2005年03月09日

「3iron(空き家)のロビーカード

ブロンツィーノ2.jpg
「愛の寓意」ブロンツィーノ(あ、これがロビーカードじゃないっすよ。私が勝手にこの絵のようだと思ってるだけで)

「3iron(空き家)」のロビーカードなるものを手に入れました。ロビーカードって何?って思ってたんですが、結構大きいカードなんですねwはがき大のものを想像してました(それはポストカードw)
で、きれいです。かっこいいです。あの美しいキスシーンも1枚あって、これはもうほとんど宗教画ですね。あ、そういえばキム・ギドクはキリスト教の方でしたね。って言うか、ソンなら、こんな背徳的な主題は許されるのか?ま、私はキリスト教徒じゃないんで、オッケーです。あ、そうか、これはキリスト教じゃなくてギリシャ神話ですね。ますます、いいのか?あのエロスとビーナスのキスシーンのようだもの。

バイク・ボーイの手に目がついてるのもあったし、人妻さんが長椅子で寝てるのもあった(美しい!)キム・ギドクってやっぱ画家だなあ。
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2005年03月06日

「鰐」キム・ギドク初監督作品・前半

チョ・ジェヒョン.jpg
何も見つけられなかったので「悪い男」の時のチョ・ジェヒョンですw

韓国版ビデオ「鰐」を手に入れまして半分見ました。一気に見たかったんですが諸事情で。

キム・ギドク初監督作品、日本未公開。ということで期待と不安が交差する。まだ途中なんですが、なるほどキム・ギドク監督、というとやたらと暴力・女性差別と言われる原因はこの映画にあるのかもしれませんね。しかしそうだとすると最初の作品から人に大きな印象を植え付ける作家であったことは間違いないわけです。

とにかく何の字幕もない韓国語のみの映画なので音声による理解はゼロなワケですが、いつもどおり、ギドクの場合は映像による説明の方が多いのでさほど話がわからないことはない。しかも主人公がすでに見た「悪い男」のチョ・ジェヒョン。「鰐」ではその悪い男ぶりがもっと生ででており、見ていても総毛立つような悪男ぶりだ。しかしこうやってテレビを消して思い出すと、また見たくなってくる。それはチョ・ジェヒョンの魅力もあるのだろうが。

チョ・ジェヒョン演じるヨンペは「鰐」とあだ名されている。ウ老人とまだ小さな少年であるエンボルとともに橋のたもとで寝起きし、川に身投げした人々から金をくすねたりしている。
かなり汚い川で、全裸で飛び込むヨンペ(チョ・ジェヒョン)の健康を心配してしまう。いつも水をモチーフにする、と言われるギドク監督はすでに初作品で水を扱っていてその映像はなんとも幻想的で美しい(汚い川なんだけどね)
ある時、飛び込み自殺をしようとした若い女ヒョンジャン(ウ・ヨンギュン)をヨンペは助ける。だがヨンペは若い女をただ自分の性欲のはけ口としか見ていないのだった。
怖いような乱暴男であるヨンペから小さな体を張ってヒョンジャンを助けようとする少年エンボル(アン・ジェフン)がかっこいいです。この坊やの方が全く男らしいんですがね。こともあろうに、エンボルくんは一応ヨンペと組んで金を稼いだり(というかヨンペが子供をこきつかってるのか)はしてるんですが、目の前できれいなヒョンジャンが犯されているのを見てヨンペの尻に噛み付いたり、眠っているヨンペの股間辺り(はっきりわからんかったw)をナイフで切ったりしちゃうのだ(切り落としたのかと思ってびっくりしたが、その後もやってたので、そうではなかったらしい。大体ウさんに縫ってもらってたしな。いたそ)
後はヨンペがいかさまギャンブルにひっかかったうえに痛い目にあったりするあたりまで。

例のもやったようなブルーの色合いもすでに使われています。後の映画に比べるとやはり乱雑に感じますが、それだけによけいその凶暴性ははっきりと示されている、と感じます。それは必然そうなったのでしょうが、若いギドク監督だからこそ生まれた凶暴性なのでしょう。
そういえば、チョ・ジェヒョンが鼻を切られるシーンは、ジャック・ニコルソンの「チャイナ・タウン」を思い出し、暴力シーンといえば、これだったよね、とにやり。
後半も楽しみです。

出演 チョ・ジェヒョン ウ・ユンギョン チョン・ムソン アン・ジェフン 1996年
posted by フェイユイ at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「サマリア」での男と女

ヨジンとチェヨン.jpg

「サマリア」は援助交際によってお金を稼いで旅行に行きたいと思ってる女子高校生の話。といってしまえば、またまた拒否反応を示されるに違いない。大体、それでキム・ギドク監督は評価がいつも分かれてしまうような設定ばかり描いてるのだ。
が、ここでギドク監督が描いたものはなんだろう。タイトルは「サマリア」このサマリアは勿論、主人公・ヨジンを現している。サマリア人は異教徒によって穢された者なのだが、実は信仰深き人ということを現しているのなら、ギドク監督は友人のために売春(まがいの行為)をするヨジンをサマリアである、と言っているのだ。
それなのにヨジンのパパはヨジンを穢された者としてみなしている。ヨジン自身は全くそのことを感じてはいない。ヨジンの心にあるのは友人チェヨンのことだけだからだ。ヨジンには男たちもお金も何の意味ももってはいない。
これはギドク監督が援助交際がこういうものであるということを描いてるわけでは無い。援交はただ若い女の子に起こり得る可能性として提出されたのであるだけだ。
ギドク監督は多くの場合、女性に拒否反応を示されるということらしいが、これはどうしたことなのだろう。ギドク映画は多くの場合女性的であると私は感じているからだ。視点は女性の側にある、と思うからなのだが。この映画の場合、第3章でのみ女の子から視点が男であるパパに移るのだが、サマリアであるヨジンの正当性と違ってパパの行為は的外れだ。自分の大切な所有物である娘を穢した男たちに自分勝手な復讐を果たしているだけだからだ。ここでは友人を思いやる女性とエゴイスティックな男性が対照的に描かれていると思う。
ちょっとおかしく思ったのはこれまでと違って高校生である彼女たちははっきりした売春行為のシーンはないし、体もつつましく隠されているということだ。はっきり彼女たちの裸体が見えるのは二人きりでお風呂に入ってキスをする場面なんだから、レズビアンだといわれても無理はないでしょう(とそこへもっていく)(韓国では当たり前の友情表現なのかもしれないが、ヨジンとチェヨンの触れ合いに引き込まれたのは事実。韓国では普通って言ったってそんなに他の韓国映画で女性同士キスしてるシーンなんて見てないよ)(話が別方向へいく・・・)

でもそういった恥らった演出が嫌だといってるわけでは無論なく、女性としてはギドク監督の優しさをそこに感じちゃうわけなんですよ(私としてはね)。
この「サマリア」で進んで援助交際をする高校生チェヨンを演じたハン・ヨルムはギドク監督の新作「弓」でまた老人と恋をするという役を演じるらしいし、可愛らしいハン・ヨルムがどんな演技を見せてくれるか楽しみである。
posted by フェイユイ at 13:55| Comment(10) | TrackBack(8) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「サマリア」

サマリア.jpg

ふふ、見ましたDVD。よいですねー、ギドクワールド。もうその世界が好きなんで私的にはもう感想もいらないんですがwやはり語りたい(どっちなんだ)
予想を大きく裏切ったのはセリフが多かったwキム・ギドクとしてはってことですが。中文解読に不安があったのですが、途中からはもう何も気にならなくなりましたねえ。びしびし伝わってきて。

さてさてものすごくネタバレです。その上で、どうぞ。



物語は3章から成り、第1章が「バスミルダ」インドの伝説の娼婦を真似、援助交際をして男たちから金をもらっているチェヨン(ソ・ミンジョン(ハン・ソルム))と、彼女を心配し、彼女と付き合う男たちを嫌悪するヨジン(クァク・チミン)の恋にも似た友情を描いている。インタビュウでチミンは「スタッフや私たちはこれを同性愛とは考えてません」という意見のようで、確かに韓国人は日本人と違って同性間での体の触れ合いが多いということなのでしょうが、フランスにも住んでいたキム・ギドクが全くそういうことを考えなかったとは思えないし、これは監督さんとしてはそういう雰囲気を出して外国の皆さんに大いに関心を持ってもらおうと思いなすったに違いない(しかしなぜそんなことにそうもこだわるかな私w)
ま、いいんですが「青い門」のエントリを読んで下さった方ならお分かりのようにもう最初で惹き込まれましたとも、ええ。大好きです。特にチェヨン(ハン・ソルム)の笑顔はかわいらしくって確かにヨジンが彼女のことを愛して自分のものだけにしたいという気持ちは痛いほど解ります。それだけにもう早い段階で彼女が飛び降りて死んでしまった、というのは、ショックでした。ストーリーを全く知らないまま見ていたので「ああ、この二人のこの甘い関係がずっと続くといいな」と思い始めたやさきだったので。しかもチェヨンはただもうヨジンが自分を助けてくれるのだ、ヨジンがいれば何も心配ないのだと信じきっているのです。ギドク監督のストーリーはいつも何かを示すための寓話であるのですが、ここでも少女は友人を愛し信じているという証拠のために飛び降りてしまう。それが解るため、ヨジンは血まみれになりながらもチェヨンをおぶって病院へ運び自分の処女を失ってまでチェヨンの希望をかなえようとするのですが。

第2章「サマリア」サマリアというのは異教徒により汚された土地という理由でユダヤ人に排斥を受けた、聖書にでてくる地名。だがサマリア人は信仰深き「よき人」として聖書では表される。キム・ギドク監督はキリスト教信者ということでこのモチーフが選ばれたのであろうか。最愛の友人を失ったヨジンは、それまでチェヨンを買った男たちとセックスした後でチェヨンの金を返すという行動を起こす。あれほどチェヨンを抱く男たちに敵意を持っていたのに。だからこそヨジンはもう何の迷いもなく男たちと逢瀬を重ねていく。

第3章「ソナタ」このソナタという意味はどこをさすのだろうwこの第3章がソナタということか映画全体がソナタなのだろうか。などといってもソナタの何たるかをわかってるわけではないので不安定な意見ではあるが、ソナタというのが提示部・展開部・再現部を表しているとするなら、全体的な表現が「ソナタ」ということにならないか。またソナタはその提示部で明確な対比を示すというならまさにヨジンとチェヨンは対比を示している。第2章はまさに展開していくわけだし、第3章で物語りは終結へ向けて安定と解決を目指していく。
娘の行った売春という行為で引き出されるパパ・ヨンギの苦しみはなんという勘違いか。パパの思う苦しみとヨジンのとった行為は全く違う次元のものだ。ヨジンはパパが殺人を犯すほど苦しんだ意味合いと違うところに立っている。この物語はだからこそ怖いのだ。
それにしてもキム・ギドク監督はいつも丁寧に物語の説明をする人だ。その解りやすい説明は他に例がないといっていい。几帳面な人なのだろうか。時にはくどいほどである(その解りやすさが好きなんだあ)
パパと娘が乗っている車の前進を阻止する石ころ。それはパパが娘のために男たちを襲った石ころでもある。それを丹念に取り除くヨジン。車は再び走り出す。問題を解決して人生を進まねばならないのだ。ヨジンはパパが自分を殺す夢を見る。パパはまさしくそう願ったのだろう。が、実際のパパは、ヨジンとの別れに車の運転を教えるのだ。ヨジンは練習し、でこぼこ道、ぬかるんだ道を警察に連れ去られるパパの後を追って運転する。が、途中のぬかるみにはまり込んでしまう。ヨジンの人生は始まったばかり。恐る恐る運転をし、パパの後を追うが、父は遠く離れていってしまうのだ。

参考資料http://www.denen.org/keishiki/c07.html
ラベル:家族
posted by フェイユイ at 00:33| Comment(6) | TrackBack(24) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月27日

「魚と寝る女」ヒジンとヒョンシクそして疑問

魚2.jpg魚・女.jpg魚と寝る.jpg

また見たんですけどねw何だか無性にインスタントコーヒーが飲みたくなる映画だ。ヒジンが運んできてくれればいいんだけど、来てくれないから自分で淹れて飲む。
またまたストーリーかいてしまうことになるのでよろしくお願いします。


キム・ギドク監督の映画で思うのは、男の目から見る女ではなく、女の方から見てる話が(今、私が見た限りじゃ)多いということだ。そして私にはその女性たちがとても感情移入できる存在なので見ていてせつない。

映画を見ていていくつか謎がある(私が気づかないでいるだけって気もしますが)

釣り場の管理人ヒジンはなぜ一人でここにいるのだろう。恋人を殺害し、自殺しようとしてやってきた男・ヒョンシクに着替えを出してやるシーンがある。たんすの奥から男物の服を出すのだ。ということは以前は別の男と住んでいたのだろうか。それは父親かもしれないし、夫がいたのかも知れない。

そして青いバイク、最初少しだけ水につかっており、次にはかなり水に入り込んでしまっている。このバイクは誰のものか。ヒョンシクが乗って来たのか?

これはかなり変な疑問かもしれないが、ヒジンがボートで寝てるシーンで太ももがあらわになっているが、その太ももに痣がある。またヒョンシクが売春婦の女の子とセックスしているシーンでヒョンシクの腕に痣がある。別にアップにもならないのだが意味があるのだろうか?

それだけなのだが、なんにでも意味づけをしているギドク監督。いちいち勘ぐっちゃいます。

男は自殺するのをやめ、釣りを始める。が、側にあった針金で魚を作り、自分の釣り針にさす。ヒジンはその針金の魚を見つけて微笑み、えさをつけてやる。えさのないはずの釣り針に魚がかかり驚くヒョンシク。

またヒョンシクは寂しくブランコをするヒジンを見て針金でブランコを作る。それでヒジンはもうヒョンシクを心から好きになってしまう。けっこうかわいいきっかけである。
ところで、偶然なのだろうか、例の問題シーン、ヒジンが自分の性器に釣り針を引っ掛けひっぱって逃げていくヒョンシクを呼び戻す。驚いたヒョンシクは慌てて戻り、ヒジンの性器から釣り針を抜き取っていくのだが、最後の釣り針を抜いて置いた時、その2本の釣り針がハートマークになってる・・・なんでそんなラブリーなwもし演出ならちょっと恥ずかしくないんですか、ギドクさん。私は問題シーンよりそっちで目をつぶりたくなりました。これも偶然か?

しかしこれでヒョンシクはとうとうヒジンに釣り上げられてしまうわけですね。ヒョンシクはもう観念しちゃって一緒に小屋にペンキ塗ってます。そしてあの美しいラストシーンへ。ここでもヒョンシクがヒジンからもう逃げられないことがわかるのでしょうか。

キム・ギドク監督の映画はいつも色彩が美しく、また建物の様子も物寂しい感じがとても好きです。
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(2) | TrackBack(6) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月24日

キム・ギドク監督の次回作は

ギドク.jpg

キム・ギドク監督の次回作「弓」が未完成のまま、すでに15カ国の映画会社と契約したとか。映画の内容は地図にもない小さな島を背景に少女と老人の恋をえがいたものらしい。

ふーむ、まだ何も言えませんが、またまた世の中の枠から外れた愛の形なわけですね。ずっと見てたくせにぜんぜん考えてなかったんですが(いつも何も考えてない私)キム・ギドクの話は、さまざまな愛の形を描いてたんですねー(今頃こんなこと言う人っているかな)

「青い門」では女同士、また売春婦と男、では当たり前だが女とつながる男たちが、民宿の主人とその息子、好意を持っている女の子の彼氏とか身の回りの男たちを巻き込んでいく、「悪い男」ではやくざと女子大生(しかも男は愛する女を他の男に抱かせ、自分は何もしない)、「魚と寝る女」は犯罪者、「空き家」では、年上の人妻と青年。そして今度は少女と老人。

ただただ楽しみーというだけですね。
posted by フェイユイ at 16:29| Comment(0) | TrackBack(1) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月23日

「青い門」ジナとヘミ

悪い女.jpg

再び「青い門」見たんですが、胸がぐっとなる感じは同じでした。前にも書いたとは思うんですが、この映画は群がってくる男たちと売春婦ジナの物語でもあるけど、やはり一番訴えてくるものは、ジナとヘミの心のつながりです。というかこれはもうジナとヘミの恋物語ですね。

いつもながら、全て書いてしまいますので、未見の方はご承知ください。

一見物語りは、売春婦ジナを毛嫌いするヘミの心が次第に打ち解けていくように見えますが、ヘミの心は最初からジナを求めているんです。ヘミはジナが好きでしょうがないのにジナが売春婦であるためにセックスにためらいがあるヘミはジナを思い切り罵倒してしまう。だが、それは若い娘なら当たり前のことといっていいでしょう。ジナとヘミは全く違う人間ですが、実は一人の若い女の2面性を表しているとも思います。でも私はただ二人がその2面性を2人の人間となって表してるだけとは思いたくありません。

ヘミがジナを好いていたのは、弟が二人を映した写真をくしゃくしゃにしたのに、ヘミは捨てもせず,額の裏に隠していました。ヘミがあんなにジナを嫌っていたのに、映画では突然ジナを好きになるように思えるのですが、ヘミはただジナを好きだと認めるきっかけを待っていたにすぎません。

片方のジナも男に体を売ってはいますが、本当に仲良くなりたいと願っているのは、ヘミに対してだけです。ジナは最初から、傘を差し出したり、ウォークマンをプレゼントしたり、ヘミの心を引き寄せたいと思っています。ジナがヘミにひどくあたったのは、ヘミの恋人が家を訪れた時だけです。ジナとしては大好きなヘミが男といるのがむかついたわけですね。ま、ジナはいつも男と寝てるわけですから、勝手といえば勝手なんですが。そしてジナを買いに来たヘミの恋人が「無実を証明しろ」といったときもうそをついて「私の体がきれいといって2回抱いたわ」なんていうけど、これも二人が別れさせてヘミを自分のものにしたいからなんです。

ジナは自分とヘミが仲良く並んでる姿をエゴン・シーレのような絵にしてヘミに送る。手渡しは無理だから郵便物のようにみせかけて。

またヘミはジナのスケッチブックのなかにある自分の肖像画を見る。それはすねてむっつりしたヘミの顔だが、ヘミはうれしそうに笑う。ヘミはジナが自分をも描いていてくれたことに喜びを感じてる。

街中でヘミはジナの姿を追う。本屋のジナ、カラオケ店のジナ、が、いつしか見失い、今度はジナがヘミを追いかける。髪飾りをつけようとして鏡に後ろのジナの姿が映る。

ジナが売春した金を横取りにやってくるでかい男。ジナが内緒でヌード写真を売って儲けたとジナに乱暴を働く。怒って助けに入るヘミ、が、逆に脅される。いつも男の言いなりのジナがヘミをかばうため男に言い返す。

ヘミは海で働いてるある男(ジナと関係もある)に乱暴男をやっつけてくれるよう頼む。乱暴男、ぼこぼこにやられて去る。もし海男さんとジナの恋物語ならここでジナと海男さんのラブシーンになってもいいんだが、これは、ジナとヘミの恋なので、海男さんの出番は終わり。

ヘミはもうジナへの恋心を隠す必要はない。ジナもヘミへの愛に溢れている。ヘミは座っているジナの腿ににそっと頭をもたせ掛ける。そして互いに微笑む。ヘミはきく「ほんとにジノ(彼氏)はあなたと寝たの?」ジナは黙ってる「私が男ならそうしたわ」「もうどうでもいいの」二人の上に季節はずれの雪が降る。韓国では初雪の時恋人といたらその恋は実るとか。そのときいたのはジナとヘミなのだから。

ヘミはジナを自分の部屋に招く。そのときお客の声が。出て行くヘミ。「部屋はあるかい?女の子はきみ?いくら?」かえってこないヘミを不思議に思いジナは外を覗く。いつものあの部屋の前に雪が降り積もり、ヘミの足跡が。これはどういうことなのだろう。ヘミはジナを休ませたいと思ったのか、それともジナを男に取られるのがいやになったのか、もしくは自分もジナと同じになりたいということなのだろうか。

最後のシーンで前にジナが海男と一緒に座っていた海の中の飛び込み台にジナとヘミが座り楽しそうに笑っている。海の中に魚が自由に泳ぎまわっている。魚はジナたちの心を表しているのだろう。
ラベル:キム・ギドク
posted by フェイユイ at 00:38| Comment(7) | TrackBack(4) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月21日

「魚と寝る女」

魚と.jpg

もういい加減解ってはいるんですが、キム・ギドク、ひたっちゃいましたねー。「水」をモチーフにするというキム・ギドク監督。今回、たっぷりと堪能できました。
 
女主人公ヒジン(ソ・ジョン)は釣客が(頻繁に売春婦をつれて)訪れる小屋船の管理人。彼女は話せるようなのだが、全く口をきかず、客人にコーヒーなどを売りながら、売春もやっているのだ。
紫・緑・黄など色分けされた小屋船が水面に転々と浮かび、晴れた日、雨の日などの情景が美しい。ヒジンが寝泊りしている岸の小屋も粗末なものなのだが、雨のなか犬とともに小屋船の様子を眺めているヒジンの姿は、物悲しくてまたよい。

なぜなんだろ。他の映画を見ていてその女主人公に自分を重ねたり、あまりできないんですが、なぜか、キム・ギドクの登場人物は自分のようだ、と思ってしまうのですよ。それがなければ、こんなに好きになるということはないのでしょうが。

寂しい心のヒジンの釣り場に同じように行き場のない、罪を負った男ヒョンシク(キム・ヨソク)がやってきて、黄色の小屋船を借りるヒジンはヒョンシクに好意を持つのだが、突然抱きついてきたヒョンソクを撥ね退け、なぜかヒジンは売春婦の女の子をヒョンシクにあてがってしまう。

だが、ヒョンシクを激しく愛してしまったヒジンは執拗にヒョンシクに迫っていく(ここ、けっこう怖いです)

そして二人の愛は文字通り激しい痛みを伴うものになる。これは痛いんですが、あの、キム・ギドクのはいつもあくまでそれは象徴的なもの、と私は思ってみているので、これはこのままやった、というよりそういう意味を表すお話と思ってみればよいと、思ってます。
そう思ってみてると、彼のやる演出は全て何か意味を持ってやってることばかりなんですね。ここでは行き場のない寂しい男と女ということだから、それがなんとなく寂れた釣り場の湖であるとか、痛みを伴うのにえさに食いつく魚とか、身を削がれても泳いでいく魚だとか、その心を表すために彼はひとつの映画を作って言ってる、それも言葉を殆ど使わず、映像のみで。

その激痛の描写が話題になった映画のようなんですが、私はむしろ排泄の方が気になりましたよ。船の中に小さな蓋があってそれはトイレ、といってもそのまま湖なんですよ。でそこからも船の淵からも、大小の排泄をしてて、魚を釣るわけで、当たり前といえばそうなんですが続けてみると、食欲はなくなります。しかもヒジンはやたらとその辺りをもぐったりしてるし、トイレから顔を出したりもするし、そちらのほうが、げげげ、でした。

そういう場面もありつつ、さわやかに美しい場面もある。船の小屋の中で二人お昼寝するシーンなんてほんとに気持ちよさそうでした。あれはほんとやってみたいね。
posted by フェイユイ at 00:56| Comment(0) | TrackBack(1) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

「実際状況」Real Fiction

jissaijyoukyou.gif
主人公の青年(チュ・ジンモ)は、公園で肖像画を描いている画家である。彼の描く絵に文句を言う客、ショバ代を要求するヤクザなどが現れるが、彼は怒りを押さえ込んでいる。
そんな彼を女の子(キム・ジナ)がデジタルカメラで撮影しているのだった。
彼女の後を追って入ったある建物の中(小さなステージの上)に、男(ソン・ミンソク)がいて(もう一人の自分)主人公に酒を勧め、殴り、恥ずかしい思いをさせ、主人公に復讐の気持ちを抱かせる。そして主人公は建物を飛び出し、今まで彼にひどく当たったものたちへの復讐を始めるのだった。
自分の中の衝動を抑えて生きる人間の「もうひとつの自分」を表した作品だ。撮影時間が200分で上映時間が84分という実験作でもある
キム・ギドクは同じモチーフをくりかえし使う監督であるらしいが、ここでも主人公が若い絵描きであること。セックスと暴力が描かれていること。主人公が殆どしゃべらないこと。など多くの類似点がある。そしてもうひとつは見るものをあきさせないスピード感ということだろうか。
この映画に関してはそれほどに大好きとは言わないが、キム・ギドクを知る上でやはり見ておきたい1作だと思う。(彼にしては、ということであって、おもしろいことは確か)(もしかしたら私がチュ・ジンモがあまり好きじゃないからかも、彼のファンならずーっとアップが見れますよ)


ここからちょっとネタバレに入っちゃうんですが、


このDVDの絵はいいわけですか?よく考えると「空き家」のジャケットも殆どネタバレだったし、そういうの気にしてない監督さんということなのでしょうか?
後ラスト近くで主人公がやはり画家の女性の部屋をおとづれるシーンがある。いつもどおり主人公黙ってるんですが、女性は特にことを荒立てず、眠る主人公に毛布をかけてあげる。「空き家」でも突然他人の家へ入り込んだ女性を咎めずに眠らせてやるシーンがあった。どちらもとてもいいシーンなのですが、これは監督が特に気に入ってるシチュエーションなのでしょう。とても美しい演出です。
監督キム・ギドク 出演チュ・ジンモ、キム・ジナ、ソン・ミンソク 2000年
posted by フェイユイ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月02日

「悪い男」ソナとハンギ

hanngi.jpghanngi.jpg昨日にもまして書いてしまうので、見てない方はご判断ください。

映画を見ていて感じるのはなんて美しい映画なんだろう、ということだ。色彩のあざやかさもそうだが、その演出にも鳥肌が立つ。ソナは放り込まれた売春宿で自分の部屋を与えられているが、そこにある鏡はマジックミラーになっていて、ハンギからはソナが見えるが、ソナはハンギを見ることはない。ソナが男と寝る様をその鏡越しにハンギは苦しい胸を抱えながら覗き見るのだ(そしてその後で彼女を買った男を殴ったりする)
マジックミラーによる愛の表現は恐ろしいほどだ。ソナは知らず、マジックミラーに顔を近づける。全てに絶望して鏡にもたれかかる。その顔を鏡越しにハンギは指でそっと触れる。そして唇を近づける。ソナは目を閉じる。まるでいとしい人のキスを受けるかのように。

またソナとハンギがはじめて海辺へ行くシーン。小雨が降っているのだろうか。重く沈んだ景色だ。二人の前を赤いワンピースの女が立ち上がる。そして海の中に静かに入っていくのだ。ハンギは何もしない。女は一体何者なのか?ソナは砂の中からばらばらにされた写真を拾う。その写真をつなぎ合わせると二人の男女の顔だけが丸く切り取られている。

ハンギはある日ソナのいるベッドに倒れこむ。だが彼はただソナの手を握りしめ眠り込んでしまう。まるで胎児のように、体を丸め込んで。その横でソナは座って眠っている。まるで幼子を見守る聖母のようにも見える。

ある日ソナが鏡を見ているとハンギが向こう側でライターで自分の顔を照らす。とハンギの顔が鏡越しに見えたのだ。このシーンは特別に美しい。隠されていたハンギの心がやっとソナに見えたということなのだろう。そしてソナは二人を隔てる鏡を叩き割る。手を怪我するのもかまわずに。二人は抱きしめあう。やっと心が通じ合ったのだ。

ハンギはやはり悪い男なのだろう。その報いとしてハンギは何度も殴られ傷つけられる。首にはひどい傷がある。そのために話すことが出来ないほどだ。ソナに無理にキスして兵士に殴られる。ソナにつばをかけられる。ガラスの破片で切られる。仲間うちのヤクザに石で頭を割られ血だらけになる。その後大きなガラスを切ったもので腹を刺し貫かれる。そして最後に子分にナイフで刺されてしまう。

子分にナイフで刺された後、ハンギは子分が疑われぬよう瀕死の状態でナイフを土の中に埋める。ここは涙が出てしまった。

が、ハンギは死ななかった。再び彼はソナといった海辺に座っている。ソナはあの時の女のような赤いワンピースを着ている。そしてそっとハンギの横に座る。ハンギも黙ったまま、ソナを抱く。

ハンギはソナのためにトラックの赤い幌の下に寝る場所を作る。ソナが売春が出来るように。ソナは海辺で働く男を客に取る。仕事の間,ハンギは黙って待っている。ことが終わり、寝乱れた寝具を整え、ソナとハンギはトラックに乗り、旅立っていく。
この結末はなんとも言えず美しい。二人はもう離れることはないのだから。
posted by フェイユイ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(1) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「悪い男」

悪い男.jpg
沈んだトーンの中に赤や青の鮮やかな色が印象的だ。ヤクザであるハンギの女子大生ソナへの愛は異常なのだろう。またソナのハンギへの愛も異常である。
 
ハンギは突然ソナに公衆とボーイフレンドの目の前でキスをしてしまう。ソナを罠にかけて売春宿に放り込んでしまう。そして、マジックミラー越しにソナの有様を見ている。だがそれはハンギのソナへの苦しい愛の表現だった。
信じられないような設定なのに、ハンギの奇妙な優しさにいつしか惹かれていってしまう。
また、キム・ギドクの公平にものを見る目にも驚く。悪いことをした場合にもまたその逆の場合にも報いというものがあるのだ。

ハンギとソナが浜辺に行くシーンがあるのだが、ここは「青い門」でも主人公が座った場所ではないか。実際は「青い門」と「悪い男」には時間の隔たりがあるのだが、偶然つづけてみてしまったのでなんともいえない不思議な感じがした。それに両方ともエゴン・シーレが好きな学生だし(エゴン・シーレという画家を使っていることにも共鳴してしまう。私自身昔絵をかじっていたのだが、エゴン・シーレなんてまた若いときに好きになってしまうのだ)

監督は主人公にチェ・ミンシクを考えてもいたらしい。もし彼がやってたらもっと熱くて涙ぼろぼろなんだろうなあ。でもこれを見たらチョ・ジェヒョン以外には考えられない。それほどクールでかっこいい。

も少し言いたいんですが、今日はここまで。また明日続きを書きます、



 
posted by フェイユイ at 01:44| Comment(0) | TrackBack(2) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月30日

「青い門・悪い女」キム・ギドク

青い門.jpg
やっぱり不思議な映画だった。そしてやっぱり泣いてしまった。いや、自分でもなに泣いてんのかよくわかんないんだが、なぜだか涙が出てくる。昨日のと違って、ほんとに自分の世界なんだなって感じる。
「青い門」のタイトルどおりその舞台は小さな青く塗られた門の中の民宿である(民宿の振りをした売春宿なのだが)ジナ(イ・ジウン)は昼は美術学校に通い、夜はその宿で売春をしているのだ。そしてその民宿の主人・おかみさん・大学生の娘・弟がそれぞれジナとの関わり合っていくのだ。
映画は小さな亀が車道をちょこちょこ歩いて危ないのをジナが救い上げるところから始まる。それはジナという女性が男性を救っていることを暗示している。またジナは魚も助ける。それは女性に対しても。ジナの愛情が向けられていることが示される。
民宿の娘(見たことある顔。おや、冬ソナでチェ・ジウの友達だった人ダ)は売春婦であるジナを毛嫌いしている。まるで触れると腐ってしまうか、とでもいうように。そんな娘ヘミにジナは何とか仲良くなろうとしているのだが、ヘミの心はいらだつばかりだ。
多分、この映画を説明する時、話題は売春している美術学生が、色んな男と関係を持つところに行ってしまうのだろう。だが、ここで一番、しみる話は売春をしているジナと売春を毛嫌いしているヘミの心のふれあいなのだ。
(余談になるが、この前言った「誰にでも秘密がある」のイ・ビョンホンがやるべきことをジナはやってる。皆がジナに惹かれていくのだ)
私がこの映画を好きになったのは、ジナとヘミの友情(もしかしたら愛のような感情)なのだ。
「空き家」でも感じられた静かなトーンはここにもある。そして優しい青い色は自分がジナの飼う魚にでもなってしまったかのようだ。
恐れることはなかった。感じたものは本当だった。キム・ギドクが好きです。それはもう絶対だ。
監督 キム・ギドク 出演イ・ジウン イ・へウン チャン・ハンソン 1998年
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2005年01月29日

キム・ギドクの夜「うつせみ」(3-iron)

トドメです。最後まで話してしまいますので、「3iron・空き家」見てない人は、くれぐれもご自分の判断でお読みくださいませ!

迫ってくる夫。なびかない女に腹をたて叩く。女、初めて夫を叩き返す。めがねが吹っ飛ぶ。
青年、独房にいる。若い看守、姿が見えないので入ってくる。青年は扉の上の小さなくぼみにしがみついていたのだ。かっとなって看守は青年を棒で殴る。
青年、両腕を広げ、にやりと笑って、指先だけを動かす。鳥のように。
女、前に二人で行った古い美しい屋敷を訪ねる。そこの主人が庭を掃除していて女に声をかけるが、女は黙ったまま、青年とお茶を飲んだ長いすに横たわる。その様子を見て主人はなにもいわずまた魚の泳ぐ甕の手入れをする。このシーンはまるで動く絵画のようでこの部分だけでも必見。キム・ギドク監督はずっと水をモチーフにしてきたそうですが、この映画ではあえて言うならこの魚の泳ぐ甕なのでしょうか?奥さんが帰ってきて咎めようとするが、主人は「眠っているんだ」というのみ。やがて女が目を覚まし、お辞儀をして帰って行く。
青年の独房、また看守が覗くが、見えない。中に入ると服が脱ぎ捨てられている。看守、ゆっくりと独房を歩く。真っ白な独房、何もない部屋だ。青年は看守の後ろにぴたりとついていたのだ。看守青年の影に気づいて、毒づき、殴る。
青年、掌に目を描く。その目をつけた掌を動かす。静かに笑う。
また姿が見えないので、看守、中に入ってくる。青年を探す。と、いきなり、ひゅうっと言う音と共に倒れる。また音がして看守外へ飛び出す。別の看守を呼び、青年、二人の看守に腕をつかまれ、どこかへ。
女は浴室で手で洗濯をする。それを見て洗濯機を使えと咎める夫。

映像はここから青年の視線をカメラとして捉えられる。地価の駐車場で青年をいじめた刑事にゴルフボールが次々と飛んでくる。うめいて苦しむ刑事。
ボクサーの家、夫婦喧嘩中、気配を感じるがわからない。
古い屋敷、奥さんが庭の手入れをしている。いつの間にか、青年と女が座ったいすの赤いクッションが動いているが、気づかない。
ヌード写真のあるマンション。主人は電話中。女の切り刻んだ写真は、またもとの形に戻りつつあるが、よく見るとまだ完全ではない。これも暗示か?また、気配を感じられるが、気づかれない。
視線は女の家を訪れる。寝室に夫と女が寝ている。夫、気配を感じてゴルフクラブを握り、探すが、解らない。が、女は寝室のすりガラス越しに青年の姿を見る。夫は執拗に女を抱きしめる。夫が眠るのを待って寝室を出る女。ゆっくりと部屋を歩く。鏡を見ると背中越しに、青年が映る。振り向かず青年の顔をさわる女。
夫がゴルフクラブをもって起きて来る。怒った顔で「何をしている?」女、にっこりと笑って「サランヘヨ(愛している)」(初めての言葉だ)夫、驚くが喜んで妻を抱きしめる。
女、夫の背中の向こうに腕を伸ばす。画面を横切って青年の手が女の手をとり近づく。そして夫の背後から女にキスをする。それはこれまで味わったことのない甘い甘いキスだ。
朝、女は明るく朝食を作っている。「ご飯よ」夫、うれしそうにテーブルに近づく。そのすぐ後ろを青年がついてくる。青年は独房で気配を完全に消すことを学んだのだ。夫食事をする。女、うれしそうに笑う。夫のすぐ後ろに青年が立ってご飯を食べるのだ。夫「うれしそうだな。しかし、不思議だ。昨夜から突然そんなふうになった」女は笑って、青年が取れるよう、おかずを夫に近づける。夫がいぶかしんで後ろを振り向くが青年は夫の視野から外れるように動くので気づかれないでおかずを取る。女は笑う。夫は気づかない。
夫、戸締りを注意して、幸せそうに出勤する。女見送る。主婦というのは夫が出かければ、その家は自分だけのものになるものなのだ(これは男にとっては怖い話だね)女、部屋にゆっくりと戻るが、今度は青年が女の背後についているので姿が見えない。しかし女は両腕を広げてゆっくりと青年を壁に追い詰める。青年、壁につく。女、振り返り、青年とキスをする。ゆっくりと。二人は体重計に乗っている。その重さは二人合わせてちょうど0kgだ。
「私たちの住む世界が現実、あるいは夢なのか伝えるのは難しい」

ということはどういうことなのか。これは単に女が見ている夢なのか?それとも本当にこんな不思議なことがあるというのか?それは見る人によって違っていいと思う。
この映画を見る前に私はちょうど相方とけんかをしていたのだった。肉体的暴力ではないが、かなり精神的にまいっていた。その時にこの映画を見てしまった。どうしても映画と自分のおける状況とは作用するものだ。私が、映画の中の青年に女と一緒になって恋をしてしまっても仕方のないことだと思う。それはこれを演じている実際の男性ということでなく、空っぽ(空き家)になってしまった心に入り込んだ来た夢のような存在だ。女の受けるキスを私はただの映画とは思えなかった。苦しいほど甘いキスだった。映画は私に浄化作用をしてくれたようだった。それはうまく言えないけど、この映画を見て、何かが溶けてしまった。
映画を見て、何かが変わってしまう。不思議な体験だった。
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2005年01月28日

キム・ギドク

すげー気になったんでキム・ギドクについてちょっと調べたの。したら、ものすっごい暴力と残酷性と女性差別って書いてある。ほえー。「3Iron・空き家」見てる分にはそう感じないけどな。「最近は随分毒が抜けてがっかり」なんても書いてある。ひええ。それにぞっこんな私は何?とにかくキム・ギドクを見ずにはおれないんで、次、「青い門」見る予定。かなり評価が分かれるそうだよ。彼の映画って。フェミニストにとっては敵らしい。しかも残酷!!期待しちゃうなあw次のを見て私ががっかりするか、ますますはまるか賭けてみる?

少しだけメイキングも見たんだけど、すっごい雑な感じでよくあんな美しい映像が撮れるもんだと感心。褒めてんのかわかんないけどw全然、映画の勉強なんかもしてないし、映画も見てないって・・・信じられん。しかも無骨な感じの人だ。この人が一番謎の男だね。

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2005年01月27日

「うつせみ」謎の青年

えと、今日もばりばり書きますんでよろしく。あ、「3iron・空き家」について。

昨日勘違いしたことがあった。「貧しい青年」と書いてしまったのだが、映画中何も説明はなかったのだから、彼が貧しいのか、金持ちかは解んないわけです。とにかくこの人は謎の人で、全く話さないから、声もわかんないし、バイクは乗れるし、ゴルフはうまいし、洗濯、料理ができて、他人の家の鍵を開けきれるし、その上、すらりとした美貌の青年。一体、なんなんだろう。
で、昨日の続きで、今度は二人で他人の家のドアノブの上にチラシを貼り、しばらく待ってそのままだったら、留守だというわけ。で待ってる間、ゴルフボールに穴を開けワイヤーを通し木の根っこにくくりつけてスィングの練習をしたりする(よくそういうの思いつくね)
入ったマンションの中にはヌード写真がたくさん貼られていた。そしてなぜか女のヌード写真もそこにあったのだ。CDをかける。いつも同じ曲がかかる。ラテン風の歌。ギターの音色。青年は壊れた時計を直す。女は自分のヌード写真を切り刻んでモザイク模様のようにする。これは、自分がばらばらになってることを暗示してるのか。
そして二人は部屋の写真の前で記念写真を撮る。
青年がゴルフの練習をするすぐ側に立って邪魔をする女。
今度はボクサーの家へ入る。女は青年に髪を切ってもらう。二人、酒を飲む。そしていつものあの歌。泣き出す女の肩を抱く青年。二人、ベッドに入って寄り添って眠る。そこへその家の主人が帰ってきた。青年、ボクサーに殴られる。
コンビニで勝ったカップヌードルをふたりですする。青年がいつものようにゴルフの練習をしようとしてまた女が邪魔をする。青年がよけて向きを変えて打つとそのボールが車の中の女性の頭にあたり、女性は血だらけに。青年は泣き出す。
古い美しい屋敷にはいり、お茶を飲む二人。女は足で青年の脚をさする。そしてふたり、キスをする。
古びた汚いアパートに忍び込む。そこには老人の死体が。その横に小犬が寄り添っていた。二人は老人をきれいに拭いて死に装束を着せてやる。そして食事を取ろうとすると、老人の子供たちが様子を見にやってきたのだ。とうとう二人は警察に行くこととなる。
女は家出リストに載っており、夫に連れ戻される。夫は青年に憎悪をぶつける。残った青年は担当の刑事にひどい目にあう。部下が「あの老人は、癌で死んだのだ」と告げる。だが刑事は容赦しない。
女が心を開かないため、夫は刑事に金を渡し、青年を外に連れ出させ、ゴルフボールをぶつけて、憂さをはらす。その後も刑事にひどい目に会い、反抗する青年。慌てて部下が止めに入り、かっとなった刑事は画面の外で青年に・・・。何をしたか見えないだけ怖いシーンだ。
青年は牢でけんかをして独房に入れられる。まっ白に塗られた何もない部屋だ。看守が覗き込んで驚く、いない?実は扉側の壁にへばりついていたので、みえなかったのだ。怒鳴りつける看守。にやりと笑う青年。看守が去ると今度はまっすぐな壁を彼はよじ登り始めた。
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キム・ギドクにとり憑かれてしまった「うつせみ」

うーん、確か暮れだったかな。韓国の映画監督でまだぐちゃぐちゃになってしまうような人はいない、と、文句を言ったのは。年明け早くも1月に出会ってしまったような気が。しかももうすでに何作も作ってる方ですからねー。ここで早くも出会えたことを感謝します。でもってもはやすっかり頭はキム・ギドクにつかりこんでおります。名前からしてチトやばい感じだよね。ギドクって。
で、今日も見ましたよ、全部。2回目となると退屈かと心配したがこれがちっとも。時間も90分と短いせいもあるし、何より1つ1つのシーンが意味があるので、つい魅入ってしまう。年増の奥様もきれいだなあと見飽きないし、モチ青年はとても美形だしね。
で、今日はぞっこんになってしまった「空き家・3iron」のことをぐちぐち語ってみたい。ので、もう全部話すので見てない方、そのおつもりで。
なんといってもこの話、あり得ないことありにくいことだけでできあがっている。それはたとえば、かなりの豪華な邸宅に住む顔の腫上がった美しい人妻と謎の美青年、という設定。貧しそうな青年がなぜかBMWを乗り回していること(これについて説明があるのかと思ったらなかった。細身の青年が乗るには大型排気量(1200ぐらい)のBMWは大きすぎるんじゃないか?ッて気もする。私としてはも少し小型(800くらいの)のイタリア製(ドゥカティとかさ)とかかっこつけてクラシックタイプ、もしくはスズキなんかが似合うと思うのにな)(それともBMWってのにも意味あるのかな)に現れている。
DVDではまるで宗教画のような3人の構図のイントロダクションから始まる。顔を向こうに向けて妻を放すまいと抱きしめている夫。夫の腕から逃れようと身をのけぞらせている妻。その人妻である女にまるで天使のように空中から舞い降りてキスをするかのような青年。女の顔は笑っているようにも苦しんでいるようにも見える。
そして物語の始まり。ネット越しの女性の石膏像にゴルフのボールを打ち込む夫。それがなんとなく打たれ続けている妻の姿を思わせる。
人気のない家に上がりこんでは、飲み食い、シャワーを浴び、なぜかその家の洗濯をしたり、壊れたものを修理する青年。女の家にも上がりこむが実は女がいたと気づかず、料理をし、風呂にはいる。
ほっそりとしたきれいな体だ。青年は女の写真集を見つける。隠してはいるが、ヌードを写したきれいな写真集。青年は風呂にはいって、湯のなかに写真集を浸ける。そしてあがってからアイロンでそれを乾かすのだ。その後、青年は毛布の中でその写真を見ながら自慰をする。その様子を女はじっとみつめる。そこでやっと青年は女の視線に気づく。
一度は逃げ出した青年だったが女の寂しげな様子を思い出しまたバイクを戻す。夫が帰ってきて女に暴力を振るう。やがて夫は青年の存在に気づき警察を呼ぼうとする。青年は夫の体にゴルフボールを打ち込むのだった。
起き上がれない夫。青年はバイクにまたがりスロットルを回して排気音で女を誘った。
posted by フェイユイ at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月25日

「うつせみ」3-iron (空き家) 後半

今日はちょっと冷静には書くことができない。これはなんていう映画なんだろうか?韓国映画を見て初めて、「これはなんという映画だろう?」と感じた。
そして初めて「感じて」しまった映画でもある。それは主人公の一人である女性が自分と近い年齢で、夢のような美青年とのあり得ない恋物語だから、と笑われればもうしょうがないことだ。確かに行き場のないもうすでに年を取った女に殴ることでしか愛情を示せない夫。そして自分を遠くへ連れ出してくれる現実味のない不思議な青年との突然の出会い、という映画に自己投影してるといえばときたら、現実逃避願望といわれるだけだ。
ただこの映画に感じたものはそれだけではないはずだ。考えれば他人の家に入り込むこともそこで飲み食いし眠ることも現実にあり得ない話だ。この青年が何なのか、よくわからない。何故この二人は全く言葉を交わさないのか、いや、一言だけ女は言葉を発するのだ、とても静かに。夫はそれを自分に当てた言葉だと思い喜ぶ。だが、女の言葉は・・・。
この映画についてもう少し、考えてみたいと思う。今、言えるのはこれはとても大好きな映画だということだ。
キスがこんなに官能的であるのかと初めて思った。
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2005年01月24日

「うつせみ」3-iron (空き家)前半

空き家を探してはそこで寝泊りするという生活を送る青年(イ・ヒョンギュン)は、ある一軒家で傷だらけの女性(イ・スンヨン)と出会う。その女性(ソンファ=イ・スンヨン)は、暴力をふるう夫に監禁されているのだ。彼女を置いて逃げるように去った青年だったが、彼女の助けてほしいと懇願するような目が頭から離れず、また彼女の元に引き返す。そこで夫に暴力を振るわれているソンファの姿を見た青年は、近くにあった3番アイアンのゴルフクラブを握りしめて・・・。
不思議な映画なんですよ。まずすごい美青年が現れたんで、「あり、まちがえたかな?」と美青年をみると逃げ腰になる私はややへこんだ。しかしこの美青年をカメラは執拗ほどなほど思い入れたっぷりにうつしていくのだ。全裸も披露され彼がいかに美貌であるか、言葉でなく映像によって説明がされる。次に腫上がった顔の中年女(って言い方はいけないか?30代)が現れ、この二人が全くしゃべらない。しゃべらないんで苦手な英文を読まなきゃいけない私はすごく楽だ(いい映画だ)動きのみで映画が進んでいく。他人の家に入り込むというのはいけないことだが、彼は奇妙なルールを作って自らに課している。そして年上の女との出会い。物語はますます不思議な方向へ走り出していく。
空き家.jpg
監督キム・ギドク 出演イ・ヒョンギュン イ・スンヨン(彼女は以前、従軍慰安婦に扮した写真集を出してしばらく表に出てなかったらしい。ここではとてもいい演技をしています)
2004年
posted by フェイユイ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(1) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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