四月一日はレスリー・チャンの命日。
そのせいなのか、今日は朝から気分が重い。空も曇っている。
先日「覇王別姫」を見たっけ。とても美しかった。
彼はいないんだな、と思うと寂しい。
2006年04月01日
2006年03月27日
「ウィン・シャ エキシビジョン」のHP
毎度、じえるなさんから情報を寄せていただきありがとうございます!!
今回は「ウィン・シャ エキシビジョン」のHP 幻想的な映像の数々、どうぞご覧ください。
「Photo Gallery」内「Celebrity Photo」の「Movie」のページ
に「ブエノスアイレス」の写真があります。
「Next Exhibition」でもレスリーさんが見られますよ。
とのことです。
レスリーの横顔が素敵です。
写真展未公開作品の「兄弟愛」の少年達が気になりますねえ。
今回は「ウィン・シャ エキシビジョン」のHP 幻想的な映像の数々、どうぞご覧ください。
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に「ブエノスアイレス」の写真があります。
「Next Exhibition」でもレスリーさんが見られますよ。
とのことです。
レスリーの横顔が素敵です。
写真展未公開作品の「兄弟愛」の少年達が気になりますねえ。
2006年03月26日
「さらばわが愛・覇王別姫」後半
日本軍の前で演じた貴姫のもう一度シーンを観る。燃えるような赤の中の蝶衣は美しく儚い。日本軍将校と張り合って拍手を送る袁の姿も面白い。
ところでこの映画を観て驚いた事の一つは悪の権化であるはずの日本軍がかなり柔かく描いてあったことだ。小樓に対しては無礼な態度をとるが、蝶衣に対しての賛辞、特に将校である青木は蝶衣に強い愛情を示していて描き方としても紳士的ですらある。蝶衣も青木の好意をこころよく思っている。なぜなら蝶衣にとっては彼の芸術を理解してくれる人間こそがいい人間なのだ。恐ろしい革命軍の裁判においても「青木は京劇を日本に持っていくつもりだった」と話す。
この物語は中国が旧世界から新時代へ向かう過程を描いている。日本軍の侵攻から文化大革命を経る歴史の中で京劇役者・小樓、女形・蝶衣、小樓の妻・菊仙、3人の人生が絡み合っていく。
小樓を挟んで蝶衣と菊仙は恋敵であり激しく互いを攻めあうのだが、そんな二人のふれあいを映した場面がある。
一つは絶望して阿片に溺れた蝶衣の部屋を訪れた菊仙が「お母さん」と泣きながらつぶやく蝶衣を抱きしめるシーン。劇団に捨てられた時の記憶が戻ったのか蝶衣は母親を求めるのだ。そんな蝶衣を疎んじていたはずの菊仙が優しく抱きしめるのを見て切なくなる。結局は菊仙も遊郭にいた身の上。親に捨てられたような境遇だったのではないだろうか。
一つは最後、文化革命の厳しい自己批判の責め苦を受けて小樓は「(売春婦だった)菊仙を愛してなどいない」と告白する。
命を奪われる事はなかったが、菊仙は死を選ぶ。菊仙の名を叫ぶ蝶衣。やはりここでも同じく愛する小樓から見捨てられた者として菊仙と蝶衣はつながっているのだ。
そんな小樓は蝶衣をどう思っていたのだろうか。物語の中で彼は何度もあるときは自主的にある時は妻から説得されて蝶衣と別れようとする。
がいつの間にか二人は元に戻って覇王と姫としての芝居を続けるのだ。
小樓の愛を得られない蝶衣は袁世卿の寵愛で慰めとする。自己批判の際に小樓は蝶衣を責める。「袁世卿と蝶衣は・・・!」自らは蝶衣を(肉体的に)愛する事はなくとも心の中で嫉妬していたというのか。では蝶衣の愛はどこで受け止められるというのだろう。
自己批判がなければ小樓もそんな事を叫ぶ事もなかったのだ。が、歴史は残酷にも彼らを追い詰めていった。
どんなに京劇を愛していても芸術を悪とする革命は蝶衣を締め付けていく。だからこそ、蝶衣は「日本軍の青木は京劇を自分を愛してくれていた」と言ってはいけない言葉を発してしまうのだ。
そして京劇の世界にも昔を知らない若者達が次第に幅をきかせてくる。蝶衣は取り残された存在となっていく。
歴史に飲み込まれていった3人の男女の運命は過酷なものであった。蝶衣が想いを寄せる小樓の腰の刀を引き抜いた所で物語の幕は閉じる。
ところでこの映画を観て驚いた事の一つは悪の権化であるはずの日本軍がかなり柔かく描いてあったことだ。小樓に対しては無礼な態度をとるが、蝶衣に対しての賛辞、特に将校である青木は蝶衣に強い愛情を示していて描き方としても紳士的ですらある。蝶衣も青木の好意をこころよく思っている。なぜなら蝶衣にとっては彼の芸術を理解してくれる人間こそがいい人間なのだ。恐ろしい革命軍の裁判においても「青木は京劇を日本に持っていくつもりだった」と話す。
この物語は中国が旧世界から新時代へ向かう過程を描いている。日本軍の侵攻から文化大革命を経る歴史の中で京劇役者・小樓、女形・蝶衣、小樓の妻・菊仙、3人の人生が絡み合っていく。
小樓を挟んで蝶衣と菊仙は恋敵であり激しく互いを攻めあうのだが、そんな二人のふれあいを映した場面がある。
一つは絶望して阿片に溺れた蝶衣の部屋を訪れた菊仙が「お母さん」と泣きながらつぶやく蝶衣を抱きしめるシーン。劇団に捨てられた時の記憶が戻ったのか蝶衣は母親を求めるのだ。そんな蝶衣を疎んじていたはずの菊仙が優しく抱きしめるのを見て切なくなる。結局は菊仙も遊郭にいた身の上。親に捨てられたような境遇だったのではないだろうか。
一つは最後、文化革命の厳しい自己批判の責め苦を受けて小樓は「(売春婦だった)菊仙を愛してなどいない」と告白する。
命を奪われる事はなかったが、菊仙は死を選ぶ。菊仙の名を叫ぶ蝶衣。やはりここでも同じく愛する小樓から見捨てられた者として菊仙と蝶衣はつながっているのだ。
そんな小樓は蝶衣をどう思っていたのだろうか。物語の中で彼は何度もあるときは自主的にある時は妻から説得されて蝶衣と別れようとする。
がいつの間にか二人は元に戻って覇王と姫としての芝居を続けるのだ。
小樓の愛を得られない蝶衣は袁世卿の寵愛で慰めとする。自己批判の際に小樓は蝶衣を責める。「袁世卿と蝶衣は・・・!」自らは蝶衣を(肉体的に)愛する事はなくとも心の中で嫉妬していたというのか。では蝶衣の愛はどこで受け止められるというのだろう。
自己批判がなければ小樓もそんな事を叫ぶ事もなかったのだ。が、歴史は残酷にも彼らを追い詰めていった。
どんなに京劇を愛していても芸術を悪とする革命は蝶衣を締め付けていく。だからこそ、蝶衣は「日本軍の青木は京劇を自分を愛してくれていた」と言ってはいけない言葉を発してしまうのだ。
そして京劇の世界にも昔を知らない若者達が次第に幅をきかせてくる。蝶衣は取り残された存在となっていく。
歴史に飲み込まれていった3人の男女の運命は過酷なものであった。蝶衣が想いを寄せる小樓の腰の刀を引き抜いた所で物語の幕は閉じる。
「さらば、わが愛 覇王別姫」前半
心に残る名作であり、また非常に思い出深い作品なのだ。
私がこれを最初に観た時は、レスリー・チャンにのめりこんで間もない頃であった。
「ブエノスアイレス」で衝撃を受けた私は次にこの作品を観たのだ。「ブエノスアイレス」での奔放な役と違い、幼い頃から厳しく律された生活を送り、切れそうに張り詰めた弦のような魂をもつ女形京劇役者・程蝶衣を演じたレスリー・チャンに私は再び打ちのめされる事になる。
女形の化粧を施されたレスリーの美貌になんと言い様もなく胸を締め付けられた。
その目の表情にも立ち居振る舞いにも心を奪われていった。
また中国映画を観始めたばかりの頃でもあったのでその作品の質の高さにも目を見張った。
この映画の魅力は導入部の二人の京劇役者の幼少時代によるものが大きいのではないだろうか。
蝶衣(レスリー・チャン)の相手役となる兄貴分の段小樓(チャン・フォンイー)は石頭というあだ名を持つ。芝居が中断され不満を持つ観客の前で頭で石を割って見せる。
遊女を親に持つ蝶衣は指が6本ある。母親は、遊郭では大きくなった子供を育てられない、と言って蝶衣を劇団に連れてくる。しかし蝶衣の指を見た団長はそれでは客が怖がって観に来ないからダメだと言う。思いつめた母親はその指を切断するのだ。
遊女の子をあざける子供たちの中で小樓だけは蝶衣をかばう。以後、蝶衣は小樓を兄として慕い、小樓も蝶衣をいつも気にかけ何かと世話をやく。
蝶衣は女形としての稽古を受けるが「女として生まれ」というセリフを何度やっても「男として生まれ」と言ってしまう。大事な時に再び失敗した蝶衣を見て小樓はその口にキセルを押し込み激しく叱る。蝶衣はついに「女に生まれ」というセリフを言えるようになる。
厳しく辛い京劇役者の修行時代。間違いをすれば稽古用の刀で尻を打たれ、手を打たれる。あまりに凄まじく皮膚が破れて血が噴出すほどだ。
小樓と蝶衣は兄弟以上に互いを支えあい、慈しむ。他に逃げ場所のない子供達のその姿を見て心は痛むが目を離すことはできない。
二人の絆を表す悲しい子供時代なのだ。
蝶衣は美しい女形の運命として金持ちの老人に身を任すことになる。ふさぎこむ蝶衣に言葉が投げかけられる「運命に逆らうな」
酷い言葉ではあるが歴史はさらに蝶衣を過酷な運命に巻き込んでいく。
日本軍の侵略。慕い続けた小樓の菊仙(コン・リー)との結婚。袁(グー・ヨウ)との出会い(袁というのは袁世凱のことであろう)蝶衣は満たされぬ想いを袁からの愛で塞ごうとする。この袁役のグー・ヨウの鬼気せまる演技。最初観た時はまだ彼を知らなかったのでその怪演に度肝を抜かれた。決して大げさでなくこの時の彼を見たら誰でも忘れられないだろう。主人公たちがめげそうなほどの印象である。蝶衣への賛辞を送るその目は狂気に満ちている。(グー・ヨウ氏が中国では指折りの役者だと後に知る。最初から叩きのめされたよ)
やがて盧溝橋事件が起こり、日本軍が北京へも侵略してくる。日本軍の前で舞う蝶衣。この時のレスリーは言葉を絶するほどに美しい。
日本軍に逆らったために投獄された小樓を救うため蝶衣は日本軍の招待を受ける。それを知った小樓は助け出された後、蝶衣の頬を打つ。
蝶衣には絶望しか残されていない。やがて彼はアヘンにはまっていく。
小樓の妻役のコン・リーもこの時知る。激しい気性にまた驚いた。何が起きてもまったく挫けない根性は西洋人にもない強さだ。彼女の作品も以後たくさん観ることになる。今でも魅力溢れる演技を続けている凄い女優である。
思い出が多いので半分でも言いたいことが溢れる。
兄貴分・段小樓のチャン・フォンイーは他には「始皇帝暗殺」しか知らないが、非常にけれん味のある演技で大柄で見ごたえあった。
レスリー・チャンは素晴らしい仕事をたくさんしている人だが、特にこの「覇王別姫」は1993年カンヌ国際映画祭パルムドール賞受賞しているわけでこれによってレスリー・チャンの名はずっと残っていくはずだ。
この美しさを後世の人も観てきっと胸をうつだろう。この人は誰なのかときっと調べる事だろう。
監督:チェン・カイコー
出演:レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー、グー・ヨウ
1993年製作
2006年03月01日
理想のゲイペア
アメリカでは「ブロークバックマウンテン」がアカデミー賞最有力候補になっている。
私も映画のゲイものには強く惹かれ観て来たものだが、では映画で一番のカップルと言うとうーむ。誰と誰でしょう?こういうの考えるの楽しいんだけどね。
で、すぐに思いつくのは結局やはり「ブエノスアイレス」のトニーとレスリーだったりして。いつまでも変わらないなー。だってあれ以上私好みのペアっていないんだもの。
なぜ「ブエノス」の2人がそんなに好みなのか、まあ、映画自体がこれ以上ないくらい好みなのが決め手ではあるんだが、あえて2人にことだけに絞ってみても
「2人が普通の男でオネエではない(オネエの方ごめん)どちらも売春で食ってない(売春婦の方ごめん、別にいけないんじゃないけど、ゲイ映画って言うと売春になる安直さがいやなの)大金持ちではない、普通の仕事をしている(レスリーは何もしてないけど)クスリをやっていない(クスリも安着で嫌)最後に死んでない(映像としては)結構年食ってる。尚且つ2人とも美形」
などである。
片方が俳優だとか歌手なんてのも嫌だし。社長やら芸術家なんてのもちょっと冷める。「ブエノス」の2人はあくまでも普通の(ちょっとだけハンサムな)中年同士というのが最高によい。
あえて贅沢を言えばもう少しマッチョ的だともっとうれしいのですが、トニーとレスリーなんだからいいや。
今のとこ、2人を超えるペアは私にとって現れてないのです。「BBM」はどうなのかなー。
私も映画のゲイものには強く惹かれ観て来たものだが、では映画で一番のカップルと言うとうーむ。誰と誰でしょう?こういうの考えるの楽しいんだけどね。
で、すぐに思いつくのは結局やはり「ブエノスアイレス」のトニーとレスリーだったりして。いつまでも変わらないなー。だってあれ以上私好みのペアっていないんだもの。
なぜ「ブエノス」の2人がそんなに好みなのか、まあ、映画自体がこれ以上ないくらい好みなのが決め手ではあるんだが、あえて2人にことだけに絞ってみても
「2人が普通の男でオネエではない(オネエの方ごめん)どちらも売春で食ってない(売春婦の方ごめん、別にいけないんじゃないけど、ゲイ映画って言うと売春になる安直さがいやなの)大金持ちではない、普通の仕事をしている(レスリーは何もしてないけど)クスリをやっていない(クスリも安着で嫌)最後に死んでない(映像としては)結構年食ってる。尚且つ2人とも美形」
などである。
片方が俳優だとか歌手なんてのも嫌だし。社長やら芸術家なんてのもちょっと冷める。「ブエノス」の2人はあくまでも普通の(ちょっとだけハンサムな)中年同士というのが最高によい。
あえて贅沢を言えばもう少しマッチョ的だともっとうれしいのですが、トニーとレスリーなんだからいいや。
今のとこ、2人を超えるペアは私にとって現れてないのです。「BBM」はどうなのかなー。
2006年01月29日
ダブルタップ 鎗王
これも以前、中文字幕で観たものを今回日本語字幕で見直しました。
実はこれ、最初見た時、あまり好きではなかったのです。あまり、というか全くというか。殺伐すぎると思って。が、今回見直してなかなか見ごたえあるし、レスリーはさすがに迫力あるなと思いなおしました。
日本語字幕で理解できたというのもありますね。
この物語では「あの時、こうしていれば、いなければ」というターニング・ポイントがいくつかある。勿論それはレスリー演じるリックが平凡な人間から殺人者(サイコキラー)に到る過程ということなのだが。
一つは射撃から遠ざかっていたリックをリックの恋人・コリーン(ルビー・ウォン)が鑑識官ビンセントに紹介して射撃を教えさせたこと。
一つは同僚のユー刑事が銃を乱射した時に刑事ミウが撃つのをためらい、そのためにリックが初めて殺人を行ってしまったこと。彼はそこで殺人に快感があることを知り、次第に歯止めが利かなくなっていくのだ。
勿論、もともとそういう因子があるのなら、また別のきっかけで殺人者になったとも言える。が、この物語ではそのきっかけが警察に関連しているという皮肉を仕掛けている。
またリックに銃の改造をしてもらっている実業家ヤンの残虐性や射撃場の教官ジョーのリックへのいじめともとれる行動も彼の殺人衝動に拍車をかけてしまった。
そして彼に一目を置いていた刑事ミウもリックの度重なる殺人(その多くは仲間である刑事)に苛立ちついに逮捕していたリックの恋人コリーンに手荒く手錠をかけ自分の恋人や仲間に向かって銃口を向けてしまう。結局は説得されたとは言え、ミウ自身も狂気の一歩手前に立ってしまったのだ。
最初から最後までぴんと張り詰めたような感があるために観ているものも非常な緊張を強いられる。訓練から射撃大会、殺人までの銃撃戦はぞっとするような臨場感に満ちている。
だが、ここで好みが分かれてしまうのはリックの性格描写・過去の経歴などを省略し進行する話だけに描写を凝縮しているためにある意味ではシンプルで解りやすいが他方から言えばリックがどうしてここまで狂気に走ってしまったのか。あるいはなぜ恋人・コリーンを命がけで助け、また最後蹴り飛ばしてしまうのか、納得しにくい部分もあるのではないか。私は以前その辺が判りかね、今回はあまり気にならなくなった、ということなのだ。
何故気にならなくなったのかというのは一つ目に言ったシンプルにまとめて二人の男を浮き彫りにしたことがよかったのだ、と思えたからだ。
刑事ミウは性結局彼はリックに惹かれていたことは確かなのだろう。その卓越した技術に。その彼が自分の仲間を殺してしまった。それも自分の臆病さが原因なのである。そして興奮し間違った行動を起こしてしまう。彼自身もリックになってしまう可能性はあるのだ。
レスリーの狂気に陥っていく殺人者は凄まじいものがあり、いつもながら魅了されてしまう。アレックス・フォンのミウ刑事も人間味があって男らしい魅力的な役柄だった。そしてその二人の男のパートナーである女性は対照的でありまたどちらも愛を貫いているいい女振りであったと思う。
ダブルタップとは2発の銃弾を連射し、同じ位置に命中させる高度な射撃テクニックのことを言う。
監督・脚本:ロー・チーリョン 出演レスリー・チャン、アレックス・フォン、ルビー・ウォン、モニカ・チャン 2000年製作
DVDの特典としてレスリー・チャンのインタビューがついていた。
今後は裏方に回って監督業に専念していきたいという抱負を笑いながら明るく語っているレスリーの姿。私も雑誌などで彼の希望を読みながら楽しみにして映画の完成を待っていた。
胡軍が出演するはずだったのに。レスリーも共演すると言う話もあって胸躍らせたものだった。
映画は観れるようになったけど、こうやって彼の言葉を聞くとやはりとても寂しい。本当に悲しい。
2006年01月28日
「神鳥英雄伝」("楊過興小龍女")
ずっと以前、例によって中文字幕で観たものですが、その時は「射[周鳥]英雄伝」も見てないし、小説は勿論読んでないのでかなりと言うか全くもって不可思議なる映画でした。
今回は「射[周鳥]英雄伝」も小説・ドラマで知ったし、この映画も原作である「神雕侠侶」も半分ほど読んだところである。
と言う万全(?)に近い体制で見るほどの映画ではなかろう(笑)が、知ってるほうが絶対に判りやすい。というか何の予備知識もなくこの映画を観て理解できるお方がおられるのだろうか?とにかくぶっ飛び摩訶不思議映画である。
登場人物が何の紹介もなくどんどん出てくるし(登場した時、画面に役名が出てきて教えてはくれるが)場面はダイジェストのようにがんがん変わる。多分先に紹介した二つの小説は観客は知っているものという前提の上で作られているに違いない。
レスリーファンであればその彼の可愛らしさにぼーっとなって観てるだけでもまあよいでしょう。70年代頃のロック・ミュージシャンもどきの女の子のような髪型である。ひたすら可愛い。
それにしても楊康が嫌いだったとは言えその息子である楊過を見ると何とも言えず知り合いの子供を見たような思いに襲われる。そして郭靖・黄蓉夫婦の登場。わがまま放題の娘・郭芙もいる。郭靖は楊過を見て沈痛な思いに捕らわれるが、ここは金庸ドラマ迷としては説明はなくともさもありなんとうなづくばかり。
楊過は郭靖の計らいで武術を学ぶため師匠を紹介されるがここで散々ないじめに会い逃げ出してしまう。そして入り込んだところが古墓派の小龍女の地下の住まいであった。古墓派は代々女性により武術を伝えている流派なのだが、小龍女は若く美しい後継者なのだった。
小龍女に仕える婆婆の口添えで楊過は小龍女の弟子にしてもらい、二人は修行を始める。最初は冷たかった小龍女も楊過を次第に好きになっていくのだった。師匠と弟子が好き合うことは倫理に背く事。だが皆の冷たい視線を受けても二人の心は変わらない。しかし運命は・・・。
尹志平と趙志敬という情けない二人組みが登場。ふたりともむさい風貌なのだが、尹志平は美しい小龍女に一目惚れ。紙に「小龍女」と言う文字をびっしり書いて埋め尽くしている様がいじらしくもおかしい。恋する男だ。それを取っていじめる相棒・趙志敬は相当意地が悪い。
それにしてもこの原作である「神雕侠侶」またドラマになるようだが、今回は師匠と弟子の愛という禁断の世界である。師匠と弟子と言うのは親子も同然なので親子の間で近親相姦するのと同じ事なのだそうだ。であるからそんな二人を見る周りの目は畜生道に落ちた者をみる蔑みに満ちているのだ。またまた金庸の危ない世界を見ることになるのだなあ。
とは言えこの映画では一応言って入るがさほどそういった意味での凄惨さはないようで。割とあっけらかんとしてるような気はする(本人達は悲劇なのかもしれないが)
そして物語後半。レスリーもとい楊過は郭靖から逃れようと逃げる際に崖から落ちてしまう。死んだかと思いきや何ともいえぬ怪鳥によって助けられたのだった!!心優しい怪鳥の手厚い看護で楊過は命拾いした。いくらレスリーを助けてくれたとは言え、この怪鳥って(涙)
しかも楊過はこの怪鳥に剣の手ほどきを受けて強くなる(ナンなんだ)しかもこの時のレスリーが妙に可愛いからなあ。鳥とのラブシーンでさえ色っぽいレスリーなのである。(頬ずりしてるだけですが)
ってこの怪鳥って原作では鷲なんでしょ?まだ途中までしか読んでないんですが、まさかこの鳥じゃないですよねー、金庸さん。
そして戦いを挑んできた金輪法王。モンゴルの国師ということですが、この格好でOKなのでしょうか?寒そうですが。格好的にインド方面からのお越しかと思ってしまいましたぞ。
最後に強くなった楊過との死闘(?)の末、再び崖から落っこちた楊過を怪鳥(口が裂けても鷲とはいえません)がまたもや助けて後、金輪法王を倒し小龍女とも再会できてめでたしめでたし。でした。
物凄い超特急で話が突き進み錐もみ状態で終わりを告げられる。怪鳥が夢に出てきそうだし。
他には突然楊過のパパになる西毒・欧陽峰や洪七公も登場しますよ。何となく出てくるこの二人、知らない人には何と思われるんだろうか?
監督:華山 出演レスリー・チャン、マリー・ジーン・レイマー、チェン・クアンタイ、タニー・ティエン、クー・フェン、ロー・リエ 1982年製作
2006年01月16日
金玉満堂〜決戦!炎の料理人〜
実に久し振りに観ましたがこれは楽しい!お腹の鳴る映画ですよ。
とにかく食材の豊富にあることよ!これぞ中国の食、という感じがします。日本料理のちまちました美しさではなく全てが豪快。そして料理自体がまさに格闘技といったツイ・ハークならではの迫力です。その真髄は満漢楼の主人といきなり乗り込んできた「料理の超人集団代表」ウォン・ウィンとの牛肉焼きそば(うまそー)と酢豚対決だ!
解説付きでつばがたまります。炎も美しい。しかも対決してる二人オウ(ロー・ガーイン)とウォン・ウィン(熊欣欣)がなぜかしょぼいので余計おかしさがこみ上げてきます。エプロン姿も可愛いし。
その点、ルン役の趙文卓 はここでもきりりとしてかっこいいです。ケンカシーンなんて絶対負けないって解るもの。リウ・キット役のケニー・ビーはかっこいいんですがおかしくなってしまうと言う腕の立つ料理人でしかも奥さんのために頑張るいい役でした。
そしてレスリーの可愛い事といったら、髪留めバッテンもなんとチャーミングな。そしてここでも役になりきるレスリーの悪ノリも徹底してます。次から次へとなんで紹介しきれないのですが高価な抱えきれないほどデカイ魚と格闘するのが脱力。キスシーンは無理矢理すぎだし(笑)
そして大好きなのがアニタ・ユンの恐怖の歌の場面のレスリーは鼻血ものです。元カノをにらみつける顔、アニタの歌でタバコぽろり、途中でずっこけるのも凄く可愛いのだよね。
そしてアニタ・ユンと共にそれぞれ三浦さんと山口百恵になるのもおかしい。レスリー自身が山口百恵が好きだったのでこのシーンも見ものです。
それからアパートの何階からか落ちそうになるアニタを必死で助けるレスリーの服がびりびりに破れて・・・ってそんなに簡単に破れんのかな。
でも最期は熱烈なキスで終わってさすがレスリーでした。
そして物語はレストラン満漢楼をどうしても継ぎたくない娘ウェイ(アニタ・ユン)が父が倒れた事で超人ウォン・ウィンを打ち負かそうと立ち上がる。これを助けるサン(レスリー・チャン)とルン(趙文卓)がかつて素晴らしい料理人だったリウ・キットを探して挑む、という「七剣」そのものですね。そして敵ウォン・ウィンは「ブレード/刀」のあの刺青男です。あの人は怖かった。
決戦では審査員に日本人も登場。なぜかしきってます。一番偉そうでした。優しそうでしたが。
決戦は3番勝負「熊の手」「象の鼻」「猿の脳みそ」です。さあ、どうなるかは是非観て欲しいものです。
製作:レイモンド・ウォン(黄百鳴)製作・監督・脚本:ツイ・ハーク(徐克)
脚本:フィリップ・チェン(鄭忠泰)/ン・マンファイ(呉文輝)撮影:ピーター・パウ(鮑徳熹)美術:ウィリアム・チャン(張叔平)音楽:ローウェル・ロー(盧冠廷)
出演:レスリー・チャン(張國榮)/アニタ・ユン(袁詠儀)/ケニー・ビー(鍾鎭濤)/ジャウ・ウォンジュオ(チウ・マンチェク・趙文卓)/ション・シンシン(熊欣欣)/ロー・カーイン(羅家英)/ニー・シューチュン(倪淑君)/樊奕敏/ラウ・シュン(劉洵)
1995年製作
2006年01月06日
上海グランド(新上海灘)
と言うわけで「上海グランド」なんですけどね(笑)
レスリーがいなくなってからなかなか彼の映画が観きれなかったのですよ。少しは観たけど、やっぱり苦しかった。観たいのに観れなかった。ここに来て急に観たくなってしまったの。それはやはり時間のおかげ。またレスリーを観たくなってしまった。
でも映画を観ていると、それはレスリーが演っているんだと言う事を忘れそうになる。例えばこの映画でもアンディはやはりアンディの顔をしてる。それが彼の魅力だと思うから、それでいい。でもレスリーの姿はない。そこにいるのはホイ・マンキョンという男。仲間を死なせてしまったという重い運命を背負って生きている男の姿しか見えてこない。
レスリーはいつもそういう人だった。
ホイ・マンキョンはかっこいいな。あの目を見てゾクゾクしない人がいるんだろうか。憂いに満ちて孤独で。
常に死と隣り合わせにいるような、目を閉じると消えてしまうそんな存在なのだ。
舞台は1930年代の上海。ヤクザからひどい目にあいながらも逞しく生きているディン・リク(アンディ・ラウ)と台湾反日運動員であり仲間を死に追いやってしまったホイ・マンキョン(レスリー・チャン)そして彼ら二人と複雑に絡んでいくお金持ちのお嬢様ファン・ティンティン(寧静)の青春譚。
もともと連続ドラマだったものを映画にしているので時々不思議な感覚に陥ります。何だかあるはずだった場面を見逃してしまったような。とても長い物語をぎゅっと圧縮したように感じてしまうのですね。
でもここでは3人の若者のそれぞれの物語だと言う設定に作られ、かなり整理されていると思いますね。
そして挿入歌まである劇的な音楽の数々。この音楽もテレビドラマの雰囲気を残しているようです。香港的、というのか面白いです。
ヒロイン役の寧静は私にとってかなり思い出深い人です。最も印象的なのは姜文監督の「太陽の少年」のヒロイン。主人公の男の子が慕う年上の女性を初々しく演じていました。そして今度はその姜文と共演した「ミッシング・ガン」今度は姜文が想いを寄せる美しい人妻の役でした。美しい人ですね。
そして昨日もいいましたチョン・ウソン。見直してもやはり美貌でした。若いのでまるで研ぎ澄まされた刀のような美しさを持っていますね。
でも昨日言ってたように「レスリー以上の」と言う感じはしなくて、今、観るとどうしたってホイ・マンキョンの哀しい瞳以上のものはない気がします。
全くの娯楽映画、そう思って楽しんでいいのですが、最後の場面ではどうしても泣いてしまうんですよ。
ホイ・マンキョンがリクと出会った時、便所の汲み取り仲間たちに「アーカン」だと偽名を使う。ホイ・マンキョンが仇を討ち、兄弟分となったリクと殺し合いをして撃たれた時、皆が「アーカン、大丈夫かい」と心配してくれる。ホイ・マンキョンは「覚えていてくれたのか」とつぶやく。そして傷ついたホイ・マンキョンを皆で協力して運び出そうとする。もう泣けてしまってしょうがない。ホイ・マンキョンは最後友達に運ばれながら幸せだったのかもしれない。
新年を祝うパーティの中での撃ち合いのシーンは華やかで哀しい印象的な一幕でした。
監督:プーン・マンキッ 出演:レスリー・チャン、アンディ・ラウ、寧静(ニン・ジン)、チョン・ウソン 1996年製作
2006年01月03日
「楽園の瑕(東邪西毒)」ウォン・カーウァイ
夢中で愛した映画を今やっとここに記すことになりました。
ウォン・カーウァイによるレスリー・チャン演じる「不毛の愛」3部作の2作目。ずっと中文字幕でのみ観ていてもその時間がとまったかのようなまたは過去と未来を行き来するようなそして美しい世界に浸りきったのでした。
しばらく観ないでいるその間に私は武侠ドラマにはまってしまったことは当然のことなのかもしれません。そして「射[周鳥]英雄伝」を元にしてその登場人物たちの若き日を描いたと言うこの「楽園の瑕」再び観てみてその名前の印象が以前観た時とは違うようになったのもまた当然です。
物語を知って観てみるとやはりとても面白いのです。特に「藍空」を見に来てくださる方は「射[周鳥]英雄伝」を知っている方が多いと思いますのでそれと絡めて話していきます。
レスリーは若き西毒・欧陽峰を演じています。彼には愛する女性がるのですが、離れている間に兄嫁となってしまったのですね。彼女は一言「愛している」と言ってくれれば心を変えたのかもしれないのですが、強情な西毒は黙ったまま彼女の元を再び離れ、砂漠で殺しの請負人をやっています。だが西毒の心は常に兄嫁になった女性から離れてしまうことはなかったのです。彼女も西毒を忘れる事ができず、悲しみにくれたまま芯で行くのです。だが、兄の息子として生んだ男の子は実は西毒の子供だった。これはドラマでもありましたね。もうこの辺なんかドラマの欧陽峰と欧陽克の顔がちらちらします。これを観ると欧陽峰はほんとに欧陽克が可愛かったろうなあと思われます。
東邪はレオン・カーファイ。彼は慕容家の女性や友人である西毒の想い人そして桃花と言う名前の女性を愛します。そして1年に1度西毒の想い人である女性に会うために西毒を訪ねその様子を知らせに女性に会いに行くと言う習慣を持っています。そして言えばいいのに西毒に彼女の居場所を教えてあげません。ドラマで西毒と東邪が睨み合ってるはずですな。
彼女が死ぬと東邪はもう西毒を訪ねるのはやめてしまい、桃花島に閉じこもってしまいます(ドラマどおり!)
洪七公は洪七という名前で登場。ジャッキー・チュンが演じています。純粋な気持ちを持つ風来坊です。卵一つの報酬のために金のない女のために殺人を犯します。その時指を1本失ってしまうのです。これはあのドラマでは多分なかったですよね。実は原作では洪七公は指が1本ないのです。なぜかと言うに彼はあんまり食いしん坊なので人差し指がぴくぴく動いてしまうのでこれはいかんと自分で指を切ってしまうんですよ。映画ではこういうエピソードになってました。
東邪を愛するあまり二重人格になってしまう女をブリジッド・リンが演じています。その名は慕容燕・慕容媛。兄の人格である慕容燕は黄薬師(東邪)が妹を捨てた復讐のために彼を残酷に殺して欲しいと西毒に殺しを頼みに来るのでした。一方、妹の人格・慕容媛は金は2倍払うから東邪を殺さず、代わりに兄を殺して欲しいと頼むのです。兄、と言うのは自分自身。東邪を愛して愛されなかった彼女は精神が破綻してしまったのでしょう。
そうやってドラマを思い出しながら存分に楽しんだのですが、その上この映画の持つ気だるく悲しい雰囲気にも酔いしれました。レスリーの想い人を演じるのはマギー・チャン。決して結ばれる事のない愛する人への思いは彼女の命を奪ってしまう。彼女もまた強情を張っていたのですね。愛する人を思いながら遠くを眺めているのであろう彼女の表情は切なく心を揺さぶります。その彼女を愛しながらも報われる事のない東邪も悲しいのですが。
映画ではもうすぐ目が見えなくなってしまう剣士が登場します。演じるのはトニー・レオン。そして彼の帰りを待ち続けるのが実際にも奥様であるカリーナ・ラウ。この女性とも東邪は絡んでいるわけで複雑ですね。このトニーのかっこよさは必見です。この映画の中で一番かっこいいのはこの剣士でしょうから。また奥様カリーナの水の照り返しによる白い肌の色っぽさもまた見逃せません。
最後にレスリーになりますが、もうこの時の西毒・レスリーの美しさ、色っぽさは勿体無くて話せません。愛する人を思い続けてただ時のたつのを待つだけの男。冷酷な言葉と金勘定だけを生きる術にしている空虚な男の役を演じるレスリーはこれ以上考えられないほどの魅力があります。甘い顔立ちを引き締めている髭もばらばらと乱れている髪もレスリーの美しさを引き立てるばかりです。訪ねてくる友を待つレスリーの姿にも魅入られてしまいます。
幼い頃から孤独で拒絶されないためには先に拒絶するのだという悲しい心を持つ西毒。占いによると彼は一生結婚できず愛も育たないと言う。そのとおりだと西毒は思うのでした。
ウォン・カーウァイがレスリーを演じさせたそのどれもがレスリー本人と重なりあうように感じられるのは何故なのだろう。「欲望の翼」「ブエノスアイレス」どちらも私は愛するのだが、「楽園の瑕」は最も苦い愛の苦しみを感じさせてくれる。
監督:王家衛 撮影:クリストファー・ドイル 美術:張叔平 出演歐陽峰<西毒>=張國榮(レスリー・チャン) 黄薬師<東邪>=梁家輝(レオン・カーフェイ) 盲剣士=梁朝偉(トニー・レオン) 洪七 <北夷>=張學友(ジャッキー・チョン) 慕容燕/媛=林青霞(ブリジッド・リン)桃花=劉嘉玲(カリーナ・ラウ) 歐陽峰の兄嫁=張曼玉(マギー・チャン) 村の娘=楊采[女尼](チャーリー・ヤン) 1994年製作
2005年09月14日
2005年09月12日
レスリー、お誕生日おめでとう!
2005年04月02日
レスリーを偲んで「阿飛正傳(欲望の翼)」

昨日4月1日には絶対にレスリーについて書こうと思っていたのだが、仕事が忙しくてとうとう書けなかった。前にも書いたとおり、一人DVDを観てレスリーを偲ぼうと思い、「阿飛正傳(欲望の翼)」を。が、疲れには勝てず、映画のムードとも相まって夢か現か定かでなくなり、3分の1見た辺りでダウン。ただ、映画のすばらしさ、レスリーの魅力は今更ながらうなるばかりです。雨の匂いが感じられるような画面を見ているうち、夢の世界に引きずり込まれたようだ。
そして今日、後半を見たのだが、ほんとにこの「欲望の翼」の世界の美しさは説明できない。
イメージとして出てくる深い緑の森林の美しさ、足のない鳥というイメージ、愛する人(母親)を追い求めても報われないヨディの心の空しさ。ミミやスーに対するヨディの冷酷さはレスリーが演じるとこれ以上ない甘いものと変わる。ミミの腰を抱き見上げる時の眼差し、ミミに出て行けといった後、ベッドでふて寝する愛らしさはまるで少年のようだ。
そう、これは1990年の作品でみんなまだとても若いエネルギーが溢れていたのだ。監督ウォン・カーウァイもきっとまだパワー何か作り上げようというパワーが強かったはずだ。カメラワークのそこここにその想いがこめられてるし、レスリーとアンディが屋根をつたって走るシーンなんてすごくかっこいい。
レスリーなんてかわいいくらいだし、アンディ・ラウ、ジャッキー・チュン、カリーナ・ラウ、マギー・チャンそしてトニー・レオン、みんなきらきらしているのだ。
レスリーのヨディのワルの魅力、「1分の友達」、染みとおっていくような音楽、悲しいほど美しい映画である。
2005年03月28日
張国栄メモリアル映画祭
張国栄メモリアル映画祭、4月2日から新宿で
張国栄(レスリー・チャン)の3周忌に合わせて、出演作8本を日替わりで上映する「レスリー・チャン メモリアル映画祭2005」が4月2日から、新宿のテアトル新宿(電話:03−3352−1846)で開催される。日本では映画祭で一度上映されたきりとなっている幻の作品『烈火青春(邦題:レスリー・チャン 嵐の青春)』(1982年)も上演。若き日のレスリーの魅力を堪能させてくれる。
上映作品は
『烈火青春(邦題:レスリー・チャン 嵐の青春)』(4月2−15日)
『家有〓事(邦題:ハッピー・ブラザー)』(16日)
『白髪魔女伝(邦題:キラーウルフ/白髪魔女伝)』(17日)
『流星語(邦題:流星)』(18日)
『大富之家(邦題:幸せはイブの夜に)』(19日)
『九星報喜(邦題:歌って恋して)』(20日)
『花田〓事(邦題:恋はマジック)』(21日)
『恋戦沖縄(恋戦。OKINAWA Rendez−vous)』(22日)。
上映時間は各、21時20分から。『レスリー・チャン 嵐の青春』のみ、3、9、10、16、17日の9時45分からも上演する。(〓=喜喜)
チケットは1500円。前売りは1300円で、3回券(3600円)も劇場窓口で販売する。
2、9、16日のレイトショーでは、先着50人にレスリー・チャン生写真のプレゼントもある。
以上、「中国情勢24」からの情報をいただいたものです。私は行けないのですが、もう3周忌なのかと改めて心が締め付けられる思いです。今でも、信じたくない気持ちもあります。
あれから時がたっても彼の代わりになるような人はいないものですね。
映画祭には行けないので、一人彼の映画を見ようかな、と思いました。
2005年01月29日
ククルクク・パロマ

「ブエノスアイレス」
「トーク・トゥ・ハー」
トーク・トゥ・ハー」という映画をご存知だろうか?眠ったきりの恋人(片方は片思いだが)を持つ二人の男の奇妙な愛情と友情の物語である。評価は「すばらしい!」と「気持ち悪い!」に極端に分かれるのがおもしろい映画なのだが、私は大好きである(特に泣く男さん)が、ここで話したいのはその映画のストーリーではなく、中で歌われる、ひとつの歌。主人公がある演奏会を見に行くのだが、そこで歌うのがブラジルの歌手、カエターノ・ヴェローゾ。あの「ククルクク・パロマ」を歌ったといえば,お解かりだろうか?映画「ブエノスアイレス」で流れた、静かなささやくような歌声「ククルクク・パロマ」という消え入りそうな歌を聴くとレスリーが思い出される人は私だけではあるまい。あの歌をまさかスペイン映画のワンシーンでしかも歌手のコンサート(小さなコンサートだ)という形で見られるとは思わなかった。映画のすばらしい出来とは別につい涙ぐんでしまった。まさかペドロ・アルモドバル監督もこんな効果を期待したわけではないだろうが。
そういうわけで「ブエノスアイレス」が好きな方は必見の映画でもある。ストーリーはレスリーとは関係ないがwまた好き嫌いの大きく分かれる映画なのでその辺はご了承ください。(「ブエノスアイレス」のサウンドトラックはいいですよねえ。私も勿論持ってます)
2006年1月12日追記:文中、「あの歌をまさかスペイン映画のワンシーンで観られるとは思わなかった」と書いてますが、これおかしいですよね。どっちかつーと香港映画で使われていたほうが変わっていたのでした(笑)アジアを中心に考えておりましたですよ。ご勘弁くだされ。
2004年12月23日
スタンリー・クワン「ルージュ」におけるレスリー・チャン
不思議な雰囲気を持つゴースト・ストーリー。最高に色っぽく美しいレスリーが見られます。恋人役のアニタ・ムイもゴーストの美しさを存分に発揮してます。
そしてこれは、レスリーのことを考える時、なんともいえない関連性を感じてしまいます。出だし、階段を上ってきて女性に得もいえぬ微笑と流し目をくれるレスリー演じるチャン。お金持ちのお坊ちゃまで役者を目指す彼(「覇王別姫」を見たものにはまたきゅんとなる美しい京劇姿のレスリーがみれます)アニタ・ムイ演じる遊郭の女郎であるユーファーをしのぐ美貌と試みだす色気。これがレスリーの姿そのものではないかと見た当時私は思ったものでした。
ラストを見て、レスリーもきっとこのようなしぶとい人なのだと勝手に決め付け安心しました。だけど、実際のレスリーは女郎ユーファーが望んだような人だったのでしょうか?それを思うと映画より切ないレスリーの魂のことを悼んでしまいます。
そして実際のアニタ・ムイは、逆にレスリーの後を追うように逝ってしまいました。一体現実とは、映画より不思議なものなのでしょうか?
映画では香港を舞台に平凡なカップルが1934年に自殺した女郎のユーファー(アニタ・ムイ)の幽霊と出会い、彼女の心中した恋人(レスリー)を一緒に探してあげる、というちょっと愉快かつ怖い話です。私はゴースト・ストーリー大好きなので、それだけでも楽しいのですが、なおかつ1930年代の香港の妖しくも美しい遊郭の世界と現代が交錯し、映画として、とても面白く作られた作品だと思います。かなり若いレスリーはこれ以上ないよ、というくらい甘〜い魅力で女性を酔わせてくれます。
恋人探しというストーリーでは、あるのですが、監督が映したかったのは、ただ遊郭の寝台でアニタ・ムイと添い寝しながらアヘンを吸ってまどろんでいるレスリーの寝姿だったのではないでしょうか?美しいアニタにアヘンを用意してもらい子供のように微笑むレスリーを私は忘れることができません。
監督スタンリー・クワン 出演レスリー・チャン アニタ・ムイ アレックス・マン 1987年
そしてこれは、レスリーのことを考える時、なんともいえない関連性を感じてしまいます。出だし、階段を上ってきて女性に得もいえぬ微笑と流し目をくれるレスリー演じるチャン。お金持ちのお坊ちゃまで役者を目指す彼(「覇王別姫」を見たものにはまたきゅんとなる美しい京劇姿のレスリーがみれます)アニタ・ムイ演じる遊郭の女郎であるユーファーをしのぐ美貌と試みだす色気。これがレスリーの姿そのものではないかと見た当時私は思ったものでした。
ラストを見て、レスリーもきっとこのようなしぶとい人なのだと勝手に決め付け安心しました。だけど、実際のレスリーは女郎ユーファーが望んだような人だったのでしょうか?それを思うと映画より切ないレスリーの魂のことを悼んでしまいます。
そして実際のアニタ・ムイは、逆にレスリーの後を追うように逝ってしまいました。一体現実とは、映画より不思議なものなのでしょうか?
映画では香港を舞台に平凡なカップルが1934年に自殺した女郎のユーファー(アニタ・ムイ)の幽霊と出会い、彼女の心中した恋人(レスリー)を一緒に探してあげる、というちょっと愉快かつ怖い話です。私はゴースト・ストーリー大好きなので、それだけでも楽しいのですが、なおかつ1930年代の香港の妖しくも美しい遊郭の世界と現代が交錯し、映画として、とても面白く作られた作品だと思います。かなり若いレスリーはこれ以上ないよ、というくらい甘〜い魅力で女性を酔わせてくれます。
恋人探しというストーリーでは、あるのですが、監督が映したかったのは、ただ遊郭の寝台でアニタ・ムイと添い寝しながらアヘンを吸ってまどろんでいるレスリーの寝姿だったのではないでしょうか?美しいアニタにアヘンを用意してもらい子供のように微笑むレスリーを私は忘れることができません。
監督スタンリー・クワン 出演レスリー・チャン アニタ・ムイ アレックス・マン 1987年
2004年12月16日
レスリー・チャン「ブエノスアイレス」
レスリー・チャンに恋して中国映画への道が始まった私なのに、彼についてこのブログに書いたものはごくわずか、というのは、ちょっと寂しい。もし彼に夢中だった頃に始めていたのなら、毎日レスリーへの賛辞ばかりの文章になっていたでしょうに。今まで書いたのは、大まかな彼への気持ちだけなので、少しずつ、作品についても思い出しつつ書きたくなりました。
レスリー・チャンの作品というのは音楽活動もしていた人なのでかなり多いですね。映画のみでもたくさんありますし、特に優れたものもとても多い人だと思います。どうしてもレスリーについて書くことは感傷的にならざるを得ないんですが、それを差し引いても、すばらしい人だったと思ってます。
彼に出会った最初の作品は、ウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」最初に出会った映画ですが、レスリーの映画の中で一番好きですし、世界中のすべての映画の中でも一番好きといえます。それは勿論、ウォン・カーウァイの技術に惚れたわけですが、この役がレスリーでなく他の誰かであるなら「とてもかっこいいすばらしい映画」のひとつだ、とカテゴライズしていたでしょう。レスリーがウィンを演じたことでこの映画は(少なくとも私にとって)ひとつの神話となっています。
この映画の不思議な感じはゲイの映画という触れ込みなのにも関わらず、出だしがあのような衝撃的シーンなのにも関わらずさほどゲイストーリーというムードがないことです。それはウォン・カーウァイの別の映画に表された男二人の関係にも似ていていることもあるかもしれません。ハンサムなレスリー・チャンとトニー・レオンが演じているこの二人の男たちは、一見若い青年のようですが、実際はちょっと年がいってるのに相変わらず少年のままでいるつもりの中年男のようにも感じます。彼らはもう落ち着いて結婚し、小学生くらいの子供がいてもいいくらいの年齢なのに自分たちがまだ子供のようで遊び歩いています。そして互いの関係も子供の喧嘩のようにくっついたり離れたり。結局大人になりきれない中年男が二人地球の裏側でふらふらしている話です。トニーのほうはこれはいかんと、目覚めますが、レスリーのほうはいなくなった相棒を求めて悲しがりつつも年老いた少年のままでいるかのようです。
ウォン・カーウァイは意地悪な魔法使いのように物事がわからなくなって迷子になってしまうように観客を不思議な空間に陥れる。断片的なエピソード。妖しい色彩。モノクロームの時間。
ウォン・カーウァイの映像の魔法にかかり、空間と時間はあやふやなまま漂い、夢の中なのか現なのかそれさえもよくわからなくなってしまう。レスリーはどこにいるのだろう。彼はあの映像の中に閉じ込められているだけではないのか、あの街のあの部屋に。帰らぬ想い人を待ちながら。
レスリー・チャンの作品というのは音楽活動もしていた人なのでかなり多いですね。映画のみでもたくさんありますし、特に優れたものもとても多い人だと思います。どうしてもレスリーについて書くことは感傷的にならざるを得ないんですが、それを差し引いても、すばらしい人だったと思ってます。
彼に出会った最初の作品は、ウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」最初に出会った映画ですが、レスリーの映画の中で一番好きですし、世界中のすべての映画の中でも一番好きといえます。それは勿論、ウォン・カーウァイの技術に惚れたわけですが、この役がレスリーでなく他の誰かであるなら「とてもかっこいいすばらしい映画」のひとつだ、とカテゴライズしていたでしょう。レスリーがウィンを演じたことでこの映画は(少なくとも私にとって)ひとつの神話となっています。
この映画の不思議な感じはゲイの映画という触れ込みなのにも関わらず、出だしがあのような衝撃的シーンなのにも関わらずさほどゲイストーリーというムードがないことです。それはウォン・カーウァイの別の映画に表された男二人の関係にも似ていていることもあるかもしれません。ハンサムなレスリー・チャンとトニー・レオンが演じているこの二人の男たちは、一見若い青年のようですが、実際はちょっと年がいってるのに相変わらず少年のままでいるつもりの中年男のようにも感じます。彼らはもう落ち着いて結婚し、小学生くらいの子供がいてもいいくらいの年齢なのに自分たちがまだ子供のようで遊び歩いています。そして互いの関係も子供の喧嘩のようにくっついたり離れたり。結局大人になりきれない中年男が二人地球の裏側でふらふらしている話です。トニーのほうはこれはいかんと、目覚めますが、レスリーのほうはいなくなった相棒を求めて悲しがりつつも年老いた少年のままでいるかのようです。
ウォン・カーウァイは意地悪な魔法使いのように物事がわからなくなって迷子になってしまうように観客を不思議な空間に陥れる。断片的なエピソード。妖しい色彩。モノクロームの時間。
ウォン・カーウァイの映像の魔法にかかり、空間と時間はあやふやなまま漂い、夢の中なのか現なのかそれさえもよくわからなくなってしまう。レスリーはどこにいるのだろう。彼はあの映像の中に閉じ込められているだけではないのか、あの街のあの部屋に。帰らぬ想い人を待ちながら。
2004年10月05日
レスリーへの思い
彼の映画「ブエノスアイレス」「欲望の翼」「楽園の瑕」は最も好きな作品です。私はウォン・カーウァイと組んだときのレスリーが一番彼の魅力を出していると思います。この3作品の孤独な魂を持つレスリーは私の心を切なくさせました。また「金玉満堂」や「チャイニーズ・ゴーストストーリー」ではおっちょこちょいなかわいい男の子を演じて楽しませてくれました。「上海グランド」のかっこいいレスリー、「男たちの挽歌」の生意気なレスリー、「白髪魔女伝」の色っぽいレスリー、彼は手品のように色々な姿を現して、私を惑わしました。作品自体も質の高いものが非常に多く、彼が映画の作り手にも刺激的な存在なのだと思います。「ルージュ」の淫靡さ、「覇王別姫」の美しさ。まったくこんなに賞賛し続けてしょうがないくらいです。
しかし、彼がいなくなる前の数本は私としては「?」と思わざるを得ませんでした。ひどいわけではないけれど、以前のような輝きは薄れていたように思われます。
彼自身は「いい監督といい仕事ができた」と語っていたようですが、本心だったのでしょうか?事実彼は、自分で映画を作り出しました。これは私にはものすごい楽しみでした。そういう人がたくさんいたことでしょう。その中ではかばかしく進まない映画作り・・・。これから先はつらくて書けません。
「2046」のコマーシャルを見てるともしかしてこの中にレスリーがいるのでは、というようなどうしようもない思いにとらわれます。レスリーはあまりにあっけなくいろんな人にいろんな思いを抱かせたままいってしまいました。
しかし、彼がいなくなる前の数本は私としては「?」と思わざるを得ませんでした。ひどいわけではないけれど、以前のような輝きは薄れていたように思われます。
彼自身は「いい監督といい仕事ができた」と語っていたようですが、本心だったのでしょうか?事実彼は、自分で映画を作り出しました。これは私にはものすごい楽しみでした。そういう人がたくさんいたことでしょう。その中ではかばかしく進まない映画作り・・・。これから先はつらくて書けません。
「2046」のコマーシャルを見てるともしかしてこの中にレスリーがいるのでは、というようなどうしようもない思いにとらわれます。レスリーはあまりにあっけなくいろんな人にいろんな思いを抱かせたままいってしまいました。
レスリー・チャン
自己紹介で「レスリーが好きになって以来・・・」と言っておきながら、まったく彼について触れていませんでした。
実際、彼についてはあまりにも思い入れが深く、夢中になっていた時間も長かったので(過去形になったのは悲しいことです。勿論、今でも好きですし、彼が存在するのなら、その時間はずっと続いているはずです)簡単に説明し尽くすのは難しいのです。
出だしとしてはやはり彼との出会いを語るべきでしょう。これは、ただなんとなく私が(レスリー・チャンやトニー・レオンの存在を知ることもなしに)「ブエノスアイレス」をみてしまったことからでした。それはまったく、たまたま、でしかなかったのです。
それは封切の映画館とかでなく、ずいぶん時間がたってDVDやらで見たに過ぎなかったのです。
が、その日から私は生活のすべてが変わってしまいました、文字通り。
それまで考えたこともなかったレスリーと言う一人の役者が私の毎日の時間に取り付いてしまったのです。一日中彼のことを考えてましたし、日本で見れる映画を見尽くしました。
そして彼にはまだ日本未公開、もしくはなかなか見れない作品があると知ると、がまんできず、初めて、インターネットで向こうのVCDやCD,DVDを買えることを調べました。今思ってもものすごい情熱でした。彼の本を見て、歌を覚えました。こんなに吸い尽くせば、すぐ飽きてしまいそうなものですが、彼は私をあきさせませんでした。知れば知るほど彼が好きになっていくのです。かれはずっとずっと私のすべてでした。
きっとこんな彼のファンはいっぱいいるんだと思います。彼は人をそうさせるような
魔力を持っていました。しかも普通にあうと普通の人だよという情報も余計に彼を
素敵だと思わせました。
本当に不思議な人でした。
実際、彼についてはあまりにも思い入れが深く、夢中になっていた時間も長かったので(過去形になったのは悲しいことです。勿論、今でも好きですし、彼が存在するのなら、その時間はずっと続いているはずです)簡単に説明し尽くすのは難しいのです。
出だしとしてはやはり彼との出会いを語るべきでしょう。これは、ただなんとなく私が(レスリー・チャンやトニー・レオンの存在を知ることもなしに)「ブエノスアイレス」をみてしまったことからでした。それはまったく、たまたま、でしかなかったのです。
それは封切の映画館とかでなく、ずいぶん時間がたってDVDやらで見たに過ぎなかったのです。
が、その日から私は生活のすべてが変わってしまいました、文字通り。
それまで考えたこともなかったレスリーと言う一人の役者が私の毎日の時間に取り付いてしまったのです。一日中彼のことを考えてましたし、日本で見れる映画を見尽くしました。
そして彼にはまだ日本未公開、もしくはなかなか見れない作品があると知ると、がまんできず、初めて、インターネットで向こうのVCDやCD,DVDを買えることを調べました。今思ってもものすごい情熱でした。彼の本を見て、歌を覚えました。こんなに吸い尽くせば、すぐ飽きてしまいそうなものですが、彼は私をあきさせませんでした。知れば知るほど彼が好きになっていくのです。かれはずっとずっと私のすべてでした。
きっとこんな彼のファンはいっぱいいるんだと思います。彼は人をそうさせるような
魔力を持っていました。しかも普通にあうと普通の人だよという情報も余計に彼を
素敵だと思わせました。
本当に不思議な人でした。







