2006年07月31日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第41集

康煕が風邪を患っているというのは嘘でもっと重い病気に違いない、と索額図は考えた。
急いで皇太子にそれを知らせようとするが皇太子は紅玉と添い寝していた。索額図は皇帝が崩御されればあなたが後継者なのですよ、と気づかせる。皇太子は急に皇帝になったかのように喜びだす。
一体なぜ康煕はこいつを皇太子に選んだんだ?

容妃は康煕の側に行く為に太皇太后に挨拶をした。太后は康煕を頼むのだった。
容妃が去ると慧妃が現れて太后に皇太子の企みをばらすのであった。

太皇太后は皇太子と索額図に「皇帝が病気だと言う噂は嘘だった」と言わせる。
皇太子は曾おばあ様の行動に疑問を持つが索額図は心配は要らないとさらに計略を皇太子に吹き込むのだった。

康煕は病に苦しみ北京に戻ろうと考えていた。だがあまりに病状が悪く落ち着くまで待つしかなかった。

グールダンと藍斎は戦いの合間には仲睦まじく会っていた。だが藍斎は夫と父親が戦うことに苦しんでいた。

康煕は日増しに悪くなる病のために遺言を残すと申し付けた。これを聞いた明珠は朝廷での皇太子と索額図の造反を訴え遺言をとり止め生きてください、と頼む。これを聞いた康煕はまた落ち込むのだった。

容妃は康煕の元に急ぐ途中でフランスのキリスト教布教の僧たちに出会い随行させる。
彼らは康煕の病気がマラリアだと言う。それにはキニーネが役立つと渡す。容妃は迷わずそれの毒見をした。

グールダンと清軍を率いるインスーとの闘いが始まった。
藍斎は夫と兄の名を呼びながら停戦を求めて間に入った。
これを聞いた康煕は構わず戦うように命じた。が容妃は娘のもとに駆けつけるのだった。
激しい戦いの間母と娘は抱きあい戦地の真ん中に座り込んでいた。清軍の大砲が鳴り響き、馬が駆けぬけ兵士たちの刀が打ち合った。

戦いが終わって気がつくと容妃は自分が助かったことに気づき、娘・藍斎も側で生きていた。
遠くから康煕の使いが二人に駆け寄ってきた。
ラベル:康煕王朝
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2006年07月30日

「チェ・ゲバラ&カストロ」

カストロ.jpg

正直言って中南米の歴史やゲバラ、カストロについて一握りの知識しか持ち合わせていないのでこの映画を観て感じることがどのくらい正しいのかそうでないのか判らない、ということがある。

もう一つの問題はこの作品が3時間以上のアメリカでのテレビ映画だったものを120分の映像に押し込めてしまっている、ということで作品の主旨がどのくらい変わってしまったのかが判らない、ということ。
この縮められた部分については知りようもないので観る事ができた限りでの感想となる。
またアメリカ資本でアメリカのテレビ放送用に作られた映画だというのも注意すべきことだ。

前置きが長くなったが、それを頭に置いて観たとしてもかなり上手く演出・構成されていたのではないかと思う。
ただこれを見る限りでは「チェ・ゲバラ&カストロ」ではなく「フィデル・カストロそして少しゲバラ」と言う感じである。
私は「モーターサイクル・ダイアリーズ」の映画の魅力とガエル・ガルシア・ベルナルによって中南米映画に入り込んで行った口なのでゲバラはややかじったが、カストロについては殆ど知らなかった。
この映画を観てカストロを演じたビクター・ヒューゴ・マーチン(ビクトル・マルティン?)が素晴らしいせいもあってゲバラの出番が少ないのは不満ではない。
ただ問題はそのゲバラの演出なのだ。カストロとは違って過激なゲリラ男というイメージが強くその活躍も大幅に端折られていたので、これではなぜ彼が出生国でない南米の各地でも英雄として尊敬されているのかが全く理解できないのではないか。最後の戦いの場面でもぶざまにつまずく様が彼を貶めているようでもあり製作者への悪意を感じてしまう。
そのくせより有名なガエルの名前とチェ・ゲバラの名前を先に出す辺りが商魂逞しくはないか?多分可愛いガエル観たさに買った人はがっかりだ。

またそれてしまった。
カストロがアメリカの支配に怒り、クーデターを企てしかもできるだけ敵の命を無駄に失わせる事はなく、ゲバラと出会い意気投合してキューバの独立のために戦うところまでは息を呑む思いだった。
だが独立をして自らが頂点に立った所からカストロに対する評価が厳しくなっていく。特にそれまでの貧しい人の為の革命というだけでなく、共産主義の道を歩みだしてからは独裁者の悲劇という映像になっていく。
ここからが私にはよく判らないのだ(勉強不足、認識不足である)製作者が「アメリカに反抗して戦った姿はかっこいいが、その後の共産主義はこのような悲劇を生み出したね」と言っているとしか思えないからだ。
そしてそれが本当なのかがまだよく判らない。あまりにも悲惨な国のように映し出されるのと音楽や明るい太陽というイメージが結びつかない。

そういうわけで多くの宿題を課せられた状況になってしまったのだが、そういう意味でもとても興味深い映画だった。
カストロを知るための入り口としてはいいのではないのだろうか。ただしこれでチェ・ゲバラを知った場合はさらに他の事で彼を知っていただきたい。偉大な革命家として名高い彼がこれだけの存在と認識されてしまっては困ってしまう。最後の彼の死の場面は「赤いキリスト」と言われた有名なチェ・ゲバラの写真を映像化したものだということを知って欲しい。
(私としては、映画を撮った人達はカストロとゲバラの姿を伝えたかったのだが、製作会社としては共産主義=悲劇という路線を守らねばならなかったんだろうと思っているが)

そしてもう一つ。アメリカテレビ映画らしくキューバ人が皆英語を話すと言う不思議世界になっているが、それが凄いスペイン語風巻き舌発音なのが愉快。英語圏の人になったらどんな感じで聞こえるのか「キューバらしい雰囲気が出てたね」ってことなのかな。

監督:デヴィッド・アットウッド 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、 ビクター・ヒューゴ・マーチン、 パトリシア・ヴェラスケス
2002年アメリカ(中南米のカテゴリにいれてますが)

最後にこの映画でのガエルはファンとしては非常に寂しい。演出がこれなんでガエルとしてもあのいつもの扇情的表情も使いようがないしな。
おまけに小柄な体が悪い方に出ていてかなり体格のよかったチェのように見えない。「モーターサイクルダイアリーズ」の時みたいにごく若くて細い時はぴったりなんだけどね。
posted by フェイユイ at 20:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 中南米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

「dot the i ドット・ジ・アイ」

ドット・ジ・アイ.jpg

この映画での教訓は最後まで観ろ!ってことだった。
ただ最後まで観てよかった!というわけではなかったと言うのがこの映画の落ち。

つか、何となく面白いような気もするんだけど、もう少し上手く仕上げてくれよと言いたくなる構成なのだ。
前半は単なる三角関係をこれ以上観るのよそうか、と考えてしまうし、後半からネタばらしに入る、って感じでまたこれが長く感じられ、二転三転という気はしない。

タイトルが『細部まで注意を払う』という意味を持つ慣用句であるということで作りに作ったストーリーなんだろうけどすべてがまだ熟成されていないのだ。あるいはまあまあ食べれる材料は揃えたのにコックが半人前で煮込めなかったというような。

ガエルはいつもどおり眼差しが強くて何か意味ありげな表情をしているのでこういったサスペンスにもとてもあってると思うのに彼のよさを出し切れてなく勿体無い。

この前見た「コンフェッション」のように思い切り作り上げてくれるか、もっと込み入った不思議な映像でわけのわからない迷路に押し込んでくれるか、欲求不満に陥ってしまった。

ヒロインのラテン的心の変化(なのだろうか?)が激しさも不思議映画には合うが、数学的展開をしたいなら逆効果では(勿論それも計算されている場合は別)

ところでガエルとヒロインのラブシーンは一見なかなか情熱的のように見えるが何故かヒロインが裸を見せないという謎が。
あそこまで行為が激しいのなら裸は大したないと思うんだがなー。やっぱそれで上映の条件が厳しくなるのか???

楽屋落ち的なニュアンスもこれの場合はいい方向に行ってない。

ガエルはきっと変わった面白い映画になると思って出演したんだろうけどもっとどろどろだとかマニアックだとか怖いとかそういう要素を持つ映画の方が私は好き。

監督・脚本:マシュー・パークヒル 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル/ナタリア・ヴェルベケ/ジェームズ・ダーシー
2003年 イギリス・スペイン
posted by フェイユイ at 23:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月28日

「王の男」に血迷う

あれから見返してはいないのだが「王の男」思い出すたびに何とも言えず好きだという気持ちに襲われる。
なんだろう。とても小さな話なのだ。何か物凄いことをしたわけでもない。王の男といっても政治を動かすような事をしでかしたわけでもないのだ。

ゲイの物語、というものがあってそれを好む種族がいる。私もしっかりその中に入っているのだが、結構組み合わせの好き嫌いが激しかったりする(多分その種族はそれぞれ好みの組み合わせと言うのがあるのだろう)

「王の男」は前にも書いたが設定的にはチェン・カイコーの「覇王別姫」を彷彿とさせる。
だけどふたりの関係は「覇王別姫」のようではない(細かく言えば幼少期には非常に似ている)
「覇王別姫」は大好きな作品でレスリーの美しさは比類ないものと思っているが恋する相手の男が幼年期はとても好意を持っていたのに長じてからは女に行ってしまったのでとても悲しかったものだ。
また(あえて比較するのは気がひけるが有名なので)「ブロークバックマウンテン」ではその素晴らしい物語は別にして互いが妻子を持っていてその人たちを不幸にしてしまわざるを得ないので(それはまた物語性があるとはいえ)私としては少し悲しいものを感じてしまう。

私は設定が地味であるほど好きなようでその意味でも今までは「ブエノスアイレス」の二人がとても好きだった。
「王の男」での二人もあてもなくさまよい明日をもしれない、というのは似ている。でもあの不安定な関係の二人ではなくて「王の男」での二人は映像的には何もしていないのだが(って変ないいかただけど)一度も裏切る事がないほど互いを思い愛し合っている。それが心をたまらないほどかきむしるのだよね。

幼い時から一緒と言う事もあって二人の関係は兄弟のようでも友達のようでも恋人のようでもある。また仕事の上でも最高の相棒となっている。
私はどうしてもチャンセンのコンギルへの愛情が切なくて好きで好きでどうしようもない。

また繰り返し見てしまうだろうと思う。
コンギルが王に哀れを感じてもチャンセンを思うようには全く思わないのがまたよい。とにかく王様はかわいそうな存在なのだな。


ラベル:同性愛 旅芸人
posted by フェイユイ at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月27日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第40集

康煕はスマラグに牢の李光地を見てやるよう言って去っていった。
スマラグが李光地の様子を見に行くと首をつって自害しようとしているではないか。スマラグは慌てて彼を助け、死に急がないように諭すのだった。

慧妃は容妃の部屋に来てグチをこぼしていた。容妃がそれを陛下におっしゃれば、と言うと慧妃はもう年を取って醜くなり陛下から触れられたこともない。言いたいことがあっても言えない、と言う。
側でそれを康煕は聞いていた。

慧妃が部屋を去ると容妃は慧妃は陛下とお会いしたのですよ、と言う。康煕は満足を知るべきだとだけ言った。
そして藍斎に子供が生まれたと伝えた。容妃は祖母になったと喜ぶ。是非お祝いの品を贈りたい、陛下はグールダンに何を贈りますか。
康煕は鉄騎を。と答えた。容妃ははっとして勝利を祈った。でも藍斎は連れて帰ってください。無論だ。娘なのだから。(この答えにほっとした)
でも殺されてしまうのでは。康煕はそんなことはない、と答えた後、判らない、と言った。

藍斎はアミダへの贈り物を喜んだ。だがグールダンはアミダが祖父から贈られた被り物を身につけた時「おじいちゃんはお父さんを殺しにくるぞ」と言った。アミダはそれを火にくべた。それを見た藍斎は何も言えなかった。
あ〜あ、もう判ってるはずなのにならなんで藍斎を嫁に欲しがるかな、いっそ只の政略ならいいが可愛がってこの仕打ちじゃ藍斎も悲しいよな。っていうかどうしようもないことか。

ついに康煕は兵を率いてグールダン征伐に赴く。バオリーロンメイが随行を頼んだが康煕は許さなかった。
そして李光地にお前を連れて行くと告げた。お前の欠点は馬鹿になるべき時馬鹿にならず馬鹿ではいけない時馬鹿になる事だ。
そして500年前テムジンが宋を南に追いやったのと逆に我らが北を攻める、と叫んだ。この古道は朕の天下統一を助けてくれる。
皇帝は馬を走らせた。

皇帝がいなくなった紫禁城で皇太子は大臣達を跪かせることで権力をふりかざしていた。
そして自分は索大臣から送り込まれた紅玉を愛でることに夢中になっていた。索額図はそれを見て注意をしたが皇太子は父がいないことですっかり腑抜けているようだった。
これを見たら何故康煕がこの息子を皇太子にしたのか全くわかりませんね。まだインスーの方がよさそうですが。まさかこの間抜けな皇子がこのまま皇帝になってしまうんでしょうか。
陳大臣がかなり厳しい事を皇子に申しあげるのですが、果たして皇子に届いたのでしょうか。

李光地は汚い服を着せられ慣れない力仕事をさせられていた。
康煕は李光地を呼び、再び側で働くよう命じ、今まで皇子にしか与えた事のない自分の服を李光地に与えた。
だが康煕は病に伏してしまう。戦いはインスー皇子に託された。康煕の病状は酷く、明珠は李光地に病名は伏して病状を北京に知らせて薬を送るよう書をしたためさせた。
それを見た索額図は医師に「陛下の崩御はありうるのか」と聞いた。
ラベル:康煕王朝
posted by フェイユイ at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月26日

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第39集

李光地は索大臣に古傷をさぐられ頭が上がらなくなってしまった。そして明珠からも金をもらってしまう。
居場所のなくなった李光地はスマラグ、今は出家したスマ大師に助けを求めた。
明晰なスマ大師は李光地の心を見破る。そしてすべてを皇帝に打ち明けなさいと助言した。
李光地が自分の師匠は伍次友だと言った時、スマ大師ははっとなった。李光地は伍次友が8年前の今日亡くなったのだと伝えた。スマラグは泣いた。

蒙古から3人の王が逃げるように康煕に助けを求めてきた。康煕はグールダンを倒し3人の王の土地を守る事を約束した。

その間にも索額図と明珠の対立は激しくなっていた。昇進の人選を彼らは自分たちの都合のいいように李光地に求めたのだ。
李光地は康煕に退職の願いを出した。

李光地は康煕と索大臣、明珠、二人の皇子たちの前で真実を彼らの私欲による人選を話した。
慌てた索大臣と明珠はさっと手を組んで李光地に反撃した。
索額図はとうとう李光地の昔の醜聞を康煕にもらした。
康煕はその時期が藍斎姫との文通の時期と重なるのを知って李光地を投獄した。

李光地が罰せられた後、索額図と明珠はちゃっかり仲良くなって気をつけようと話し合う。
索額図は間者を送ったのは明珠かと問うとそんなことはしない、それができるのは・・・皇帝だけだと気づく。

康煕はスマラグを訪れていた。
伍次友の話になり康煕は「悲しませると思い言えなかった」と告げた。
康煕はさらに李光地について聞いた。スマラグは聡明な人だが板ばさみになって辛い立場です。と答えた。
だが康煕は喪中に娼婦を買ったこと、藍斎姫を好きになったこと、突然官職を辞退したいと言って人前で索額図と明珠の悪事をばらし康煕を困らせた事を許しがたいと言った。

スマラグがまた出てきてうれしいですね。バオリーロンメイはずっとスマラグの側にいたのですね。よかった。
ラベル:康煕王朝
posted by フェイユイ at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「康煕王朝」陳道明/斯琴高娃 第38集

康煕は台湾攻略に手柄を立てた姚啓聖に隠居できる場所と読書の為の本を、施琅にも多くの褒美を取らせた。
李光地にも地位を与えたが、藍斎姫の事が言い出しにくく気まずかった。だが李光地が姫のお土産にと浜辺で拾った貝殻を出したために康煕は藍斎姫はもういないと告げた。李光地が去った後、貝殻と共に姫が壊したものを復元させたおもちゃのウサギが置かれていた。

藍斎姫が兄インスーに守られながらグールダンの元へ旅立ってから2ヶ月がたっていた。道のりはさらに続くのだと言う。藍斎姫は北京から遥か遠い土地へ行くのだと思いつめた。
突如、姫たちの前方にあらわれたのはなんとグールダンとその兵隊だった。グールダンは藍斎姫をさらうように馬に乗せた。
姫はインスーに向かって矢を放った。インスーは「これからは敵と言う事か」と悟った。

月日が流れグールダンは草原の覇者となりつつあった。
藍斎はアミダという王子をもうけ大ハーンであるグールダンと心を通わすようになっていた。
グールダンは住居を移しそこで藍斎のために母の住まいである容妃宮とそっくりの建物を作っていたのだった。
そこで藍斎は互いの国の平和を祈った。が、グールダンはより内地に近い場所に引っ越したのは大清を攻めるためだった。それを知って藍斎は涙をこぼすしかなかった。

康煕は暢春園を訪れその美しさを気に入った。
康煕はインレンを正式に皇太子として住居と服を賜った。それを見た兄のインスーは心穏やかではなかった。
インスーは父にグールダンが長城を越えて攻めて来ていることを伝えた。康煕は早速、長城に向かった。そこには科挙を通った者たちの詩が落書きされていた。
康煕は張廷玉という者の詩に目を留めた。それは長城が何の役にも立たない夢であり空であるという詩だった。
それを聞いた康煕は破損の多い長城の修理を一切止め無用の長物として後世もこれに頼らぬ事を定めた。すべて政治で国を守ると言うのだ。そして役に立っていなかった長城の知県を追い払い張廷玉に知県の役を与えた。さらに6級であった身分を5級にあげた。
それを聞いた明珠は早速張廷玉に近寄ってはなしかけた。

康煕はインスーと共にグールダンを倒す計画を立てていた。

李光地は索額図に呼ばれ突然かつて李光地が娼婦を買った時に子供を成していたのだと告げられた。
これを皇帝が知ればどうなるかと索大臣は脅した。
李光地は跪いて索大臣に懇願した。

グールダンがこの時点で30歳だと判明!!驚いた!!
ラベル:康煕王朝
posted by フェイユイ at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 康煕王朝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月25日

「王の男」コンギルとチャンセンそして王

王の男u.jpg王の男x.jpg王の男w.jpg


「王の男」

今日はまた思い切りネタバレなので注意しといてください。

昨日の興奮も覚めやらぬまま、という感じなのだがちょっとだけ落ち着いて考えてみたらよくこの作品が大鐘賞を取りまくったものだなあ、と改めて感心。
莫大な制作費をかけて作り上げたものも多くあるだろうに(最近あまり知らなくてすみません)この「王の男」ははっきり言って小粒で地味めであるし、そのテーマからしても観客を限ってしまいそうだ。低い制作費で作られたという事実が映像にも表れていて手作りっぽい印象がある。
そういう映画が大鐘賞総なめ(に近く)韓国での観客動員数1200万人という驚くべき成績を上げたのは何故なのだろう。

正直、私には答えが出せないでいる。

やはりコンギルを演じたイ・ジュンギは綺麗さが原因の一つであることは確かだろう。
写真だけ見た時は「動いたらどうか判らんからなー」という危惧もあったが実際の動く映像での彼の方が本当に可愛らしくて魅力的なのだ。
無論韓国男性らしく、その美しい皮膚を持つ繊細で女性的な顔立ちと逆に背は高くて逞しい体つきをしているのがわかる。私は逞しい綺麗さが好きなのでもう完璧なのである。おまけににこっと笑う笑顔をみたらホント男でも思わず「かわいい!」と思ってしまいそうである。

もう一つは純愛。韓国映画としては定番と言っていいテーマだが、反面、韓国映画ではタブー(?)というべき同性愛の純愛がモチーフになっているところが却って人々の興味をひきつけたのであろうか?
許されざる関係であるだけにより悲しく切ない愛情を感じるのだ。この物語のなかで主人公二人がずっと互いを思いやっているのが感動的だった。
その悲しさを際立たせるのが二人の置かれた身分制度。貴族である両班や良民(自由民)の下に置かれる賤民である彼らは人間として扱われる存在ではないのだ。劇中では王のために彼ら芸人を獲物にして狩をする場面がある。一応矢じりを潰しているとはいえ、人間相手にできることではないだろう。狩られる彼らの方は取り立てて文句を言うわけでもなくひたすら逃げる事に必死になっている。
勿論コンギルが王のお召しを断れるわけがない。コンギルを愛しながらもチャンセンが強く反対できないのは彼のことを思えばこそだし、コンギルもチャンセンのことを思って王の元へ行くのだ。

そして燕山君の時代背景も興味深い。15世紀末から16世紀初頭ということであの有名な「チャングム」とも時代が重なっているのでドラマを見ていたらかなり馴染み深い感じがするだろう。
燕山君は暴君として名をはせているようだが、母親を毒殺されたという悲しい幼少の記憶がありそれを語る王には同情を禁じえない。「母上に会わせて」という願いすら聞き届けられなかった王の寂しい心。
涙を抑えきれなかった場面の一つは王の悲しみの場面だった。

つまりは最高の位に就く王と最低の存在である主人公たちが両方とも自由ではない世界の中で生きているということなのだ。
この後、王は臣下たちの反乱によって死を迎える。結局王を心から愛した人はいなかったのではないか。その毒殺された母親を除いては。

相反する何も持たない主人公たちはそのお互いしか愛する人はいないのだ。他には何もない。

コンギルに惹かれ寵愛する燕山君どこかで見た!と思ったら「アウトライブ」で大好きになったたナムグン家の息子・ジュングァン(チョン・ジニョン)ではないか!あの時も「お気に入りの美女の絵」にそっくりの主人公(男!)を「美しい。俺の理想の女に似ている」と言って友達関係を結ぶといういい趣味をしてたっけ。怪しい(笑)素敵だ(笑)
ラベル:同性愛 旅芸人
posted by フェイユイ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第43回大鐘賞映画祭授賞式での「王の男」を顧みる

「王の男」に痺れぼうっとなりながら改めて第43回大鐘賞映画祭授賞式のようすなど見てみる。

15部門候補、10部門受賞という怖ろしい数である。
これでもイ・ジュンギの人気の程が伺える(後ろのイ・ヨンエは綺麗だなー)

私は何と言ってもカム・ウソンのチャンセンに惚れてしまったのであるがカム・ウソンって普段はこうなのだ。うはー、映画のワイルドさと違ってインテリジェンスな男前だ(ってメガネに騙されてる単純な私?)

全員集合写真で見えているのは助演男優賞のユ・ヘジン

しかしイ・ジュンギはやっぱきれいだなということで。
ラベル:同性愛 旅芸人
posted by フェイユイ at 18:28| Comment(4) | TrackBack(2) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「王の男」

王の男y.jpg王の男z.jpg

観終わったばかりで目が痛いです。まさかこんなに泣いてしまうとは思いもしませんでした。

散々韓国での凄い興行記録を聞き、大鐘賞映画祭では10部門受賞 などということで期待も高かったのですが、こんなに切ない物語だったとは。韓国映画が涙を絞るのに長けていると判りつつも涙なしには見れませんでした。

時は朝鮮王朝、暴君で名高い燕山君の時代(1500年頃)。旅芸人というのはそれだけで卑しい身分なのだろう。特別詳しい説明はないのだが、少しずつ語られる言葉で主人公芸人チャンセンと女と見まがう美貌のコンギルは幼い時から互いを頼りにし芸を磨いて生きてきた。
事件を起こして二人は田舎から王のいる都会へと逃げ延びる。そこでチャンセンとコンギルは知り合った芸人と手を組んで命知らずにも王を嘲笑する芸を披露し捕らえられてしまった。

王というのはかくも力のない存在なのか。いや王とはいえやはり人の心を捉えるのは難しい事なのだろう。
居並ぶ貴族達の中で王の力はあまりにも頼りなく虚勢を張らずにはいられないことなのか。
王が自ら行った影絵で愛する母に会えない悲しみを訴えた時、思わず涙がこぼれた。狂気と言ってもいいような気まぐれな王なのだが結局この王には何もすがるものがないのだ。

同性愛的要素がある、ということでも話題になっている映画だが、他のもろもろの映画のように露骨にそういう場面があるわけではない。言葉すらない。
それでもチャンセンのコンギルへの愛はその何も語らない演技からにじみ出てくるようなものでそれが却って切なく心を打った。
幼い時から寄り添い生きてきた二人にもすがるものはなかった。卑しい身分である二人には互いの存在しかなかったのだ。
二人は身分は卑しいが抱きあうことのできる互いがいる。王は何も持たないのだ。

チャンセンのコンギルへの想いがいつまでも熱く悲しく感じられるのとコンギルもまたチャンセンを想う気持ちも強いのがなんとも言えず泣いてしまいましたね。

幼い時からの互いに芸を鍛えあったというのと男らしい風貌と女性的な存在、そして映画の中で京劇をやるというので「覇王別姫」と重なる事もあるかもしれませんね。
ただ「覇王別姫」では蝶衣からの一方的な思いだったので私的には寂しかったのですがここでは二人が愛しあっていると言う事がまた涙涙でした。

またもう少し書くと思います。

監督:イ・ジュニク 出演:カム・ウソン、イ・ジュンギ、チョン・ジニョン、カン・ソンヨン
2005年韓国
ラベル:同性愛 旅芸人
posted by フェイユイ at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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