2006年08月14日

「魁!!クロマティ高校 THE MOVIE」

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今日は書くことが多い。こんなに面白い映画だとは思いもよらなかった。
原作漫画は知らないので(ちらと覗いたことはあるが)比較とかはできないけどいかにも今の漫画的なノリで突っ走る「魁!!クロマティ高校 THE MOVIE」だった。
主人公神山高志を演じる須賀貴匡が抜群にあっている。男ばかりしかも不良ばかりの世界なのだが出演者が物凄くよくて感激だった。
何とはなしに武闘派が多かったのだがフレディが渡辺裕之だとか(ははハードゲイだって)変なぬいぐるみ(失礼)が遠藤憲一や高知東生だったりしかも橋本真也が出てたのにびっくり。遺作なのだね。悲しくなった。
他にも山本浩司、板尾創路、ロバート、武田真治(メカ沢くんの声)なんてのも。宇宙猿人ゴリの登場にも懐かしさで胸が熱くなる。

何しろ映画化され公開前に元巨人軍のクロマティから名前を勝手に使ったのどうので話題になっていた。その時は笑っていただけだったが、こんな面白い出来栄えだったとは。いやあ、公開できてよかったよかった。

こういう日本独特の不良群像というのは凄くいいね。おかしくてもちょっぴり哀愁が漂う感じ。
しかし高校生には絶対見えない面々なのだが演じている連中が心底楽しんでいるみたい。これは絶対おススメだね。
私的には少林寺場面がうれしい。男の修行というとこれです。

監督:山口雄大 出演:須賀貴匡、虎牙光揮、山本浩司、渡辺裕之、高山善廣、板尾創路、金子 昇
2005年 日本
タグ:不良
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2006年05月27日

「同じ月を見ている」エディソン・チャンを観たくて

どうやら私はこの世界の住人ではなかったらしい。少し前に観たのですぐ感想を書いてもよかったのだが、何とも書きようがなくためらっていた。
少し時間を置いて思い返せばなかなかいい話だったように思える。むしろとても好きな話なのだ。だがその演出とか手法とかが私の求めるものではなかった、というだけだろう。

とはいえ元来の鑑賞の目的であったエディソン・チャンは素晴らしかった。ちょっと前に彼の作品を追いかけていたことがあったが観ることができる作品数が限られておりあっという間に尽きてしまった。その為、この作品のDVD化を大変期待していたのだ。
香港人であるエディソンはカナダ生まれであるので英語は凄くうまいのだが、日本語はまだ勉強中ということでせりふは極わずか。だがその整った顔立ち、品のある佇まいとそれ以上に心に響いてくるような眼差しが非常に印象を残すのだ。それだけはこの作品でも確実に表現されていた。

私としては窪塚が演じる幼馴染との話より山本太郎演じるやくざ崩れの青年との話が好きで、できることならエディソンと彼との出会いから物語が始まって欲しかった。
で、なんか理由あり、てな感じのエディソンに山本青年が興味を持って、ってな話になる。エディソンが幼馴染との仲を取り戻したいのだってことになって力になってやるって言うような。
んでもってずっとやくざ青年とエディソンのいちゃいちゃで持っていってほしかったなー。で、やくざ青年が幼馴染に嫉妬したりしてな。三角関係、と言うわけです。窪塚は最後でがんばってもらえればね。
いいなー。そんな話を私は望む(笑)

とにかくエディソンはまだ出演作品が少なくてしかも主演が少ないので寂しいのである。
それだけの演技力と魅力を持っていると思うのに、惜しい!次回作に「呪怨」があるのかな?・・・むむ。いや。きっと彼のことだから素晴らしい演技をしてくれることでしょう。また期待。

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2006年03月13日

「妖怪大戦争」三池崇史

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妖怪の世界、と言うのに憧れるのである。大好きなのだ。僅かではあるが別室でもその思いを書いていたりはする。
その割には詳しかないが。

が、故郷は化け猫で有名だし、今住んでいる所には河童がいるので小さい子は溺れさせられないようにおまじないの小さい瓢箪の飾りを首につけている。近くには小料理「川太郎」がある(関係ない)
ていうかある程度田舎に住んでいたら誰でも妖怪は傍にいると感じるのではないだろうか。東京にはいないらしいが。
(大概どの物語でも東京にはいないことになっているからね)(でも本当だろうか。妖怪というものは人間の傍にいるのだと言う気がする。東京には東京の妖怪が住んでいるのではないのかな。よけいいそうな気もするし。東京砂漠に住むため心が乾いていつも癒しを求めている淋しい妖怪とか、いかん!田舎モノの思い込みです)
ちょっと別の話だが、「小豆は身体にいい」といつも義母が言っているのでお祖父ちゃんの説はすんなり解ったという話もある。

柄本明さんから始まって(この方だって充分妖怪の素質があられると思うが)妖怪総出演じゃなくて演技派俳優かつ関係者総出演。顔はもう殆どその濃いメイクで解りはしないが実に皆さん、心ゆくまで妖怪をされております。モブシーンの妖怪募集に応募が殺到したようだけど、当然でしょう。誰だって(と言うのは嘘になるが多くの人が)妖怪にはなってみたいのである。
しかし妖怪って様々な力を持つ、といいたいけど、大多数はしょーもない力しか持ってないよね。
水木しげるさんが加わっておられるので鬼太郎さんの仲間が多く登場(鬼太郎さんはさん付けじゃないと呼べない)
ぬり壁、小豆洗い、ぬらりひょん、一反木綿など何の意味があるのかよく解らない。つまりは全てのものに魂があるのだということなのか。

愛すべき妖怪たちと反対に恐ろしい力を持つものが加藤保憲である。
こちらは「帝都物語」にも登場の魔人・加藤なのだ。嶋田久作さんより少しマイルド(これで)にはなっているがやはり恐ろしい強敵なのである。

これと闘うのが女の子のように可愛い「麒麟送子」のタダシくん。華奢でけなげで観る者の心を捉えてしまうではないか。

そして最後にこの映画は「戦争はいけない、腹がへる」という反戦の強い意志を表しているのである。これは大切なことです。
だが、悲しい哉、恐ろしい哉、世の中はそう簡単に終わりはしないのであった。

監督:三池崇史 プロデュース:水木しげる/荒俣宏/京極夏彦/宮部みゆき
出演:神木隆之介、菅原文太、豊川悦司、安部サダヲ、栗山千明、宮迫博之、遠藤憲一、竹中直人、忌野清四郎
2005年製作

ところでこれを夜中一人で観ているとガラス戸ががたがた音がする。鼠だと思った私は「人間様がまだ起きてんのに騒ぐなど不届きなやつだ」と腹をたて、起きているとわからせるために戸を叩き返したり、制汗スプレーを振りまいたりした(意味はないんだけど匂いがしたら人間がいると思うんじゃないかと考えて)
後で思ったら、そいつこそ妖怪だったのかもね。一緒に観ようと思ったのかも知れない。どうも察しが悪くてね。失礼しました。
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2006年03月06日

「眠狂四郎 炎情剣」市川雷蔵

炎情剣.jpg

「女を犯すことには慣れている男だと観念されるがいい」

無口な狂四郎様は口を開けば名言を発します。
シリーズ5作目。作品はそれぞれ独立して関連性はあまりないということですが、女に対するこの冷酷さ(クールさというルビ)と権力に対する嫌悪は一貫しております。

このセリフは中村玉緒扮する謎の女が仇討ちを助けたお礼にと一夜限り身体を許す事を約束したのですが、その時になって狂四郎に刃を向けた後に言われる言葉です。

↑ここまで書いて眠ってしまった(-_-;)
狂四郎ほど女が惚れてしまう男もいないのでしょうが、狂四郎は美しくても高慢な女を嫌っています。貧しく懸命に働いている少女には優しい笑顔を見せますが、権力と結びついて笠に着る女・ぬいを狂四郎は最後一太刀に殺してしまいます。その潔さにまた見とれてしまうのでした。
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2006年03月05日

「眠狂四郎 勝負」市川雷蔵

勝負.jpg狂四郎a.jpg狂四郎b.jpg
(モノクロ写真2枚はこの映画のものではないと思いますが)

「豚姫が!雪より綺麗な俺の身体に触れようなどとは無礼千万だぞ」

劇中、狂四郎が将軍の娘である高姫に捕らえられて吐くセリフです。
こんなセリフは天下の二枚目市川雷蔵でなければとても言えませんでしょう。彼が言うこのセリフにばったり倒れてしまうのは私だけではありますまい。
このセリフの前の言葉は「権力を日傘にへつらいを子守唄に聞きながらしたい放題に育った女。己を鏡に映してみろ。豚より醜いぞ」というものです。この女に対して傲慢な狂四郎の言葉が却ってすがすがしく聞こえてしまうのは狂四郎が権力といったものを全く意に介していない潔さがあるからでしょう。

そのセリフからして、この映画において眠狂四郎という剣客がいかに美しく魅力的な男なのかだけを演出していってるのだと言う事が感じられるのです。

この「勝負」またしても不思議映画でして出だしの少年の話はそのまま立ち消えだし、将軍の娘である姫(姫と言っても出戻りだが)が屋形船で逢引してたり、勘定奉行が気軽に町を歩いてたり、眠狂四郎と対決を夢見る剣士たち(しかも一人は肺を病んでいる!)が出てきて「闇討ちしようか」「それでは卑怯だ。やはり一対一で闘うべきだ」と話し合ってたり、キリスト教の布教をする異人さんが狂四郎を一目見て「苦悩に満ちた顔だ。こういう魂を救うために私は日本に来たのだ」と訴えたりする。
それにこの円月殺法自体がその威力の程が何とも謎なのです。
だが、そういったことも狂四郎のかっこよさを現すためにあるのでしょう。

例えば狂四郎が挑んでくる剣士たちから姿を隠しているのだが、手裏剣を投げられ、一瞬足が映る、がカメラが狂四郎を追うと梅の木に変わっている。
まさに梅の化身ともいえる狂四郎の美貌なのです。

だが、この映画で心に染みてくるのは狂四郎と年老いた勘定奉行・朝比奈(加藤嘉)との交流なのです。朝比奈さんはかなりの高齢というのに、民百姓の心配をして他の私利私欲で動いている侍どもを一喝し上様に直訴してでも民を救おうとする熱血な精神の持ち主。その老人に表面は冷たいが心を動かされた狂四郎は何かと老人の保護をする。最初は煙たがっていた老人も狂四郎に次第に惹かれていく。
最も情緒溢れるシーンは狂四郎と勘定奉行が町の小さな蕎麦屋で熱い蕎麦をすする所。折りしも粉雪が降り始め、店の明るい少女・おつや(高田美和)がふたりにおまけの汁を注いでくれる。旨い蕎麦の温かさが感じられるいい場面です。

ところで眠狂四郎はどうやらハーフらしいのですね。どこの国かは解らなかったのですが、彼は茶髪なんですね。ということは多分白人系でなければいけないわけで。
ますます謎に包まれる眠狂四郎なのです。

監督:三隅研次 出演:市川雷蔵、加藤嘉、藤村志保、高田美和 1964年製作


アマゾンの「眠狂四郎無頼控 柴田錬三郎選集」にはこう記されていました。

「時は文化・文政年間爛熟期の江戸。ころび伴天連と大目付の娘とのあいだに生まれた虚無の剣士・眠狂四郎。その異常・必殺の剣〈円月殺法〉を駆使し、諸悪の根源を縦横無尽に斬る。時代小説に新風を吹き込み、一大ブームを作り、いまも語り残る著者屈指の代表作。」
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2006年02月14日

「ある殺し屋」市川雷蔵

殺し屋.jpg

まったくこういうマジなハードボイルドがメジャーで存在し得る時代だったんだろうか。極端に音楽も効果音もなく派手な銃撃戦やら残酷な場面もなく淡々と映像が映し出される。
途中まで主人公・塩沢の素性が知れず行動が謎のまま進行して行くのだが、全体にシンプルでドライな作りなのだ。

現代劇のため、市川雷蔵も目立つ人物でもない。それどころか小さな小料理屋を営む主人という職業を持ち、自ら魚もさばく。その手つきは鮮やかではあるが。その地味な男が凄腕の殺し屋だと言う。
ひょんなことから市川雷蔵演じる塩沢と知り合い、「結婚してよ」とせがんでくる妙な女・圭子に野川由美子。調子がよくて明るくてゴージャスなボディラインに可愛い顔、こういう映画には不可欠な女性である。
殺し屋・塩沢に仕事を依頼するヤクザの片腕・前田に成田三樹夫。こわもてのイメージだが、ここではまだ半人前で塩沢に憧れを抱く若造である。

塩沢の武器は針。これで依頼された標的の首の後ろをぐさりと刺してしまうのだ。
なぜ塩沢がこのように強いのか。映画では言葉として説明はされない。ただ映し出される写真と「仲間は皆死んでしまった」と言う言葉で彼が戦争の中を生き抜いてきた男なのだと言う事がわかる。
塩沢が前田や圭子と組んでヤクの密売を横取りするために選んだ隠れ家は墓場がすぐ側にあり崩れ落ちそうで壁も薄汚れたアパートである。
塩沢は表情に乏しくセクシーな圭子に言い寄られても全く指一本触れようともしない。そしてどんな事にも怖れる様子もない。まるですでにこの世の人間ではないかのような凄みがあるのだ。
ヤクザの親分(小池朝雄)が塩沢に殺しの依頼をする時、上空を飛行機が飛ぶ。依頼を断ろうとしていた塩沢はその音で死んでいった仲間を思いだす「皆純粋な若者だった。祖国のためと信じて死んでいったのだ」そう考えた塩沢は急に殺しの依頼を受けるのだ。

塩沢がまたなぜこのような仕事を請けているのかもよく判らない。誰に捕まる事も騙される事もなく塩沢は旅立ってしまった。

市川雷蔵の極めてストイックな殺し屋に魅了されてしまった。そしてこの映画のスタイルにも。どこにも金をかけているわけでもない。弁当だって新聞紙にくるんで持ち帰る。それが当たり前だったんだろうけど。この力強い構成力・脚本。感心するばかりだ。

監督:森一生 原作:藤原審爾 脚本:増村保造、石松愛弘 企画:藤井浩明 撮影:宮川一夫 音楽:鏑木創 美術:太田誠一 編集:谷口登司夫

出演:市川雷蔵、野川由美子、成田三樹夫、渚まゆみ、千波丈太郎、松下達夫、小林幸子、小池朝雄、伊達三郎、岡島艶子
1967年製作

小料理屋を手伝っている女性が小林幸子なんだけどちょっと気づきませんでしたね。
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「眠狂四郎 殺法帖」市川雷蔵

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不思議世界だった。

市川雷蔵。その高名は聞いてはいたもののまだ一度もきちんと作品を観た事はなかった。
凄まじい美貌。
綺麗な男とはこういう人なのだろう。絵に描いたかのような立ち居振る舞い。女を心からとろけさせるようなセクシーな男なのだ。

映画の全てが作り物的な世界なのだ。芝居がかったセリフのやり取り。「俺は人間というものを憎んでいる」「こういうものがないと俺は生きていると言う気がしないのだ」「お前は不幸な生い立ちなのだな。俺のようにすねたものにはそれがわかる」などというような他の役者が言えばとんでもなく臭いセリフでも市川雷蔵が言うとかっこよく感じるのだから不思議なものだ。
多分この映画は眠狂四郎という男を描くためだけに作られているのだろう。
眠狂四郎は「俺の剣が完全に円を描く前にお前は死ぬ」と言うような剣士なのだが、そんなに凄そうには見えない。
女達は狂四郎に見つめられるととろとろに溶けてしまうようだ。本人も非常に女好きである。こんなに色っぽい男女のやり取り、というのも案外日本物では少ないんではないか(ただのセックスシーンという意味ではなしに)そういう場面はないんだが、濡れ場、と言う言葉がぴったりのような気がする。

ところで狂四郎が妙な忍者みたいなのにしつこく「雇ってくれ」と頼まれて「うざい!」と一喝する場面があったんだが、「うざい」って昔から使われていたのだね。

また、日本に少林寺の拳法を伝えたといわれる(という設定?)陳元賓の孫、陳孫(チンソン)を城健三朗が演じている。勝新に似ていて若山富三郎みたいだなーと思っていたら若山富三郎だった。昔の名前だったのだ。
それにしてもまさか眠狂四郎が少林寺拳法の伝達者と戦っていたとは。思わぬ拾い物だった(笑)

眠狂四郎シリーズ1作目ということでしっくりこない所もあったのかもしれないが大いに楽しんだ。

監督:田中徳三 出演者:市川雷蔵、城健三朗(若山富三郎)、中村玉緒、小林勝彦
1963年製作
タグ:市川雷蔵
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2006年02月10日

「昭和残侠伝 死んで貰います」高倉健

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これは見ごたえあり。マキノ雅弘 監督作品。
この前の「唐獅子牡丹」とは全く違う出来栄えです。やはり藤純子さんの芸者さんがよかった。三田佳子のねっとり感と違って藤純子さんのおきゃんな可愛さは見とれてしまいますね。日本女性の可愛らしさってこういうものなのでしょうか?(自分も日本女性だが雲泥の差とはこのことだな)無邪気と言うのか天真爛漫というのか。

ヤクザの秀次郎(高倉健)が博徒に殴られ傷を負い、冬の雨の中イチョウの木の下で座り込んでいるのを15歳の(実際はもっと年上ね)幾江(藤純子)が見つける。幾江は芸者の見習い中。おかみさんにお酒を買いに行かされていたのだが、凍え切った秀次郎に飲ませてしまう。おまけに「泊めてもらえるようお上さんに頼んでみるわ」案の定、幾江はおかみさんに叱られてこづかれるが何とか許してもらう。幾江が喜んで秀次郎を呼びに行った時、一部始終を見ていた秀次郎は立ち去った後だった。幾江は「ヤクザのおにいさーん」と呼ぶのだった。
と言う20歳の青年と15歳に少女を演じる二人。何ともいえない初恋の風景なのである。

健さんの逞しい胸や池辺良の色っぽい眼差しもよいのだが、この映画は完全に藤純子さんにもって行かれてないのかな。男の友情が褪せて見えるほど藤純子さん演じる幾太郎姐さんの清潔な色香に迷ってしまったんである。
この純情。この可憐さ。ひたすら秀次郎を信じて慕っている一本気。かっこいいのだ。嫌なお客が来てもぴしりと受け答える性格がいいなあ。それなのになよなよと女っぽいしぐさ。一体どうしたらあんな動きができるのか。
そして何と言っても美しい。こういう男の映画には綺麗どころが必要ですな。

昔の映画を観ているといいものはホントによくて見とれてしまうのだ。
それは窓や戸口なんかにもあるし、登場人物の動作でも。例えば、仏壇の火を消すのに、秀次郎は指で火をつまんで消してしまうのだが、吹き消してはいけないからなのだよね。
芸者の姐さんが幾太郎の着物のすそをさっとあげてやって「ほら道行だよ」と秀次郎とデートできるようにしてあげるとか。感心することばかりなのだ。

堅気になろうとする秀次郎の元に昔、イカサマを見破られて手を刺されたヤクザが仕返しにやってくる。刺されそうになる秀次郎を「私の手を代わりに刺して」と庇う幾太郎。男を庇う、と言うのが日本女性ですね。

重吉の池辺良も恩義ある喜楽の旦那の息子である秀次郎を懸命に堅気にしようとするのがいい。

最後のお決まりの健さんと池辺良の道行きも今回はぐっと色気があった。
でも悪いのは金を貸してくれたやくざの親分じゃなくて一山当てようとしては失敗してる若旦那さんのほうじゃないのかねー。

監督:マキノ雅弘 出演者:高倉健、池辺良、藤純子 1970年製作
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2006年02月03日

「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」高倉健

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前作でなかなか面白いと興味を持って2作目ですが、正直言ってこれは何だか納得しかねる映画作りでした。
何と言っても出だしでつまづいてしまう。前作は戦地から戻ってきた健さんなので充分納得できるが、こちらは弟分のために人を斬ってしまうのだ。いくら何でも人一人の命を奪ってしまう為には映画の中で充分な大義名分というか説明がなされなければ頷く事ができない。そのために多くの映画では悪役が主人公を攻め抜き苛め抜いてからこそやっと主人公が悪役を殺すことに観客も応援するのだ。いくら健さんだからとは言え、いきなりどんな人かも判らず殺してしまうとは。しかもその人がとてもいい人で妻子ある身だったとなるとどんなに後で行動を示されても同情しにくい。もっと同情しやすい言い訳、せめて何か偶然の事故だったとか、勘違いだったとか(情けないが)こてこてにしてもらわないといけないのでは。
か、これが健さんでなくてもう少し悪めいたキャラだったらいいのかもしれない。それこそ勝新みたいなんだったらいいけど健さんだと正義の味方すぎてダメ。敵の陣地を襲うときも銃で撃ったりするのが興ざめである。しかも敵の親分を最後に追い詰める時、もろ肌ぬいで刀を持って闇の中に立つ健さんがホラーである。かっこいいというより狂気を感じてしまったのだよ。
池辺良も今回は突然登場して去っていく感じで奇妙なの。男の友情もあまり感じられなかったのだ。
三田佳子さんも前回に引き続き健さんに思いを寄せる女性の役だが、最近はこういうねっとり女らしい感じのキャラってあまりないのかもしれない。

昔の映画だから全てよし、というわけではないものね。

若い津川雅彦と子供の穂積ぺぺが出演している。花沢徳衛さんって私の知っている限りでいつも同じ年齢のような。

健さんはあくまでも渋く素敵ですが、この脚本では本領発揮は難しい。もう一作観てみようか。思案中である。

監督:佐伯清 出演:高倉健、池辺良、津川雅彦、三田佳子、穂積ぺぺ 1966年製作
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2006年01月23日

「昭和残侠伝」高倉健

昭和残侠伝.jpg昭和残侠伝2.jpg

「エンコ生まれの浅草育ち」高倉健の歌で始まる。終戦後の浅草。
戦地から戻った寺島清次(高倉健)は神津組の5代目を受け継ぐ事になる。神津組は露天商にネタ(商品)を卸すことを生業にしているのだが、ここに新誠会という組が現れ、庭場(縄張り)争いは激化する。
神津組は先代を殺された上、新誠会にひどい目に合わされ続けるが寺島は先代の「最期の最期まで争いごとはおこすまじきこと」という遺言を守って行く。が、皆の金を合わせてやっと作ったマーケットを全焼され寺島はついに立ち上がった。
寺島はついていこうとする子分達は止めたが、神津組に泊まりながらいなくなった妹を探していた風間(池辺良)は「一宿一飯の恩義を欠いては笑われる。男にしてやっておくんなさい」と新誠会への殴りこみを手伝うのだった。

色んな意味で見入ってしまった。風間(池辺良)が神津組を訪れた際に行った「お控えなすって」の仁義の作法。結構入り組んでて難しい。舌をかみそうな上、時間もかかる(情けない感想だな)
寺島(健さん)は戦地へ行く前、好きな女性・綾(三田佳子)がいたのだが、周囲の説得で西村組の恭太と結婚していた。綾の気持ちがわかる恭太は「ゆっくり清さんと話すがいい」と心配りをしてくれる優しい夫だ。心が広く義侠心に厚く勇気がある立派な旦那さんなのに綾は清さんのことが好きで気の毒である。こんないい夫なら充分だと思うが。
そしてやっぱり健さんのかっこよさ。池辺良の風間と共に新誠組に向かう姿はなんともすがすがしくて男らしい。ついてくるという風間に頭を軽く下げるのも礼儀正しくて思わずはっとするのだ。
そして上半身をみせ背中に唐獅子牡丹なのだがその背中が引き締まっていて素敵なこと。中身がかっこいいのは無論なのだがその容姿も凄く端麗なのだ。
池辺良さんは私は殆ど観た事がなかったのだが、健さんとは対照的な絡みつくようなじっとりとした2枚目ですね。
松方弘樹なんててんで若造の役だったので結構おかしかったです。

ところで最初に流れる歌の「エンコ生まれ」のエンコというのは「公園」の意味だとか。健さん演じる寺島の悲しい過去を物語っているのですね。戦後と言うのはあらゆる意味で大変な時期なのでしょう。

監督:佐伯清 出演:高倉健、池辺良、三田佳子、菅原謙二、松方弘樹、梅宮辰夫、江原真二郎   1965年製作
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2006年01月01日

「緋牡丹博徒」藤純子・高倉健

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お正月らしく華やかに行きたいと思いまして藤純子さんの「緋牡丹博徒」を選ばせてもらいました。

有名な映画ですから、タイトルは知っていましたが、観るのは初めてです。
実は高倉健さんの映画を観たいと思って借りたんですが、これは最高にかっこいい映画ですね。

明治中期。九州は熊本出身の緋牡丹お竜こと矢野竜子は人吉で一家を構える博徒の娘であった。早くに母親を亡くしたがその遺言で堅気として生きていけるよう大事に育てられる。お茶にお花お裁縫、小太刀の免状までも持っているのだ。商家の嫁入りも決まったある日、父親が辻斬りに遭い、縁談も破棄されてしまう。親分が死んでしまうと子分達は皆、出て行ってしまい残ったのはずっとお嬢さんについていくと誓ったふぐ新だけだ。竜子はふぐ新に堅気になるように言うと自分は父の仇を討つため旅立ったのだった。

とにかく藤純子さんが美しい。真っ白な肌に緋牡丹の刺青が眩しい。九州弁もお竜さんが話すとかっこよか。同じ九州女として憧れてしまうばい。九州弁は日常語けん、うれしかとたい。
髪をあげ、着物姿でピストルを持つお竜さんのなよやかなのにきりりとした女っぷり。啖呵を切られた親分さんも思わずうれしくなってしまうのもしょうがないやね。その美貌に一目ぼれした若山富三郎演じる熊虎・熊坂寅吉は堅めの杯と聞いて結婚と勘違いして舞い上がり「兄弟分でしょ」と言われがっくりするのが可哀想だった(しかしこのちょび髭親父が若山富三郎さんだとは。すぐには気づかなかったよ)
お竜さんは強くて綺麗なだけでなくいつも周りの人に明るく優しく振舞うすがたもまたりりしいのである。男達はみんなお竜さんを好きにならずにはおれないだろう(イヤ女だって)辛い事悲しい事があっても唇を振るわせるだけでお竜さんは耐えていくのだ。だが時折見せる女らしい弱さがまた愛おしいではないですか。

そして特別出演の高倉健さんの登場。出番は少ないのだが、この存在感、着流し姿ですらりと立つ高倉健さんはもう身震いほどの色っぽさである。逞しいのに腰の辺りはしゅっと細くて見とれてしまう。藤純子さんとのからみ場面など背中がそくそくと毛羽立ってくるようだ。眼差しが強くてしかも若いために何とも言えぬ甘さがあって。高倉健はずっと知っていたわけだけどこんなにもかっこいい人だったんだと改めて認識しました。

出だしから登場する不死身の富士松(待田京介)が危ない目に遭いながらもその名のとおり死ななかったのもうれしい演出でした。かたやお竜さんをお嬢さんと言って慕い続ける子分のふぐ新の死はまた心に残るものでありました。
金子信雄、清川虹子も見ごたえある存在でしたね。健さんと義兄弟である加倉井(大木実)の憎らしさも満点でした(よくこんなにむかつく演技ができるものだ。感心)

日本にもこんなにかっこいい女侠客がいたのだと打ちのめされうれしい感動でした。藤純子のお竜さんの清らかな着物姿をまた観ずにはおれません。
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2005年12月11日

座頭市と用心棒

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サンタパパさんのお勧めとタイトルに惹かれ、他は何も見ずに借りたのですが、なんとこれは岡本喜八監督、そして用心棒は「用心棒」三船敏郎御本人だったのですね。何も見ず借りる自分にあきれた。
岡本喜八監督の名前はいくら私でも知ってます。作品としては昔「肉弾」を見たのみですが、物凄い迫力のある映画だったと記憶してます。そして用心棒が御大・三船敏郎その人だったとは。「破れ!唐人剣」のジミー・ウォンにも驚きましたが、まさか三船敏郎が出てるとは思わないもの。
しかも岸田森さんも出ているし!!涙。細川俊之、草野大悟まで出ていてそこでまた感涙。若尾文子さんの色っぽいキュートさにも目を奪われました。

3作「座頭市」を観たわけですが、市さんのかっこよさはずば抜けているのではないでしょうか。
導入部、薄の中での斬りあいから始まるのはいつも通り。しかしより暗い画面になっている。雨と風が吹きすさび斬りあったものから物を盗むこの世の非情さに市は嘆く。そして3年前行った梅の香りがするあの村へもう一度行こうと考えたのだ。あそここそこの世の安らぎの場所だったという希望を抱いて。

が、その村は小仏一家というヤクザによって荒れ果てていたのだった。そして小仏政五郎は用心棒として雇っている佐々大作に百両という価で座頭市を殺せと言い渡した。
この小仏政五郎、情けない親分なのに凄く印象的。顔色悪いこの男は誰、と思っていたら米倉斉加年 だった!あののんびりした印象の(あ、私はテレビのCMとかでしか知らなくて)米倉斉加年さんがこんな面白い演技者だとは知りませんでした。しかも若い。この政五郎はよいですね。
三船敏郎が用心棒と言えば誰でも黒澤明の用心棒を思い出すだろう。ここでの三船演じる佐々はあえてそのイメージを無理に壊したりはせず、むしろそのイメージをダブらせながらしかももっと人間臭い酒飲みの用心棒にすることで面白さを増していたと思う。
映画ではこの偉大な三船演じる用心棒を筋肉とし、勝の市を頭脳として演出したのだと言う。居あい抜きの鋭さも見せながら、ここでの市さんは切れまくっている。
「血煙り街道」でエンターテイメントとはこういうものだ、と書いたが、「座頭市と用心棒」はさらにそこに迫力と凄みを加味している。
そして九頭竜(岸田森)の登場でまた気分はヒートアップ。岸田森もまた顔色悪い殺し屋がぴったりで興奮覚めやらずの映画鑑賞となった。

草野大悟と市さんのやり取りがおかしくてこれも見る価値あり。

監督:岡本喜八 出演:勝新太郎、三船敏郎、若尾文子、米倉斉加年、岸田森、細川俊之、嵐寛寿郎 、草野大悟 1970年制作
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座頭市 血煙り街道

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「破れ!唐人剣」の感想の繰り返しになってしまうと思うんだけど、とにかく映画の作りそのものに目を奪われてしまう。
時代劇、というのは多分年々どうしようもない物になってみているのではなかろうか。お金、ということもあるだろうが、それだけではない何かが確実に失われていっているようだ。まあ、日本人の骨格自体も大幅に変わってきているのだから、仕方ない部分もあるんだが、着物一つ調度品一つにせよ、素人目に見てもいまのそれとこの頃のそれの重さとか渋みとか違う、と思ってしまう。私だってそうだけど着物自体を日常に着ないものが自然に立ち居振る舞いするのは難しいことなのだろう。且つ、町並みや風景人々の行き交う光景などもいちいち今と違う、と思ってしまうのだ。

勝新太郎の座頭市が凄いのは昔から知っているつもりだったが、改めて観てみるとその迫力、かっこよさ、男っぽさ。これもまた今の役者さんでこの色気を出せる人がいるんだろうか、とまたうなってしまう。市さんの魅力は物凄い強いからには違いないが、それだけでない捨て身の怖さ。守ろうと思った者の為に命がけで守り抜く執念のようなものがある。それは決してかっこいい姿ではない。
市さんが助けてやろうと思った子供とその父親がお上に命じられた侍に斬られそうになる。市さんは目が見えないが為に我が身を投げ出して侍の行く手をさえぎる。その様は何がなんでもすがり付いて通すまいとするみっともないやり方だ。座頭市の居あい抜きの鮮烈さに魅了されるのは確かだが、同時に市さんの自分を斬らせてでも守りぬくという心意気に人は惹かれてしまうのだろう。

しかしエンターテイメントというのはこういうのを言うんだろう。皆、市さんになってしまって悪い奴をぶった切ってやりたくなるもんだ。「ああ、嫌な渡世だなあ」とつぶやきたくもなるもんだ。
やっと父親に会えたのに男の子は市さんを慕って追いかけてくる。市さんは身を隠して涙をこぼす。こちらも思わずつんときてしまう。市さんが世界のあちこちで人気あるのは当然だ。こんなに真似をしたくなるヒーローはそういない。

監督:三隅研次 出演:勝新太郎、近衛十四郎、浅丘雪路、中尾ミエ 1967年制作

なお、本作が後、ルトガー・ハウアー主演アメリカ映画「ブラインド・フューリー」としてリメイクされたそうな。
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2005年11月30日

「新座頭市 破れ!唐人剣」 に心服する。

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まず久し振りに観た日本映画の時代劇の様式美に感銘を受けました。例えば出だしのシーンで草の影をアップにして向こうに座頭市を立たせている構図などはその典型ともいえますが、こういうのもいいものだな、と新鮮に感じたり。また映画の撮り方が現在の奇をてらったもしくはまとまりのないやり方でなく(映画技法の名前を知らないので適当な言い方でしか言えません)単純で骨太な撮影法なのも観ていて落ち着く。
このシリーズは座頭市の強烈な個性で魅せている映画なのであくまでも市さんを映し出していくのだし、その市さんの個性と言ったら、現在ではこういうヒーローというのはもう探しても見つからないのだろうな、と思います。しかし本当にかっこいい男なんですよね。単に正義の味方と言うのではなくむしろ影の部分が強いのですが、そこがまたたまらないヒーローなのですね。
 
物語は、日本で大道芸をやっている中国人親子が日本に着たばかりの片腕の武芸者である中国人・王剛と出会う。
日本では殿様に献上する物が侍によって運ばれる時は道行く平民は土下座をせねばならない掟があるのに、中国人の幼い息子はついうっかり凧を追いかけたばかりに侍に斬られそうになり庇った両親が身代わりに斬られてしまう。怒った片腕武芸者・王剛はその侍達に切りかかり、取り押さえられそうになるが何とか逃げ延びる。そしてなぜかその様子を見ていた日本人達も皆斬られてしまったのだった。

ヤクザに追われる身の座頭市はその斬られた中国人夫婦の幼い息子と出会い、見捨てておけず連れ歩く。街では逃げた中国人・王剛が日本人を滅多切りにしたという噂で指名手配中だった。市は王剛にも出会うが言葉が通じないまま、行動を共にすることに。
そして偶然現場に居合わせて王剛が犯人でない事を知っている親娘の家でかくまわれる事になった。
が、市が出かけてる間にかくまった夫婦は嫌疑をかけられ殺されてしまったのだ。王剛とその家の娘は帰ってこない座頭市に疑いを持つ。金の為に王剛の居場所を知らせたのだと考えたのだ。
言葉が通じないばかりに市と王剛は気持ちを訴える事ができないまま、戦うことになる。激しい戦いの末、市の剣が王剛を倒す。二人は「言葉さえ通じたら分かり合えたはずなのに」とつぶやいた。

なんだか外国語会話教室の宣伝のようですが、実際それで解り合えないでいることが多いわけですから、真面目な映画であるわけです。市さんも王剛さんもいい人なのですから、悲劇です。それにしても市さんが勝ってしまっていいのだろうか、と気をもみました。「座頭市」は香港でも大人気と言う事できっと香港でも観られるわけでしょう。そしたら、これ香港バージョンでは王剛が勝つらしいのです(笑)市さん、死んじゃったわけですか。ははー。それは是非観たいと思うのですが、そのバージョンの映画は今では観られないそうですね。残念。

そして市さんの魅力ですが、まず声がいいですよ。かっこいい。もうこればっかしなんですが、こんな風に声がかっこよくてしゃべり方が個性的で思わずまねをしたくなるような主人公って今いないんじゃないかと。坊主頭でずんぐりした体型で尚且つかっこいいんですからね。目が見えないという普通なら辛いハンディも市さんになったら一つの強い個性なのだから。
そして仕込み杖による居合い斬りの鮮烈さ。これははでな香港アクション(だけじゃなくアメリカのなんかも含めてね)を見慣れた目にはこんな迫力のあるドスの効いたアクションと言うものがあるのか、と思えるだろう。昔観た市さんの剣がこんなにも鋭いものであったとは今更ながら感動してます。
そしてそれらを盛り上げていく映像効果もあると思います。影の多い画面、障子越しに人を斬り、白い障子に真っ赤な血飛沫が浮かぶ、などの演出。昔の映画とは言え、市さんのやり方は結構凄くて耳を切り落としてしまう過激さもあるのですが、今と違ってその残酷さを執拗に出さない所が大人びているとまた感心。

後、とにかく出演者がいいのですね。
市さんに心寄せる(市さんはもてるのだ)女郎のお仙に浜木綿子。色っぽくてかっこいい女性です。やっぱこのタイプは是非いてくれないとね。
王剛の友達・覚全に南原宏治。目が大きくて怖い。いかにも一癖ありそう。
てんぷくトリオ。伊東四郎さんが出てるのも楽しいですが、三波伸介さんがおかしい。映画は絶対笑う部分があるのが好きです。「ブレード/刀」はそこがなかったかもね。
追われる王剛をかくまう優しい百姓に花沢徳衛。この顔を見るだけでもうれしいです。

この映画を観て、ちょっとこれは「座頭市」と王羽も観なけりゃな、とまた観なきゃいけない映画を増やしてしまいうれしい悲鳴のフェイユイなのでした。市さん観なけりゃだめだよ!

制作:勝新太郎 監督:安田公義 出演者:勝新太郎 王羽(ジミー・ウォン)1971年制作
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新座頭市 破れ!唐人剣 勝新太郎VS王羽

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ツイ・ハークの「ブレード/刀」を観て「座頭市」の要素がある、と書いたのですが、自分で書いてて無性に「座頭市」(勝新太郎に限る)を観たくなってしまった。子供の頃多分TVシリーズを観たような記憶がぼんやりとあるだけの私。知識がないのでとにかくDISCASさんを覗いてみる。色々あってどれがいいのかわかんないなあ・・・えええ!?「破れ!唐人剣」というのがおもしろそうなのがあるではないか。しかも共演が王羽(ジミー・ウォン)!!てことは「ブレード/刀」の元映画「獨臂刀」の主人公と「ブレード/刀」の要素になってると思われる座頭市が戦っているのだ。いやー、知りませんでした。と言うかこのタイトルを見てそういえば昔こういう映画があるんだなーとぼんやり思ったような気も(頼りなさすぎ)
とにかくそんなで興奮気味に借りましたよ。私はジミー・ウォンはそれこそ中文字幕のDVDで見たくらい。改めてみると細身でかっこいい。むっくりした体格の市さんとはいい対称です。言葉が通じないまま戦う羽目になるという悲劇なのですが、てんぷくトリオ(というのだね)の三波伸介・伊東四郎が出てきてまじなストーリーを一気に笑わしてくれて楽しいです。
もう少し書きたいのですが、今夜はここまで。また明日もうちょい気合入れて書いてみたいです。では、お休み〜。
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2005年10月28日

「血と骨」崔洋一・後半

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後半に入ってますます面白くなった。特に金俊平の半身が動かなくなってからは、どうしようもなく面白い。
前半は若い頃なので性的暴力が多く、嫌悪感を強く感じたが後半になり年を取ってからの父親は以前のような肉体の躍動はない代わり、さもしいだけの金の権化に変わっていくのが見ごたえがある。
妙におかしさが出てきて、娘の葬式の場面など悲しいはずなのに滑稽感が漂う。血肉を分けたはずの息子からは逃げられ、いいように扱っていたはずの女からは金を奪われる。
体が動かなくなった時、俊平は浅ましく助けを求める声を出す。だが妻から与えられた言葉は「いっぺん死ねや」
だが金俊平は死なず半分動かない身体を引きずっても金の取立てに行く。
金俊平がそこまでして貯めた金は全て共和国に捧げてしまう。長男・正雄は言いなりにはならない為、ずっと欲しいと願い、やっと生まれた我が息子を道連れに共和国へと渡るのだ。最後まで生きたいように生きた父親だった、と長男・正雄は言う。

この物語に出てくる男たちは皆こうあって欲しくない嫌な男ばかりだ。人気の韓流スターのようなさわやかで頼もしい男などいない。女たちは哀しい。母親だけでなく姉の花子も痛々しい。好きになった男は政治活動で投獄。好きでもない男と結婚し、その男も父親のような暴力的な男だった。好きだった男は出所した後、「詩を書く」と言い残して北の共和国へと旅立ち何の便りもないままだった。
仕方なく結婚した夫の暴力はやまず、弟からはうっとうしがられ、ついに自殺を選ぶ。葬式の場まで父親によってめちゃめちゃに破壊される(しかもその様がおかしいので気の毒だ)

女たちの中で一人気を吐くのは定子だ。金俊平のために男子が生まれるまで何人もの子供を生み、俊平の体が動かなくなったのを見て金を隠し、ののしってくる金俊平を思い切り叩きのめす。正直何の魅力もない定子だが、この時は見てて溜飲が下がる思いであった。ざまあみろ。
ついこちらも気が荒くなってしまうが、人間の欲望・醜さ・弱さをむき出しにして見せ付けてくるこの物語の中では体裁を整えてもしょうがない。

金俊平を兄と呼びつつ、その妻・李英姫に思いをよせる高信義もある意味情けない。病気のため放射線治療を受けて真っ黒になった英姫の手を取る姿は寂しいが、彼は何もできないのだ。

「血と骨」というのは息子のことだ。
最初の息子は若くしてちんぴらにあっさり殺されてしまった。

英姫との間の息子・正雄は姉・花子に「だんだん父親に似てきたわ」と言われる。彼もやはり金俊平のようになってしまうのだろうか。

もう一人の最後の息子は無理矢理父に連れられて朝鮮へと渡る。寒い共和国で黙々と地面に穴を掘り、寝たきりらしい父親が寝台の中で死んでしまっても何も言わず飯を口に運ぶ。大丈夫、金俊平の血骨はしっかり受け継がれているようだ。
舟でやって来た時の金俊平を演じた伊藤淳史がその役を演じている。
posted by フェイユイ at 01:07| Comment(0) | TrackBack(2) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月27日

「血と骨」崔洋一・前半

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さすがに引き込まれて観てしまう。原作を読んでいたので普通なら比較してどちらがいいとか言う話になるものだが、今回ばかりはどちらもすばらしく比較できるものではないと思っているところ。

金俊平なる父親像が恐ろしい。朝鮮・韓国における父権の脅威もあるだろうが、日本でも昔よく聞く話でこういういて欲しくない恐ろしいばかりの父親と言う存在があった。
子供たちにとっては尊敬も何も無い。ただ、消えて欲しいと望むばかりだ。私自身の父親は優しい人なので、我が身に重ねてみる事はできないが、友人の父でそういう片鱗を感じ取れる人はいたし、実際友人からはその辛さを聞いたものだ。金俊平ほどでないにしても。

父親としてだけでなく、夫としても隣人としても雇い人としても金貸しとしてもこれ以上の恐怖はない、といった感じの男性権力の権化のような男である。
蛆のわいた肉を食らい、酒を飲む。妻に対してのいたわりなど考えることなど決してない。そこにはただ性欲の捌け口と妻としての役割があるだけだ。

一体何故このような男が存在し、このような男を描かねばならないのだろうか。まるで反吐を吐くように小説も映画もこの男の有様を描いていく。これを吐き出さねば心の毒が抜けきらぬと言わんばかりだ。
金俊平が少しだけ優しいことをやってあげる女がいる。キヨコという若い女だ。こともあろうに妻の住む家の隣に女を住まわせ、性交を行う。が、それは結局は自分の子供が欲しい、という願望のためであってキヨコに子どもができないと知るや、たちまち乱暴を働くのだ。
が、キヨコは脳腫瘍のために体が不自由になってしまい、金俊平はキヨコの身体を盥に入れて洗ってやる。これは何だろう。子供が出来ない、と責めた女へのせめてもの償いなのだろうか。とは言え今まで酷い仕打ちばかりを見せ付けられたため、せいぜい自己満足のためとしか思えないが。

この恐ろしいマッチョ男を北野武がやる、と聞いた時は原作のイメージと大きく違ったため、驚いたものだ。だが、こうして観ていると、北野武がやったのはよかったと思う。時々、江戸っ子のたけちゃんが関西弁を話すのが難しそうで笑ったが、私が関西人ではないのでそう変には感じなかった。
鈴木京香はもう抜群にうまいですね。色っぽくて綺麗でしかもおかんの強さもあって、また弱さも見せて、これ以上はないくらいです。
オダギリジョーの息子役(金俊平が別の女に産ませた息子)もかっこよくもあざとくてみとれちゃいましたね。
新井浩文。暴力親父にどうしても勝てない息子を好演してます。子供時代が長いのでまだこれからですね。
そして最初に出てきた金俊平の若き日の役をした伊藤淳史。僅かの時間に印象深いです。
また、かまぼこ工場の職員で北村一輝が出てるのもうれしかったです。

何だろう、絶対に見たくないもの嗅ぎたくないもの味わいたくないものをどうしても試してみたくなるような気持ちで観ています。また明日も。後半。

日本に渡ってきた朝鮮・韓国人たちが見る大阪がもうもうと煙を上げる工場の見える海岸と言うのも象徴的である。
posted by フェイユイ at 00:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

「DEAD OR ALIVE 2〜逃亡者〜」かつて憧れた少年たちの友情の行方

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何と言っても見ていて恥ずかしくなるくらいの深い友情物語である。しかも二人ともこわもての。
小さな島の孤児院で育った少年ふたり、シュウとミズキ。ふたりは兄弟以上の強い絆で繋がっている。
そのうちの一人ミズキが引き取られて別れが訪れる。ミズキの引き取り人が死んでしまい、ミズキはうその手紙を送る「幸せに暮らしている」と。その嘘がばれて、シュウは孤児院を出る。ミズキを捜すために。ふたりよもとても可愛らしい少年である。その少年たちが出会えないまま、20数年がたってしまった。

可愛いミズキは哀川翔になり、ミズキを可愛がっていたシュウは竹内力になる。
ミズキは組長の狙撃を請け負う。が、組長の頭を打ち抜いたのはミズキではなく、側にいた幹部の男。その男こそミズキの親友シュウだった。
シュウはなぜか岡本ミズキを名乗っていた。ミズキの名前でシュウの顔写真が新聞に載った。
ふたりはなぜか故郷の島へ逃げた。ふたりはそこで再会したのだった。

ミズキは絵が上手くてたくさん絵を描いた(ミズキを引き取ったのは画家だった)シュウは再会する時までミズキが書いた絵を持っていた。その絵は黒い鳥と白い鳥を描いた物だった。それはシュウとミズキを現していた。

ふたりは孤児院仲間のコーへー(遠藤憲一)を訪ねる。小学校で怖い顔の3人が子供のように遊び戯れる様子が微笑ましい。コーへーは孤児院で一緒だったチイちゃんと結婚していた。チイちゃんのおなかは大きかった。

交通事故でお芝居ができなくなった劇団員の代わりにとんでもないお芝居をやって島の人たちを楽しませた後、ミズキはシュウに提案をする。実は俺は死んでもいいような奴を殺して300万もらってる。そしてその金で貧しい国の子供にワクチンを送る。死んでもいい奴一人の命で10万人の子供が助かる。一緒にやらねえか。
シュウは引き受けた。

シュウは病に侵されていた。隠れて大量の血を吐いていた。だが、ミズキが喜ぶなら、とシュウは黙って仕事を請けたのだった。

ふたりは黒い羽と白い羽根をつけて子供の姿になる。ふたりは天体望遠鏡を覗き込む男(田口トモロヲ)に出会う。男は空を指差す。そこには大きな彗星があった。歓声を上げるミズキ。黙って彗星を見つめるシュウ。天体観測男の目から一筋の涙がこぼれる。

少年たちの友情の物語をいくつも読んだ。それらはいつも切なくなるものだった。例えば宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のカンパネルラとジョバンニ。レイ・ブラッドベリ「誰かが道をやってくる」のジムとウィル。スティーブン・キング「スタンドバイミー」のゴーディとクリス。それらと同じようにシュウとミズキの友情は切ない。ふたりはもうおっさんの姿だが、ふたりが別れた時期が少年時代だったためにその時間は止まっており、ふたりは少年の姿になるのだ。

ふたりはワクチン代をどんどん稼いでいく。その中の一人にホストクラブの「馬波二郎」という男がいた。彼のナニは馬なみということで愛人の女はそのナニに頬ずりして泣いた(モザイクあり)3人の殺し屋がその様子をみている。そのうちの一人がエディソン・チャンである。(もう一人は魔裟斗である)

仕事のために屋上で標的が来るはずの部屋の窓を窺っているミズキとシュウ。だが、シュウはついに我慢できず、どっと血を吐いた「どこから血出してんの、いきなり」つぶやくミズキ。「俺の死に目に会いに来てくれたんだろ」「馬鹿このハゲ。病院へ行こう」叫ぶミズキ。「俺のためにワクチン代を使えるか。死んでもいい男というのは俺の事だよ」(涙出た)「ワクチン代!仕事だ」促されて窓を覗くと男女がこちらに尻を振ってふざけている「やば」気づいたときミズキの胸に弾が撃ち込まれた。あの3人組だ。激しい銃撃の応酬で皆傷ついた。再び撃とうとした時、ミズキの目には3人が子供に見えて撃てなかった。逆に撃たれるミズキ。それを見てシュウは3人を殺した。
血だらけのふたり。ミズキは突然「きつねうどん」と言った。故郷の島から本土へ行くときふたりは必ずきつねうどんを食べるのだった。

血だらけのふたりは島へ戻るため列車に乗った。出会った人が皆ふたりの身体を心配してくれる。それがうれしかった。
ふたりはフェリーに乗りきつねうどんを食べた。まず、麺と汁を全部たいらげてから「せーの」でおあげを食べる。そこでミズキは死んだ。
「いつも先に行きやがって」シュウはミズキを担ぎ上げ島の坂道をのぼった。ふたりは少年の姿になる「俺たちどうせ地獄行きだ」「少なくとも俺は落ちるな」「ま、そのときゃ一緒にいこや」

チイちゃんの出産がすんで、コーヘーは赤ん坊とチイちゃんを連れて我が家へ戻った。赤ん坊を寝かせふたりは幸せそうに笑った。

全く上手い構成である。もうすがすがしく泣かせていただきました。少年たちの美しい友情物語をおっかない顔のおっさんふたりでやると言うのが心憎いです。3で私が「これはきっと前のを見てたら笑うシーンなのだろう」と書いた翼のシーンもあってなるほどこれで感動できますね。そして2にも1を知ってて笑うべきシーンがあるようで、1を見た時笑う事にします。
少年友情物語はやはり来ますね。

昨日エンケンさんとだけ書いてしまったのは、遠藤憲一さんのことです。彼の顔も怖くて大好きです。脇役の出演作が山のようにあってとても見切れませんよね。変な映画を一杯見させていただきました。

そして。エディソン・チャン。リピート。リピート。かっこいいです、かわゆいです。20歳くらいの時ですか。勿体無いよ。ずっと見ていたいのに。誰かに犯されちゃいそうな美貌です(誰に?)

監督:三池崇史 出演:哀川翔、竹内力、エディソン・チャン、遠藤憲一、青田典子、田口トモロヲ、伊佐山ひろ子、大杉蓮、塚本晋也、魔裟斗  2000年制作
posted by フェイユイ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

DEAD OR ALIVE2〜逃亡者〜

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                     エディソンすてきだ

前回、間違って3を借りちまった間抜けな私ですが、今回2なのは間違いじゃなく「どうせ繋がりがあるわけじゃないらしいし、どーでもいいや」という投げやりな心とエディソン・チャンが出演、とあったので「イニシャルD」を見て以来、エヂが忘れ得ぬ人になってしまって(節操なし)どうしても顔が見たくて観てみた。

ちょっともう寝る時間なんで、今日はちょっとしか書かないが、感動してしまったよ。くく、泣いちゃったじゃないか、ばーろー。哀川翔のミズキと竹内力のシュウの深い友情に熱いものがこみ上げてしまったじゃないか。一番ぐっと来たのはシュウが隠していたのに血を吐いてしまって知らなかったミズキが「どこから血ィ出してんだよぉ」と叫ぶとこ。いや、笑ったんですがね。

そしてエンケンさん。お久し振り。エンケンさんが好きになって映画を観まくった時期がちょっとありました。変な映画ばかりだったけど(笑)でもまだまだほんのわずかだったですね。
しかしこの3人が出会うシーンは思わず「怖いよお」とつぶやいてしまいましたが。こんな顔の3人が集まってたら、即逃げます。

そしてエディソン(ぱあああ、花が咲いた音)なんてハンサムなんでしょ。他のが凄いから、ますますエヂがかっこよく見えますわ。「インファナルアフェア」ではそんなに特に好きではなかったのに、「イニシャルD」で凄くかっこよく見えて、この映画でもステキです。あーもっとたっぷり出て欲しかったなあ。でもめちゃくちゃかっこよく映してくれてたからよしとしましょう。あんまり出てたら、主役が可哀想ですし。しかし、本音を言うとこの時点でどのくらいの日本人がエディソンの魅力に気づいていたんでしょうか。よく三池監督使ってくれましたねえ。多謝。

また、明日しつこく書きます。
posted by フェイユイ at 00:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月29日

「ゲルマニウムの夜」公式サイト

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凄くステキなかたのように思える。

ずーっと前に書きっぱなしでいた「ゲルマニウムの夜」の記事に新しく情報コメントいただきました。

がるーさんから「ゲルマニウムの夜」公式サイトを教えていただいたのでここで改めて貼っておきます。

日本映画よく知らないので(ってどこの映画も半端にしか知らないのだが)説明が全然出来なくて申し訳ないのだが(苦笑)主人公の朧を演じる新井浩文さんって何だかいい感じですねー。期待しちゃいます。(ホントに「GO」観たのか、自分。ごめん。)

主人公・朧とただならぬ関係(男同士)になるジャンはどうなるのかなあと思ってたら名前がない。もしかしたらこの「トオル」と言うのがジャンになるのかしらん。だとしたら余計うれしいです(笑)(なんで?)(いやちょっと差別的発言になるので省略)もしかしてそうだったらその役の木村啓太さんってどんな方なのかなー。期待と妄想は膨らむばかりです。

「東京映画祭」では見られるようですが、地方在住者としては一般公開が知りたいですね。と言っても私の場合はDVDにならんと観れんが。

ほんとにがるーさん、ありがとうございました。

追記:申し訳ない。よく読まないうちに記事を書いてしまいました。この映画は一般上映される映画ではなかったのですね。
公式サイトによると「一角座」という一館でのみ公開されるのですね。最短でも6ヶ月は上映されるようですが。では、私はとても観るのは無理ですねー。勿論DVDなどになる予定はないのでしょうね?
ショックですが、仕方ない。どうぞ観られた方、ご報告ください。

長年の夢が一瞬で消えてしまったよ(涙)
posted by フェイユイ at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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