2006年06月20日

「オール・アバウト・マイ・マザー」ペドロ・アルモドバル

マザー.jpgマザー2.jpg

最近立て続けに面白い映画のご馳走攻めという感じでご満悦状態の私である。自分の趣味で観ていると男映画がやたら多いのでちょっとまずいなと思っていたらあるんですねえ、こんないい女映画が。

監督はペドロ・アルモドバル。私が観たのは「トーク・トゥ・ハー」と「バッド・エデュケーション」
とんでもない印象を焼き付けられた作品たちであるね。他のも結構問題ありの映画が多いようで。

普通に言えば普通でない人間ばかりが登場してくるのである。(差別のつもりではないのでよろしく)シングルマザーである主人公の女(しかも相手の男は息子には説明しがたい存在なのだ)レズビアンの女優(レズ相手はとんでもない麻薬常習犯)人工の乳房をつけた女装の男である女(ややこしいが彼は彼女のつもりなのだろうから女と言わせてもらう。しかも下はついてる)修道女にも拘らず妊娠してしまった女(しかもその相手はさっき言った女装した男である女の友達の女装男)

主人公マヌエラは最愛の息子エステバンを亡くしてからそういった女たちと出会うあるいは再会。そのどの相手も彼女にとっては忌まわしい存在ではないのか。
女優は息子の死の原因であり、女装男たちはマヌエラを妊娠させた本人とその友達。そして妊娠した修道女はそのマヌエラの子供の父親である女装男の子供を宿しているのだ(つまり一応恋敵(というのかどうか))

そういった因縁ともいうべき女達とマヌエラは奇妙な愛情を持って接していくようになる。
マヌエラの心には常に失った愛する息子の面影がある。その悲しみは観ていて酷く苦しく辛い。
息子に父親と同じエステバンという名をつけ、修道女の子供にも(つまり異母兄弟となる)エステバンという名をつけて自分の子供のようにして育てていくのを見て何とも言えずほっとした。息子エステバンの代わりにはならないのだとしても。

マヌエラを演じるセシリア・ロスが「ブエノスアイレスの夜」と同じく強く生きる女性像を魅力的に演じている。
映画の中でマヌエラが「欲望という名の電車」のステラを突然代役を務めてしまう。少し前にこの映画の記事を書いたがステラは女心がわからない男の行動に戸惑う女性である。強く見えるマヌエラが実はステラと同じように戸惑いながら男のもとを去って行くのが判る。(以前書いた記事ではその結末の方のバージョンを批判していたんだけどね)

修道女を演じるのはペネロペ・クルス。可憐だ。同じ男の子供を宿してしまうというつながりを持つマヌエラと修道女ですが恋人同士のような深い愛情を互いに持つようになるのであった。

色の鮮やかなインテリアと同じく物語りもどぎついほどに複雑に彩られていく。大変感動的な話でありながらまさにアルモドバル監督ならではの様式に酔ってしまうのだ。

監督:ペドロ・アルモドバル 出演:セシリア・ロス、マリサ・パレデス、ぺネロぺ・クルス 2000年スペイン

本作は「女であるために女を演じるすべての女性たちへ」と謳われている。

もう一つ驚きだったのは女装男アグラードを演じたのがアントニア・サン・フアンという女性だったこと。ずっと女装男だと信じていたよ。素晴らしい!
posted by フェイユイ at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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