2005年05月15日

キム・ギドク「空き家/3−Iron」「青い門」と韓国映画への疑問

キム・ギドク監督の作品を一通り見終え、また折々に見直してみたいと思っているのだが、ここで少しわたしなりのキム・ギドク感を書いてみたい。といっても多分今までのまとめ的文章になるだけと思いますが。なお、そのために全体にネタバレは必至ですのでよろしくお願いいたします。

キム・ギドク作品で初めて観たのは最新作の「空き家」です。しかもこの時、私はキム・ギドクと言う名前も全く知らず、当然彼の評価など知るわけもありませんでした。ではなぜ彼の映画を観たのか?それは今となっては偶然としかいえません。これは私にとって最良の条件・タイミングだったと思います。なぜなら韓国映画というものを短い期間とはいえ経験してから観ることができたわけで(これはあくまで私にとって、ということで韓国映画を知らなければ彼の映画が解らないということではありません)また何も知らなかったので全く無垢のまま「空き家」を観る事ができたからです。

「空き家/3-Iron」は衝撃でした。その感動は今、思い出しても溢れてきます。うれしいことに「空き家」にはセリフが殆どなく全くストレートにその思いは私に伝わってきたと信じています。(これは私が韓国版DVDを見たからです)今、思い返せばキム・ギドクの作品の中で「空き家」は最も洗練されていてキム・ギドク世界を精製したともいえる作品なので初体験にはもっとも優しく入れる扉だったのではないでしょうか。もし私が始めて観たのが「悪い男」もしくは「コーストガード」であったらこんなにたやすくギドク監督の世界を受け入れることができたのか、よくわかりません。多分難しかった、と思います。なぜならキム・ギドク世界はその核に触れる前に強制的なセックスと残酷なまでの暴力性という最も忌むべきものに触れなければいけないのです(この二つはキム・ギドクのみに関わるわけでなく、韓国映画の最も悪しき特徴である、と私は感じています。ただそれがまた韓国映画の魅力にもなっているのですが)「空き家」ではこの二つの呪縛が解かれてしまったかのようで核を閉ざしてはいません。しかもギドク監督らしいユーモアのセンスもまた上質に現されていて作品を見やすくしています。

何も知らなかっただけに「空き家」を見た時、私は「この映画監督はとても女性的な男性で、もしかしたらゲイなのかもしれない」と考えました。なぜなら映画における視点が完全に人妻である女性のものだったからです。暴力を振るう夫は滑稽で愚かにしか描かれていませんし、それに人妻が恋する青年は(この青年は現実とも人妻の夢とも取れるのですが)すばらしい美青年で裸体を惜しげもなく披露します(まあ、韓国映画では割と美男子がその肉体を誇示することは多いですが)青年は韓国では珍しくオートバイに乗って人妻を連れ去ります。オートバイは(これは全く私の好みにしか過ぎませんが)ゲイ的な要素の強い乗り物でもあるし、映画の全体の美しい絵画のような雰囲気(これも後でギドク監督が画家志望なのを知る)でこんな美しい映画を撮る人はゲイに違いない、と思ったのです。まあ、これは今となっては何ともいいようがありません。そうなのかもしれないし違うかも知れない。とにかくこれ以前の映画を観たら、全く違ったわけですから。

2番目に観たのが「青い門」ブログを見て貰うと解りますが、「空き家」を観た後、「この人は本当にいいんだろうか」などと心配していました。他のが嫌いだったら悲しいな、なんて。2番目が「青い門」だったのもまたうれしいことでした。ワケはこのテーマが女性同士の友情、それはもしかしたら恋に近いものかもしれない、というものだったからです。
これも全く独り言なんですが、私の願望で「女同士の友情の映画、しかも一人が売春婦である」というものを観たい、というのがあったのですよ。こういう映画が他にあるのか知らないし、いっぱいあるじゃないか、なんていわれると困りますが、私は見たことがなくて、とてもそういうのが見たくてずーっと期待していました。だれか作ってくんないだろうか。この「青い門」は私が思っていたそのものでは勿論ありませんが、もっとリアルに描いてあると思っています。最初仲が悪い時はどうなるかと思っていましたが、大学生ヘミの売春婦ジナへのその反感が、好きだからこその裏返しだと解って次第に二人が心を近づけていくくだりはもうドキドキしました。ここではキム・ギドクらしいw性と暴力が表現されていますが、女性同士の友情に目を奪われていた私には男たちのセックスなどどうでもいいことでした(といえば男性を傷つけるのかな、すみません)

後はもうキム・ギドク世界に入っていくことに恐怖を覚えることはありませんでした。性と暴力はキム・ギドクが自分を隠す盾のようなものでしょうか。だが次第にそれは監督自身が取り外されていかれたのだと思います。韓国映画において性と暴力がここまで露骨に表現されるのは何故なのか、キム・ギドクもその一人だったに過ぎないのではないだろうか、ではなぜキム・ギドクはその表現を捨てたのか(今回だけであって、次の作品はやはり、かも知れませんが)ただし、ここでも私はキム・ギドク監督を弁護しますが、ギドク監督の性・暴力は他の韓国映画におけるそれとは違うと私(あくまで私です。私の好みにしか過ぎません)は思っています。「痛い」と言われる「魚と寝る女」の女が自分の性器に針をかけるのも女の心を映した表現だからです。

《他の韓国映画の多くにおいて性・暴力の露骨な表現は単に色つけに過ぎないと感じ、嫌になります。これも私の好みだけの言い分だとは思いますが。この文章は言い過ぎと感じる方もいるかもしれません。だけど韓国映画の残酷趣味はどうしても受け入れがたいものがあってそれが全体の作品の低下になるのではないか、と思う時が往々にしてあります。逆に例えば韓国映画である「殺人の追憶」などではそういう残酷趣味が表現されてはいません。猟奇殺人と言うストーリーなのに》

上の文章は余談ですが、自分としては韓国映画に対して最も感じる疑問です。ただ、それに人が惹きつけられるのも解るので、困るのですが。

以上、私のキム・ギドク作品で愛する2作品について自分なりの感想です。また、見直して新しい気持ちがわくかも知れません。自分でもそれが楽しみです。
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
実は記事読んでいません。「空き家」が未見なので(笑)
「空き家」来年、日本で公開するらしいと友人から聞きました。本当なら、凄く楽しみです。

久々にお邪魔したのですが(すみません)、お気に入りリンクに入れて頂いていたのですね!
凄く嬉しいです!!
私のブログは、映画の感想が主ですが、もう節操がないくらいに国やジャンル構わず、乱観(こんな日本語あるのか?)しているので、お眼汚しにならないか心配です(笑)
でも、なんとなくアジア映画に傾いてきているような・・・(笑)最近、トニーの笑顔にヤラれてしまったせいもあるのですが。

私のブログでも、ブックマークに入れさせて下さい。よろしくお願いします。
Posted by hi-chan at 2005年05月16日 11:04
何だかお呼び立てしたようで申し訳ありません(笑)

断りなくお気に入りにしてしまってすみませんでした。勿論hi-chanさんのブログで「藍空」をブックマークしていただければ光栄です!よろしくお願いします。

「空き家」の来年公開、是非、実現させて欲しいですね。でももうかなり評価されてると思いますので夢ではないでしょう。
Posted by フェイユイ at 2005年05月16日 18:23
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