2006年07月19日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第37集

3年ぶりに魏東亭に再会した康煕。折りよく施琅の待っていた風が吹いて台湾攻略に乗り出したという便りが届く。機嫌がよくなった康煕は東亭に約束の3千万両を聞くと後4百足りないと言う。
康煕は智恵を出して残りの4百が集められるように自分にあてられた旅費を与え、自分が泊まった家を売りに出すように勧めた。

容妃は街の者が皆兵士のようだと見破る。出迎えた官僚は「皇帝の安全のために追い出しました」と言う。容妃はこれを康煕が知れば怒るだろうと心配した。

東亭はさらに康煕が見物するだろう場所を兵たちに念入りに調べさせる。何者かがあの3門の大砲を盗み康煕を狙っていると考えたのだ。だが、大砲はどこにもない。
葛礼は印空大師の所へ急ぎ、大砲の在り処を尋ねた。だが印空大師は知らないと言う。
しかし葛礼が去った後、印空大師の配下の僧たちが集まり大砲を配置したと告げた。印空大師は「魏東亭が読経をさせる時に自分諸共に康煕を撃て」と命じた。

康煕は容妃を側に置いて東亭と親しく話し合った。「昔と違って謙虚になってつまらない。スマラグと一緒の頃がよかった」と言う。そして今は身内だけなのだから遠慮なく打ち明けてくれと言うのだった。
東亭は「索大臣や明大臣から何度も手紙が来る。古きも大切ですが新しきをいれるべき」と康煕に申し出る。康煕は頷くのだった。

台湾延平王は窮地に立たされていた。施琅率いる清の水軍が台湾の水軍に大打撃を与えたというのだ。施琅は船上で姚啓聖と酒を酌み交わしていた。姚啓聖は施琅の戦いぶりにすっかり感心していた。
清はさらに台湾に向けて大砲の攻撃を開始した。延平王はついに家族と兵士たちを逃げさせ自分は命を絶った。
姚啓聖は施琅に必ず帰京して褒美を受けるように、という康煕の言葉を伝えた。そして施琅の親族を共に弔ったのだった。

康煕は9月9日朱元璋の墓太祖明孝陵に参った。朱三皇子である印空大師が見つめる中祈りを捧げているところへ「台湾奪回」の知らせが入った。
康煕は喜んでこれを朱元璋に伝えた。康煕を狙った大砲を撃とうとしていた者たちは捕まりまたもや朱三皇子の陰謀は果たせなかった。

が、東亭の兵たちは朱三皇子らを逃してしまう。後に残ったのは8百両の金だった。
東亭は喜んでこれを康煕に伝えたが朱三皇子を逃したことに康煕は激しく怒る。そして東亭にこのまま隠居するか世界の果てである台湾の知事になるかと問う。東亭は泣きながら知事になることを願い出た。

外では容妃が東亭を待ち謝った。東亭は何も言わず立ち去った。

なんだか東亭一所懸命やったのに可哀想ですねー。確かに朱三皇子の存在に9年も気づかず逃がしてしまったのはまずいが、しかし。
康煕はさすがに皇帝というか機嫌のいい時と悪い時の差が激しいですな。
台湾側に立ってみてたら悲しいものがあります、この戦い。大きさから言って勝てるわけないというか。自分的には康煕の近くより台湾でのんびり知事やってた方がいいような。




posted by フェイユイ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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