2006年08月25日

キム・ギドクと韓国映画界

悲しい。
キム・ギドク監督が韓国で異端児扱いされ観客も外国と違ってさっぱり入らない、という報道を聞いていても今まで全く甘く見ていた。そんなギドク監督がむしろかっこいいような気さえしていた。
が、事実はもっと深刻なものだったんだ。

一体なぜギドク監督の作品がそんなに韓国人に嫌われるのかが正直さっぱり判らないのだ。
彼の作品が残酷で性的描写も多いからとか言う。何故そんなことが言えるのか?とりあえず色々な韓国映画作品を観てきたけど私が観た感じでは他の作品の方がもっと残酷でスケベなモノがどっさりある。
ギドク監督の作品が嫌悪されるのはそういう他の一般韓国映画の興味本位の残酷さスケベさではなく人間の本質に迫ろうとする鋭さが原因なのではないのか。でもそれがなければただ面白おかしく人を驚かせればいいと言う風になっていくだけだ。
面白おかしい映画がいけないわけじゃない。むしろ私はおかしな映画が大好きだし。でもよりいいものを目指して懸命に映画作りに打ち込んできた韓国映画が当然の如く資本主義のハリウッド映画に沿ったものになっていくだけなのは空しくはないのか。
ギドク監督の凄さは人間の心の深みをえぐる事だけじゃなく低予算で映画を作ることに徹している事もある。自然、映像は荒っぽく感じられるがそれも不必要なCGに固執する映画よりよっぽど美しい。

韓国映画界の事をよく知りもせず書いている。
ただ韓国では映画界と言うのが国からも奨励されるほどで学校でしっかり技術を学んだ者が監督なり俳優なりになっているという印象がある。実際だからこそここまで韓国映画が面白くなったんだろう。
そういう意味でもギドク監督は異端児なのだ。しかもたいした学歴もないという。そういったこともいじめの原因になっているのではないか。(物凄い学歴社会だと聞くから)
韓国映画は面白い。ポン・ジュノ、パク・チャヌクといった監督たちが凄く好きだ。
だけどキム・ギドク監督の作品は違うのだ、少なくとも私にとって(賛同してくれる多くのファンがいると思う)
残酷性とか性描写とかはギドクが人間そして自分というものを探っていくうちにどうしても描かねばならない事柄なのだろう。
私にとっては他の映画より充分気を配ってそういった描写をしていると感じている。よく観てみれば不必要な描写はされてないのが判ると思う。

もう一つの彼の映画の魅力は他の男性監督(女性監督でも)では考えられないほど女性の目を通しての性や暴力を描いていると感じられることだ。
それは「うつせみ」や「青い門・悪い女」「サマリア」などには特に感じられることだ。こういった女性の感覚と言うのをなぜ男性のギドク監督が描けるのか(しかもなぜかマッチョの監督と言われているのに)

私にはこう言うしかできない。
「今はまだ韓国の人はキム・ギドクが判らないのだ。時間が必要なのだ。もう少し時がたてばきっと判る」
キム・ギドク監督の新作は「時間」というタイトルだ。私はまだ観る事ができないが倦怠期の恋人達が整形手術をすることで愛を取り戻そうとするのだと言う。だがそれはなかなかうまくいかないらしい(ラストは勿論知らない)

チェコの映画祭でギドク監督はアリランを歌ったという。ギドク監督が韓国を出たいわけがない。
ただ彼は「韓国映画界から引退する」と言っている。映画を作らなくなるわけでは決してないのだ。どこかで必ず作る、と言っているのだ。
でも祖国から出て行くという道しかないギドク監督が悲しい。

私達ファンはギドク監督が傷心を癒してまた映画を作ってくれる事を願うだけである。
自分の映画をゴミだ、と言うなんて物凄く落ち込んでいるのだろう。
ゴミどころかギドク監督の映画が美しいことを知っている者たちはたくさんいるのだと知って欲しい。
posted by フェイユイ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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