2006年06月07日

「ブエノスアイレスの夜」結末の行方

カルメン.jpgグスタボ.jpg

この映画では、過去に起きたことは会話によって説明されるだけで映像による表現がない。その為、観る者は注意深く会話を聴いて(読んで)いないとカルメンが何故こんなに固く心を閉ざしているのか、苦しみを背負っているのか解らないだろう。
1970年代に起きたアルゼンチン軍事クーデターというものも映像での説明がない。それはそれを知らずにこの映画を観た者への課せられた宿題となる。「どうぞアルゼンチンの歴史を調べてみてください」と。

ただここでは軍に捕らえられたカルメンがどんなに惨い拷問にあったのか、想像してみよう。その為、彼女は男性との肉体交渉をもてなくなってしまったのだ。
カルメンは肉体の接触を断っているためか聴覚が人より過敏になっている。時折、現実にない音が聞こえる。音が彼女の心を表している。
若いグスタボに惹かれたのも電話で彼の声を聞いた最初の瞬間からだった。
これも説明がないから解らないが、長い間、閉ざされた牢獄の独房で(恐ろしい軍の人間以外は)誰とも会わず、何も見ることのなかった彼女には聞こえてくる音が唯一の感触だったからかもしれない。

壁を隔てて背中合わせにグスタボの声だけを聞いているカルメンのシルエットが映る。その構図は悲しいが少しずつ彼女が彼のそばに近づいたのがわかる美しい場面だ。
やがて自ら扉を開けたカルメン。彼の電話で雨も気にせず駆け寄り彼女はとうとう愛し合う相手を見つけたのだ。
が、物語は残酷な方向へと走り出す。カルメンの心を開き愛し合ったグスタボは彼女の息子だったのだ。
20年前投獄された牢の中で産み落としすぐに連れ去られたためにカルメンは赤ん坊は死んでしまった、と思い込んでいた。
そして憎むべき一人の軍人の手で拾われ育てられたのだった。

愛する人が自分の母親だったと知ったグスタボは混乱したまま育ての親である軍人だった父親の家へ帰る。
父親はグスタボを愛しており財産も彼に譲ると言う。が、グスタボは実の父を殺し、母を苦しめた軍人である義父を撃ち殺す。

この話でギリシャ神話の「オイディプス」を思い出す人もいるだろう。あの物語は父親が視点であったが、ここでは母になっている。
また、この話はもしかしたら実の父と娘が知らずに愛し合う、と言うものならばこれまでも映画として作られていたと思う。
母と息子になっていることはこれまでにはあまりないかもしれない。

カルメンは刑務所に入れられた息子グスタボに会いに行く。まだ二人は互いに克服してはいない。
人の目を気にしながらも抱き合い、キスしあう、親子だと言い聞かせながら。
泣くグスタボにカルメンは言う「そんなに悪い結末ではないわ」と。カルメンが言ったこの言葉の真意は?
カルメンにとってグスタボは牢獄ですでに死んでしまっていたと思っていた愛する子供だったのだ。彼女の心に最も深い傷を残したのは子供の死だったはずだ。
でも子供は生きていた。また、もう会うこともなかったかもしれない。でも運命は二人を引き合わせた。
もしかしたら心が通じ合うこともなかったかもしれない。だが、互いに惹かれ愛し合ったのだ。
残酷な過去を持つカルメンにとって最愛の息子が生きていた。そして自分を愛してくれた。自ら死を望んでも免れることになった。
「そう悪い結末ではない」のだ。
それがたとえ最も恐ろしく重い禁忌=近親相姦が代償だったとしても。

人によって思いは違う。

母親である私にはこのラストはうれしく思えるものだ。確かに息子は生きており、自分を愛してくれた。
他に何が必要だろうか?

監督:フィト・パエス 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル/セシリア・ロス
ドロレス・フォンシ  製作年:2001年/製作国:アルゼンチン・スペイン


posted by フェイユイ at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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