2005年09月02日

「弓(The Bow)」Xキム・ギドク

もしかしたら、私は何かを探ろうと思いすぎたのかもしれない。
もう少し単純にこの映画を考えてみようと思う。

海の上に浮かぶ古びた船。そこに老人と少女が10年間、陸に上がる事もなく暮らしている。二人は釣り客を連れてきてその船で釣りをさせて暮らしている。老人は少女が17歳になると結婚しようと望んでいる。

まったくお伽話のようだ。しかし、少女は青年の出現で変わっていく。青年にMDで音楽を聞かせてもらい、遠い世界を思う。
青年もまた少女をこの異常な船だけの生活から助け出したいと考え老人を説得する。老人は承諾せず、青年を愛用の弓矢で射ようとする。また老人はその弓矢で音楽を奏でる。胡弓のように。
青年は少女を連れ去ろうとする。老人は死をもって少女を取り戻そうと考え、少女は結婚を決意する。結婚式の後、老人は天に向かって矢を放つ。そして自殺する。矢は眠る少女の股の間に刺さり、少女のスカートは血で染まる。
青年は少女を連れて帰る。

これはやはりお伽話なのだ。その中にキム・ギドクは自分の苦しみや悲しみを織り込んでいるのだし、観る者も自分の苦しみをその中に見出すのだ。

少女は老人を恨む時、青年のMDに耳をすますが、老人と別れた後、老人が奏でていた弓に当てていた鼓のようなものに耳をあて聞こえぬ音楽を聴いている。

とても不思議な心に残る映画なのだ。様々な場面を思い出してはそれが何を意味するのか、考えていきたい。

追記:後日、中国ドラマ「西太后の紫禁城」を見ていると婚礼のシーンがありまして、花婿が、花嫁の乗る輿に向かって弓矢を射る儀式を行う、というものだったのです。
勿論、これは中国・北京の話でキム・ギドクは韓国なのですが、もしかしたらそういった意味というのがあるのでしょうか。
映画「弓」でのそのシーンは単に男性の性的表現として演出されたのだと思っていましたので、結婚という儀式の意味あいがあるのだとしたらより納得できると思います。
また、この「西太后の紫禁城」ではその後、花嫁が火を飛び越える儀式も用意されていて(ドラマではためらってできなかったのですが)日本の「潮騒」で男性が女性に火を飛び越えて来い、というのも結婚の意味があったのかしら、と思ったものでした。
posted by フェイユイ at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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