2006年08月24日

「ラウンダーズ」再び

また鑑賞して記事かいてます。飽きない私。

映画の中で主人公マイクがガールフレンドに「ポーカーは世界選手権もあるんだ」といってその正当性を主張するがガールフレンドが絶対それを許せないのは勿論そのポーカーは賭け事だからだ。

賭け事を好きか嫌いかでこの映画の評価事態が変わってしまう。私は賭け事は絶対したくない派なので主人公マイクの気持ちにはなれない。(いや、実はなれるんだろう。はまったら最後マイクのようになってしまう予感はある)ここでは私はあくまでガールフレンドの味方である。

物語がマイクの自己弁護によって進んでいく。友人ワームはギャンブラーのイメージそのもののキャラクターだ(全てのギャンブラーがこうだとは言わない)勝つためにはいかさまも平気だし、負けて借金を負っても何とか逃げることばかり考えている。
「レインメーカー」でマット演じる主人公は悪徳弁護士を見て「いつか僕もああなってしまう。その前にやめる」と言った。だけどマイクは自堕落なワームを見ても「僕もいつかああなる。その前にやめる」とは言わない。悪の蜜は甘いのだ(弁護士は辞めれても賭け事師はやめられない)

結局物事がうまくいき希望のあるラストを迎えるが、賭け事と言うものはどう転ぶかわからないのだ。
作品中に10何年も続けているプロが出てくるがマイクたちはその面白みのない手堅さを笑っている。冒頭で3万ドルを賭けるマイクがいつもこのラストを迎えきれるはずはない。

ということを踏まえたうえでやはり悪の道の物語は面白い。
エドワード・ノートンが演じるワームの腐れ加減がたまらなくよいし、マットのマイクの真面目なギャンブラーというのもあっている。真面目なほどのめりこんでしまうと抜けられない(不真面目でも抜けられないが)のだ。

ワームの借金を返すためにとうとう教授に無心してその金を賭けに使った時は最後だと思った。実際これをスってしまい堕ちるとこまで堕ちてしまうのが当たり前ってな気がする。

KGB(あだ名)役のジョン・マルコビッチがまたすごくよくてなぜかジャージ姿。しかも赤い色の、共産主義を表しているわけですね(笑)
クッキーをつまむのが癖というのもマル。

マイクたちが金を稼ぐために素人たちをカモにしていた。アレを見たら絶対ギャンブルなんかしちゃいけないと思うね。

以前の記事
posted by フェイユイ at 18:41| Comment(4) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

今夜もキム・ギドク問題

キム・ギドク監督の『時間』、24日に全国公開

えー、この全国公開というのは韓国全国です。
昨日はばたばたと慌てて記事を書いてしまったのですが(今日もあまり状況はかわらないですが)これを読むと7日頃は新作「時間」に観客が集まればよし、と思っていたのにそれ以後監督が発言した「グエムル」批判に対しての反応がかなり酷いものだったのでしょうか。あれほど凄い作品をゴミだといい捨ててしまうのですから。そんな悲しい思いをしての突然の韓国映画界引退宣言となったのですね。

私はポン・ジュノ監督も大好きで「グエムル」も楽しみなわけですし(なにしろこのブログに並べて貼ってる)本当を言うとキム・ギドク監督にそういう発言をして欲しくはなかったものですが、だからと言ってギドク監督が嫌になるわけではありません(勿論、韓国語を理解する耳を持っていて監督の発言を聞いていたらどう思ったかは判りませんが)

昨日の記事で「サマリア」についてのアン・ソンギさんの言葉と言うのがあって(アン・ソンギも好きなんですが)『いったい父親が娘をどうやって殺せるのか』というものでした。
娘を殺してしまう父親は現実にたくさんいます、悲しいことですが。まさか韓国には一人もいなかったということはないでしょう?あの映画での父親の気持ちが理解できなかった、ということなら仕方ない、彼には理解できなかったのだ、としか言えません。

とりあえず新作「時間」は韓国で公開されることになったということですが、例え大入りになったとしてもギドク監督の気持ちはもう変わらないのでしょうか。
キム・ギドク監督の辛い気持ちを思いやる事も忘れ、「では一体次はどこでどんな作品を作るんだろうか」などとつい考えてしまう私はやはり冷酷非情な輩であります。

posted by フェイユイ at 23:24| Comment(4) | TrackBack(2) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「韓国映画界の異端児」キム・ギドク監督が引退宣言!?

「韓国映画界の異端児」キム・ギドク監督が引退宣言!?
一体、キム・ギドク監督どうなってしまうんんだろう?

キム・ギドク監督「自分の映画はゴミのようなもの・・・」
って多くのファンは決してそんな事は思っていません。
ここまでになるほど彼は韓国で嫌われているのでしょうか?

一応、引退、と言っても韓国映画界からの、ということで受け取っていていいのですよね。
もう少し時間が必要なのでしょうか。(ああ、これ新作のタイトルだ)
posted by フェイユイ at 00:07| Comment(3) | TrackBack(0) | キム・ギドク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」

いつもの事だが、この映画について思ったことをだらだらと書いてみる。

この映画でどうしても切り離しては考えられないのがこの脚本がマット・デイモンとベン・アフレックの二人によって書かれたということだ。
まだ二人が若く経験も浅い時に書いたものなのでどうしても「作られた話」という印象が強いのだが多くは二人の体験によるものということとなんと言っても若さが生み出した魅力が溢れている。

ここに二人の教授が登場してくる。
一人はウィルの類稀な才能を見抜き、そのために劣等感を抱きながらも彼を更生させようと奮闘するMITの数学教授ランボー。
もう一人はそのランボーに頼まれウィルの精神分析をしながら心を開かせようとするマクガイア。
そしてこの映画はロビン・ウィリアムズ演じるマクガイアとウィルが互いに新しい道を見つけていく物語、となっている。
だが、実際観ていると感動するのはウィルの心を開かせようと苦心するマクガイアとの会話より親友チャッキーがウィルに語る言葉「いつかお前が
いなくなってしまっている。そんな日がくるのを期待しているんだ」の方だ。
とは言えウィルのために掴みあいのけんかまでしようとする二人の教授はなんだろう。この二人はウィルにとって失ってしまった両親の役を果たしている。
ウィルを強く励ますランボー教授が父親で、「君は悪くない」と慰めてくれるマクガイアが母親である。
だけどもそれは仮の姿であり頭で作られたものだという感じがある。それに比べると親友チャッキーの役割はマットとベンがお互いを見ながら描き出された感があってより響いてくるのだ。
マクガイアはチャッキーの存在を親友ではないと決め付けたが、結局ウィルの扉を叩いたのはチャッキーの方ではなかったのだろうか。

主人公ウィルは実に憎たらしいキャラクターだ。人並みはずれた頭脳を持つ上、何度となく暴力事件を起こし、助けようと手を差し伸べる教授たちにも生意気な態度で接し、その心を傷つける。例えば、マクガイア教授の触れて欲しくない部分に入り込むしランボー教授は自分がウィルには決して勝てないという劣等感を与えられ、是非見たいと思っていた答案に火をつけてしまう。慌てて火を消そうとするランボー教授を冷たく見ている。ランボーは憐れな行動とは思いつつも答案を見たいのだ。
それなのにそんなウィルを取り囲む人々は過去に彼に虐待を加えた養父たちを別にすれば優しく彼を見守ってくれるのだ。
ガールフレンドのスカイラー、ウィルの才能を見出したランボー、精神分析をしてくれて「君は悪くない」というキーワードを見つけたマクガイア、そして古くからの友人達。
みんながウィルを思ってくれている。
幼児期の虐待という項目がなければ、ウィルは恵まれすぎているとさえ思える。
そのために虐待という設定が付け加えられたのだろうという気がする。
それがなくてもよかったんじゃないか、とも思うが現代の問題として大きく取り上げられる事柄であるし、天才的頭脳、幼児期の虐待といったことが映画に興味を持たせる要素になっているのも事実だ。

つまりはこの映画には私は少なからず不満があって、それはもう大変な魅力があることは確かなんだけど疑問もあるのだ。
一つはマクガイアの治療がかなり短期間に強制的な感じがすることであって(本人はランボーに無理強いするなっていってるけど)その辺もチャッキーの長い目でみている療法に劣っている気がする。
決して精神分析家がいけないといっているわけではないが(それどころかとても大切なものだと思う)映画として精神分析家に治してもらった、というのは直接すぎるのではないか。
ウィルは何人かの精神分析家に反発するのだが、結局彼のことを親身に思うランボー教授との(この場合キャラクター設定を少し変えねばならないだろうが)交流でもよかったんじゃないか。精神分析家に治してもらう、って言うのがやはりアメリカ的、ということで片付けてしまうべきか。
まあ、私の好みにしか過ぎないのだろうが。

という疑問を持ちつつも映画のラストは感動する。黙って出て行ったウィルのことを全て察してにやりと笑うチャッキーは素敵だ。
正直になれず傷つけてしまったスカイラーの元へ向かってポンコツ車を走らせるウィル。これから数学の才能をどうするのか、彼女との間はどうなるのか、すべてが今から始まる、という終わりは素晴らしい。

今、またはもう少し彼らが年をとってからどんな映画、脚本を作るのか、興味は深い。

それにしても映画の間に何度か挿入されるウィルが電車で移動する場面は何度観てもいいものだった。いつもの憎たらしい言動ではなく一人きりで電車の窓から流れていく景色を見ている顔が凄く好きなのだ。
posted by フェイユイ at 23:52| Comment(2) | TrackBack(2) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月21日

ジェイの新譜は“依然范特西”ですぞ!

フェイユイチン.jpg

やっとジェイの新譜のタイトルが決まった、ということで話題になっているようですね。
“依然范特西”「千里之外」では男性歌手費玉清とのデュエットもあるということでまた楽しみです。
しかしアルバムタイトルには驚きですね!しかし共演者の方のお名前、フェイユイチンですか・・・なんか気になる・・・(フェイユイ・チンじゃだめ?)
ココ で予告編
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月20日

「市民ケーン」オーソン・ウェルズ

市民ケーン2.jpg市民ケーン3.jpg

この映画は実際観た事がなくても観ていた気になってしまう作品の一つではないでしょうか。
実は私はこの映画を観ていたんだかいないんだかがよくわからなくて多分観ていたにしても実際の記憶はもう薄れていたのにどこかで得た情報であらすじとラストのシーンまで知っている、という気がするのです。

で、また何故突然「市民ケーン」かといいますと先日ジョニー・デップの「エド・ウッド」を観てたらオーソン・ウェルズ(の役の人)が出てきて、主人公に勇気を与えるのですが(つーか勝手にもらってしまう?)それを見て「あー、オーソン・ウェルズって観た気になってるけどはっきり記憶してないよね?」って自問自答して観てみることにしました。

はてさて最高の名作と名高いこの作品ですが、さすがに骨がありまして私の
鈍い頭にはすぐにぴんと来るような代物ではありませんでした。一応2度観て(一回目は半分眠りかけていた)少しだけ飲み込めてきたのですが、なんというか解りやすい人情モノやメロドラマではないのです。ただ物語の鍵となる「バラのつぼみ」という言葉が人々から怖れられあるいは嫌われていた
大富豪ケーンの幼少期の幸せの象徴だったと言うのでちょっと参ってしまうわけですね。

皆が注目するこの映画の凄さは製作が1941年(つまり65年昔のものというわけですね)というのに古さを感じさせない斬新な撮影方法であるということでしょう。
と言うと逆に今の時代の者が観ても当たり前に観てしまって「上手いけど?それで?」って気になってしまうのではないでしょうか。
それくらい(私の想像に過ぎませんが)多分これ以後の多くの映画が「市民ケーン」で用いられた手法で映画作りをしているのでは、と思えるのです。
このちょっと突き放したようなクールなタッチもその頃の映画人・映画小僧にとってたまらない感触だったに違いありません。
細かい手法の一つ一つはその当時観たわけではないからその斬新さのショックと言うのは判断できないのですが、小さい子が見上げた背の高い大人の見下ろす視線とか、こちら側の人間が手にした本の影に話している相手が隠れていた、とか。
朝食の光景を繰り返す事によって夫婦関係が次第に気まずくなっていく、だとか、影の使いかた、セリフなどなど衝撃の嵐だったのだろうなあ、と思ってしまいます。
そしてその後に「市民ケーン」の技法を真似て(と言うかその技術を学んで)作られたものを現在も観ているという気がするのですね。

またこの映画を作った時のオーソン・ウェルズがわずか25歳だったというのも驚きです。監督・脚本・主役という物凄さです。おまけにケーン氏を演じるのに適したかなり威圧的な嫌味な容貌をしているというのも凄い。25歳には見えないくらいですね。あごがすっきりしている所がまだ若いようには見えますが。どちらかというと共演のジョセフ・コットンの方が素敵に見えますしね。

ところで映画の中でもケーンの名前「KANE」と言う字がやたら出て来るんですが、日本人としてはこれはどうしても「かね=金」って呼んでしまいますよね。うーむ、まさかオーソン・ウェルズが日本語を知っていて大富豪に「KANE=かね(金)」って名前をつけたんじゃないよな。
そのケーンが着てる服にもやたらKの字を刺繍してるのがおかしかったです。

そうそう、凄いシーンっていえば、ケーンが2番目の奥さんに「明日はピクニックだ!」と威圧的に叫んで(そんな言い方じゃピクニックもいやだよな)海辺を真っ黒な車が物凄く連なって走っていくのも怖ろしく印象的だった。なんなんだろう、あれ。

監督・脚本: オーソン・ウェルズ  出演: オーソン・ウェルズ 、ジョセフ・コットン、ドロシー・カミンガー
1941年アメリカ
タグ:映画
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

お盆とアクセス数

アクセス数がお盆中はガクンと下がったのでちょっとショックを受けてたら元に戻った。ネットもお盆と関係あるのだな。びっくり。上がるんじゃなくて下がるのね。やはり帰郷したりお墓参りで忙しいのだろうか。

現在多い検索ワードっていってもあまり変わらないのかな。最近は「盛夏光年」と「王の男」が。うれしい。
後は金庸もの、中華時代ドラマもの、周杰倫関係、キム・ギドクや韓国映画関係。つまりはマット・デイモンや中南米関係は殆どないわけですね、とほほ。
でもそれとはなくうれしいのでもあった。
posted by フェイユイ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

台風の名前

ただいま台風が九州を縦断中。で、ネットで見てたら台風には名前があったんですね。よくアメリカなんかの台風(っていうのか)の名前は聞いたりしてたけど。
で今度の2006年10号台風は「ウーコン」って言うらしい。「ウーコン」?これは中国語の発音で悟空のことでした。なるほど。
他ので「プラピルーン(雨の神)」(タイ)とか「ビリス(スピード)」(フィリピン)なんてのはわかるけど「サオラー(最近見つかった動物の名前)」(ベトナム)なんていうのは面白い。アジア14カ国がつけた名前と言うことで北朝鮮のもある。

ウェザーニュース台風の名前のとこをクリック

香港の旧空港名(啓徳・ケイトク)なんてのも不思議だね。皆さん、ご存知のことことかもしれないけど私は初めて知りました。
タグ:台風
posted by フェイユイ at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「レインメーカー」弁護士達

とにかくマット・デイモンを取り囲む他の役者さんがいい。私にとっては他の皆さんが懐かしくて再会してうれしかった。それになんといっても上手いのだ。
特にマットの相棒役のダニー・デビートは小柄な体で大奮闘。頼りない若造を補佐する姿が頼もしい。ていうかこの相棒がいなければ主人公はまったく何もできず負けてしまったと思うけど、まあ、そんな人にめぐり合えて仲良くなるのも才能の内でしょうか。
主人公ルーディが就職した悪徳弁護士事務所の“ブルーザー”はミッキー・ローク。「シン・シティ」のマーブにはびっくりだったけど、こちらではいかにも彼にぴったりの悪党ぶり。こういう雰囲気上手いなあ。摘発されて逃亡中にリゾートの浜辺(とおぼしき)で指輪をぴかぴかさせながらくつろいでいるのが似合ってる。
ルーディのライバルとなる弁護士にジョン・ヴォイト。「真夜中のカーボーイ」が狡賢い弁護士です。
悪徳保険会社社長役がロイ・シャイダーだったのもおかしいというか。
また懐かしいと言うわけではないけどルーディに好意的で人権派の判事役のダニー・グローヴァーがかっこよかった。

マット・デイモンは若い時でなければ出来ないこの役をより若く見えるという特徴を武器に上手く演じていたと思う。
相棒デックと悪徳弁護士ブルーザーの力を借りて何とか勝ち抜いていくのも彼らしい。
裁判中に本を読んでるような弁護士さんて不安だけど。

案件が殺人事件ではなく保険に関することっていうのも観ているほうには自分にも降りかかることなので興味深い。殺人はなかなかやらないだろうからね。
結果もあんまり派手派手しく勝利にならないのが却って面白い。私には彼女との生活の方がやや不安が残るだけだ。
そして今は正義のために戦った自分もやがて悪徳弁護士になる、と決め付けた主人公。色んな人生があるからそれもいいでしょう。でも私的にはブルーザーがかっこよくてさ。あーゆー風になるのも才能だろうけど。

「レインメーカー」再考←以前の記事
posted by フェイユイ at 07:08| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月17日

「レインメーカー」再々鑑賞

マット・デイモンの「レインメーカー」再々鑑賞だ。
あまり書く時間がないので少しだけ。

以前観た時よりマット演じる主人公のドタバタぶりが面白くまた悲しく見えた。
日本でも最近保険の支払いで事件になっている。自分としてはドラモント側でもルーディ側でも査定をした女性でもなくどうしたって保険をかける側になって観てしまう。こんなドラモントみたいな奴が相手じゃ勝てっこないよな。ルーディは現実にはいないような気がするし。「Mrインクレディブル」でもいなけりゃ。
それにしてもいくつかの案件を抱えて、って言う事にしたかったのだろうけど、夫から暴力を受ける妻の話はやっぱ必要なのかなあ。
ルーディとしては満足して彼女を守っていくって思ってるけどこういう状況で結ばれた関係だとまた彼女は立場が弱くて対等じゃないようで。結局ルーディがこの後、暴力夫になる予感もあったりして(またこんな事言ってしまった。いかん)
posted by フェイユイ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。