2006年08月25日

キム・ギドクと韓国映画界

悲しい。
キム・ギドク監督が韓国で異端児扱いされ観客も外国と違ってさっぱり入らない、という報道を聞いていても今まで全く甘く見ていた。そんなギドク監督がむしろかっこいいような気さえしていた。
が、事実はもっと深刻なものだったんだ。

一体なぜギドク監督の作品がそんなに韓国人に嫌われるのかが正直さっぱり判らないのだ。
彼の作品が残酷で性的描写も多いからとか言う。何故そんなことが言えるのか?とりあえず色々な韓国映画作品を観てきたけど私が観た感じでは他の作品の方がもっと残酷でスケベなモノがどっさりある。
ギドク監督の作品が嫌悪されるのはそういう他の一般韓国映画の興味本位の残酷さスケベさではなく人間の本質に迫ろうとする鋭さが原因なのではないのか。でもそれがなければただ面白おかしく人を驚かせればいいと言う風になっていくだけだ。
面白おかしい映画がいけないわけじゃない。むしろ私はおかしな映画が大好きだし。でもよりいいものを目指して懸命に映画作りに打ち込んできた韓国映画が当然の如く資本主義のハリウッド映画に沿ったものになっていくだけなのは空しくはないのか。
ギドク監督の凄さは人間の心の深みをえぐる事だけじゃなく低予算で映画を作ることに徹している事もある。自然、映像は荒っぽく感じられるがそれも不必要なCGに固執する映画よりよっぽど美しい。

韓国映画界の事をよく知りもせず書いている。
ただ韓国では映画界と言うのが国からも奨励されるほどで学校でしっかり技術を学んだ者が監督なり俳優なりになっているという印象がある。実際だからこそここまで韓国映画が面白くなったんだろう。
そういう意味でもギドク監督は異端児なのだ。しかもたいした学歴もないという。そういったこともいじめの原因になっているのではないか。(物凄い学歴社会だと聞くから)
韓国映画は面白い。ポン・ジュノ、パク・チャヌクといった監督たちが凄く好きだ。
だけどキム・ギドク監督の作品は違うのだ、少なくとも私にとって(賛同してくれる多くのファンがいると思う)
残酷性とか性描写とかはギドクが人間そして自分というものを探っていくうちにどうしても描かねばならない事柄なのだろう。
私にとっては他の映画より充分気を配ってそういった描写をしていると感じている。よく観てみれば不必要な描写はされてないのが判ると思う。

もう一つの彼の映画の魅力は他の男性監督(女性監督でも)では考えられないほど女性の目を通しての性や暴力を描いていると感じられることだ。
それは「うつせみ」や「青い門・悪い女」「サマリア」などには特に感じられることだ。こういった女性の感覚と言うのをなぜ男性のギドク監督が描けるのか(しかもなぜかマッチョの監督と言われているのに)

私にはこう言うしかできない。
「今はまだ韓国の人はキム・ギドクが判らないのだ。時間が必要なのだ。もう少し時がたてばきっと判る」
キム・ギドク監督の新作は「時間」というタイトルだ。私はまだ観る事ができないが倦怠期の恋人達が整形手術をすることで愛を取り戻そうとするのだと言う。だがそれはなかなかうまくいかないらしい(ラストは勿論知らない)

チェコの映画祭でギドク監督はアリランを歌ったという。ギドク監督が韓国を出たいわけがない。
ただ彼は「韓国映画界から引退する」と言っている。映画を作らなくなるわけでは決してないのだ。どこかで必ず作る、と言っているのだ。
でも祖国から出て行くという道しかないギドク監督が悲しい。

私達ファンはギドク監督が傷心を癒してまた映画を作ってくれる事を願うだけである。
自分の映画をゴミだ、と言うなんて物凄く落ち込んでいるのだろう。
ゴミどころかギドク監督の映画が美しいことを知っている者たちはたくさんいるのだと知って欲しい。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

今夜もキム・ギドク問題

キム・ギドク監督の『時間』、24日に全国公開

えー、この全国公開というのは韓国全国です。
昨日はばたばたと慌てて記事を書いてしまったのですが(今日もあまり状況はかわらないですが)これを読むと7日頃は新作「時間」に観客が集まればよし、と思っていたのにそれ以後監督が発言した「グエムル」批判に対しての反応がかなり酷いものだったのでしょうか。あれほど凄い作品をゴミだといい捨ててしまうのですから。そんな悲しい思いをしての突然の韓国映画界引退宣言となったのですね。

私はポン・ジュノ監督も大好きで「グエムル」も楽しみなわけですし(なにしろこのブログに並べて貼ってる)本当を言うとキム・ギドク監督にそういう発言をして欲しくはなかったものですが、だからと言ってギドク監督が嫌になるわけではありません(勿論、韓国語を理解する耳を持っていて監督の発言を聞いていたらどう思ったかは判りませんが)

昨日の記事で「サマリア」についてのアン・ソンギさんの言葉と言うのがあって(アン・ソンギも好きなんですが)『いったい父親が娘をどうやって殺せるのか』というものでした。
娘を殺してしまう父親は現実にたくさんいます、悲しいことですが。まさか韓国には一人もいなかったということはないでしょう?あの映画での父親の気持ちが理解できなかった、ということなら仕方ない、彼には理解できなかったのだ、としか言えません。

とりあえず新作「時間」は韓国で公開されることになったということですが、例え大入りになったとしてもギドク監督の気持ちはもう変わらないのでしょうか。
キム・ギドク監督の辛い気持ちを思いやる事も忘れ、「では一体次はどこでどんな作品を作るんだろうか」などとつい考えてしまう私はやはり冷酷非情な輩であります。

ラベル:キム・ギドク
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「韓国映画界の異端児」キム・ギドク監督が引退宣言!?

「韓国映画界の異端児」キム・ギドク監督が引退宣言!?
一体、キム・ギドク監督どうなってしまうんんだろう?

キム・ギドク監督「自分の映画はゴミのようなもの・・・」
って多くのファンは決してそんな事は思っていません。
ここまでになるほど彼は韓国で嫌われているのでしょうか?

一応、引退、と言っても韓国映画界からの、ということで受け取っていていいのですよね。
もう少し時間が必要なのでしょうか。(ああ、これ新作のタイトルだ)
ラベル:キム・ギドク
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2006年05月23日

海外では好評のキム・ギドク監督、母国では公開も危うい状況

時間.jpg

相変わらず大変ですね、この記事によると。キム・ギドク監督の顔が沈んでますー。
海外では高い評価を受けながらも自国では公開もままならないとは。

何も言えませんがこの状態のせいで映画が作れなくなったら困ります。
しっかし一体どういう内容なんだろうか?整形手術で愛を確認していくって・・・想像できない。

追記:なんとか韓国で公開されるようです。が監督自身はご不満の様子。
posted by フェイユイ at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月06日

「うつせみ」宣伝その3

ジェヒとイ・スンヨンが表現する静かな時間をみてください。

うつせみi.jpgうつせみ.jpgうつせみj.jpg
posted by フェイユイ at 18:41| Comment(9) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月05日

今夜もうつせみ宣伝します

とろけてしまいそうに官能的な映画です。
イ・スンヨンとジェヒの美しい映像をご覧ください。
 
うつせみg.jpgうつせみe.jpgうつせみf.jpgうつせみg.jpg

「うつせみ 3−Iron(空き家)」2006年1月24日記事
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2006年03月04日

「うつせみ」を宣伝する

「うつせみ」宣伝。かっこいい男の子(ジェヒ)が出ておりますぞ。奥様も美女(イ・スンヨン)です。キム・ギドクの最も洗練された美しい映画だと思います。

うつせみa.jpgうつせみb.jpgうつせみc.jpgうつせみd.jpg

綺麗だなあ。夢か現か。

「うつせみ 3−Iron(空き家)」2006年1月24日記事
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2006年02月10日

「Cut」2004年11月号を読む キム・ギドク「うつせみ」のことも

「Cut」2004年11月号 NO.172「いまこそ、アジア映画に溺れる」を読んだ。

表紙は「2046」に関連して木村拓哉とフェイ・ウォンとトニー・レオン。そしてアジア映画ベスト20なるものが選出されている。20位の「欲望の街・古惑仔T銅鑼湾の疾風」から10位に「オールドボーイ」9位が「少林サッカー」(こちらが上なわけね。私は賛成だが)4位が「殺人の追憶」で3位「さらば、わが愛/覇王別姫」そして1位が「ブエノスアイレス」(大賛成)となっている。その次のページがレスリーの特集。うれしいね。

で、これには「キム・ギドクと行定勲の対談が載っているのだ。この雑誌は11月号なので発売されたのは10月だろうか?私はまだキム・ギドクの名前を知らない。彼の名を知ったのは2005年1月なのだ。
とても興味深い対談なのだが、もうすでにここに答えと言うべき言葉が記されていたのだね。
行定監督「女優さんが非常に危ういんですよね。バランスのとれていない感じが」
ギドク監督「そういわれてみるといつも非常に危うい、そして悲しい、バランスのとれていない、そういう女性を描いてきたかなって気がしますね」
行定「そういう女性が好きなんですか(笑)」
ギド「そうかもしれない。で、自分も一緒にそういった危うい状況に陥りたいと思っているのかもしれません」
なるほど。それなら私がいつもギドク監督の映画を観てこの主人公の女性は監督自身ではないのか、と思えてならなかったのは当然のことでしたね。

そしてここにはすでに「男性からは嫌われる。韓国でのギドクファンは80%が女性」と言うのも頷けますね。また「女性評論家やフェミニストから非難されますが、一般の女性からはむしろ好かれています」さもあらん。
ギドク映画は女性のためのもっとも女性的映画だと感じるからです。あれを見て感情移入できる男性はなかなか女性的な神経をもっておられるはずですね。

そしてギドク監督は結局女性は母であり、男性は子供である、と考えているために韓国では受け入れられない、ということらしい。
なるほど父権が非常に強固な韓国と母性が強い日本のどちらで受け入れられるかというと日本人の方がギドク映画はすんなり理解しやすいと考えられますね。こんなに父親が嫌いな人もそういない。

また、この時点でもう「うつせみ(空き家)」は存在していたようで、ギドク監督は「ぼくもいつかは自分のテーマをしっかり伝えながらも大衆に喜んでもらえるような映画を作っていきたいし、「3番アイアン(「うつせみ」のことです)」は少しそういう側面を持った映画じゃないかと思っているんですけど」
おお。確かに。韓国以外の国では大ヒット(欧米でね)日本でも売れて欲しい。

まあ、突然何を言ってるか、と思われた方はどうぞカテゴリ「キム・ギドク」を覗いていただいてもらえると私がぶつぶつだらだら書いておりますので。
posted by フェイユイ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

「うつせみ 3−Iron(空き家)」

うつせみ3-Iron.jpg

「うつせみ 3−Iron(空き家)」は私がキム・ギドク作品で一番最初に観た作品になる。この時、キム・ギドク監督のことを全く知らなかったので白紙の状態でこれを観れた。それは本当に幸運だったと思う。最初に他の作品を観たり、彼についての情報が入っていたら印象はまた違うものになっていたに違いないからだ。とは言え、他の作品を観ていたとしても(そしてその評価がいいにしろ悪いにしろ)この作品を是非観て欲しい。

この作品を初めて観た時、大きな衝撃を受けた。それはギドク監督の他の作品のようなどぎつい暴力や性描写のためではない。なぜならこの作品にはこれまでのような人をはねつける様なあくどさはないからだ。だが、その心の中に忍び込んでくる映像の鋭さは今思い返してみれば何ら変わるところはないのだ。

この映画を観出して気づいたのは「とても不思議な映画だが、そこに映し出されていくものは全て感覚的なものの羅列ではなく、全てに意味がある」ということ。彼の映画で表現されているものは決して難しい事ではない。だが人によっては違った観察をしていくのかもしれない。

ここでの主人公は中年の女性である。とても美しいが、夫からは理不尽な暴力を受けている。彼女に自由はない。彼女に自己投影できるかでも随分変わってくるだろう。あるいはオートバイに乗って登場する不思議な青年に。あるいは妻に暴力を振るう事でしか感情を表現できない中年の男に。

私は主人公の女にするりと入り込んでしまった。この物語は彼女の夢なのか。夫から暴力を受け生活には倦怠しか感じていない。突然、彼女の生活に忍び込んできた美しい青年。彼には言葉がない。それも彼が実際には存在していないからなのだろうか。それとも最初の出会いはあったのかもしれない。人妻である彼女は青年のオートバイの後ろに乗って倦怠から逃走した。
二人が行ったのは留守の他人の家に入り込みそこで食事をし、眠ること。それはいつ見つかって捕まるかもしれない緊張感に満ちている。
ついに二人は警察に捕まる。女は夫の元に戻され青年は牢に送られる。果たしてそうなのか。夫は自分の所有物である妻を誘惑した青年を死に至らしめたのではないか。では女の前に現れる青年は本物なのか。青年は自らの気配を絶ち、人がいるところに忍び込んでももう気づかれる事もない。彼はいるのだろうか。
女は夫の後ろに青年の姿を見る。そしてささやく「愛している」
夫は勘違いして妻を抱きしめるが妻が口づけを与えて求めているのは見えない青年になのだ。
そうだ。もしかしたらこれは夫の想像の世界なのかもしれない。近所をうろつく青年の姿を見て夫は美しい妻と青年の逃避行を空想してしまったのかもしれない。

夫が仕事に出かけ、女はそれを見送ってから青年を探す。青年を捕まえ抱きしめる。二人は抱き合ったまま体重計に乗る。その針はゼロを指している。二人はもうこの世界にはいないのだろう。

キム・ギドク監督の演出法は丁寧だ。出だしから夫は女の彫像に向けてゴルフボールを打ち込んでいる。この映画の中で最も危険な凶器はゴルフボールになっている。夫が常に妻に対して暴力をふるっている事を示している。
青年は他人の家の鍵を開けることができる。これは青年が閉じられた女の心を開けることを暗示している。青年が入り込んだ家の壁にキリストの絵が飾られている。これは青年が彼女を救う人である事を。中で洗濯をしたり壊れたものを修理する事もまた同様だ。こうやって物語はセリフではなしに映し出される物や行動で表現されていく。私は映画を殆ど読むことができない英語字幕でのみ観たのだが、理解するのは困難ではないと思う。

しかし青年の美しい裸体を見せるなど、他の作品を観てから思うとこの映画はギドク作品の中でもやはり特別だ。青年は凶器であるゴルフボールをそっと転がす事で女の心を慰める。同じボールで夫を痛めつけ、自分も痛めつけられ、再び警察官を痛めつける。またそのボールで他人をも傷つけてしまう。この映画の英語タイトルになっている所以だ。

ほぼ以前書いたことの繰り返しになってしまうが、この物語の中で女の心の破壊と再生が行われる。それは彼女を写した写真家の家に貼られた写真によって現される。裸の女の写真がばらばらに切られてめちゃくちゃに貼られている。青年とずっと過ごした後にその姿は殆ど正常な位置に戻っている。そして最後にその姿は青年によって盗まれてしまう。

キム・ギドクの他の映画を観た後で見直すとその映像の美しさや洗練された演出によりいっそう惹かれる。過激さがないと誹謗するのは間違いだろう。私はずっと観てきてこの映画が以前に語られていたものと変わってはいないと思う。
ただ、主人公の女が青年との逢瀬を偲んで再び訪れる古い家の小さいが美しい庭のように、そこにある睡蓮の咲く透明な水のように、女が横たわって眠った長椅子のように心を静かに休ませてくれる安らぎは今までの映画には見つけにくいものなのかもしれない。

私はこれを観てどこまでが現実で夢なのか解らないし解らなくてもいいように思えた。そして心の奥を探って治療を受け静かに目覚めたような思いがしたのだ。

監督:キム・ギドク 出演:イ・スンヨン、ジェヒ 2004年製作

私が最初に書いた記事を参考までに 前半 後半 さらに 謎の青年 キム・ギドクの夜

ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 23:17| Comment(13) | TrackBack(13) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

キム・ギドク「3-iron」は邦題「うつせみ」で今年春上映

うつせみ.jpg

しまねこさんからのコメントによる情報。キム・ギドク監督「3-iron」(仮題・空き家)は「うつせみ」という邦題で2006年春に上映されるそうです。しまねこさん、ありがとうございます。

いやあもう教えていただかないと全く巷の情報を知らない私でございます。今後とも皆様のお引き立てよろしくお願いいたしまする。
何はともあれほっとしました。
「うつせみ」ですか。はー。ずっと「空き家」と書いてたのでまだ馴染めませんなー。まるで源氏物語のようです。(「空き家」のほうがストレートでよかったような、ぶちぶち)
と言っても凄く不思議な雰囲気を持ついい映画なのです。是非是非これまでキム・ギドクを観てなかった方、ちょっと拒否していた方にも観ていただきたいです!
私もまた見直して気分を高めていきたいものです(笑)

「うつせみ 3-IRON 」←まあ、こんな紹介なども

尚且つ、私が昔書いた記事なども 前半 後半 さらに 謎の青年 キム・ギドクの夜
posted by フェイユイ at 15:47| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月20日

キム・ギドク「うつせみ(空き家 3-iron)」

今更、ナンですがキム・ギドク監督「うつせみ(空き家 3-iron)」のご紹介を。

見てみてください。きちゃうなあ。

こちらもごらんいただければ幸いです。→「うつせみ 3−Iron(空き家)」1月24日記事
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2006年01月19日

キム・ギドクの「うつせみ(空き家)」全世界22カ国で絶賛上映中

空き家a.jpg

キム・ギドクの「うつせみ(空き家)」全世界22カ国で絶賛上映中

だそうなんですけどね。日本ではまだ上映されてないんですよね?今年上映の予定なんでしょうか?んんー、遅いですね!
私が韓国版DVDで観てからもうどのくらい時間がたったでしょうか。凄くいい映画なので早くみんなにも観て欲しいんですけどね(このブログにも記事書いてるけど例によってストーリー全部書いてるし)

しかし相変わらず韓国外では凄い人気ですね(笑)
posted by フェイユイ at 18:21| Comment(6) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

キム・ギドク監督、ソン・ヒョナ&ハ・ジョンウと13番本目の作品『タイム』を撮影

キム・ギドク監督、ソン・ヒョナ&ハ・ジョンウと13番本目の作品『タイム』を撮影

ということですね。おや、なんだか以前聞いた話とはちょいと違うような気も(笑)どちらにしても楽しみです。

ソン・ヒョナさん、美人ですねー。
posted by フェイユイ at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月14日

「美人ゆえの不幸」・キム・ギドク次回作

キム・ギドク監督の次回作のテーマは「美人ゆえの不幸」ということです。
 
はー。まったく想像がつきません。ギドク監督のことですから、あたりまえじゃないだろうしね。今はただ楽しみに待つのみ、ですか。

また、「映画祭用の監督にはなりたくない」そうです。これもまた難しいですねー。やはり観客を集めたいならそれなりに客よせの要素が必要だと思うし。かといってキム・ギドク監督がミーハーになれると思えないし。なって欲しくもないしね。いっそ、イ・ビョンホンとか使ってみるとか?(ナンテナ(^_^;)
posted by フェイユイ at 17:55| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月28日

韓国で青少年が選んだ人気の映画人

韓国で青少年が選んだ人気の映画人にキム・ギドク監督が選ばれました。ほほお、やはりアウトサイダーな感じが受けるのでしょうか?
女優さんはムン・グニョン。私的には「箪笥」の妹役で拝見しましたが、お姉さんに守ってもらわないといけない人見知りの可愛いイメージです。(気が強いという印象がある韓国女性には珍しいような)これはやはり萌え的見地からの選抜でしょうか。俳優部門=チェ・ミンシクはいいとしてアン・ソンギ=元老部門って(笑)韓国語を直訳するとこの言葉になるのでしょうか。私がこの前、自分流映画賞を決めたときは思いつかなかったなあ。元老部門も考えとこう。

大韓民国青少年映画祭ってあるのですね。
posted by フェイユイ at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

キム・ギドク「空き家」台湾でも好成績

iron3.jpg

映画「空き家」が台湾で公開された韓国映画で最も高い興行成績を記録している、という箇所を読んでもらいたくて引っ張ってきました(笑)すばらしい!一体日本はいつになったら「空き家」公開するのだー???
「甘い人生」あまり人気なかったみたいですね。私的にはよかったですが。
posted by フェイユイ at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月02日

「弓(The Bow)」Xキム・ギドク

もしかしたら、私は何かを探ろうと思いすぎたのかもしれない。
もう少し単純にこの映画を考えてみようと思う。

海の上に浮かぶ古びた船。そこに老人と少女が10年間、陸に上がる事もなく暮らしている。二人は釣り客を連れてきてその船で釣りをさせて暮らしている。老人は少女が17歳になると結婚しようと望んでいる。

まったくお伽話のようだ。しかし、少女は青年の出現で変わっていく。青年にMDで音楽を聞かせてもらい、遠い世界を思う。
青年もまた少女をこの異常な船だけの生活から助け出したいと考え老人を説得する。老人は承諾せず、青年を愛用の弓矢で射ようとする。また老人はその弓矢で音楽を奏でる。胡弓のように。
青年は少女を連れ去ろうとする。老人は死をもって少女を取り戻そうと考え、少女は結婚を決意する。結婚式の後、老人は天に向かって矢を放つ。そして自殺する。矢は眠る少女の股の間に刺さり、少女のスカートは血で染まる。
青年は少女を連れて帰る。

これはやはりお伽話なのだ。その中にキム・ギドクは自分の苦しみや悲しみを織り込んでいるのだし、観る者も自分の苦しみをその中に見出すのだ。

少女は老人を恨む時、青年のMDに耳をすますが、老人と別れた後、老人が奏でていた弓に当てていた鼓のようなものに耳をあて聞こえぬ音楽を聴いている。

とても不思議な心に残る映画なのだ。様々な場面を思い出してはそれが何を意味するのか、考えていきたい。

追記:後日、中国ドラマ「西太后の紫禁城」を見ていると婚礼のシーンがありまして、花婿が、花嫁の乗る輿に向かって弓矢を射る儀式を行う、というものだったのです。
勿論、これは中国・北京の話でキム・ギドクは韓国なのですが、もしかしたらそういった意味というのがあるのでしょうか。
映画「弓」でのそのシーンは単に男性の性的表現として演出されたのだと思っていましたので、結婚という儀式の意味あいがあるのだとしたらより納得できると思います。
また、この「西太后の紫禁城」ではその後、花嫁が火を飛び越える儀式も用意されていて(ドラマではためらってできなかったのですが)日本の「潮騒」で男性が女性に火を飛び越えて来い、というのも結婚の意味があったのかしら、と思ったものでした。
posted by フェイユイ at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月01日

「弓(The Bow)」Wキム・ギドク

言葉による説明がない為にこの映画をどう読み取るのか、観る者によってまったく違うことでしょう。
老人として観るのか、少女になって観るのか、あるいは青年の立場で観るのか。作り手のキム・ギドクも視点が一つではなくある時は老人にある時は少女になっているのでしょう。

昨日の話を少し戻します。
初めて少女に反抗をされた老人はがっくりと来てしまいます。それまで大事に育ててきたものが、あと少しで自分のものに出来る宝物が突然やってきた別の男に持っていかれてしまいそうなのですから。
老人はいらだつ心で自分と同じように古ぼけてしまった船のエンジンを修理しようとしますが、年老いてしまったエンジンはなかなか動き出してはくれません。それは自分そのもののようで老人はさらにいらだち、エンジンを壊そうと叩きだします。だが、破片が自分の額を傷つけてしまうのです。
これを見てそれまで怒っていた少女が急に老人に同情し、優しくハンカチで血をふき取ろうとしますが逆に老人は怒って少女を叩きます。

青年は老人に自分たちを占って欲しいと頼みます。あの少女を傷つけるかもしれない占いで。だが今度は、もう老人も少女も互いを信じる心がないのです。少女は恐れ、老人も恐れています。老人は動揺し、ためらっています。矢は少女を貫くかのように思えます。3回目で青年は少女のブランコを止めてしまいます。

青年は少女を連れて船を出る事を老人に告げます。老人は死を覚悟に少女を引き止めました。なすすべもない青年の前で少女と老人は結婚式をあげます。そして二人は小さい方の船に乗って大きい方の船を離れます。大きい船に青年は取り残されています。

この時の少女の表情は何を表しているのでしょう。うっすらと笑みを浮かべているようではありますが、かといって心から喜んでいるとも見えません。
しばらく船を進めたところで、老人は少女の結婚衣装を静かに取っていきます。かんざし、頬につけた赤い飾り、上着を脱がせて少女を白い下着姿にさせたところで、老人は弓の楽器で音楽を奏でます。少女はじっと聞いていたのですが眠くなったのか横になってしまいます。それを見て老人は楽器を弓に戻し、ゆっくりと少女に弓矢を向けるのです。今にも矢が放たれそうにになった時、老人は矢を天に向けて放ちます。
そして老人は黙ったまま海に身を投じます。

少女を眠らせたまま小船は青年の乗っている船に戻っていきます。青年は小船に下着姿の少女が眠っているのを見ます。老人の姿はありません。
青年が驚いて見つめる中で眠ったままの少女が脚を広げてまるで男性を受け入れるかのように動き出します。これはどうした事でしょうか。霊となった老人が少女の身体に戻ってきたのでしょうか。と見る間に天から矢が降ってきて少女の脚の間に刺さります。矢は老人の放ったものなのですから、老人そのものを表しているのでしょう。青年が慌てて少女を抱き起こそうとすると少女は感極まったように声を上げ、青年を抱きしめます。
青年がはっと気づくと少女の脚の間の矢から血が染み出ているのです。しかし少女はにっこりと笑って矢を抜きました。

今度は小さな船に青年が少女を乗せて大きな船を離れます。少女が離れるとエンジンが動かないはずの舟が動きだしたのです。老人がまた少女を追っているのでしょう。が、それも束の間、船は止まりました。少女は今まで暮らしていた船に向かって手を振ります。船は静かに海の中に沈んでいきました。
ここでの少女はやっと笑っているかのように思えます。だけどもやはり説明はないので、少女の心は解らないのです。

最後に言葉が書かれます。
「力強く美しい音は張り詰めた弓のようなもの。死んでしまうその日まで私はそんな風に生きたい」
これは誰の言葉なのでしょうか。
やはりここで私は少女に思いを託したキム・ギドク自信の言葉だと思います。キム・ギドクはこの映画で自らの苦しみを振り払うことができたのでしょうか。少女のように微笑んでさようならと言えたのでしょうか。
ずっと恨み続けた父親から解き放たれることができたなら彼がこの映画を撮った意義はあるのです。

さてでは観客である私はどう思ったのか、上手く言えないのです。まだ。

少女が狭い船の上で誰にも会えず、何をするでもなく過ごす日々に飛行機が上空を飛んでいきます。青い空を飛んでいく飛行機を見て少女の心がどこかへ行きたいとはっきりとは解らないけど求めている気持ちが私が最も自分を投影できた場面です。
posted by フェイユイ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月31日

「弓(The Bow)」Vキム・ギドク

はてさて私は一体何を言おうとしているのでしょうか。自分でもよく解りません。あえてまた断っておくならここで書いていることは独断としか言いようのないものです。まだ手がかりとなる情報もないし、あるのは一枚の韓国語と英文によるDVDだけ。韓国語は解らず、乏しい英語読解力だけで会話を読み取っているのでいつもながら、勘違いしている事が多々あると思いますが、どうぞご了承ください。しかしいつもながらキム・ギドク監督の映画はセリフよりも映像で見せる表現をとっておられるので言葉がわからないものには大変親切な映画なのです。

この映画は孤独な老人とともに暮らす少女の愛の物語です。だけどハン・ヨルム演じる少女はまったく言葉を話さないので自然その心理は全て表情から読み取る事になります。それは老人も同じでこの二人には言葉と言うものがナイのです。何故なのでしょうか。

最初少女は他の男に興味は示していても老人を特に嫌っているようには見えません。「愛している」とは見えませんが、「従順」という言葉が当てはまるように思えます。
もしかしたらこの映画が宣伝される時は「老人と少女の許されない愛の物語」と言うような言葉が付されるのかもしれません。が、私にはやはりどうしても父と娘にしか見えてこないのです。しかも私には少女の方がキム・ギドクなのです。「キム・ギドクの世界」という著書には彼がどんなに父親を恐れ憎んでいたかが書かれています。何万回も朝鮮戦争の話を聞かされ、またひどい暴力を受けたかを。しかも幼いキム・ギドクは父親を憎む事すら恐ろしくてできなかった、という哀しさを切々と訴えています。なぜ彼はこれをそのまま映画にせず、少女を介して語ろうとしているのでしょうか。

この映画はいくつかの面を持っています。一つはお伽話。「孤独な魔王(老人)が美しい姫(少女)をさらってきて自分の妻にしようとしている。姫は幼い時から魔王に育てられたのでそれが運命と信じて疑わない。だが一人の若い王子(青年)の出現によって姫は目覚め、王子とともに魔王を殺して幸せになる」
もしくは頭のおかしな老人がロリコンで、少女をさらってきて自分の欲望のままに犯そうとした。少女は何も解らなかったのでそれでもいいと思っていた。
もしくはこれは年齢を超えた純粋な愛のドラマなのである。青年は凡庸な世間を表している。
もしくはこれはキム・ギドクの心を表している。俺は本当は父親が憎い。俺を縛って自分の欲求不満の捌け口にした。だがそれをそのまま映画にするのはまだ怖くてできない。自分を少女に変えて老人がさらってきて欲望の捌け口にする、と言う話にすりかえようか。
こういった思いがプリズムのように様々な色合いをみせるので、はっきり一つの話が浮かんでこないような気がするのです。

こういう風に言うとこの映画で私がキム・ギドクに何かしら不満を持ってしまったかのように読めるかもしれません。しかし、幼い頃、父親によって受けた傷をそのまま映像にするというのが怖いというのは人間として当然のことと思いますし、それでもこの映画が父親に対する憎悪というものを一番表しているのではないかと感じます。

少女が青年を好きになり、老人から嫉妬を受けて初めて反抗心を持つ。この時。キム・ギドクは多分彼自身はできなかった父親への反抗を少女にさせている。この時の少女はまったく老人を憎んでおり、弓矢で老人を(当たりはしないが)射ることすらしてしまうのだ。老人は驚き、愛する少女が自分の手から離れてしまう事を恐れる。
青年は少女が誘拐され老人の自分勝手から誰とも会えない船の生活を強いられている事を弾劾する。
青年は少女を連れ帰ろうとし、老人は失意で自らの首にロープを結わえ、その先が少女と青年が乗る船に括られている。従って老人は首を絞められもう少しで死のうとする。だが老人は届く所にナイフを置いており、ロープを切断しようとする。だがそれより早く少女はそれに気づき、すぐさま老人の下に帰る。老人は命を懸けようとした綱を切りかけたナイフをすかさず隠す(なぜ?)
こうして青年は少女を救う事はできなかったのだ。老人と少女は結婚式を始める。青年はもう何も言わない。ただじっと二人を見つめているだけなのだ。

しかし話すのも気の毒な事なのだが、この話は日本でのあの少女誘拐事件をどうしても思い出させる。幼い時から10年間、若くて可愛らしい時期を一つの狭い部屋で生きなければいけなかった少女を思うとどうしてもこの映画の老人をまともに見れないのだ。キム・ギドクは父親にそれと同じだけの憎しみを持っている、ということなのだろうか。
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「弓(The Bow)」Uキム・ギドク

さて、あてどない旅は続きます。この映画は単純に考えるなら「サマリア」のもうひとつの物語なのでしょうか。少女との結婚を考えている老人は単に娘を見張っている父親なのかもしれません。
少女の前には色々な男たちが訪れますが、少女自信は決して男たちを嫌ったり恐れたりはしていないのです。老人は好色な目で少女を見る男たちを理不尽にも矢で射るのです。
だが不思議なのは老人が大事なはずの少女に向かっても「占い」と称して矢を放つ事です。一つ間違えば命さえ落としかねない行動です。
その時昨日言ったロメーン・ブルックスの「陵辱された女」の絵を思いだしました。この絵は美しい痩せた若い女性が海辺と思える場所で杭に裸で縛られているのです。反対側に何か醜悪な感じのする侏儒がまさに女性に向かって矢を放った瞬間を描いているものです。女性は恐れるでもなく何か仕方がない、とあきらめた表情です。侏儒が何を示しているのかは博学な澁澤龍彦さんも「何の象徴であろうか」と言われているので私にはこの絵が何を示したものかはわからない。ただ、キム・ギドクの「弓」を観てこの絵を思い出してしまった。やってくる男たち、特に少女が好意を持った若者に対して激しく嫉妬する老人はこの侏儒そのものではないか。
少女に対して矢を放つ事も少女はずっと甘んじてきたのですが、決して当たり前の行為というわけはないはずです。少女は老人に対して今まで疑問というものを持たなかったのに、若者に恋をした瞬間から老人がただの醜い存在になってしまうのです。
老人は狼狽します。お風呂にもいれ、花嫁道具もそろえてやった娘が反抗するとは。
老人は毎日一つずつ消していたカレンダーの日付を慌てて数日まとめて消してしまいます。早く結婚の日が来るように。夜の空に向かって弓で音楽をかなでもしますが、それは今までの音とはまったく違うものでした。

ここでまた一つ考える事があります。キム・ギドクは男性ですから、普通に考えれば、年齢もかなり老年に近寄っていっているわけですし、確か娘さんがおられるはずなのでごく当たり前にに父親よりに見てもいいはずです。だけどキム・ギドクの映画はいつも女性の側に目があります。ここでも見ているのは少女の目だと感じます。少女が老人に頼っており、男たちと仲良くなり次第に老人を疎ましく見てしまうのです。
キム・ギドクには非常に厳しい父親がいて彼は父親の存在を恐怖と憎悪で見ていたと書いています。キム・ギドクが父親でありながら、同時に少女の立場でもあると感じるのはおかしいでしょうか。私にはどの映画を観ても彼は少女の目で見ている、と感じさせられるのですが。
posted by フェイユイ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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