2006年06月24日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第32集

グールダンの使者グーロンは康煕にグールダンが東モンゴルの大ハーンになることを認めて欲しいと要求した。

皇子にしか過ぎないことで恥をかかされたインスーは酒で憂さをごまかそうとしていた。
インスーのもとにいるバオリーロンメイは父王の仇であるグールダンの使者が側にいることを知ってインスーにどうしても皇帝に会わせて欲しいと頼み込む。もしダメなら自害すると脅すのだった。

康煕はバオリーが父王から頼まれた手紙を読み、父上は姫を私の側室にと願っていた事を伝える。バオリーは仇うちのために是非そうして欲しいと頼む。それを聞いたインスーは失望して席をはずす。
康煕は人から利用されたくない、と言ってバオリーの願いを受け入れないのだった。

側にいたスマラグがバオリーに近づき「妹が欲しいのですが」と康煕に申し出る。康煕は笑ってスマラグに着いていけばよい、というのであった。
いつもいいところで出て来るスマラグ。実在の人物なのか知らないが、彼女の存在はいいなあ。もっとでてきて欲しいです。控えめにして忠実、賢いがでしゃばらない。満人というより日本女性の鑑のようです。自画自賛すぎ?(笑)

インスーが部屋に戻ると伯父と母親・慧妃が相談をしていた。インスーが匿っていた姫が皇帝の側室になるかもしれないことを告げると慧妃は「あなたが皇太子でないからよ。まだ判らないの」と攻め立てた。
インスーは母親・慧妃にこれからはあなたの言いつけに従います、と跪いた。
息子に厳しい母親である。

藍斎姫は李光地が福建に旅立つのを見送った。
グーロンの共は藍斎姫を見て「グールダンはお前が気に入った」と叫ぶ。共だと思っていたその男が実はグールダンであったのだ。
それに気づいた康煕はグールダンの企みに感心し怖れた。かつてテムジンも同じ道を通って北京に入ったという事を。

皇太子インロンは索大臣の屋敷で美しい娘・紅玉に出会う。花の世話をする紅玉をいたく気に入った皇太子はその花を毎日届けて欲しいと索大臣に頼む。
索大臣は下働きの紅玉を自分の孫娘と同じ待遇にして皇太子に台湾征伐を早めるよう皇帝に話した方がいい、と耳打ちした。

皇太子は皇帝に台湾征伐を申し出、索大臣と他の大臣達もこれに同意した。康煕もこれで台湾征伐を決心したのであった。

索大臣はオランダ軍が台湾征伐に一役買い、清との貿易開放を望んでいると伝える。康煕は索大臣に全てをまかせた。
索大臣が福建に到着すると姚啓聖と李光地が出迎え「戦争には反対」だと言う。姚啓聖はまだ時期でないと言い、李光地は勝利しても台湾の民を食わせていく食料がない。養えないなら勝つべきではないと言う(随分優しいひとです)清の水軍はまだ経験不足だと言う声もめげず索大臣は戦争をごり押しするのであった。


posted by フェイユイ at 22:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第31集

容妃は故郷の福建省に里帰りをし、たくさんの孤児を連れた男・李光地に出会う。
彼は容妃に孤児達の手形を押した手紙を渡した。

容妃は康煕にその手紙を渡す。康煕は台湾征伐の為に近海封鎖をした折に住民には土地と金を用意したのだから孤児が出るはずがない、と言う。
が官吏がそれらを横領したのだと聞き、姚啓聖がもう一人いたらと嘆くと容妃は康煕に李光地が適任だと助言した。

康煕は容妃に金がいくらあっても足りないとグチをこぼす。容妃は慧妃にみやげの布を渡して「皇帝のために節約をしましょう」と言う。「そのためには後宮に主管が必要だわ」と言う慧妃。容妃は是非、慧妃になって欲しいと言う。慧妃はでは皇帝が散歩をする時に話しましょうと言い出した。

ライバルのはずの慧妃と容妃がすっかり仲良く節約の計画を練っているのでびっくり。慧妃ってそんなに悪い人ではないのかも。

二人は康煕の散歩中に計画を話して容妃は慧妃を後宮の主管に推薦した。

慧妃は兄の明珠にこの計画を自慢する。明珠も後宮の主管になれば正妃になったも同然と喜んだ。

康煕は容妃だけを呼んで誰の考えかと訊ねる。容妃は自分が考えたと言い、後宮の事は慧妃が納得しないと上手く行かないのでと説明する。康煕も納得するのであった。

施琅は将軍となって水軍を任されたが言う事を聞かないといって姚啓聖に助けを求めた。姚啓聖の命令で水軍はやっと言う事を聞くようになる。

施琅は兵士らに靴を脱ぐように命じ、足を鍛えて甲板に立てなければ水軍にはなれない、と言い渡した。

康煕は李光地を捕らえて鴻学博儒を受けさせようとする。が、李光地は朝廷を批判し出て行こうとする。
それを引き止めたのが容妃の娘・藍斎姫であった。姫でありながら帰路に着く李光地を待ち伏せて籠を止めた。そしてあなたは私にに恩があるのだから朝廷の役人となって福建にいくべきよ。もしそのまま帰ろうとするなら福建に着くまでずっと罵り続けるわよ、と言って汚い言葉でそばに生えている木に向かって「汚いの臭いの」と罵り始めた。驚いた李光地に藍斎姫は「漢人の女と違って満人の女は汚い言葉を平気で言うのよ」
そこへ容妃がたどり着くが李光地は「目が覚めました。国のために働きます」と言うのだった。

藍斎姫は李光地が気に入ってそうしたらしくそれに気づいた康煕はもし李光地が手柄を立てたら結婚を許そうと言う。

そこへグールダンの使者グーロンが2千の兵を従えて北京へ入って来たと言う知らせが入った。
皇太子の戴冠式には数が多すぎる。

使者達は刀剣の店で藍斎姫と出会い、使者の一人が姫を見てはっとなる。

ロシア・日本・朝鮮からも大使が贈り物を持って訪問していた。だが彼らは皇子と皇太子を間違えて贈り物を皇子に渡してしまい慌てて取り戻させた。
人前で贈り物を取り返された皇子と母親の慧妃は怒る。
しかしそれにしてもロシア・朝鮮の大使も変だけど日本の大使、かっこ悪いですー。情けな。あまり上のひとではなさそう。しかし中国語は上手い(笑)

戴冠式の場で贈り物は皇太子に渡された。
グールダンの使者が持って来た贈り物は馬と牛・羊、金銀という豪勢さだった。
康煕は言う「贈り物は嫌いだ。3倍にして返さないといけないからな。今回グールダンは何を欲しがっているのだ」
posted by フェイユイ at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第30集

康煕は明珠の失敗を罰して2つ位を下げ孔雀の羽根を取る。だが、明珠が鄭経に怖気ず、施琅を味方につけたことを褒めて2つ位を上げ孔雀の羽根を帽子(っていうのか)に戻した。孔雀の羽を褒美にするというセリフがあったのは覚えていたけど帽子にくっつけていたと今まで気づいてなかったよ。あれはすごい名誉の飾りだったのですね。

台湾平定の失敗を許された明珠はなお康煕に仕えることを誓う。また康煕は施琅を呼びいれた(来てたんですね)
康煕は施琅に大清と台湾の水軍の違いを問う。船が少なく大砲が小さく将兵が弱い、と答えると康煕は船と大砲を作り将兵を鍛えた事を伝える「だが提督がいないのだ」康煕は施琅に台湾平定の為、福建水軍提督になるように命じた。
施琅はありがたく受けるが姚啓聖と共に働きたくないと言う。康煕は姚啓聖がお前を推薦したのだと言い、お前の度量の広さで姚啓聖と共に働くよう頼む。問題がある時は私が仲裁をすると言い渡した。施琅は知りませんでしたと謝って引き受けたのだった。

モンゴル・カルカの姫が北京に到着して康煕の宮殿を捜していた。ただ姫は大きなテントを捜しているのだった。追っ手の姿を見つけ姫は隠れた。

第一皇子インスーが新居を構えようとしていた。次々と客が来てお祝いを申しあげる。明珠は皆が第一皇子を応援するのは明珠を応援することだと皇子に言うのだった。

そこへモンゴルから皇帝に助けを求めて逃げてきたカルカの姫バオリーロンメイが皇子の屋敷に来て皇帝の宮殿を尋ねた。
姫の後からグールダンの部下が追いかけてきた。かっときたインスー皇子は部将グルジを殺してしまう。

康煕はインスーを呼び「北を抑えて南を攻める。台湾を取り戻す為にグールダンをなだめているのになんと言う事をしたのだ」と怒る。
インスーの母親慧妃は康煕に息子をもっといい役職につけてくれるよう頼む。康煕は政治に口出しする慧妃を快く思わなかった。
慧妃の兄・明珠は日本・ロシア・朝鮮が皇太子戴冠の礼に出席したいということそしてグールダンが国でもないのに使節を派遣した事を告げる。
康煕は今その話をしていた所だと言う。そしてお前の妹に政治に口出しするなと告げるよう言う。

明珠は妹・慧妃のしつこさを咎める。皇帝は安らぎを求めてくるのだからうるさくいうのではないと。だが慧妃はどうしても第一皇子である息子が皇太子でない事に不満があるのだった。

周培公の地図の前でインスーが反省していると皇太子である弟インロンが共に座って兄を励ますのだった。
それを見た康煕は兄弟仲のいいことは良いことだと許そうとする。だが二人は反省をやめない。康煕は笑って立ち去った。

モンゴル・カルカの姫はインスーの屋敷で匿うことになった。インスーは姫の様子を伺いに訪れ彼女への思慕を募らせた。
インスーは手紙を送り心を伝えたがバオリーロンメイは仇を討つまで誰も愛せません、と答えた。

容妃は娘・藍斉と共に福建へ里帰りをした。姚啓聖を訪ねると彼は嘘をついて姚啓聖は留守だという。色々なものが来ては金をせびるからと言うのだ。そして質問をしても嘘ばかり言う姚啓聖に嫌気がして容妃は外へ出た。
途中たくさんの孤児を連れた男が皇帝に遷界令をやめて欲しいと願い出た。孤児は女の子ばかりなのだ。容妃は銀子を渡して約束した。
宮殿に戻り康煕に手紙を渡すと康煕は金を渡して移住させたのに何故孤児がいるのだと驚くのだった。

私は索大臣の身内が第一皇子関係だと思ってました。明珠だったんですね。
posted by フェイユイ at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月10日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第29集

延平王は清朝廷に講和を求めることにした。

康煕は明珠、索大臣と話し合い明珠を特命勅使とした。条件は台湾国民の剃髪、臣となること。朝廷と台湾の関係は二つの国ではなくあくまでも朝廷とそれに従うものであること。であるから明珠を講和使節ではないとした。そして索大臣には軍を強化するよう指図した。
明珠は康煕に「すでに姚啓聖が指揮をとっているところへ私が行くのですから、いざという時どちらに指揮権があるのでしょうか」と問う。康煕は仕方なくその場合は明珠が指揮するよう命じたのであった。

姚啓聖は明珠を愛想よく迎えたがやはりおもしろくない。が、明珠は皇帝からいただいた指揮権に関する文書を読み上げ。自分の地位を誇示した。
姚啓聖は「やはりいざとなれば皇帝は満人を持ち上げてくる。自分は第二の周培公になる」と気落ちした。

明珠は台湾の鄭泰から鄭経に謀反を起こそうという意志を聞く。なぜなら鄭成功亡き後、争いが起こった際に切羽詰った兄・鄭安は弟・鄭泰に「自分の首を切って持って行けば、泰経に信用されると言い出した。そのために鄭泰は鄭経に復讐しようとしていたのだった。
「なぜ弟のお前でなく、兄の首を切ったのか」と疑う明珠に鄭泰は「兄は宦官で子供がない。子供のいる自分が生き残ることになったのだ」
鄭泰は鄭経を暗殺しようと企んでいた。

朝廷では康煕は明珠の軽率を怒っていた。姚啓聖から「鄭泰は鄭経の暗殺に失敗し、従って台湾が蜂起し平定が遅れることになる」と。
明珠に指揮権を預けた自分が悪かったと言う康煕に大臣は「姚啓聖が我慢しないのがいけないのです」と申し上げる。
康煕は「漢人は皇帝が満人ばかりをひいきする、と思い込んでいる」と嘆く。
そして今回は姚啓聖を褒めず叱り付ける、奴は叱るほど余と奴が近くなったと喜ぶぞ、と言う。事実、姚啓聖は大いに喜んだのであった。

明珠は鄭泰と組んで延平王・鄭経を暗殺しようと企てたが失敗し逆に鄭泰は殺され明珠もすんでのところで命を落とす所だった。が、鄭経は康煕に「臣となっても剃髪はしない。内地には行かず台湾を離れない。朝鮮と同じく属国であり続ける」と明珠に伝えさせた。そして財宝を売り大清との戦いのため自らを戒めたのだった。

康煕は失敗して帰ってきた明珠を迎えた。「何故お前は見抜けなかったのだ。見ろ、鄭経は決意と台湾人の心を固めてしまったのだ」

姚啓聖の弟子でもある施琅は間違って鄭経に家族の命を奪われてしまった。帰順させようとする姚啓聖を振り切って施琅は去っていった。
posted by フェイユイ at 22:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第28集

康煕が容妃を訪ねた目的は彼女を福建への里帰りを勧める為であった。愛妃が墓参りをすることで江南の人々が皇帝の愛妃が先祖と民を大事にしている事を示せるからだ。それと共に皇帝の寛容と徳を知らしめるためであった。
皇子を欲しがる事のない穏やかな容妃のそばで康煕は眠りについた。

恥をかかされたと泣きながら帰ってきた慧妃は部屋で息子インスーと皇太子インロンが仲良く語り合っているのを見る。
インスーと二人きりになって母・慧妃は息子に「いつまでも兄弟仲良くやれるわけではない。あなたは長男なのよ。手柄をたてて座を奪うのよ」とけしかける。
私は皇帝と皇太子に忠義を立てています、というインスーを母親はなんて馬鹿なの、と罵るのであった。

皇帝から福建総督に任じられた姚啓聖は食料を狙って大陸へ来る台湾水軍を苦しめる為に全海域を封鎖し、沿岸住民の内陸移動・遷界令を命じた。そしてさらに広東、浙江にもその令に従わせた。
だがこのために収穫が半減したと東亭からの報告があり、大臣らからは姚啓聖への激しいバッシングが起きるのだった。
だが康煕は独断で姚啓聖を信じるとした。明珠はせめて台湾に講和を申し出ては、と言い出す。そこへ姚啓聖からの上奏文が届き「講和はせず、あくまでも台湾の鄭経の降参を待ってください」と書かれていた。

姚啓聖は先祖の墓荒らしに苦しめられていた。遺骨を掘り返されてしまったのだ。姚啓聖は自ら墓を作ってそこへ骨を収めたが、翌日には再び掘り起こされていた。
仕方なく姚啓聖は骨を燃やして海に捨てた。それを沿岸の住民が見ていた。姚啓聖は「頼むから内陸へ移動してくれ。そして戸口に台湾の親戚への手紙を張っていてくれ、大陸に帰郷するようにと」
それを聞いた住民は内陸への移動を始めた。こうして遷界令を終えたのだ。

住民がいなくなった土地に施琅の軍が上陸した。誰もいない村にたくさんの米が残されていた。それは啓聖がもとの教え子施琅に残していったものだったのだ。
施琅は台湾へ戻り延平王にこのままでは食料がなくなり兵士たちから不満がでることが心配だと進言する。
王は「遷界令を緩和し講和に来るよう朝廷に手紙を出した」と言う。

台湾とのいざこざは遠い昔からのことなのだなあ。2頭のパンダではどうにもならないもののようです。
それにしても大陸の人達に比べ台湾人役の役者さんはちょっとかっこ悪い人が多いような気がするのは気のせいか?
posted by フェイユイ at 22:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第26・27集

康煕は一人の蒙古王と話しあった。トゥルトゥはグールダンと手を結んで金をもらっていたのだった。トゥルトゥは康煕にグールダンからもらう金を皇帝に送ると約束した。

康煕の第一皇子インスーは台湾討伐を任じられる。が、康煕はインスーに会場での戦いは避けるように忠告した。

靖海将軍・薩木爾は皇子の援軍に渋い顔をする。あからさまに手柄を立て皇帝に褒めてもらいたい気持ちが見え見えだったからだ。
案の定、インスーは初戦での勝利に気を良くし、ゆったりと構える将軍に対し不平を言う。そして指揮権を譲れと迫った。仕方なく薩木爾は海上での戦いをインスーに任せる。だが海に慣れた台湾水軍に福建水軍がかなうわけもなかった。インスーは全水軍を失ってしまう。薩木爾は皇子の失敗を我が身に被るのであった。

勝利の報告の後、水軍の敗戦を聞き康煕は「海での戦いは戒めたはずだ」と怒る。台湾の施琅は神出鬼没の勝利を収めていた。
そこに東亭が康煕のためにオランダ船の模型を持って登場した。高額の船だが康煕は東亭を褒め称えた。
これからは清にも水軍が必要だと康煕は考えた。

康煕は北京に戻る事になった。
牢に閉じ込めていた姚啓聖を引っ張り出し凍てつく道中に檻に入れて運ぶが途中から自らの車に乗せた。車に積まれているたくさんの本に啓聖は目を見張る。康煕は読むことを許した。
宿に着いて小屋に入れられても啓聖は本を読むのをやめない。康煕はいきなりそこへ入り啓聖に「お前の心が死に価するのだ。お前は漢人で満人である我らを軽蔑している。役人になるのを嫌い馬番に甘んじているのはそのためだ」と吐き捨てる。心を見透かされた啓聖は康煕の洞察力に驚きひれ伏す。

康煕は啓聖に勉強会に参加するように言い渡した。

康煕たちの一行はついに北京に戻った夜の闇の静寂のなか馬車の音だけが響き渡るのを啓聖は「皇帝の馬車が雷鳴のようで静寂でもある」と表現した。康煕は満足気であった。

冬の大陸の寒さは厳しいだろうなと思いながら見る。蒙古とも台湾とも戦わねばならず康煕は太る暇がないね。勉強会も欠かさないという。忙しい人です。ここでもやはり東亭は康煕の心を汲んでいてさすが。

康煕は父親の残した書(啓聖は二度と用いないと書かれたもの)を燃やして啓聖を使う事にした。
索大臣と明珠はこれを快く思わない。

康煕は福州総督・薩木爾を退けて啓聖を総督にした。
実は啓聖は施琅の師匠であったのだった。施琅の行いが悪い為破門したのだと言う。
啓聖は清の力なら船は作れるが海将は無理だと言う。そこで啓聖は施琅を
清に引き入れる事を提案した。

また台湾には3つの力と3つのいたわりが必要と説き、武力で抑えるのと同時に先祖を供養していたわることもするべきだと言うのだった。

台湾の延平王は施琅と義兄弟の契りを結んだ。清に対しては和平を結ぶとは言え、力を見せ付けるのだという気構えであった。

帰京した康煕はまずばば様に周培公からもらった地図を見せた。太皇太后は
自分の故郷を虫眼鏡で見つけ大いに喜んだ。
そして康煕に清の隅々まで足を運ぶ事を約束させた。咳き込むばば様を康煕は心配したが太后は「自分よりあの子の方が体が弱いのだ」と薬を取りにいくスマラグのことを思いやるのであった。

康煕が訪ねて来ないことを慧妃は悔しがる。やっと宦官の李が康煕の知らせを受け「女は年齢が上の方が気がつくもの。若いだけでは陛下の世話はできないわ」と喜ぶ。
が、それは間違いだったのだ。康煕は慧妃ではなく容妃の下へ行く。
その様子を見た慧妃は泣き出してしまった。容妃は康煕は来る事を知らず
紙を切ってウサギを作って遊んでいるところだった。

やっと女性の話が出てきてほっとする。でもスマラグは何かの病気なのでしょうか。心配です。
康煕の心を掴んでいる容妃はどんなひとなのでしょうか。
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第24・25集

周培公は図海を従えて王輔臣に大砲でもって攻撃した。さらに攻撃を進める図海に周培公は「今、いい思いをしても平和になれば歴史は我々を殺戮者とみなす」と言い過剰な殺戮を止めた。図海は周培公の深い考えに感心して従う事にした。
周培公は王輔臣に単身会いに行く。王のもとでは彼の息子が戦死したと思われ喪に服しているのだった。だが、吉貞は生きていて父親に再度朝廷への帰順を願い出る。ついに王輔臣も折れて敗北を認めた。周培公は王に感謝するのだった。

周培公が王輔臣を帰順させたと聞き、康煕は喜ぶが大臣は「これでは周培公が力をつけ朝廷に謀反を起こすかもしれません」と忠言する。
康煕は仕方なく周培公を北京へ戻すことにした。

朝廷からの命を受けて周培公は「こうなる事はわかっていた」とつぶやく。呉三桂討伐の名誉は図海に預け周培公は帰京することになった。
こうして康煕皇帝は長い年月をかけて三藩を平定したのであった。

康煕は平和になった祝いに大臣らに行痴大師が長年かけて品種改良した米を配る。収穫が3倍になるという米であった。
これで富国強兵することができる、と康煕は考えるのであった。

台湾の鄭施琅が数万の兵で穆将軍を倒し2県を占領した。穆将軍は朝廷に書を届けるよう配下に申し渡す。その男は穆将軍が施琅の攻撃を受け占領された、と呼ばわりながら走り出す。
その途中で海関総督の東亭は男を休ませ代わりに大声を持つ男を数人「穆将軍が鄭の攻撃を破り大勝した」と叫ばせながら朝廷に書を運ばせた。

康煕は大勢の王子たちと食事をしようとしていた。もうすぐ盛京へ旅立とうとしているのだった。
皇子たちにそれぞれ留守中の注意を与えていると穆将軍からの書と東亭からの上奏書が康煕の手に渡された。それを読んで康煕は気分が悪くなってしまうのであった。

第一皇子を伴って康煕は盛京へと旅立った。途中で康煕は臣と皇子に東亭からの知らせを教えるがここで皇帝が騒いで帰京すれば余計に民も敵もそれに気づいてまずい事になる。ここはこのまま旅を続けようということになった。
盛京で康煕は蒙古王を帰順させようと考えていた。そして盛京に派遣していた周培公を訪ねた。が、南方育ちの周はすっかり身体を壊して病の床についていたのだった。
康煕は周培公を再度起用したいと言い渡した。

活躍すればしたで疑いをかけられてしまう周培公も辛いが一時も気が抜けない皇帝は大変です(気安いな)
オクテと思っていた康煕、いつの間にか子沢山に姫はまだ他にいると言う事だからなかなかやりますね。しかしこの可愛い王子たちも結局権力争いに巻き込まれていくのかと思うと気が重いです。やはり庶民が一番です。

それにしてもスマラグや太皇太后が出てこないと魅力半減ですなー。康煕がスマラグにぴしゃりとやられるところが一番好きなんですが。お婆様はまだご健在なのでしょうか。

周培公は慣れない氷の土地で命を縮めてしまう。何よりも皇帝から疑いをかけられたことが辛いことだったのだ。再度起用する、という皇帝の言葉にももう春まで持たないと答えるのであった。代わりに周培公は「姚啓聖」という男の名前を教える。無名だが智恵を持つと。
そして康煕に「絵を描きましたので持ち帰って見て下さい」と言う。戻ってその大きな絵を広げてみるとそれは広大な大清の地図であった。康煕は感動を覚える(見てるこちらも感動した)周培公は10年かけて古今東西の歴史をこの地図に描いたのであった。
康煕がそれを見ている間に周培公は命を落とした。

康煕は臣を集め台湾をどうするか閣議する。ある者は捨てろと言い、ある者は捨ててはいけないと言う。皇子インスーは台湾を攻撃する事を望んでいた。
台湾には福建、広東、浙江の三省の出身者が多くそこは清の食料庫・金庫なので切り捨てるわけにはいかないというのだ。
康煕は台湾よりも蒙古のグールダンはもっと恐ろしい、と感じていた。

康煕は周培公がいい残した姚啓聖を捜す。彼は格下げを繰り返し田舎の厩番に身をおいていた。
康煕は彼を捕らえさせて牢にいれ食事は与えるが何も話してはいけない、と言い渡す。姚啓聖は食事だけでなく本をよこせと叫んだ。

蒙古王の間でも戦争が繰り返されていた。土謝図はグールダンに攻められ王は傷つき姫に復興を託した。皇帝に頼むのだと。
posted by フェイユイ at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第23集

太皇太后の助けで皇帝・康煕復活。皇帝を続けることを決意。

朱三皇子は自害しようとしたが部下の助言で復讐を誓って逃走。宦官・毛子は殺された。

呉三桂の息子は太皇太后の前に出て造反の謝罪する「父が挙兵すれば従わざるを得なかった」太后は「お前は有罪だが。間違っていない」と言い渡す。呉息子はひれ伏した。

康煕が出陣すると言い出すと周培公は反対する。皇帝が出陣すれば皆が迷惑すると。康煕は立腹するが周培公は「皇帝は満人だけではなく漢人を起用するべきです」康煕はそれは賛成だ。国民の8割は漢人なのだから、と言う。

太后の所へ大勢の客が訪れた。慕われるお婆様を見て康煕は感心する。そして自分も作戦を開始した。
まず捕虜にしていた王吉貞に父親に手紙を書かせた「過去は忘れるから忠臣となって戻ってきてくれればこころよく出迎える。朕は必ず呉三桂に勝つ」と。
家に戻る事を許された吉貞は父に手紙を見せるが父親は前日に呉三桂からも手紙を受け取っていた。呉三桂は旧王なのであった。息子・吉貞は朝廷に従う事を勧めるが父は朝廷と呉三桂の戦いをしばらく見て決めようと言うのだった。

康煕は漢人ではあるが聡明な周培公を将軍に任じた。新将軍である周培公は兵士たちに馬鹿にされてしまう。だが逆らう者たちを皆の前で打ち首にして周培公は兵士たちを統率する。そして今与えられる金は僅かだが敵・ツァハル王を打ち破れば1億両を手にすることになる。その半分を皆で分けるのだ、と言って士気を高めた。
周培公率いる軍隊は短期間でツァハル王に勝利しさらに西南へ向かい王輔臣と戦う事になった。吉貞の提言も空しく父親は「ここで周培公を完膚なきまで叩きのめし皇帝に自分たちの価値を認めさせ無罪と安全を公言させた上で帰順するのだ」

周培公は皇帝が外国から購入した大砲を使い王輔臣を攻撃した。
posted by フェイユイ at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月04日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第22集

索額図大臣は康煕に清の大半を呉三桂に取られてしまった。廃藩を撤回して呉三桂に位を与え、廃藩を言い出した周培公と明珠の首を差し出すのです、と申し上げる。康煕は怒り「明は内部分裂によって滅んだのだ。お前はまた繰り返すのか」と怒鳴りつける。

皇后は難産だった。やっと駆けつけた康煕に太皇太后は「お前が女遊びをしているから難産になった」と責めた。康煕は自分がいけなかったと皇后を抱きしめる。康煕にはもう一人皇子がいた。瀕死の皇后を前にして康煕は皇太子を生まれたばかりの皇子インロンに決定する。それを聞いた皇后は安心して亡くなった。

康煕は激しく後悔していた。太后には「もし廃藩をすることで呉三桂が謀反を起こすなら退位する」と約束していたと東亭に退位する旨を書けと命じる。東亭はそれは書けません、と嘆願する。
仕方なく康煕はおばあ様に会いに行く。

宦官・毛子は楊起隆と呉三桂の息子の前で「康煕が死んだ」と話した。玉璽を見て確信し大喜びする。そこへ黄敬が来て毛子が康煕のスパイだと言う。
喜んだのも束の間、楊起隆は康煕の死が本当なのかわからなくなる。二人の宦官は互いを罵りあうだけだ。そこへ別のスパイが駆けつけ、宮廷は真っ白に彩られ葬儀が行われていると告げる。再び楊起隆は康煕の死を確信して喜び、二人の宦官を牢に入れた。
毛子は牢の中で「どうせ二人ともスパイなのだ。死ぬのは間違いない。何とか逃げ出そう」と上部にある小さな窓から出るために自分が踏み台になるからと言い出す。
黄敬はそれならと毛子の肩に乗ろうとするがどうしても毛子は黄敬の太った身体を支えきれない。仕方なく黄敬は毛子に代われと言い出す。毛子は黄敬の肩に乗って窓から出る。そして後から出ようとする黄敬を突き飛ばした。毛子の策略に乗ってしまった黄敬は「逃げた」と騒ぐばかりだった。

しょぼくれた康煕を見て太皇太后は「皇帝は退位するらしい。どう思う」とスマラグに聞く。スマラグが言えませんと答えると「もう皇帝ではないのだ。思ったとおり言いなさい。民は喜ぶか、悲しむか」スマラグは「悲しいだけでなく怒ります。自分だけ肩の荷を降ろすなんて。後に残ったものは位を奪う為に争い、苦しむだけです」太皇太后は康煕にお前は女より物事がわかっていない、としかりつける。
その時宮廷には賊が入り込み宦官が反乱を起こしていた。康煕は太皇太后に逃げてくださいと言う。
おばあ様は康煕に訴えた。お前は敵は外にいると思っている、だが恐ろしいのは賊でも宦官でもない、おまえ自身の心にあるのだ。私を見習いなさい、私は天が崩れ落ちようと動じない。私とお前と二人いればたとえ呉三桂が10万人いても恐れる事はない、と。

太皇太后は廃藩を言い出したのは私だと腹心たちに告げる。
そして「我らが団結すれば大清は揺るぎはしない」

まったく康煕の情けないことと太皇太后のかっこいい事。康煕は医師たちが皇后を助けられないと知ると癇癪を起こして蹴り飛ばしたりするし。
スマラグも頭いいし、康煕はまだまだですねー。
しかし中国の女性は怖いと言うのは(満人ではありますが)これを見てると本当のようです。ここまで厳しく男をしかりつける事ができるのは他にはないように思われますね。皇帝なのにかたなしです。頑張れ。
posted by フェイユイ at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月03日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第21集

朱国治は追い詰められた。妻は自害し、子供達は朱国治が自ら命を絶った。そして自身は呉三桂の下へ急ぎその反逆を戒めた。呉三桂は「何故漢人のお前が満人の皇帝に従うのか」と問いつめる。が、朱国治は「康煕皇帝は満人でありながら漢語を話し、漢人の文化を大切にしている。お前はただ私利私欲のために民衆を苦しめているだけだ」それを聞いた呉三桂はただちに朱国治の首を切った。

こうして呉三桂はついに清を倒し明を復活しようと蜂起したのであった。

康煕は宦官・黄敬の甘い誘いに乗って楊起隆の妹である眠月楼の歌姫・紫雲に家を与えそこを訪ねた。
紫雲は歌を歌い。康煕はそれに聞き惚れていた。その頃、宮廷では太皇太后が康煕を探していた。正后に子供が生まれそうになっていたのだ。
間諜を命じられた宦官・毛子も慌てて康煕を探していた。康煕が訪ねていった紫雲は楊起隆の妹で、皇帝になろうとする兄・楊起隆の企みで康煕を毒殺しようとしていたのだ。宦官・黄敬はそれをお膳立てしたスパイだったのだ。
それを聞いた東亭は慌てて康煕を探した。
康煕は今まさに紫雲に酒を注がせ飲み干していた。紫雲も康煕に勧められるままに酒を飲み干した。
飛び込んできた東亭に康煕は嫌な顔をする。「その女は陛下を毒殺しようとしているのです」「まさか」康煕の胸にもてれかかった紫雲の顔を上げると彼女はすでに毒を飲んで死んでいたのだった。彼女は皇帝には普通の酒を飲ませ自分で毒入りの酒を選んだのだった。
康煕は怒り黄敬を捕らえて切り刻めと命令する。間諜を成功した宦官・毛子を褒めた。
毛子は楊起隆が朱三王子で広徳皇帝を名乗っています。また呉三桂がついに反清のために挙兵しました、と告げる。これには康煕はでたらめだと信じなかった。そして毛子に楊起隆の所へ戻り「康煕は死んだ」と言うように命令した。毛子は承知し「もう戻る事はないでしょう」と言う。康煕は玉璽を与え、死んだ皇帝から盗んできたと言えば逆に褒美をもらえると言うと毛子は大変喜んだ。

康煕の元に連絡が入り、やはり呉三桂が謀反を起こしたのだと伝えられた。康煕は激しく落ち込んだ。周培公が康煕に上奏を勧める。それは賢明な周培公ならではの解析であった。失意の康煕もはっとして周培公の言う通り事を進めるのだと言い渡す。

激しいショックで康煕は熱を出し席が止まらない。が、周培公が来たのをみてオンドルの上に座るよう勧めた。
呉三桂の勢いは物凄く火事のようであると。すでに南の半分は失ったと言う。

王という者は皇帝と呉三桂が互いに闘って弱くなった所を叩こうと考えていた。

いつも太皇太后や皇帝が座る壁際の椅子らしき場所はなんだと思っていたらあれはオンドルだったんですね。では暖かいわけですね。

しかし皇帝というのは不眠不休です。他の皇帝で遊んでばっかの人もいたと思うのに、康煕は確かに病気になっても不思議はないですね。
posted by フェイユイ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第20集

康煕が遊郭で見聞を広めている間に大事件が起こり、大臣らは皇帝を探しまわっていた。とうとう康煕のいる遊郭をみつけるがさすがに邪魔をするわけにはいかないという宦官の言葉に留まる。康煕は一人の歌姫に目を留め彼女とまた会えるように住居を作らせる事にした。
皇帝を待っていた東亭は遊女達にいいようにされて落ち込んでいた。康煕は固い東亭に呆れる。遊郭から出てきた皇帝にやっとの思いで大臣達は訴えた。
実はモスクにイスラム教徒たちが集まり、三郎香会の信者達と連結し謀反を起こそうとしていると言うのだ。
大臣達は一気にモスクを襲って鎮めるべきだと言う。が、宦官の一人がそれはただ礼拝を行っているだけです、と言う。差し出がましいので平手打ちをさせた後で康煕は何故それが判る?と聞くと私の母がイスラム教徒なのです、と答える。
康煕は早合点して罪のないイスラム教徒を襲う所だった、お前は命を救ったぞと声をかけた。
康煕の命令で東亭はイスラムのモスクへと赴く。周りはイスラムの祭りで大賑わい。東亭は出店の親父にワケを聞くと「明から清になり、世の中が落ち着かなかったが皇帝のおかげでやっと平穏な時代になった。何年かぶりにイスラム教徒がお祭りを開いているのですよ」
東亭はモスクを攻めずによかったと安堵する。
が、礼拝を行うモスクに行くと三郎香会の楊起隆がイスラム教徒に向かって「皇帝がモスクを取り囲んで攻めてこようとしている。我ら三郎香会と手を結んで皇帝を打ち倒すのだ」これを聞いた東亭は居並ぶイスラム教徒に皇帝が満族だけでなく公平に天下を治めているのだ。この三郎香会こそ皆を騙して謀反を起こそうとしているのだ。皇帝はモスクを改築して祭りのために5万両出されると言い渡す。喜んだイスラム教徒たちは楊起隆の企みには乗らなかった。

こんなにイスラム教徒が多いとは知りませんでした。数百万のイスラム教徒ということでした。

失敗した楊起隆は妹に会ってまた皇帝暗殺計画を練る。
妹とは康煕が気に入ったあの歌姫・紫雲なのでした。楊起隆は朱三王子などではなく、その乳母の子供だったのですが、勉強しても秀才どまりだといってなんとしてでも皇帝になると言って聞かないのだった。

遊女をして子供を育てている妹・紫雲は真面目でしっかり者で、兄に「田畑を耕して勉強をする昔の兄さんに戻って」と言うのですが、兄貴は皇帝になろうとばかりしている。困ったものです。

康煕は宮廷内に密通者がいると考え、イスラムを救った宦官に怪しいものがいたら知らせるようにこっそり言い渡す。
何回も鞭で叩かれて可哀想な宦官でした。
が、この後楊起隆の手先になった家来達がやってきて彼に寝返りを勧める。どうなりますか。

皇帝に命を救われ雲南に赴任していた朱国治は皇帝と連絡がつかないので困窮する。
呉三桂が廃藩をやめて謀反を起こしているのを知る。朱国治は最期になると覚悟を決める。
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第19集

康煕は豆腐料理売りの少女の父親の冤罪を晴らすための手紙を書いてあげます。少女は彼が皇帝とは思わず、お礼を言って名前を聞くのでした。

康煕は頭脳明晰な周培公を朝廷に入れ、廃藩の計画をたてます。呉三桂は数多くの部下まで率いて廃藩し国に帰るための莫大な資金を要求してきました。その額を支払い終えるには朝廷は20年かかる計算になるのです。
ここで周培公がより低い予算で廃藩できる案を出します。廃藩を3期に分け、とりあえず呉三桂を内地に入れればいいというのです。康煕は周培公のアイディアに賛同し、徹夜で書類を作り上げていく。

康煕が部下と力を合わせて事業を成し遂げて生きます。皇帝とはいえ徹夜仕事。大変です。

呉三桂は廃藩したくないために朝廷に無理難題を吹っかけているのですが、皇帝がその難題を受けて廃藩に必要な金を用意したので驚きます。
そして朝廷に人質にされている息子宛に手紙を書きました「これ以上は我慢できない。兵を集めて朝廷を攻撃あうるからお前は逃げなさい」
だが息子は「今、動くと皇帝に怪しまれる」と言って北京に留まる決意をする。

呉三桂に続き広東・福建からも廃藩をする意向の上奏が届く。
康煕は喜んで太皇太后にこのことを知らせるが疑り深いお婆様は孫に上奏だけでは信用できない。実際に彼らが帰った時に認めようと言う。

宦官・黄敬は康煕に売春宿・眠月楼のことを教えます。そこには朝廷の高官も多く遊びに行くのだと。興味を持った康煕は黄敬を伴って眠月楼をお忍びで訪ねますが、いつも賑やかな店は静まり返っています。
皇帝が売春宿に行くのを他に知られたくないと思った臣下が先回りして店を借り切ったのでした。康煕はむっとしますがそれでも売春宿を見学したいと思い中へ入ります。大勢の艶やかな遊女達が康煕のお付きの者を引っ張っていってしまい、康煕はその男が女達に囲まれているのを見てその妖艶さに感心します。
眠月楼の女主人は身分を隠した康煕が遊女を呼ばないのを見て店の歌姫(歌を聞かせるだけで身体は売らないという)に歌わせ舞わせます。
歌姫の艶やかな舞を康煕はじっくりと眺めています。

その頃、姿の見えない皇帝を探しているものたちがいました。

お忍びとは言え皇帝が巷の売春宿を訪ねるとは驚きました。廃藩ではらはらしているのに遊郭なんぞに行ってたりして。何かが起こったのでしょうか。
posted by フェイユイ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第18集

康煕はついに三藩の廃藩の勅命を出す。
康煕は絶対に廃藩しないと信じていた太皇太后は政治に口出しはしないと決めていたがこれには我慢できない。お前は呉三桂を知らない、と怒る。廃藩を行えば必ず謀反を起こすであろうと。もし廃藩が成功すればお祝いを言いましょうと。
これに対し康煕は呉三桂が謀反を起こしたときは皇帝をやめ新しい皇帝を決めていただきますと答えます。太皇太后はあまりの口答えに気を失ってしまいます。
後に引かない二人の弁舌の凄まじさに圧倒されつつどうなるのかどきどきしますね。これまでどおりなら太皇太后の言うとおりになるのですが、康煕が勝つ事ができるのでしょうか。

あの妖しげな朱三王子は香会なるものの繁殖させ支持者を増やしていきます。そして呉三桂の息子に近づいて手を組もうと試みます。

康煕は街中で庶民の様子を見ています。
豆腐料理を売って親の冤罪を晴らすための資金にしようとしている娘の所にやってきたのが周培公でありました。彼は書に通じ伍次友からの推薦文をもらっているのに「権力者に媚びたくない」と言う理由でそれを使わず、日々腹を減らし泊まる場所もない生活を送っています。科挙の試験を受けるつもりが追い出されてしまったのでした。
豆腐料理売りの娘との会話を聞いて康煕は興味を持ちます。彼をお茶に誘うと周培公は普通の服を着た(上等そうですが)康煕を皇帝だと見破ります。
そんな時、豆腐料理の娘が歌う歌が朝廷への反逆だとして娘を捕らえた長官がいました。康煕は怒って長官を呼び出し減給を言い渡し、娘には田舎へ送っていき父親の冤罪をはらすよう伝えるのだった。

こういうお上が庶民の苦しみをわかってくれて悪徳役人を罰してくれる。というのはいつでもどこでも必要なドラマですね。

posted by フェイユイ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第16・17集

大国を治めていくのは大変なことなわけですが、こう賄賂と反逆そしておべっか使いばかりそろっている中で皇帝をやっていくには相当のおおらかさがないととてもやっていけませんね。康煕は国の改革をやっていこうとしてるのですが目をつぶらざるを得ない部分が大半なのではないでしょうか。

朱三王子の使いである宦官・黄敬は呉三桂の息子に皇帝は満人だから漢人とは考えが違う。朱国治を許して身分を与え、呉三桂を見張らせていると忠告する。

康煕は宮廷を離れ南巡をして民衆の生活を見ていこうと計画しますが、こびへつらう役人は皇帝にマズイ部分は見せようとはしません。
絨毯を敷いて歓迎し、物事を隠そうとするので康煕は不満爆発。東亭に庶民の格好をさせ実際の民の様子を見させます。
しかし何かにつけ康煕の補佐をしているのはスマラグです。賢い彼女は康煕の気持ちを汲んで話をするのですが、本当にこのような女性が傍にいたのでしょうか。下女とは言ってもその役目は妻以上ですね。

果たして知事・周雲龍は貧しい農民達が金を集めて買った馬を取り上げ、重税を課して苦しめている。
その利益は呉三桂に渡ってますますその武力を強めていってるのであった。騙された康煕は怒りを抑えきれない。周雲龍を処刑し廃藩を押し勧めた。だが宮廷の重臣にも呉三桂から賄賂を受け取っているために廃藩を反対する者もいる。
康煕は呉三桂がいかに暴利をむさぼっていたかを臣に訴え廃藩を決めたと告げる。
そんな中、貧しい民衆の前に楊起隆というものが現れ「三郎香会」というものを作り世の中を惑わそうとしていた。
重税・貧苦にあえいでいる時に救世主のごとく現れる指導者に民衆はついていってしまうものですよね。康煕のライバルというものは限りないものです。

しかし皇帝の前ではトイレに行くのも万死に値すると言うことで前日から飲食を慎んでいるお出迎えの皆さんは大変ではあります。一人、いじめでそれを知らされず。おかゆをたらふく食べた後に皇帝の出迎えを命じられた者はとうとう我慢できず皇帝にお手洗いに行くことを許してもらうのですが、皇帝もこんなことに頭を使わなければいけないのだから頭がいくつあってもたりませんよ。

太皇太后を除けば、全てのものが皇帝の顔色を伺っていてしかも心の中はさっぱりわからない。これでスマラグがいなければ、辛いドラマですが、彼だけがまさに康煕の姉として心から付き添っているようでほっとします。

posted by フェイユイ at 23:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第15集

強敵アオバイを倒し成長した康煕は師である伍次友に清にとってたいせつなのは「三藩・河川・運輸」だと教えられますが、その三藩の問題が立ちふさがる。三藩とは平西・平南・鎮南(雲南・広東・福建)
満人である皇帝に対して三藩の王は漢人。そして西南を牛耳る力を持っているのだ。
康煕は三藩の王たちを呼び寄せて廃藩させようとするが、最も強い権力を持つ平西の王・呉三桂が病気を偽ってこないためにその計画はかなわない。そして皇帝に三藩を廃することを上奏していた朱国治を死刑にすることにしたのだ。
反論しようとする朱国治に、康煕は「お前の命で二年間の平和を買う。お前が死んでも家族のものを守り数年後お前の名誉を回復して子孫を重用することを約束する。朱国治は、礼を言って刑場へ向かおうとした。康煕は朱国治を許し「お前は勇気がある。命を奪っては愚帝になってしまう」と言う。そして一等雲南長官に任命する。彼は片腕が欲しいと申し出る。貧しい書生で科挙の試験を必ず通るであろうといい、名前を周培公というものだと申し上げる。康煕はそんなに優秀なものなら自分が欲しいと言い出す。

康煕は三藩を廃する事ができないためにロシア人を使って彼らの前で黒竜江の土地を差し出せと言わせる。三藩の王たちはこれを聞いて「大清国は強い団結力があるのだから外国にこれを破る事はできない」と言い放つ。これを聞いて康煕は微笑んだ。

大人になってますます懸命な皇帝となっていく康煕だが、まだまだ太皇太后には頭が上がらない。平西王の代理である息子はこのことに目をつけ、太皇太后が好む珍しい花の鉢を贈る。太皇太后はすっかりこれが気に入り、彼らの言葉を聞く。
太皇太后は康煕に「廃藩には反対ではないが焦らず行うほうがいい」と言うのだが、若い康煕は不満をもらす。
太皇太后はお前は世の中の動きを何も知らない、と言う。康煕はこれを聞いて世の中を知るために外へ出ることに決めた。太皇太后はスマラグを連れて行くように命じた。

呉三桂の息子の家に朱三王子の密使の宦官・黄敬が訪れて「命がけで生きる道を伝えに来た」と言うのだった。

策略策謀うずまく宮廷である。一体何が本当でうそなのか。
スマラグはすっかり元通り下女をやっています。康煕と東亭は年を取りましたが、スマラグだけは昔のままです(笑)
若い康煕がすっかり気に入っていたので陳道明がまだ見慣れません(笑)しかし堂々としてますね。堂々としてるのはスーチン・ガオワーさんを置いて他にはおりませんが、全く惚れ惚れする太皇太后ぶりです。
posted by フェイユイ at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第13・14集

とうとう16歳の皇帝・康煕はアオバイとアオバイまで騙そうとしたバン大人を倒しました。
しかしアオバイ、老体だと思うのにめちゃ強かったです。
狡賢いバン大人は正義の人呉六一にやっつけられました。やれやれ。

スマラグは突然、康煕を父である出家した大師のところへ連れて行きます。大師は寒さにも強い稲を改良中でした。
大師は皇帝である息子に皇帝としての心構えを教えます。
帰り道、スマラグは康煕に大師が病におかされていてもう長くない事を知らせます。

康煕は師である伍次友を宮廷に呼び寄せました。ここに住みやがては皇太子の師になって欲しいという康煕の頼みを伍次友は拒みます。そして「何でも願いをかなえるぞ」という康煕の言葉にも何もありません、と答えるのでした。それを聞いていたスマラグは「なぜ私を欲しいと言ってくれないのか」と伍次友を責めます。伍次友は康煕がスマラグに好意を持っていることを察し、「今許しても将来皇帝がどう思うかはわからない。来世で会いましょう」と言って去っていきます。そして皇帝に提案をします。それは三藩の統治と河川・運輸の整備でした。20年以内にこれをかなえれば皇帝の御世はさらに安定するでしょう、と説くのでした。

スマラグは好意を抱いていた伍次友に去られ傷つきます。そんなスマラグに康煕は自分の気持ちを打ち明けます。自分が好きなのはスマ姉さんだけだと。康煕は索尼の孫娘を后にしたばかりのはずなのにちっとも出てこないしな。
が、スマラグは皇太后から「康煕を弟と思ってかわいがってね」という頼みを受けて今まで守ってきたので急にそんな気持ちになれません。それに愛憎渦巻く世界に身をおきたくないと願っているのでした。

そんな折、その皇太后がスマラグにますます信頼と愛情を持ちこう言います「お前は私をおばあちゃんと呼んだね。本当の孫になるように康煕の后になりなさい」
東亭からこのことを聞いた康煕は大喜び。しかし皇帝なんだからもっと横柄な態度に出そうなものなのにスマラグに対するこの優しさ。素敵です。
早速スマラグの部屋を訪ねます。が、スマラグは「下女でいたいのです」と答えるのでした。

結婚式当日、太皇太后までもがスマラグの部屋へ行って様子を見ると、なんとスマは髪を切って出家しようとしているではないか。
スマラグの固い決意に折れた太皇太后は宮廷内にスマラグの住まいを造るよう命じて「髪を切らずに出家せよ」と言い渡した。

時がたち、ついに陳道明の登場です。
しかし対立する三藩の問題で賢明な康煕も大変な時期を迎えていました。
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月26日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第12集

ひゃー、康煕めちゃかっこいいです。ばば様はもっとかっこいいけどね。二人がアオバイを倒そうと話し合っている場面は凄く高揚感があって言葉が強くて惚れ惚れします。

16歳の康煕はもう行動あるのみ。まだまだ可愛い顔をしていますがアオバイを倒さんと智恵を絞ります。アオバイはバン大人の甘い言葉で皇帝を失脚させようとしますが、そのバン大人はアオバイを利用しようとしているだけ。うーん、もう誰も信用できませんね。
康煕は急に頼もしくなりました。
アオバイを倒すためにばば様を非難させようとしたり心遣いも忘れません。
臣下の胸の内も読み取るようになって大人びてきました。しかし16歳にして白髪が出たそうで気の毒です。(ところで弁髪って初め見た時はびっくりしますが、ずっと見てるとなかなかかっこよく見えてくるからふしぎです。ラーメンマンのおかげかな)

呉六一さんはほんとに真面目なお人です。しかしせっかく恩赦で出獄した義父を自分の手柄で牢から出してあげたいということで、「牢屋に戻るよ」と言うお父さんが偉い。

しかし恐ろしい敵と思っていたアオバイを騙そうとしているバン大人は飛んだ狸ですな。

ところでなかなかこれの記事を書かなかったのは、しばらく画像が観れなかったからなんですが、実はたまったファイルを削除すればよかったんですね。中に説明もされてます。以前、一度やっていたのに、すっかり忘れていたのでした。もし観れずに困っている方いらっしゃったら一度お試しください。
posted by フェイユイ at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第11集

今回は武芸に溢れた回でしたぞ。

それにしても康煕は随分賢くなってきました。アオバイを何とか押さえ込もうと考えながらもその実力は認めています。
しかし今回、そのアオバイが頭がいいだけでなく武芸にも秀でている事が判明。おじいちゃんだとばかり思っていたら、若者が束になってかかっていってもかなわないつわものでございました。

康煕は相変わらず東亭とスマラグを連れて伍次友の所へ通ってさまざまな智恵と考え方を学ぶのでした。スマラグは手製の靴をさりげなく置いていき、それに気づいた伍次友はうれしそうにスマラグの名前をつぶやく。皇帝の侍女といっても結構自由ですね。
自由と言えば伍次友の家を出た二人は待ってるはずの東亭の姿が見えないので「少し庶民の生活も見て行こう」と言う事で街を探索。皇帝がぶらぶら街を歩いてるなんてまだのんびりしてますね。清の末代皇帝は全く城から出れなかったのに。
伍次友の友人となった明珠はお忍びの康煕の招待を見破り、官職をいただく。スマラグが(心を寄せる)伍次友は水のような人物だが、明珠は油のようだ、と言うと康煕は「油を使えば料理もうまくなる私は水も油も使い分けるのだ」と言う。スマラグもこれに感心した。

その皇帝の護衛・東亭は幼馴染の喧嘩に巻き込まれていた。ここで東亭が武芸披露。東亭もなかなかやります。
が、騒動を九門提督・呉六一に見咎められる。東亭が皇帝に仕える身だと言うと「それならばいっそう法を守るべき立場ではないか」と言い返される・これを見ていた康煕は呉六一に興味を示す。
早速お婆様にご報告するが「そういうものは金にも身分にも欲がない。そういうものには恩を売らねばならない」と言う事で8年間投獄されている義父を放免し、さらに漢人である呉六一に北京の武官を動かす全責任を任せた。

が、腹心である東亭にも「信用できるだろうか」と疑いを持つ康煕にスマラグは恐れを抱くのだった。
posted by フェイユイ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第9・10集

太皇太后が留守の間、居並ぶ大臣の前で少年皇帝・康煕は何の力もない。逆臣・アオバイのいいなりで忠臣・スークシャーハーを捕らえてしまう。
屈辱に逆上し側近の東亭にアオバイを処刑しろ、と叫ぶ康煕。スマラグはそんな康煕の軽はずみに驚き折りしも帰って来られた太皇太后に事情を伝えた。

さあ、ここから太皇太后の獅子奮迅の大活躍。アオバイを牽制し尚且つ忠臣・スークシャーハーを処刑した。康煕は驚くが太后は「力のない我々には忠臣を犠牲にして奸臣を頼みにするしかない。後にお前がスークシャーハーの子孫の名誉を取り戻せば、お前は讃えられるのだ」と。そして「自分は一族のために敵の妻となって耐えた。その苦しみはお前にはわかるまい」

康煕は平民のふりをしてスマラグと東亭を供にして伍次友を訪ねる。彼はアオバイの横領を試験の答案で訴えた勇気ある秀才なのだった。
康煕は朝廷を案じている平民になりすまし、伍次友に質問をしていく。賢い伍次友は的確に答えていく。「では皇帝はどうしたらいいのだろうか」「今、頼れるのは索尼大臣しかいません」「彼は病気なのだ」「仮病かもしれませんよ」

皇帝と伍次友が語り合っている間に、スマラグは伍次友の靴がぼろぼろなのを見てこっそり紐で靴のサイズを計っていた。

太皇太后はスマラグを連れて索尼の家を訪ねた。正門で追い返され、裏門で追い返され、勝手口でも追い返された太后は再び正門を叩かせる。スマラグが太后から預かった龍の首の杖を見せると策尼らが飛び出してきて無礼を謝った。
索尼には孫娘がいた。太后は大変に孫娘を褒め称え「彼女を康煕の皇后としたい」と索尼に伝えた。索尼は感激してひれ伏した。

病気で死にそうになっていた(仮病だが)索尼は突然元気になって、孫娘と皇帝の婚約の祝いに大わらわだった。
突然、索尼が権力を増し、そして外に親戚を作った皇帝にも力がついたことを知ったアオバイは面白くない。ここはお祝いを贈って安心させようと策を練るのだった。

索尼の孫娘・ホショリーとの婚礼も終わり初夜を迎えた康煕は抜け出して、スマラグの部屋へ行く。スマラグは伍次友の靴を作っていた。
康煕はスマラグに「皇后になりたくはないか」と問うとスマラグは「ここにいると皇后がどんなに大変かわかります。私は小間使いでいたいのです」と答える。淀みないスマラグの答えに康煕は感心する。そしてスマラグに「伍次友が好きになったのだな。お茶を注ぐとき、朕の手にかかりそうなほど震えていたぞ」と言った。

康煕は結婚した事によってこれまでの大臣達に牛耳られる聴政を止め、自ら政治を行う親政を始める。時に康煕6年(1667年)14歳の愛心覚羅玄[火華]は親政を開始した。

これによって太皇太后は「私はもう引退してのんびり暮らす。困った時だけ来なさい」
索尼との結びつきで皇帝の地位も安定する。
が、索尼が孫娘・ホショリーに結婚生活を訊ねると「陛下は全く触れる事もない」と知らされる。索尼は孫娘にいくら皇后になっても家臣である事を忘れないようにして陛下の気に入られるように頑張りなさい」と優しく助言する。
ホショリーは康煕に同情をひき、そして自分がどんなに康煕を想っているのかを訴える。康煕は「信頼できる者を得た」と言って抱き寄せた。

だが、幸福な時間は短い。索尼が本当に病で亡くなってしまったのだ。とたんにアオバイは権威を取り戻す。折悪しく軍事が破綻している事が知らされるが、アオバイ以外に軍事を取り仕切れるものがいない。

東亭は「ここは太皇太后にお願いしてアオバイを倒して朝政を安定させねば」
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月11日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第6・7・8集

康煕帝役の李楠が可愛くていいですね。ちょっと藤原竜也に似てる気も。

まだ少年である康煕はことごとく大臣らになめられている。近衛兵まで殺され、代わりに見張りの兵をつけられてしまう。
皇帝の領地を横領しているアオバイはそれを皇帝の教師である魏承謨にばらされてしまう。アオバイは腹いせに済世という別の教師を皇帝に押し付けようとした。

宮殿に泥棒が入り先祖からの宝物を持ち出した。それは家臣がアオバイへの贈り物にしょうという企みだった。怒った康煕は泥棒した男を棒叩きの刑に処し殺してしまう。あっけないものだった。

そんなかっとなる性質を持つ康煕を新しい教師・済世は教育していく。
康煕が言う事を聞かないと先帝の絵の前で跪いて許しを請うのでいたたまれない康煕は言うことを聞かざるを得ないのだ。そして済世は康煕に病気の父親に冬、魚のスープを食べさせるため体の熱で川の氷を溶かした孝行者の話をする。
康煕は祖母である太皇太后に新しい教師の厳しさにグチをこぼす。太皇太后は済世は立派な考えを持っている。済世が皇帝のお前に厳しくするのなら媚びへつらう気持ちもないのだと、却って康煕を叱る。康煕は自分が間違ってましたとあやまった。

太皇太后はスマラグに「お前は何者だ」と訊ねる。スマラグは「私は皇帝陛下のしもべです」と答えると太皇太后は「いや、お前は義理の姉であり命の恩人だ。今後も陛下をよろしく頼むぞ」と言われる。

康煕は新しい教師・済世に教育されるようになってから心も優しく勉強にも次第に熱心になる。康煕は済世に自分の学力を問う。済世の下した採点は厳しいものだった。
負けず嫌いの康煕は済世に黙って科挙の試験をこっそり受ける計画を立てる。側近の東亭に日にちを調べさせたが、東亭が盗んできた問題を見ることは拒否した。本当の自分の実力が知りたかったのだ。そして試験勉強に没頭する。
スマラグからこれを聞いた太皇太后は喜ぶ。が、スマラグは黙っていて欲しいとお願いする。やっと皇帝が勉強し始めたのだし、もし落第すればますます勉強なさるでしょう。太皇太后はスマラグの頭の良さに感心した。

が、天下には科挙の試験を受ける者がたくさんいた。その中には、アオバイの領地横領によって住処を追われた者・伍次友もいた。伍次友の故郷では人々は飢え、苦しんでいた。伍次友は試験の場でアオバイの悪行を訴えるつもりでいるのだった。同じく試験を受けに来た明珠は深く感動し彼を支援した。

4人の大臣はばらばらで特に領地を横領したアオバイとそれの調査を命じられたスークシャーハーは強く対立していた。そして索尼大臣はどっちともつかずの態度を守り抜いていた。

そんな折、太皇太后は法事のため遠方へ出かけた。早くて10日遅ければ20日かかると言う。康煕は羽を伸ばそうとしたがスマラグが康煕に厳しく勉強をいいつける。

科挙の試験が始まり康煕は自分の部屋ではあるが対等に試験を受けた。
東亭とスマラグに結果を調べに行かせたが、何と言う事か、合格の90人の中に康煕がつけた偽名「龍児」はなかった。東亭の言いよどみながらの報告に康煕は落ち込む。

試験官であるスークシャーハーと済世は科挙の合格者の名前を記した紙を康煕に見せる。慌てて自分の名である「龍児」を探すが、やはり名前はない。「1位から3位は」と聞くと「それは皇帝陛下に決めていただくのです。私は3位の探花には龍児を押します」「何だって」「龍児です」「それは私の名だ。こっそり試験を受けたのだ。嘘だと思うなら答えを暗唱しよう」教師・済世は驚く。
そして2位にはあのアオバイの悪行を訴えた答案が選ばれていた。「2位か処刑か」であると言うのだ。康煕は2位になればその答案は公になると答えた。

康煕は大臣達の政治を聞いているだけでなく、親政を行うとスマラグに告げる。
スマラグは時期尚早だと考え、法事に出かけている太皇太后に知らせるため、単身、馬を走らせた。

スマラグの知らせを聞いて太皇太后は礼を言う。そして太皇太后はとにかく康煕を止める事、と申し付けてスマラグを急いで帰らせた。そして自分も北京へ戻ることにした。「兵を集めますか」という側近の問いかけに「私一人で充分」と言い切る太皇太后がめちゃかっこいい。
太皇太后はとにかく康煕を止める事、と申し付けた。
朝廷ではスークシャーハーがアオバイの悪事を暴き立てていた。そして2位となった伍次友の答案を読み上げた。ただの横領ではなくアオバイは結党し、皇帝に反逆しようとしているのだと。
posted by フェイユイ at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。