2005年08月29日

「弓 (The Bow)」Tキム・ギドク

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この映画の弓矢と言うわけではありません。

今、なんと書いていっていいか、まだ悩んでいます。大体私はさっとひらめく頭じゃないので。それにゆっくり観て考えたい気持ちもあるので少しずつ書いていこうか、と思っています。

この映画はすぐ観終えてしまいました。いつものようにひどく人を惹きつける映画なので夢中になって観ました。この飽きさせない観せ方というのは何なのでしょう。
この映画を観て最初に思い出したのはロメーン・ブルックスの「陵辱された女」という題の絵。写真を探したが見つからず。私は澁澤龍彦氏の「幻想の彼方へ」で見たのだけれど。

かなり古びた船に一人の老人(チョン・ソンファン)と16歳の少女(ハン・ヨルム)が暮らしている。彼らは釣り人(男性ばかり)をもう一つの小さい船で運んできては釣りをさせて生計をたてている。釣り人は可愛らしい少女にちょっかいを出さずにはいられない。その度に老人は船の操縦室から弓矢を射ては客人を脅かすのだ。
客の一人が老人に「占いをしてくれ」と言い出す。老人は少女に手首に5色の細い布を巻きつけて船から垂らされたブランコに乗せる。少女のブランコが揺れている船の側面には仏様の絵が描かれている。
釣り客があっと驚く間に老人はもう一つの小さな船からブランコで揺れる少女の身体に当たるのかというすれすれを通って船に書かれた仏の身体を射抜くのだった。矢は3本放たれ、終わると少女は矢を抜き取って老人の耳元に何事かをささやく。うなづいた老人がさらに占いを頼んだ客の耳元でささやくのだ。この不思議な占いは何を意味しているのだろう。少なくとも少女の生命もしくは身体を損ねてしまうかも知れない危険な占いだ。まさかこんな占いはこの世にはないと思うのだが。

釣り人たちは噂する。あの娘は7歳からこの船にあの老人と住んでいる。老人はどうやらあの娘と結婚するようだ。

夜になると老人は昼間男たちを射た弓矢を楽器に変えて音楽を奏でるのだ。
老人は少女の身体をたらいで洗ってやり、カレンダーに5月12日を「結婚」の日と記して(今は2月なのだが)その日までをかけ印で消していくのを楽しみにしている。そして2段式ベッドの上から下で眠る少女の手を握る事を楽しみにしているのだ。

老人が釣り客を連れてくるのを待つ間、少女は一人きりでご飯を食べ、弓矢や音楽の練習をし、ブランコに乗る。何事もないがそれなりに穏やかな日々が過ぎていったのだ。

老人はその間にも少しずつ結婚式の衣装などを買い揃えて一人微笑むのだった。

ある時2人組みの釣り客が礼によって少女にいやらしい事をしようとするが老人にすぐ見咎められ、矢を射られる。頭にきた二人は老人を縄で縛って少女を追い詰める。だが、少女は慣れた船の中を逃げ回り、逆に男たちを追い詰め矢を放った。矢は男たちの脚を射止めた。少女は嫌らしい男たちを懲らしめてにやりと笑う。

だが、そんな老人と少女の船の生活は、一人の若い男の釣り客がやってきたことから変わってしまうのだった。

もう一度観てみたが、海に浮かぶ古ぼけた船と横に寄り添う小さな船はそのまま老人と少女を表しているのだろう。老人の身体の如く船のエンジンはいつも止まってしまい修理しようとしてもなかなか動き出さない。あちこちが古ぼけてはげてしまっているのだ。
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2005年08月24日

キム・ギドク「空き家」が2005年度最高映画に!

キム・ギドク監督の「空き家」が国際批評家連盟(FIPRESCI)により「2005年度最高映画」に選ばれました!

すばらしいですね!あの作品ならその評価もまったくうなづけることではありますが。まずはめでたい。
ところで、映画館に観に行かない私としても気になり続けている「空き家」の日本公開はまだなんですよね。どうしてなのか、さっぱりわかりません。これを機に少し早めていただけませんか?勿体無い、と思うのですよねえ。
posted by フェイユイ at 19:33| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月07日

キム・ギドク「弓(The Bow)」がいよいよ!

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どんなに待ったことか!キム・ギドクの「弓」がyesasiaでとうとう発売です!

ストーリーをちょっと読んだだけでも何だか意味ありげでおもしろそうです。「サマリア」で可愛い笑顔を見せてくれたハン・ヨルムが主役で出てますのでファンになられた方は必見ですね。

しかし相変わらず外国での評価は高いのに地元ではいまいちぱっとしない興行成績のようだ、と聞いたが本当でしょうか。勿体無い。
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2005年07月17日

「コーストガード」再び

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大好きなキム・ギドクの中で唯一激しく嫌悪感を覚えてしまった作品「コーストガード」を見直してみた。もしかしたら最初に気づかなかった何かがあるのでは、とも思った。
が、やはりこの映画から発せられるキム・ギドク自身の怨念というものがすさまじくてこの映画を愛する気にはなれない。

それでいいのではないかと思う。キム・ギドク監督はそう思って欲しいとこの映画を作ったのだ、と感じるからだ。

勿論、この映画への嫌悪、と言うのはその哀しい行き場のない憤りをそのまま自分自身も感じてしまうからこそ起きてくる感情であって、描き方ということではない。キム・ギドクはわざと生でこの現実を描いている。見る人が嫌悪感を持つようにと。

この映画はいつも有刺鉄線で遮断されている。人々の心のふれあいを許さない。触れれば血を流してしまうこのおぞましい鉄線が見るものの目を刺す。有刺鉄線で囲まれた小さな空間でボクシングをやっている兵士たち。ほんの少し動けば身体に突き刺さる恐怖感。

元は一つの国だった。愛し合う同胞、親戚、友人であった。それが今は海岸線に鉄柵が張り巡らされ、侵入者は撃ち殺されるのだ。その相手は同じ言葉・同じ血の民族であるのに。

主人公・カン上等兵(チャン・ドンゴン)は最初、熱心な、常軌を逸したとさえ思える献身的な兵士である。他の兵士が遊んでいる時にすら、顔に保護色を塗り、いつ敵が攻めてきてもいいように訓練を怠らない。その熱心さゆえに立ち入り禁止区域に入った民間人を撃ち殺してしまう。そのとたん、彼の精神は正常に戻ってしまった。

それまでの彼は勇敢で堂々としており、腕っぷしも強く、銃の扱いも優れている。敵を攻撃することにためらいはなかった。それが彼の願いどおり、侵入者を撃ち殺したとたん、彼はみすぼらしくおどおどと怯えているのだ。軍から表彰される勇者に相応しい落ち着きはない。

彼は褒め称えられはしない。殺してしまった家族からののしられ、石を投げられ、その恋人だった女性が狂った姿を見て、激しく動揺する。
恋人だった女性からは逃げられ、彼の動揺から来る異常な行動に軍は彼を解雇する。だが、人を殺してしまう、という悲しい出来事をおこしてしまったなら、カン上等兵の行動は決して異常ではないはずだ。むしろこの映画のなかでこのときだけは彼は正気でいたのだ。

物語はカン上等兵から離れ、恋人を殺され狂ってしまった女性の話が続く。立ち入り禁止区域に入ってしまったのは彼女だ。しかしそういう場所が存在しないのなら、彼女に悲劇は訪れなかった。彼女は狂い軍の兵士たちと次々に関係を持ち妊娠してしまう。そして軍により無理矢理堕胎させられてしまう。この悲しく酷い出来事にもキム・ギドクの怒りが吐き出されている。

カン上兵は普通の人間になってしまったからこそ、その魂は再び狂い出す。銃を扱うことしかできない彼は元の持ち場に戻るしか行き場がない。仲間たちはそんなカン上等兵に同情しながらも、もてあましている。

ラスト、暗闇の中でカン上等兵と仲間との銃撃戦となる。ここでも同志であったものたちの戦いになるのだ。夜が明け、兵士たちがカン上兵の死体があると思しき場所を覗き込むと、そこには抜け殻となった軍服が脱ぎ捨てられているだけであった。甲高く切り裂くような狂女の笑い声が響く。彼らが戦っていたものとは何だったのか。

狂ったカン上等兵の歌声「幸せだったあの日に戻れたら」だが彼の手は民間人を再び襲う。

晴れた空だ。美しい青。こんな日があったのだろうか。有刺鉄線で囲まれたコートには仲間たちが笑いさざめきながら大好きなサッカーでバレーごっこをしている。二つのコートもまた有刺鉄線が分断しているのだ。その地面には朝鮮半島が描かれている。
笑いながらゲームに興じているうちにいつしか鉄線は消えている。そんな日がいつか来ると願いをこめて。

註:この記事はshitoさんの「傍流点景」の「ギドク2作」に多大に影響を受けて書いております。是非皆さんにも読んでいただきたい記事です。
posted by フェイユイ at 01:25| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月04日

「悪い男」再再考

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ネタバレです。

「悪い男」について2回記事を書いた。ラストについて1度目は単純にソナとハンギの二人はもう離れずにすむのだから、幸せだ、と書き、2度目はもしかしたらハンギは刺されて死んでしまい、その後の二人の話はハンギ、もしくはソナの夢なのでは、と書いた。

この答えは、また他にもあるかもしれない。いつもキム・ギドク監督の映画は答えが何かを考えるよう作っているのだから。

ただ、今思い返しているとこの答えは最初、感じたことがよかったのじゃないか、と思えてきたのだ。
私の願いとしてもこの二人が幸せに生きて欲しいと思う(その幸せは常識からはかけ離れたしあわせだが)しやはりキム・ギドクは生きていくことこそが大切なのだ、と語りかけているに違いないのだから。

それにしても自分ひとりでもこうやって様々に考えることができる、と言うのは大変おもしろいことだ。そしてそのどちらであってもとてもファンタジックである、というのもまた興味深いことだと思う。
posted by フェイユイ at 21:43| Comment(4) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

「悪い男」再びそして後半

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今日も全部最後まで書いてしまいますのでよろしくお願いします。

ソナは変わっていく。売春宿の前でねぎの皮をむく女たち、手伝おうと言うハンギの子分。ソナもそれを手伝おうとする。束の間のほっとする時間だ。

だが、すぐに運命は大きく変わっていく。以前この街で荒稼ぎしていたダルスというヤクザが出所してきたのだ。ダルスはソナに目をつけ部屋へ向かう。ハンギと子分たちはすぐに駆けつけソナからダルスを引き離す。ダルスの子分がハンギの頭を石で殴る。ハンギは落ちていた紙を折りたたんで先を鋭く尖らせその子分の喉をさすのだ。(キム・ギドクの映画はいつもどこかしらおかしいのだが、石と紙で喧嘩しているという図がなにかしらおかしい。グーとパーだから?)

ソナは積極的に客に声をかけて呼び込むようになる。ハンギはそんなソナのほうへ歩いてくる。と、そこへダルスの子分が抱えるほど大きなガラスの破片をもってハンギの腹を刺す。叫ぶソナ。おびただしい血がハンギの体から流れる。ハンギはじっとソナを見つめる。

ソナの心は次第に変わっていくのだ。怪我をしたハンギの帰りを待つ。また子分がやったダルス殺害の罪で刑務所へ入ったハンギをソナはののしる。すぐに出てきてと。ハンギがいない間、ソナは荒れ狂ってしまう。店の姉さんがソナにいう。ハンギは今日出所したと。それでソナは突然落ち着いてしまう。そして鏡を見る。鏡の裏にはハンギがいて中からライターをつける。鏡越しに互いの姿が見える。そうだ。この時二人を隔てていた鏡ソナからは見えない鏡が取り払われ互いの姿が見えるのだ。このときのハンギの顔はこれまでに人に見せたことはないであろう悲しげな表情だ。ハンギの顔が映るのをみたソナは激しく鏡を打ち割る。ソナ自身が二人を隔てていた鏡に穴を開けたのだ。

ハンギとソナは同じ部屋の中にいる。ソナはハンギの顔を叩き泣き出す。ハンギはソナを抱きしめる。ソナもハンギの体を抱く。指は鏡を打ち割り血が流れて痛々しい(実際この時ソナ役のソ・ウォンは怪我をしてしまったらしい)

ハンギはソナを売春宿から解放する。二人は初め出会ったベンチに座る。女子大生であるソナの隣にヤクザのハンギが座ったことで、ソナがハンギを蔑んだ目で見たあのベンチだ。ソナはそっとハンギの手を握る。だがハンギはその手を離し去っていく。

ソナを手放したことを恨む子分はハンギをののしる。ハンギは初めて言葉を口にする。「ヤクザが何が愛だ」とかすれる声を出して去る。子分はハンギの後を追う。川べりで小用をたすハンギの腹を子分は刺す。だが、ハンギははじめから解っていたかのようにその刃物を深く受け入れる。子分が逃げ去った後でそのナイフを砂の中に隠すハンギ。ハンギはかつてこのような気持ちを持ったことがあったのだろうか。

深く刺されたはずのハンギが起き上がる。このシーンはとても不思議だ。またもやキム・ギドクの魔法なのだろうか。子分の刺し方は確かに致命傷と思えた。ハンギは死んだ、と。だがハンギはゆっくりと起き上がり汚れた服を取り替えさえする。

ソナは家に帰ることもなくさまよっている。誰から命じられたわけでもないのに、通りがかりのトラックの運転手とセックスをする。多分、海まで連れて行ってくれることと引き換えに。

ソナが向かったのはハンギと来た浜辺だ。あの時赤いワンピースの女が座った場所にまた座ってみる。ソナは何気なく砂を掘ってみる。すると奥から写真の切れ端が出てきたのだ。それは以前拾った、欠けていた男女の顔の部分だ。それはソナとハンギの顔だった。

最初、見た時この女性はなんなのだろう。ハンギの昔の恋人なのか、と思った。しかしこの赤いワンピースの女性はソナ自身なのだろう。あの時見た女は時間を越えて二人の前に現れたのだ。なぜならハンギが誰かを愛したことがある、とは思えないからだ。ハンギはソナに会うまで誰も愛さず誰からも愛されたりしてはいないのだ。

ソナは赤いワンピースを買いに浜を離れる。そしてハンギが浜へたどり着く。不思議なことに服には血のあともないし、痛みもないようだ。ハンギはそこに座る。ソナが赤いワンピースを着て登場する。ソナはハンギの側に座りそっと寄り添う。ハンギはソナの方を優しく抱く。

二人は一台の赤い幌のトラックのなかに布団を敷き男を呼ぶ。そしてソナが男と売春をしている間、ハンギは海を見ながら待っているのだ。そして事が終わるとハンギはトラックの中のベッドを整える。二人は赤い幌のトラックに乗り込み、旅に出る。

美しいラストシーン。ソナとハンギはもう離れることはない。でも、これは本当なんだろうか。
ハンギが子分から刺されたあの瞬間、やはり、ハンギは死んでいたのではないか。その後の映像はひどく幻想的だ。刺されたハンギが何事もなかったかのように歩いてくる。赤い幌のトラックで売春のたびに出る、というあり得ない物語も夢だからではないか。では、二人が見た海に入っていく赤いワンピースの女はソナの姿なのか。ハンギを失ってしまったソナは海に入っていってしまったのか。違う魂を持った二人が出会って一つに共鳴してしまった、そのことは許されないことなのだろうか。キム・ギドクはひどく意地の悪い笑顔をして、よく考えて、と言っているようだ。
posted by フェイユイ at 23:39| Comment(5) | TrackBack(2) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月23日

「悪い男」再びそして前半

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全部書いてしまいますので、未見の方は注意してください。


2度目と言っても何度も見てるような気もするし、久し振りのような気もする。でもやはり久し振りに観たのだろうな。最初のチョ・ジェヒョンを見て昨日見たチョンへとあまりに違うので驚いてしまった。昨日のジェヒョン=チョンへの饒舌で可愛らしかったのに対して「悪い男」のジェヒョン=ハンギのまるで腐りきってしまっているかのような悪党ぶりはどうだろう。
何も知らない女子学生ソナを自分をにらみつけた、と言うだけで売春宿に送り込んでしまうような男である。二人の子分を使ってそれらのことをやらせるようなやくざである。(たとえ、追加として男たちに殴られ、彼女から唾を吐きかけられたといってもそれは自分がやった人前で強引にキスをした結果である)その汚さを女学生ソナは酔いつぶれてハンギの腕に吐瀉物を吐き出すことで表現している。

ソナが出来心で目の前に置かれた財布を自分のものにした、という行為の代償はまだ21歳でしかない彼女の人生を犠牲にするものだった。清純な彼女が売春宿に送り込まれる過程は見ていても大変に惨たらしくつらいものだ。女性なら何故あのくらいのことでこんなにもひどい目にあわせられるのか、と憤りを覚えるだろう。それもみなハンギをにらみつけた一瞬から始まったこと。全てはハンギが仕組んだおぞましい罠なのだ。

ハンギにはのどに大きな傷がある。そして言葉を話さない。それはその傷のためのように思われるが、ハンギは話せない、のではなくて話さない、ということらしい。
ハンギは一言も話さない。それで観客は全てを想像することになる。ハンギはソナに好意を持ったはずではないか。なぜこんなにもひどいことをするのだろうか。それともハンギは全くソナを好きになったりはしなかったのか。ただ彼女の自分を軽蔑した視線に対しての復讐だったのか。では何故ソナが別の男に抱かれている時、ハンギ自身が苦しんでいるかのように見えるのか。売春宿であてがわれたソナの部屋にはマジックミラーがはめ込まれており、彼女側からは鏡として見えるものが、裏の小部屋からはハンギが中の様子を覗けるようになっている。そこからハンギは自分につばを吐いたソナが他の男(あるときは自分の子分)に抱かれている様を覗いているのだ。が、その表情は苦悶に満ちており、とても復讐を楽しんでいるとは思えない。

ソナはハンギの計略を知り、怒り狂う。が、結局この売春宿から逃れられないのだと意を決したかのようにかつらをかぶり真っ赤なルージュを引く場面がある。この時、ソナは知らぬうちにハンギが見ている鏡に近づき顔を寄せる。ハンギはそっと恥らうかのようにソナの頬にキスをする。鏡越しに。ソナは知らず、目を閉じる。この映画の中で美しいシーンの一つだ。

ハンギの子分の一人がソナを好きになったことを利用して、ソナは売春やどの脱出を図る。が、すぐにハンギに捕まってしまう。二人は浜辺へ行く。この浜辺は「悪い女(青い門)」でジナが座った浜辺だ。赤や緑の光が眩い売春宿通りとは違い、この浜辺には色彩がない。どんよりと曇っている。その海に一人赤いワンピースの女の後姿がある。髪が長くソナの後姿にも似ている。不思議な光景である。
浜辺にソナとハンギは並んで座る。最初出会いのとき、ソナはベンチに並んで座ろうとしたハンギを嫌い、にらみつけた。ここで二人は砂の上に並んで座ったのだった。それはソナの心が変わっていく過程だった。
また女の座った後にはばらばらにちぎられた写真が埋められていた。ソナはその写真を急いでポケットにしのばせる。
ソナは抵抗を見せるがハンギはソナを元の売春宿へ連れ戻す。

ソナはばらばらにちぎれた写真をつなぎあわせてみる。だが、男女の寄り添った写真が2枚だとは解るがその二人の顔の部分だけが足りない。ソナはそのままその2枚の写真を鏡に貼り付ける。

ハンギは再びソナの部屋に行く。今度はハンギの子分(ソナを好きになった奴ではない方)がその様子を覗いている。
ハンギはただベッドに横たわりソナの手を握りしめ、やがて安心したかのように眠ってしまう。戸惑うソナもベッドからは降りたもののその傍らで眠りに付く。ハンギはまるで胎児のように体を丸くして眠っている。

やはり辛くて苦しい物語だ。売春婦にさせられたソナは勿論だが、ハンギの苦しみ方は何なのだろう。後日、続けます。多分、明日。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 23:44| Comment(0) | TrackBack(2) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「野生動物保護区域」2度目

野生動物.jpg
香港製なのでこういうタイトルでございます。

ホントはまずデビュー作「鰐」を観たかったのだけどまだ字幕DVDは手に入らないので2作目から観ていこうかと思います。

前回は字幕なしビデオだったのですが、今回中文字幕付きDVD。中文とはいえ意味が少しでも解るのはありがたい。と言うか全然違います。前回観た時は退屈にさえ感じたのですが、今回はまるで違う映画を観ているかのようでした。

前回観た時に書いたことを繰り返し書くかもしれませんが、思ったことを書いていってみます。ネタバレにはなりますのでご容赦ください。

舞台はフランス・パリ、画学生をしながらコソ泥などして生活しているチョンへ(チョ・ジェヒョン)と北朝鮮からの脱走兵ホンサン(チャン・ドンジク)が出会い、暴力団の一味になり人々を襲い金を巻き上げ、また自分たちも殴られ血を流しながら生きていきます。その有様はなんの救いもなく耐え切れぬことのように思えます。

この作品では後の作品の原型になると思われる要素が多々表現されています。出だしの針金細工は「魚と寝る女」をストリップショーのマジックミラーは「悪い男」のそれを。またこのミラーは男と女の愛を隔てまた導くための鍵として用いられています。また水の中の撮影、画学生であるチョンへがホンサンの似顔絵を描くことが愛情の表現になっていること。など繰り返しキム・ギドクの様式とも言える原型がこの映画の中にあります。

逆に他の映画と全然違うと思えるのは男同士の友情が描かれていることです。チョ・ジェヒョン演じるチョンへはくどいほどホンサンを裏切り肉体的精神的また金銭的にも卑劣なことを繰り返すのですがホンサンはチョンへを許し、自分を笑ったフランス人をやり返したことに感謝する表情さえ持ちます。チョンへはとうとう「俺を殴れ」と言いますが、ホンサンは笑ってチョンへを固く抱きしめます。小柄なチョンへは背の高いホンサンの肩の辺りにすっぽりと収まってしまいます。チョンへはただたくましいホンサンの胸の中で涙を流すだけでした。

このときのチョ・ジェヒョンはすごく可愛くて思わずかばってやらなければならないような男を演じています。他の映画例えば「悪い男」や別監督の「清風明月」の時には気づかなかったのに随分小柄に思えます。そのため、北朝鮮の脱走兵ホンサンがすごく背が高くてたくましくかっこいいんです。目がすごくよいですね。フランス人のボスも「お前は目がきれいだ」と言っておりました(笑)

確かにもっと上手く見せる方法もあるだろうし、全体に切れ味が悪いのかもしれませんが、字幕つきで観てとてもいいと思いました。一つ気になったのはホンサンが一味の一人をボスから消せと言われてひとり赴き、恋人と眠っているところに針金で細工をして自ら手を下さずにそいつを殺す(結果女の方に当たってしまうのだが)という緊迫した場面で右下の方にマイクらしきものが見えている・・・まさか!そんな初歩的な間違いをするものでしょうか?でもなぜかマイクが見えてるしなあ。なんだったのでしょうか、アレは。写ってたとしても処理できますよね。私の気のせいか、解る方がいたら教えてくださいな(笑)いやこれは揚げ足取りです、ごめんなさい。

物語にはフランスに住む韓国人女性(幼い時幼女としてフランスへやって来て捨てられたと言う身の上らしい・韓国人は外国人に養子にされることが多いとも聞く)が登場し、ホンサンが心を寄せる存在となる。彼女はストリップショーをしている踊り子で恋人に命じられクスリの運び屋をしているようだ。彼女の恋人エミールはチョンへに殺され腕時計を盗られる。目隠しをされ恋人の血を舐めてその死を知るという演出がなされる。あとでこの盗んだ腕時計で彼女は誰が恋人を殺したのかを知る。

男の友情はラストまで続きます。抱きしめあった二人は棲家にしている船のうえでのんびりと幸せを味わい、ホンサンはチョンへに絵をかけるように用意をしてあげる、というまさにハネムーン状態なのだが、一転、暴力団一味、ホンサンが殺しそこなった男が仲間とともにチョンへ・ホンサンを殺しにやってきたのだった。二人は海を臨むがけっぷちに追い込まれ互いの手に手錠をかけあい、抱き合って袋の中にはいるよう命じられる。そして崖から海へ放りこまれるのだ。このとき裏切り男チョンへは自分の親指を切り取って手錠をはずし、ふたりは助かるのだ。

再び街の中を笑いながら歩く二人は幸せそうだ。その時、恋人をチョンへに殺されたローラが二人をピストルで撃ち殺す。おびただしく流れる二人の血はどこからか流れてくる水に薄められながら排水溝へと落ちていくのだった。

見所は色々あると思うのですが、私としてはホンサン役のチャン・ドンジクがめちゃかっこいいこととチョ・ジェヒョンが他では見れないくらい可愛いというのが、よかった。二人の友情も熱々ですごくいいですね。とにかくギューっと抱きしめられるチョ・ジェヒョンがみれました(笑)




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2005年05月18日

キム・ギドク、チョ・ジェヒョンと共演

またここのニュースですがw一体どんなCMなのでしょうか?うーん、きっと男臭い感じなのでしょうね(くす)
posted by フェイユイ at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キム・ギドク監督の「弓」公開!

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おお!もう韓国では公開されてるのですねえ。仕事が速いなあ。しかし、
コレって多いのか、少ないのか?
「小規模公開」戦略、とあるからには、コレでいいのでしょうね。第1週目だし。996人って・・・。キム・ギドク氏としては順調なのでしょうか?ね。

それにしてもはやく観たいぞ。
posted by フェイユイ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

キム・ギドク「空き家/3−Iron」「青い門」と韓国映画への疑問

キム・ギドク監督の作品を一通り見終え、また折々に見直してみたいと思っているのだが、ここで少しわたしなりのキム・ギドク感を書いてみたい。といっても多分今までのまとめ的文章になるだけと思いますが。なお、そのために全体にネタバレは必至ですのでよろしくお願いいたします。

キム・ギドク作品で初めて観たのは最新作の「空き家」です。しかもこの時、私はキム・ギドクと言う名前も全く知らず、当然彼の評価など知るわけもありませんでした。ではなぜ彼の映画を観たのか?それは今となっては偶然としかいえません。これは私にとって最良の条件・タイミングだったと思います。なぜなら韓国映画というものを短い期間とはいえ経験してから観ることができたわけで(これはあくまで私にとって、ということで韓国映画を知らなければ彼の映画が解らないということではありません)また何も知らなかったので全く無垢のまま「空き家」を観る事ができたからです。

「空き家/3-Iron」は衝撃でした。その感動は今、思い出しても溢れてきます。うれしいことに「空き家」にはセリフが殆どなく全くストレートにその思いは私に伝わってきたと信じています。(これは私が韓国版DVDを見たからです)今、思い返せばキム・ギドクの作品の中で「空き家」は最も洗練されていてキム・ギドク世界を精製したともいえる作品なので初体験にはもっとも優しく入れる扉だったのではないでしょうか。もし私が始めて観たのが「悪い男」もしくは「コーストガード」であったらこんなにたやすくギドク監督の世界を受け入れることができたのか、よくわかりません。多分難しかった、と思います。なぜならキム・ギドク世界はその核に触れる前に強制的なセックスと残酷なまでの暴力性という最も忌むべきものに触れなければいけないのです(この二つはキム・ギドクのみに関わるわけでなく、韓国映画の最も悪しき特徴である、と私は感じています。ただそれがまた韓国映画の魅力にもなっているのですが)「空き家」ではこの二つの呪縛が解かれてしまったかのようで核を閉ざしてはいません。しかもギドク監督らしいユーモアのセンスもまた上質に現されていて作品を見やすくしています。

何も知らなかっただけに「空き家」を見た時、私は「この映画監督はとても女性的な男性で、もしかしたらゲイなのかもしれない」と考えました。なぜなら映画における視点が完全に人妻である女性のものだったからです。暴力を振るう夫は滑稽で愚かにしか描かれていませんし、それに人妻が恋する青年は(この青年は現実とも人妻の夢とも取れるのですが)すばらしい美青年で裸体を惜しげもなく披露します(まあ、韓国映画では割と美男子がその肉体を誇示することは多いですが)青年は韓国では珍しくオートバイに乗って人妻を連れ去ります。オートバイは(これは全く私の好みにしか過ぎませんが)ゲイ的な要素の強い乗り物でもあるし、映画の全体の美しい絵画のような雰囲気(これも後でギドク監督が画家志望なのを知る)でこんな美しい映画を撮る人はゲイに違いない、と思ったのです。まあ、これは今となっては何ともいいようがありません。そうなのかもしれないし違うかも知れない。とにかくこれ以前の映画を観たら、全く違ったわけですから。

2番目に観たのが「青い門」ブログを見て貰うと解りますが、「空き家」を観た後、「この人は本当にいいんだろうか」などと心配していました。他のが嫌いだったら悲しいな、なんて。2番目が「青い門」だったのもまたうれしいことでした。ワケはこのテーマが女性同士の友情、それはもしかしたら恋に近いものかもしれない、というものだったからです。
これも全く独り言なんですが、私の願望で「女同士の友情の映画、しかも一人が売春婦である」というものを観たい、というのがあったのですよ。こういう映画が他にあるのか知らないし、いっぱいあるじゃないか、なんていわれると困りますが、私は見たことがなくて、とてもそういうのが見たくてずーっと期待していました。だれか作ってくんないだろうか。この「青い門」は私が思っていたそのものでは勿論ありませんが、もっとリアルに描いてあると思っています。最初仲が悪い時はどうなるかと思っていましたが、大学生ヘミの売春婦ジナへのその反感が、好きだからこその裏返しだと解って次第に二人が心を近づけていくくだりはもうドキドキしました。ここではキム・ギドクらしいw性と暴力が表現されていますが、女性同士の友情に目を奪われていた私には男たちのセックスなどどうでもいいことでした(といえば男性を傷つけるのかな、すみません)

後はもうキム・ギドク世界に入っていくことに恐怖を覚えることはありませんでした。性と暴力はキム・ギドクが自分を隠す盾のようなものでしょうか。だが次第にそれは監督自身が取り外されていかれたのだと思います。韓国映画において性と暴力がここまで露骨に表現されるのは何故なのか、キム・ギドクもその一人だったに過ぎないのではないだろうか、ではなぜキム・ギドクはその表現を捨てたのか(今回だけであって、次の作品はやはり、かも知れませんが)ただし、ここでも私はキム・ギドク監督を弁護しますが、ギドク監督の性・暴力は他の韓国映画におけるそれとは違うと私(あくまで私です。私の好みにしか過ぎません)は思っています。「痛い」と言われる「魚と寝る女」の女が自分の性器に針をかけるのも女の心を映した表現だからです。

《他の韓国映画の多くにおいて性・暴力の露骨な表現は単に色つけに過ぎないと感じ、嫌になります。これも私の好みだけの言い分だとは思いますが。この文章は言い過ぎと感じる方もいるかもしれません。だけど韓国映画の残酷趣味はどうしても受け入れがたいものがあってそれが全体の作品の低下になるのではないか、と思う時が往々にしてあります。逆に例えば韓国映画である「殺人の追憶」などではそういう残酷趣味が表現されてはいません。猟奇殺人と言うストーリーなのに》

上の文章は余談ですが、自分としては韓国映画に対して最も感じる疑問です。ただ、それに人が惹きつけられるのも解るので、困るのですが。

以上、私のキム・ギドク作品で愛する2作品について自分なりの感想です。また、見直して新しい気持ちがわくかも知れません。自分でもそれが楽しみです。
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月04日

「3−Iron(空き家)」アメリカで公開

おお!キム・ギドク監督の「3−Iron(空き家)」アメリカでがんばってるようです。うれしいことだ。

金基徳(キム・ギドク)監督の映画『空き家』(英語タイトル:3-Iron)が先月29日に米国で公開され、ボックスオフィス62位(4月29日〜5月1日)を記録した。

 『空き家』は公開から初の週末、大都市を中心に7つのスクリーンで公開され、計2万84ドル(約2010万ウォン)の収入をあげた。

というのは、すごいことではないですか。いつも低予算制作で韓国ではお客さんが来ないという話なので。今回はどうだったのかしらん。
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2005年04月18日

キム・ギドク作品群

エゴン.jpg
エゴン・シーレ

全作品を見終えたのでちょっと遊んでみます。

キム・ギドク作品制作順           

1、「鰐」1996年             
2、「野生動物保護区域」1997年      
3、「青い門」1998年           
4、「魚と寝る女」2000年
5、「実際状況」2000年
6、「受取人不明」2001年
7、「悪い男」2001年
8、「コーストガード」2002年
9、「春夏秋冬そして春」2003年
10、「サマリア」2004年
11、「空き家」2004年

私が見た順番

1、「空き家」
2、「青い門」
3、「悪い男」
4、「実際状況」
5、「魚と寝る女」
6、「サマリア」
7、「鰐」
8、「春夏秋冬そして春」
9、「コーストガード」
10、「野生動物保護区域」
11、「受取人不明」

となります。今のとこはただそれだけなんですがw
私の一番はやはり「空き家」です。これはもう別格に大好き。次は「青い門」かなあ。
あえて(私にとっての)ワースト(この言葉の意味は正しくないですね!でも他に思いつかない。一応好き嫌いの嫌いの方からの順番、ってことです。それでも嫌いってこともないしなあ)の方をあげれば「コーストガード」下から2番目は「野生動物保護区」でしょうか。
他の作品はそれぞれおもしろいと思いますね(ワーストなんていった二つもやはりおもしろいですし)
「受取人不明」はとても力強い作品だと思いました。
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2005年04月17日

「受取人不明」

アドレス・アンノウン.jpg 
受取人不明.jpg
不明DVD.jpg
これが欲しかったー。

とうとう見れました。「受取人不明」私にとっては現在においてのキム・ギドク監督作品の最後の一本になります。結局DVDが手に入らず、韓国製ビデオ(字幕なし・英語の時だけ韓国語字幕あり)なので感想は映像のみにおいて。セリフの感想は言えません。しかしいつもの事ながらギドク監督のは映像での説明が丹念にされるので少なくともストーリーに関しては殆ど解ったと思います。

これ以外の映画と違ってリアルな作品と聞いていたけど、確かにリアルではあるんだけどチャーンとギドク監督らしいファンタジックな要素は漂っていたと感じました。それといつもある思わず笑ってしまうおかしな感じも。

「風のファイター」ですごくよかったヤン・ドングンが黒人との混血児という役、またチョ・ジェヒョンがヤン・ドングン演じるチャングクの母親に思いを寄せる犬商人という役を演じてます。

チャングクの母(パン・ウンジン)は外国人相手の娼婦をしていたらしく、黒人兵との間にできたチャングク(ヤン・ドングン)と二人、村のはずれに置かれてる真っ赤なバスの中で暮らしている。チャングクの父である黒人兵はとうに二人を置いてアメリカに帰ってしまったのだが、母はもう20年近く手紙を送っているらしい。が、その手紙は受取人不明として空しく戻ってくるだけだ。母は村の人たちとの交際も上手くできず、何かと衝突を繰り返している。
そんなふたりを気にかけてくれてるのが、犬商人のチョ・ジェヒョンだ。働くあてもないらしいチャングクに犬殺しの手伝いをさせている。チャングクはこれがたまらなく嫌なのだ。
孤独なチャングクだが内気なジフムとは仲がいい。そのジフムは幼い時、片目を失明している高校生ウノクにひたすら心をよせているのだが。

米軍が駐屯している農村を舞台にして3人の若者はどうしようもない苦しみを持っていて、それらから逃れることは難しい。若者だけでなく、犬商人もチャングクの母もジフムの父もジフムをいつも脅している二人組みも行き場のない人生を送っている。
またしても受取人不明ってやっぱ意味ありげ。苦しみを訴えている手紙がそのまま戻ってくる。誰も受け取ってくれる人はいない。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 22:25| Comment(11) | TrackBack(12) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月03日

「野生動物保護区域」後半

やっとみれましたー。しかしなんといっていいかわからないw両手を縛られ目隠しをされた状態の女が恋人が殺されたことをその血をなめることでわかる、ていうのはすごいね。まだ目隠しをはずせないままその死を嘆くというのも。

一応少しネタバレです。


ひたすら小悪党のチョ・ジェヒョンの情けなさとかっこいい北朝鮮からの脱走兵チャン・ドンジクの友情がいいなあ、と思うのもつかの間、物語のラストは・・・。
という感じ。しかしこんな風な男同士の友情、という話はキム・ギドクのほかの映画には見られないものですね。見てて照れちゃうくらい仲良しです(抱きしめられー)まー、頼るもののない異国の地ということもありますが。

石膏像の真似をして小銭を稼いでいる不法滞在者の女性とかフランスに養女に来て捨てられストリッパーをしてるローラと脱走兵ホンサンがマジックミラー越しに互いの姿を見るシーンとか、色々ギドク監督の工夫の後が見えますが、まだまだちょっと行き着いてない感じです。残酷シーンはむしろできるだけ隠してる風でひかえめです。
しかし、ラストの自分で手を切るってのはできるのかなー。鋭利な刃物ならよいけど。切れ味悪そうでそれがむしろ痛いよね。

逆方向からみてきたので、これを経ておもしろくなっていくのだな、というのがよかったです。ところで先日買った「キム・ギドクの世界」によるとこの映画の観客動員5413人とある。へ、なにこの数。でも「青い門」も5827人だ。どこから出てきた数字なんだろ。1つの学校で見ただけみたいじゃないか。「魚と寝る女」で3万2137人だ。よかったw(いいのかな?)この本では「悪い男」が75万人でトップみたいですね。韓国だけでの数字ってことかなー?やはり「悪い男」が一番なんですね。ふーん。「サマリア」は記載されてませんでした。

ところでほんとにネタバレ話になりますが、第1作目と2作目でラストが「死」なわけですがこの後、(ホントは死んでるのかもしれないのだが)ラストは「死」でなくがむしゃらに生きていくというように変わっていく。
それはラストが「死」というのは映画としてもあまりに安直で投げやりであるし、やはり人は何があろうと生きていかねばならない、ということだろう。
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2005年03月31日

「キム・ギドクの世界/野生もしくは贖罪の山羊」

キム・ギドクの世界.jpg

年度末、ということで忙しく、昨日今日明日といつものようには、書けそうにありません。が、どうしても書きたいことがちょいとあります。
実は昨日突然手にいれてしまった「キム・ギドクの世界/野生もしくは贖罪の山羊」(白夜書房)という本について。韓国語の本があるとはちらと知ってたけどそれを手に入れてもなー、と思ってたらなんとAmazonでちょうど翻訳本が売り出されるところだった。慌てて注文しましたとも。
で、早速忙しいのにも関わらず目を通しました。まだ完璧に読んだわけではありませんが、心は急いて飛ばし読みです。ちょっと怖かったですよ。なぜって、きっとこれにはキム・ギドクの映画のあの不思議なイマジネーションの答えが書いてあるわけでしょう。勝手気ままにキム・ギドクを解読したつもりになってる私には問題集を解いて後ろを見ながら自己採点するみたいでドキドキです。
結果、傲慢かもしれませんが、それほどギドク監督の思惑とかけ離れてるんではなかったと解ってほっとしてますwなーんて皆さんが読み比べたら「全然勘違うよー」と言われるかもしれませんがね。
でもでも答えが(自分的には)あってたと感じてますます不思議にもなってます。他の事ではちっともぴんとこない鈍い私がキム・ギドク監督に限ってはどうしてこうも考えちゃうのか。
ひとつには勿論彼の映画がすごく自分に響いたということがあるでしょう。
二つ目には最初に見た映画が「空き家」だったということ。セリフが極端にすくないこの作品はじっくり映像を見ることができた。それで映像の中に謎かけがたくさん仕掛けられていると気づくことができた。もし私が最初に見たのが「悪い男」だったら、もしくは「サマリア」だったら、こういう風にギドク監督の作品を見る、ということに気づかなかったような気がするのですよ。それに「空き家」はしっとりとした作品なので以前の過激作品より初心者には優しい仕上がりになっていますしね。

本の中には作品のことだけでなく監督の幼年期の様子など書かれていて興味深いです。そしてシナリオ作家から映画監督になりたての頃の大変な様子とかも。
 
とはいえこの中にキム・ギドクの全てがあるわけではないでしょうけどね。それに別にこの本を読んでキム・ギドクの全ての答えを見つけねばならないということもないですしね。もしくはなにも知る必要もないかもしれない。私はただとても好きな人なので読んでみた、ということです。そしてますます好きになりましたね。
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2005年03月27日

「Wild Animals 野生動物保護区域」前半

キム・ギドク監督の2作目です。フランス・オールロケ。韓国語とフランス語が飛び交う。韓国版ビデオで字幕なし(つーかフランス語の時は韓国語字幕)ギドク監督のフランス時代を反映して作られたのでしょう。パリを舞台に仲間の絵をこそ泥して売ることで小銭を稼いでいるチョンへ(チョ・ジェヒョン)は密入国者であり北朝鮮の脱走兵であるホンサン(チャン・ドンジク)のかばんをこれも騙し取ってから奇妙な関係となる。チョンへはけんか強いホンサンを利用してまた金を稼ごうと画策する。
というような話です。一作目よりむしろ軽くてあまり凝ってない作りになっていますね。まだ前半しか見てないので、これからどうなるか、というところでしょうか。
私としては救いのない「コーストガード」を見たすぐ後なのでむしろほっとして見てますが。
チョ・ジェヒョンがとてもかわいいです。フランスにいるせいか、何だかおしゃれな感じですw髪型が「大人は判ってくれない」的でかわゆい。フランス語もしゃべってますw
相棒のホンサン役のチャン・ドンジクは男らしくてかっこいいです。

相変わらず水の風景も出てきます。って順番的には2番目なんですけどね。

1997年制作
posted by フェイユイ at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「コースト・ガード」(海岸線)

海岸線.jpg
コーストガード.jpg
ひどく辛い映画、苦しい90分だった。今まで見てきたキム・ギドク監督の映画にはないこの激しい憎悪は何だろう。他の映画で表現されていた寓話的なものも思わず笑ってしまうようなユーモアもなく、あの溢れるようなイマジネーション、魅入ってしまう美しい色彩などもこの映画には全くないのだ。(わずかにいつもの水と魚による心情表現、後半出てくる歪んだ視界によって表される精神の歪みだろうか)
きっとキム・ギドク監督にとってこの映画は他のものとは違う生の自分だからなのではないか。これを見たら、ギドク監督にとっていかに軍隊が憎むべき存在だったのか、ということだけが恐ろしいほど伝わってくる。それは他の映画で表現されていた批判とはかけ離れた激しさだ。
映画はいつもの意味をこめた表現などでなくただストレートに怒りと悲しみともどかしさを訴えている。
その苦しみを抱えた主人公カンを演じるのが大スターであるチャン・ドンゴンだ。だが、この役は決してスターが演じるような華やかなヒーロー像ではない。民間人に惨めに殴られ、自分の感情もコントロールできない哀れな存在だ。

主人公カン上等兵は 南北軍事境界線の海岸を警備していた夜、立ち入り禁止区域で逢引をしていた民間人をスパイと間違い、射殺してしまう。男はばらばらになって死に、女は気がふれてしまった。カン上等兵は軍からは任務を遂行したと表彰され、殺された男の家族や仲間から激しい怒りをぶつけられる。そしてカン上等兵自身少しずつ狂っていってしまうのだ。

「春夏秋冬そして春」でキム・ギドク監督は「何かを得るために何かを失わねばならない」ということをいつも訴えている、と私は書いたのだが、このしっぺ返しはあまりにも悲惨であろう。体を鍛え、軍の規律を守り、忠実に不審者を射殺したカン上等兵が得た褒美と失った心の平安。
この映画を見たものはみなやりきれない空しさだけを感じるのではないだろうか。そしてそんな感想を持ってしまうような軍隊に関する映画をキム・ギドク監督は作ってしまった。
軍隊を持つ国である韓国としてこの映画はどう評価されるのか。敵が攻めてきて狂ったのではない。自分たちのなかだけで異常となってしまったのだ。その異常さはさらに悲しいことに恋人を撃ち殺され気がふれた女の身にも襲い掛かってくる。

キム・ギドク監督の凄まじい憤りをそのまま感じる映画だった。
posted by フェイユイ at 22:04| Comment(2) | TrackBack(2) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月26日

「春夏秋冬そして春」

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秋.jpg

いい映画だなあ。いつものようにキム・ギドク監督らしい懇切丁寧な映像による説明が豊かな想像力で表されている。そのつくりはとても明確で解りやすいものだ。この凄さを私が表現できるとは思えませんが、いつも通り思いつくままを綴っていきたいと思います。お話は書いていってしまいますので未見の方はご判断ください。


映画はタイトルが示すように季節ごとにひとつずつのエピソードが提示される。
まずは「春」画面を覆う門の2枚の扉にはそれぞれ力士増が描かれている。その扉が開くと一面は湖。そして不思議なことに湖の真ん中に小さなお寺が浮かんでいるのだ。
そのお寺にはすでに年取った僧侶とまだ小さな男の子がふたりきり住んでいる。二人の関係がどのようなものかは解らない。男の子はとても無邪気で小さな魚や蛙や蛇に紐で石を括りつけ動物たちが動きにくくなるのを見て楽しんでいる。僧侶はそれを見て寝ている少年の背中に石を括りつけてしまう。戸惑う男の子に僧侶は「動物たちは取ることもできないのだ」と言い放つ。少年は重い石を背負ったまま動物たちのところへ。魚は死に、蛙は助けることができた。最後の蛇の元へ急ぐが蛇はもう動かなくなっていた。少年はそれを見て泣くのだった。

「夏」16・7歳くらいだろうか、成長した少年僧と年を増した僧侶のところへ病気の少女が治療にとやってきた。僧侶は少女の病は気から来るものと見ている。最初は遠慮していた少年僧だが、少女への欲望には耐え切れず、また少女も少年僧に興味を持ったのか、二人は体をあわせてしまう。少女への愛は止まぬものの少年僧は、戒律を破ったことへの恐れを抱く。それは壁のない扉を通らないことによって表される。その扉を通って向こうへ行くことは規則であり、少女と肉体的つながりを持った時に少年僧は規則を守らないものとなってしまったからだ。
やがてその事実は僧侶の知ることになり、気から来る病であった少女はもうすでに寺を訪れた時のような体が動かないような状態ではなくなっていたため僧侶は少女を返すことにする。しかし少年僧はもう少女のいない生活はできないのだった。
少年は仏像を盗み、寺を出て行く。

「秋」少年僧はすでに30歳を越えて寺に戻ってきた。実は彼は愛した人が別の人を好きになってしまったためにその人を殺めてしまったのだ。そして盗んだ仏像を返し、ここで死のうとしたのだった。だが、ふたりの警察が彼を捕らえにやってくる。僧侶は警察官を押し止め、床に猫の尻尾で般若心経を書き、おびえる男にその文字を彫らせる。またその字を警察官がきれいな色で彩色するという不思議な作業が行われる。
それも完成し、男は警察に連れて行かれる。警察官は湖に浮かぶ寺からボートで男を運ぶのだが、なぜか最初漕いでも舟が動かない。それは僧侶の心が船を止めたのであろうか。やがて船は動き出し、男は再び寺から去る。残された僧侶は「閉」と書いた紙を目と鼻と口と耳の上に貼り、船の上で焼身自殺する。

「冬」さらに年を取った男が寺を訪れる。多分、すでに刑期を終えた男が寺に戻ってきたのだ。男は凍りついた湖の上を歩いて寺に入る。男は上半身裸となり、体を鍛える。
ある日紫のスカーフで顔を隠した女性が赤ん坊を抱いて寺を訪れる。女はけして顔を見せようとはしない。なんの言葉もないがひどく辛い状況にある人のようだ。女はある夜、赤ん坊を残して寺を去ろうとする。が、男が湖に張った氷に一箇所穴を開けていたため、そこから落ちて死んでしまう。男はかつて自分が動物たちにしたように紐で重い石を体に括りつけ、さらに仏像を抱いて、自然の中を歩き回る。湖が凍りつくほどの寒さの中を半身裸でさ迷い歩く。アリランの歌声が心を打つ。男は這い蹲るようにして重い石を引きずり山頂に仏像を置く。

「そして春」年老いた男とあの赤ん坊が少年となり湖に浮かぶ寺に住んでいる。少年は最初の「春」の時と同じ男の子が演じているためまるでぐるりと時が戻ったかのようである。僧侶となった男は少年を優しく見つめながらその顔を描いている。その絵には愛情がこもっているのが解る。
少年はあの時の男のように亀を叩いて遊んでいる。あの時の男のように船を漕いでいる。湖の中に浮かぶ古い小さな寺。山頂から男が運んだ仏像がその様子を見つめている。

キム・ギドク監督自身が言われているように確かにこの映画とこれまでの彼の映画は違うのかも知れません。でもギドク監督の最初の作品「鰐」から今のところ最後の「空き家」まで見てきて(何作か抜けてますが)彼の人生に対する考えが大きくは違わないと、私には思えるのです。人は何かしら罪を重ねて生きていき、またそれに対する罰というものがあり、また救いというものがある。何かを得るために何かを失わねばならない。だけど暴力的な「悪い男」にしてもこの罪を負った「春夏・・・」の男にしても生き続けていくのです。それは映画の中でキム・ギドク監督自身が「冬」の主人公になって表している重い石を引きずりはいつくばってさまよう男の姿にも現されていると思います。

「冬」の主人公をキム・ギドク監督が演じているのですが、その鍛えられた体には驚きでした。軍隊で悲惨なまでの訓練を耐えたというのは知ってましたが、またまた驚かされました。あの運動も全てやってるのでしょうか。またあの絵も自分で描かれたのでしょうか。ほんとに驚かされることばかりです。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 23:55| Comment(4) | TrackBack(12) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月23日

「鰐」後半・タブー

実は数日前に、見てしまってたんだけど、なんとも表現に困ってしまって今日になった。そういう風だからこのエントリは随分わけわからんものになる(と思われる)いつもどおり全部書いてしまうので未見の方ご注意を。

何を困ったかと言うと、いつものようにねちねちとストーリーを追って書いていこうと思ってたんだけど、はっきり言ってこの映画で驚いたのは、悪男の主人公の心の変化でもなく、美しいブルーの映像でもなく、主人公「鰐」が酒場で男に声をかけられた後に続く場面なのだ。
一人「鰐」ことヨンペが、酒場で酒を飲んでると突然男が近づいてきて酒をついでくる。怪訝な顔をするヨンペ。男はなおもヨンペに何事か話しかけ(韓国語・字幕なしなので私にはわからない)ふたりは別の部屋へ移動する。店のものは解ってるという風だ。こじんまりした部屋で男はヨンペに酒をついでやる。そしてテレビをつけるのだが、映されるのはホモポルノのビデオだ。ここでヨンペが逃げ出すかと思いきや、黙ってみている。男はヨンペの肩を抱きシャツをはだけさせ、胸にキスをする。ここでヨンペは酒瓶を取り思い切り男の頭に叩きつける。痛みで悶絶する男にホモポルノのビデオテープをぐるぐる巻きつけ、冷蔵庫を開けてきゅうりのようなもので男のオカマを掘ってしまうのだ。うーん、ゲイ・シーンとしてうれしくもない展開ではあるのだが、私は韓国映画で「ロードムービー」以外にゲイもしくはゲイっぽいものと言うのを見たことがない。それをキム・ギドク監督が主人公にからむ話として描いていると言うのは私には驚きだった。これを初作品でやってしまうならなるほど彼が韓国映画界のアウトサイダーになってしまうのもうなづける。

ずっとギドク監督の作品を見てきてすごく好きでまた色々な愛の形を描いている人なのでいつかギドク監督のゲイ・ムービーというのを見せてもらいたいと思っていたが、こういう形であれ、初作品にすでに描かれていたのかというのがまあ私だけの感動であった。

映画「鰐」の感想としては、ギドク監督の後の映画に出てくるギドク・アイテム例えば「絵を描く女性」「青い色」「亀」「水」などがすでに使われていること。表面は汚い河なのに中に入ると(別撮りだからとはいえ)透き通った青の美しい世界だということの意味すること。映画の勉強を全くしていないと言われるギドク監督だが、これを見る限り、そんなことはないと思う。昔懐かしいフランス映画を思わせるようなカットが多く、後の映画に比べるとまだギドク映画として消化されてない感じでそういう勉強した影響が生で出ていてまた微笑ましく、楽しい。

なんとも言葉が足りないな。また、機会を見つけて感想を書きたいと思っている。
posted by フェイユイ at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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