫌い馬番に甘んじているのはそのためだ」と吐き捨てる。心を見透かされた啓聖は康煕の洞察力に驚きひれ伏す。

康煕は啓聖に勉強会に参加するように言い渡した。

康煕たちの一行はついに北京に戻った夜の闇の静寂のなか馬車の音だけが響き渡るのを啓聖は「皇帝の馬車が雷鳴のようで静寂でもある」と表現した。康煕は満足気であった。

冬の大陸の寒さは厳しいだろうなと思いながら見る。蒙古とも台湾とも戦わねばならず康煕は太る暇がないね。勉強会も欠かさないという。忙しい人です。ここでもやはり東亭は康煕の心を汲んでいてさすが。

康煕は父親の残した書(啓聖は二度と用いないと書かれたもの)を燃やして啓聖を使う事にした。
索大臣と明珠はこれを快く思わない。

康煕は福州総督・薩木爾を退けて啓聖を総督にした。
実は啓聖は施琅の師匠であったのだった。施琅の行いが悪い為破門したのだと言う。
啓聖は清の力なら船は作れるが海将は無理だと言う。そこで啓聖は施琅を
清に引き入れる事を提案した。

また台湾には3つの力と3つのいたわりが必要と説き、武力で抑えるのと同時に先祖を供養していたわることもするべきだと言うのだった。

台湾の延平王は施琅と義兄弟の契りを結んだ。清に対しては和平を結ぶとは言え、力を見せ付けるのだという気構えであった。

帰京した康煕はまずばば様に周培公からもらった地図を見せた。太皇太后は
自分の故郷を虫眼鏡で見つけ大いに喜んだ。
そして康煕に清の隅々まで足を運ぶ事を約束させた。咳き込むばば様を康煕は心配したが太后は「自分よりあの子の方が体が弱いのだ」と薬を取りにいくスマラグのことを思いやるのであった。

康煕が訪ねて来ないことを慧妃は悔しがる。やっと宦官の李が康煕の知らせを受け「女は年齢が上の方が気がつくもの。若いだけでは陛下の世話はできないわ」と喜ぶ。
が、それは間違いだったのだ。康煕は慧妃ではなく容妃の下へ行く。
その様子を見た慧妃は泣き出してしまった。容妃は康煕は来る事を知らず
紙を切ってウサギを作って遊んでいるところだった。

やっと女性の話が出てきてほっとする。でもスマラグは何かの病気なのでしょうか。心配です。
康煕の心を掴んでいる容妃はどんなひとなのでしょうか。


posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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