えー、この全国公開というのは韓国全国です。
昨日はばたばたと慌てて記事を書いてしまったのですが(今日もあまり状況はかわらないですが)これを読むと7日頃は新作「時間」に観客が集まればよし、と思っていたのにそれ以後監督が発言した「グエムル」批判に対しての反応がかなり酷いものだったのでしょうか。あれほど凄い作品をゴミだといい捨ててしまうのですから。そんな悲しい思いをしての突然の韓国映画界引退宣言となったのですね。
私はポン・ジュノ監督も大好きで「グエムル」も楽しみなわけですし(なにしろこのブログに並べて貼ってる)本当を言うとキム・ギドク監督にそういう発言をして欲しくはなかったものですが、だからと言ってギドク監督が嫌になるわけではありません(勿論、韓国語を理解する耳を持っていて監督の発言を聞いていたらどう思ったかは判りませんが)
昨日の記事で「サマリア」についてのアン・ソンギさんの言葉と言うのがあって(アン・ソンギも好きなんですが)『いったい父親が娘をどうやって殺せるのか』というものでした。
娘を殺してしまう父親は現実にたくさんいます、悲しいことですが。まさか韓国には一人もいなかったということはないでしょう?あの映画での父親の気持ちが理解できなかった、ということなら仕方ない、彼には理解できなかったのだ、としか言えません。
とりあえず新作「時間」は韓国で公開されることになったということですが、例え大入りになったとしてもギドク監督の気持ちはもう変わらないのでしょうか。
キム・ギドク監督の辛い気持ちを思いやる事も忘れ、「では一体次はどこでどんな作品を作るんだろうか」などとつい考えてしまう私はやはり冷酷非情な輩であります。
ラベル:キム・ギドク
昨夜、ギドク監督のニュースを読んでコメントしようと思ったのですが、何と書けばよいかまとまらずそのままにしておりました。
私とギドク作品の初対面は以前にも書いたように『春夏秋冬、そして春』だったのですが、もし初めがこの作品でなかったとしたらギドク作品には興味を持たなかったのではないだろうかと思うときがあります。これまで私が見ている彼の作品の中で、一番好きなのはこの作品だからです。
彼の作品は目を背けたくなる場面がたくさんあり、吐き気をもよおす時もあります。それは何故か?それは私に中に眠っている凶暴さや邪悪さを、目の前に突きつけられたような感じがするからです。だからというのもおかしいのですが、彼の作品を観た後は、人に優しく生きよう・心穏やかに生きようと思うことができたり、人々の平等や世界の平和を強く願ったりしてしまいます。
なんだか、やっぱりまとまらないままで終わってしまいますが、そういう意味で彼の作る作品というのは貴重なのだと思うわけです、これからもギドク監督の作りたいものを作って私たちに届けてくれればと思うわけです。
私も色々思いはありますが、なかなかまとめ難いものです。
私にとってもギドク監督の作品は大変驚きを与えてくれるものです。
今日の朝鮮日報の記事では監督がチェコ映画祭でアリランを歌ったことが書かれていますね。
どこででも映画は作れますがやはり祖国から嫌われ追い出される(という状況になってしまった)なんていうことは悲しいことです。
昨日、「グエムル」見てきたばかりです。
ギドク発言にショック受けてます。
たしかに、まったく違うタイプの映画ですから、言いたいことはあるとは思うけど…。負けるなギドク!
もう「グエムル」観られたんですね!羨ましい!
私はいつになるやら、ですが、それまで bossaさんの記事もあおずけです、残念だけど。
ギドク監督はきっとどん底に落ち込むくらい傷ついているのでしょうね、あんな発言をしてしまったのは。
ご家族もおられるのだから凄く心配もします。
どういう形になるのかは判らないけど一度ゆっくりしてまた復活してもらえたら、と願うばかりです。